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2009年11月 8日 (日)

藪内氏城跡(三重県伊賀市)

この城跡は、先にリポート掲載を終えた妙楽寺城跡からみれば西麓に位置しており、同じ伊賀市青山町妙楽地にあるが、名が語る様に藪内氏の居館と伝わっており、かつては「藪ノ内屋敷」とも呼ばれていた様である。個人的には先に触れた妙楽寺城とは、山頂と麓の違いはあるが、同じ山塊を共有する事からも、此方を居館とすれば山上は自ずと藪内氏詰城(山上郭)の様にも窺われたのだが、、、、当然推察の域は出ない。

城跡へはルート図の如く、「新妙楽寺橋」を渡る手前より、川に沿った畦道を利用して向えば、直ぐにでも到達可能となっている。この城跡は伊賀にあっては数多く見受けられる方形城館の一つでもあり、土塁で周囲を囲んだ定番中の定番とも言える縄張りを持つ城跡でもあるが、比較的規模は大きく(50m近い)、一部北側の土塁の崩落は見とめられるが、未だ四方に土塁がそのまま現存している事からも、貴重な城跡と目には映った。現状遺構として判別確認出来たものは、土塁虎口、土塁外壁の周囲に巡らした空堀、空堀の仕切りとなる土塁(石積みが見受けられた)などであるが、中でも東に備わる土塁虎口は大型でもあり、状態の良い空堀と並んで見応えも感じられ、一番目を引くものの様には思われた。方形居館跡の東西にも付随するそれらしい削平地、あるいは溝状ではあるが堀切跡の様にも見て取れた地形が存在しているが、恐らくこれらも当時の遺構としてまず間違いのないものの様には見受けられる。

1route_2 登城ルート

4 城跡進入口

Ya Yabu 城跡概念図

現状(10月)屋敷跡は自然任せの荒れ放題となっており、城跡の周辺は竹林地あるいは雑木藪となっているが、他の伊賀における丘陵上にある居館跡を思えば、随分ましな部類に入り、ある程度敷地内の全体像が窺える事、あるいは周囲を巡る土塁も、部分的には良いものが拝め、更に内壁高低差も充分見て取る事が出来るので、比較的見学し易い状態にあると言っても良いものとは思われる。

8_1 8_2 背後を巡る空堀見所

15_kuruwa_nai_2 郭内部

12_dorui_naiheki_2 高土塁内壁見所

22_koguti_2 虎口跡見所

25_kitagawa_dorui 北側の低土塁

20_sikiri_dorui 空堀仕切りの石積み

この地域(勝地から妙楽地にかけて)には既にリポート掲載を終えた新氏城、松田城、甚二郎城、妙楽寺城と、比較的コンパクトな城跡が数多く現存している様には見受けられたが、個人的に何の予備知識もなく、偶然訪れた松田城は文献などには記述も無く(公的資料には載っているのかも知れないが、、、)、まだ多くの砦跡あるいは城跡がこの地域には眠っている様にも思われる(所在はルート図には記したが、遺構としての確証は得られず)のである。まだ未訪の方には、山城巡りの一環として、上記の城跡を併せた同日訪問とすれば、より充実した山城巡りが出来るようには感じられたが、、。

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コメント

TAKUさんこんばんは。
久しぶりです。
薮内氏城、妙楽寺(地)城のレポート拝見しました。
お役に立てたようで幸いです。
私が、妙楽寺城が気になった理由ですが、比較的高い山の山頂の低土塁囲みの伊賀に少ない形と、
麓の道を東を行くと「坂下の福持氏城」の付近で北畠信雄の武将の柘植三郎が丸山城落城の後自刃しています、と言うことは北畠(織田)の陣城でないかと考えたからです。
訪れた当日、地区長の方とお会いし色々お話を伺いましたが妙楽寺城については地元ではあまり伝承はなく「薮内氏城」については”女城”と呼び女性を籠らせたなど伝承があるようです。
青山町には妙楽寺城タイプの山頂の低土塁の城が他に「矢(八)鉢山城」「行者山城」「堺目砦」等ありなかなか興味深い遺構が残っていました。
今日、TAKUさんの過去のレポートを参考にさせて頂いて淡河の「石峯寺城」と西脇市の「福地城」に行ってきました。
前者は、淡河城(三木城)攻めに関連してこの地区の城を色々調べてきましたが全く抜けていました。
西側のピークは切岸がはっきりしていて在地の勢力の城かと思いますが、東側のピークは二重の横堀は見ごたえある物ですが削平があまり良くなく意味がよく分からないのが結論です。
尚、ゴルフコースに北に張り出した小山状の部分は、削平がありましたが、南から東にかけてブルが入ったようで遺構とは考え無い方がいいとおもいます。
西脇市周辺は私にとって全くの空白区で、ひじょうに興味深く見て歩きましたが、堀と大土塁の虎口を入るとそのまま真っすぐ上に郭に入るのではなく、切岸の南側下を奥に進んだところに土塁と空堀の虎口がありここを通って上の郭に入るようです。
今後も、色々参考にさせていただきますので宜しくお願いします。

