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2009年10月25日 (日)

細見辻城跡(京都府福知山市)

この城跡は福知山市三和町辻にあるが、文献あるいは公的資料によっては様々な呼称が付いている事からも明確な場所も分かり辛く、今まで存在は認識していながらも、中々訪問に漕ぎ着けるまでには行かなかった経緯がある。今回は福知山に向いての移動中、偶然国道9号沿いで三和町の福知山支所が目に留まった事から、以前より気になっていた城跡所在地と呼称の確認の為に立ち寄ってみた事から話は始まるが、その資料館の中にあった三和町史跡パンフ(有料)の中には、地形図と共に城跡の位置が記載されており、取り合えず今まで分かり辛かった城跡所在地と呼称を一致させる事が出来た。

しかしこれも福知山の公的遺跡資料とは若干異なっており、三和町パンフの中では「ダマ城」とされていたが、今回のリポートでは地域名が入って城跡フアンにとっても分かり易い事からも、多く出版されている訳ではないが、一部の文献資料あるいは公的資料にも登場している「細見辻城」を呼称として採用させて頂いた。他にもシロカマタなどの別称もあるらしいが、当時は細見氏の居城が唯一伝わっている。地元で聞き及んだ処では古くからダマ城と呼ばれていた様であるが、恐らくこのダマもシロカマタも漢字に当て字をする以前、古来から呼ばれていた呼称とも思われるので、本来ならダマ城として市の資料の中で統一した方が分かり易いとは思われるのだが、、、 尚、城跡の傍に建つ民家にはつい近年まではダマさん(漢字の当て字までは分からない)が居住していたそうでもあり、ダマと言う変わったネームからも間違いなく古来よりここに住み着いていた方だとも思われる。

1route 登城ルート

4_1 道路より遠望

3da 城跡概念図

9 城跡進入路

11 18_shukakunai 主郭内

20_kita_heki 主郭北切岸

城跡へは京阪神から向えば国道9号を経由、「菟原」交差点をそのまま少し北上して一般道709号へ針路変更、城跡へ向う為の目印となるのは「梅田神社」であり、道路沿いには道標あるいはバス停もあるので分かり易いとは思われる。神社に車を預ければほぼ概念図通りに歩けば、5分もあれば主郭までは到達出来るが、城跡の形態としては丘城でもあり館城の様相でもあるので、堀切あるいは空堀などの様なインパクトのある遺構にはお目にかかれない、規模の大きい主郭に帯郭、腰郭を付随させただけものであり、遺構の見応えを求める事は最初から捨ててかかる事が肝心とも思えた。伊賀にある館城と違って防備も手薄であり、土塁すら目に留まらないのはこの地方の築城における特色なのかも分からない。

公的資料には遺構は完存と記載されてあったので、現在の主郭から周辺の休耕地までは地形改変は受けておらず、農地にはなっているがほぼ当時のままと解釈しても良いものとは思われる。道路側から望んでも丘状になったこの城跡は確認もし易く、現状(10月)郭内部は下草は蔓延ってはいるが木々もほとんどなく、見通しも利き、遠くから望んでも館城の風情は感じる事が出来るので、訪問における利便性も加味すれば、城跡ファンはもちろん史跡ファンにも充分お薦め出来る城跡の一つと言えよう。山城ファンにおいてはルート図には示したが、川を隔てた対岸の低山山上には、これも資料の中では完存とあった「殿屋敷城」が存在しているので、藪城(状態は悪い)ではあるが直登すれば10分内で到達可能でもあり、興味のある方は覗いても決して無駄足には終わらないものとみた。ただ小規模でもあり残存遺構(堀切、郭跡、土塁跡)の見応えには余り期待は出来ないので、無理にお薦めはしないつもりであるが、個人的には川を隔てて二城を配した形態そのものが細見辻城の本質とも思えたので、城跡を深く追求されたい方だけにはお薦めしたいのである。

Photo 殿屋敷城遠望

1 2 3 殿屋敷城の山上遺構群

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