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2009年11月27日 (金)

池谷城跡(神戸市西区)

城跡は神戸市西区櫨谷町池谷にあって、訪れる際の目印となる櫨谷小学校側からは直ぐ視界に入る、南東側の丘陵上の先端部に位置している。当時は端谷城を本城とした支城として位置付けられているが、秀吉による三木城攻めの際には、本城あるいは数多い支城と共に落城した歴史が伝えられており、鎌倉時代より続いた衣笠氏の歴史も、ここで終止符が打たれた模様である。

城跡へは県道52号を経由して「櫨谷小学校」を目指せば分かり易が、現地に到着すればルート図の如く神社のある「老人憩いの家」傍の空きスペースに車は停められるだろう。そこからは東側に望める、通信施設の鉄塔が建つ丘陵が城跡でもあり、直ぐに場所は確認する事は出来るが、直接進入口となるのは通信施設脇からでも良いし、そこから山裾を巻く山道のどこから進入しても、竹林地(郭跡)を通過すれば主郭までは5分もあれば到達可能である。

3 登城ルート

6_2 城跡進入路

現状(10月)城跡は予想通りに藪化は深刻化しており、郭移動にも木立の間を縫いながらの移動は余儀なくされ、更に生い茂る低草木によって郭跡全体像の視認、あるいは遺構の判別確認は非常に困難な状況となっている。おまけに風化も更に追い討ちをかけている事から、土塁と見て取れた地形も郭切岸も非常に曖昧なものとなっており、竹林地に重なり合う郭跡などは、長年の堆積物(枯れ葉)などによって切岸も判断し辛い状況となっている。現状全域を踏破した訳ではないが、何とか目に留まった遺構を挙げれば、郭跡を除けば土塁及びそれに付随する虎口跡、空堀(空堀道か?)、縦土塁などであり、丘城でありながら起伏に富んだ地形からも、縄張り妙味はありそうには感じられたが、それも判別し難い地形の為に遺構の断定までには至らず、残念ながら自分の中では中途半端な城跡となってしまった。現状一番判別し易い遺構は通信施設の東側(主郭から見れば西側)に備わる空堀、その上部に位置する地表がフラットな数段の郭跡及びその切岸程度であると言っても過言ではなさそうに思える。もちろん主郭などは平坦地形ではあっても、草木に覆われて郭形状も掴めない状況にある。

11_kaku 北側の郭跡

20_nisikarabori_dorui 僅かに判別可能な空堀土塁

22_dorui_karabori_3 西側の空堀

24_heki 25_kaku_heki 郭切岸

Shukaku_nai 主郭の現状

以上挙げた限りでは訪問には値しない城跡の様に感じられるとは思うのだが、状態がこれほど悪くなければ、遺構の判別も意外に規模の大きい城跡も歩き回って体感出来たのではないかとも思えるのである。当然冬季(それも12月から2月まで)訪問が限定の城跡とも言えようが、5分程度で主郭まで到達可能な事を思えば、評価は甘くなるが「見ておいても決して損にはならない城跡」、と言うのが自分の出した結論になろうか、、、 

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兵庫(三田~播磨地方)の山城」カテゴリの記事

コメント

三宅播州です
池谷城の記事 拝見いたしました
私も今年の二月頃に訪城いたしました
一度は多分ここではないかなという事で城の直前で引き返し
二度目に訪城致しました
その際ちょうど畑作業されている女性の方に訊ね
池谷城と確認できました。
主郭の社と虎口か竪掘か横堀か分からない入り組んだ地形と
多量の郭です。
私もTAKU さんと同様な意見で
「何だか分からないけれどもあらゆる意味で凄い城(風化も含めて)」
と感じました、内神城(三度訪城しても)と含めて今でもよくわからない
謎の城と覚えております。
しかしおそらくは風化が進み端谷城を支配した
衣笠氏の本城でもあり
かなり立派なものだったのではないかと思っております。

十月半ばに黒井城へ訪城した際に先ず驚いたのが日曜日とはいえ
駐車場が満杯になっており(他県からの方も)
戦国ブームかなぁと思い、黒井城西の丸へ行って
本城まで帰ってきた際に
「西の丸はこっちでしょうかと」訊ねられ 
「急斜面ですので注意して下ってください」
と返答したのですが
その方の手にはTAKUさんの黒井城西の丸の概念図を
お持ちになっておられ、しばらくお話をさせていただきました、
その方も毎朝九時頃にかかさず拝見しておられ
TAKUさんのブログを参考に訪城されているそうです。
偶然とはいえTAKUさんのブログを参考に訪城する方が
増えていっているのではないでしょうか。
私は来月ひと月美作の方へ
行ってみたいと思っております。
TAKUさんも訪城そしてブログ頑張ってください。

TAKUです、コメントの返信が遅れた事に関しては、非常に恐縮しております。と言うのも、この三日間は、日常のブログ掲載分だけはプログラミングして、広島県府中方面へ山城巡りの旅をしておりました。帰宅したのが今日の事でもあり、丁度今、コメントを拝見し返信させて頂いております。
それにしても池谷城はお互いに残念な限りでしたね。ある程度の地表風化は仕方がないにしても、あそこまで藪化が進行しておれば、流石に全域を踏破しようとする意欲も失せました。個人が所要する山城とも見受けられ、これから多少でも状態が改善される兆候も見えず、自然風化の道を辿る城跡とも思えました。
黒井城の件では播州さんは元より、他の城跡ファンの方にも役に立っているといった内容でもあり、非常に感激しながら拝見しましたが、これを一層の励みとしたい処です。

三宅播州です
TAKU様 ご返信ありがとうございました
低地に所在しかつ植林地というわけでもなかった池谷城は
近畿の低山に残る城郭遺構の保存状況の難しさを感じました。
県をまたいでの訪城の際には
地域によっての木々の植生の違いや
山城の整備保存への考え方の違いを実感させられます。
TAKU様の日下津城の記事の中の
「広島県内に於いては山城を史跡として評価する意識レベルが非常に高い」とのようにブログ中の広島県の城について
再び拝見させて頂き、城の保存状況良さや
整備の良さに驚かされました。
私は今年3月頃に広島県へはブログを拝見させて頂き
高山城、新高山城を訪れましたがその他の城へは
全くの未訪で来年1月、2月頃にかけて
TAKU様のブログを参考にさせていただき訪城してみたいと
思っております。
今回、TAKU様は広島県府中市の山城へ巡りは
いかがでしたでしょうか?
最近は天候にも恵まれておりましたので
きっと素晴らしい山城巡りをされたかと思います。
訪城レポート期待して拝見させて頂きたいと思います。
ありがとうございました。

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