TAKUです、お蔭様で妙楽寺城、藪内氏城の両城共に直ぐに探し当てる事が出来ました。有難うございました。
しかしながら、氏の何時もテーマを掲げて城跡巡りをされておられる姿勢には、とても自分に出来ない事なので、非常に感銘を受けている次第です。今回も非常に興味深い話を聞かせて頂き、大変勉強になりました。これからも参考になるべく情報があれば、宜しくお願い致します。
さてコメントにあった事なのですが、確かに妙楽時寺城の形態は伊賀にあっては特異なものですね、私も伊賀の城跡と一味違う形態には驚きました。
もちろん山頂部に位置する山城が伊賀では非常に少ない為に、余計違って見えるのかも分かりませんが、最初に見た限りでは陣城としか目に映りませんでした。ただ後で寄った藪内氏城が目と鼻の先にあったと事から、ひょっとすれば山上詰城もありかな?と思えたのも事実です。伊賀のほとんどの城跡には、城主がある程度判明しているにもかかわらず、この山城だけ地区名で名乗られた呼称でもあり、更に地元における伝承も無いのでは、陣城の可能性は大かも分かりませんね。同じ山上に位置する霧生城などは、北畠氏の家臣の城であったとも聞くので、少なくとも伊賀在地勢力以外での築城の可能性が高いと見て良いのかも分かりません。
話は変わりますが、既に訪問されているかも分かりませんが、近く掲載予定をしております城氏城(青山町別府)は、伊賀にあっても青山町周辺の城跡に共通する、山上主郭が穴蔵構造となっており、非常に楽しめました。まだ未訪であれば、何時もの様に上り易いルートは記しましたので、是非参考にして頂ければと思います。

TAKUさん、ご返事ありがとうございます。
青山地区の丘陵を切り込んだ土塁上の土塁囲みの郭に付いては、何時も山城に同行する友人が注目しており昨年より、掛田城、小鴨城、新左近城、川上出羽城、等、お知らせいただいた城氏城も今春に行きました。藪がひどくて全体像を確かめるのに苦労しました。
さて福知山の篠尾羽合城に関してですが、レポートを拝見しましたが、賀茂神社の上の城は、私も友人の案内で15年くらい前に行きましたが南側一帯にブルドーザーが入り印象があまり残っていませんが友人が別の名前で呼んでいたような気がします。
私達が羽合城呼んでいました城は、国道9号線を
もう少し北上したところの西側の丘陵上あったと思います。
東西に続く丘を3、4本の堀切で分断し郭を作っていたように記憶しています。
昔のことなので、自信はありませんが。


僕の名前は、藪内です。しかも、伊賀市在住です。藪内氏城と関係あるのでしょうか。

TAKUです、コメントに対しての返答となりますが、結論から先に申し上げれば、ご先祖のルーツが数百年レベルの単位で伊賀市に在住なされていたということであれば、限りなく藪内氏との関連性は考えてよいものと思われます。系図があれば更に分かり易いのですが、明確にしたり実証することはほとんど不可能とも思えます。一般家庭のレベルで考えれば、ほとんど系図などは残っていないと思えますので、、、
「藪内」という名前が伊賀地方に特別多いという事であれば、更に薮内氏がルーツの可能性が狭まるのですが、、、
私見の域は出ないものと思って頂ければ幸いです。

僕の先祖は、天正時代に伊賀に移り住みました。しかも、江戸時代には、武士だったことがわかっています。やはりこれって、、、、smile

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