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2009年11月17日 (火)

千原東城跡(京都府福知山市)

この城跡は先にリポート掲載を終えた、千原城からも望むことが可能でもあり、尾根を一つ隔てた直ぐ東側の丘陵上に位置している。城史に関しての情報は、隣接する千原城と同様に現状では皆無に等しいが、市の遺跡呼称の中では「東シ城」となっている事からも、まさかトウシ城と呼ばれたとは思われず、ここでは千原城の東側に位置する東支城(ヒガシシジョウ)として解釈した上で、訪問リポートは「千原東城跡」として掲載させて頂いた。自ずと千原城の支城としての認識があった様には感じられるのだが、、、。

城跡へは千原城を起点とすれば分かり易いが、外見から望んでも直ぐ城跡と分かる山容は、位置確認もし易く概念図の如く公民館から出て、墓参道を利用すれば、直ぐにでも丘陵上までは到達可能となっている。

Tihara_1_2 登城ルート

6_tiharajyou_yori 千原城より東城遠望

Photo 2 城跡概念図

8_hokutan_kaku_1 先端の郭跡

9_isizumi_1 謎の石積み

10_kita_2kaku_1 北西郭と土塁見所

13_kita_horikiri 堀切見所

16_dobasi_dorui 最奥の堀切に備わる土橋地形

17_horikiri_1 城跡最奥の堀切見所

現状(11月)、主郭に相当する郭跡地のほとんどが、集合墓地として造成地形改変されたものと窺われ、取り合えず自作概念図に示したまでが、個人的に判別確認出来た遺構と言う事になるが、丘陵上では二箇所の土塁、空堀、堀切とした場合の縦堀跡最奥に施された堀切などが目に留まった。城跡の先端部分も北東側斜面も、治山工事によって大部分が切岸化されており、当時の遺構は相当消失したものとは見受けられたが、城跡の形態は郭高低差の余りない、ほぼフラットな地形をそのまま利用したものの様には見受けられた。当然、当時の郭形状などは訪れた者の想像に委ねられる状況にあるが、この城跡の形態から考えても、規模の大きい集合墓地内には、複雑な遺構は大して存在しなかったとも言えるのかもしれない。尚、この城跡との中間に位置する枝尾根上も、戦略的には縄張りと考えても良さそうには思われたが、踏破確認するまでには至れなかった。他では城跡先端部に方形状に石積みが窺えたが、これは恐らく近年における炭焼き窯跡、あるいは何らかの形で近年構築されたものの様には窺えた、、、謎。

千原城(本城)に直ぐ隣接する事からも、二城併せた同日訪問は当然お薦め出来るものでもあり、二城の位置関係及び築城された環境、あるいは形態の違いなども併せて見学すれば、自ずと有意義で充実した城跡巡りが出来るのではないだろうか。

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