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2009年10月 7日 (水)

三俣城跡(京都府福知山市)

この城跡に関しては何時もの気ままな山城巡りの中で、外見から窺った山容あるいは城跡としては好立地条件下にある事からも、個人的な好奇心から以前より機会があれば覗いてみようと思った事から始まったものであり、既に訪れて半年以上が経過したが、未だにここが城跡であると決め手になる遺構(分かり易い堀切あるいは必然性のある土塁)が存在しなかった事、あるいは色んな資料に目を通すものの、やはり城跡としての記述も情報も得られず、自分としては城跡としての確信は持ちながらも掲載を控えていたものである。しかし最近になって偶然山城巡りの中で知り合った方から、この城跡は福知山市の遺跡分布図の中に「三俣城」として記載されているとの信頼出来る情報を頂き、今回やっと「三俣城」としてのリポート掲載に漕ぎ着ける事が出来た。城史に関しての詳細は現状不明

城跡は福知山市三俣にあって、生野神社の直ぐ北背後にある丘陵上に位置している。ルート図の如く国道9号を利用して上六人部小学校あるいは生野神社を目印として目指せば難なく辿り着けるとは思われる。神社に到着すれば社殿背後よりそのまま上りきれば、直ぐにでも縄張り内には到達可能である。

1_1 登城ルート

1 現地概略図

4_1 城跡遠望

ただこの城跡の現況(状態)だけを説明する事は容易ではあるが、現地における地形を見ただけでは一体どこまでが城跡の一部なのか、あるいはこれが城跡としての形態なのかは非常に判断しかねる、他に類を見ない特異な形態であるのは確かである。取り合えず画像には城跡遺構として予測の付き易い分かり易いものを選んで載せたが、雑木も蔓延っているので全体像が窺えず、まして全体像の写真を残す事は尚更困難でもあり、載せた遺構画像だけで現地の様子を窺うのは少し無理があるかも知れない。とにかく概念図にも描き切れない様相をしているのである。目に留まった遺構は北側の山裾に向いて広がる広大な削平地、埋もれて現状浅くなってはいるが土塁を付随させた空堀部分的に石垣跡、縦堀地形そして先に触れたとても形容し辛く説明もし難い自然大岩(巨大岩盤を含む)に周囲を取り囲まれた巨大な穴倉状の地形、あるいは巨岩を利用したと見受けられるその穴倉虎口、付随する人為的な土塁など遺構とすれば驚愕に値するものと目には映った。現状ではこの巨大穴倉は長い年月をかけて相当崩落しており当時の原形すら想像も付かない状況となっており、機能においては個人で想像して頂くしか無い様には感じられるのである。Karahori A_3 A_23 A_28 A_29 A_34 A_32 A_16

取り合えずこのリポートに興味を抱かれた方にのみ訪問をお薦めしたいが、実際にこの地形を目の当たりにすれば、普通なら「自然の成せる業」と誰もが思うに違いないのだが、城跡ファンであればこれは明らかに人の手が加わったものであり、どの様に機能していたのかはある程度察しが付くのではないだろうか。個人的には数百人の収容が可能な、武者隠しの様な駐屯地的なものにも見受けられたのだが、、、。

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