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2009年9月 8日 (火)

松島氏城跡(三重県名張市)

最初に断っておかなくてはならないが、この山城は西麓に位置する松島氏城(喜屋敷とも呼ばれる居館跡)跡からみれば、南東側の山上に位置している山城でもあり、自ずと松島氏居館の詰城とも推察されるものであり、個人的には山上における意外にも大規模な縄張り(相当広い城域であり無数の仕切り土塁や防備としての土塁、郭群が存在)あるいは見応えのある遺構に酔いしれたお陰で、下山後に肝心の居館跡に立ち寄るのも忘れてしまい、本来「喜屋敷」と呼ばれる筈の居館遺構(資料によると土塁、空堀遺構が現存)も見学出来ずに終わってしまった。よって今回のリポート掲載に於いては山城遺構のみのリポートになるが、本来の喜屋敷跡を見学したい方にはルート図に推定地を記したので参考にして頂きたい。

現在所有する乏しい資料の中には、松島氏城(喜屋敷)山上詰城に関しての記述もなく、正式に呼称が判明している訳でもないが、恐らく居館跡からみれば詰城とみてまず間違いないと思える事から、今回は松島氏山上詰城としてリポートとさせて頂いた。尚、山上広域に渡る山上郭に関しては深くリサーチしていないので知る術も無いが、既に発掘調査は終えているのかも分からないし、少なくとも専門家の方には知られているのかも分からない、、、。

1 登城ルート

M_29 集会所より遠望

城跡へは先にリポート掲載を終えた吉村氏城を起点にすれば分かり易いが、ルート図の如く道路沿いにポンプ施設のある「奈垣集会所」に車を預け、そこからは既に視界に入る「妙楽寺」まで歩いて目指せばよい。寺院背後の集合墓地から既に城域とも見受けられ、切岸処理のされた高い側壁がそれを僅かに物語っている様でもあった。さらに尾根に沿って途中までは空堀道とも窺える山道が繋がっており、上るにつれて状態は非常に悪くなる一方であるが、広域に広がる段郭群を経て山上郭群最高所に位置する主郭櫓台までは辿り着くことが出来る。主郭及び櫓台の状態は雑木に覆われており良いものではないが、背後に土塁も現存しており唯一目を楽しませてくれる材料ともなっている。更にここからは背後に備わる城中最大見所とも言える、切岸高低差10m以上を誇る見応えのある大空堀が直ぐ拝める。これは凄い!正に一見の価値のある遺構と目には映った。

M_3 墓地側壁

M_7 尾根上の郭虎口

M_13 M_19 大空堀見所

M_22 M_24 主郭櫓台土塁見所

M_14 主郭北帯郭の土塁虎口見所

現状(八月)下山時においても方角を間違うほど郭群(西側尾根と南側尾根上)は広がっており、主郭と同様に倒木が多く、更に藪化もそれに追い討ちをかけ、郭移動にも難渋する状態ではあるが、この主郭に遺された櫓台土塁、及びその背後に備わる大空堀は、遺構の醍醐味を味わう事を目的とする訪問であれば、決して期待は裏切らないとも思えるのである。個人的には本来の目的である居館跡を訪ねる事が叶わなかったので、満足感には今一浸れなかったが、これから訪れる方には是非居館跡も覗いて頂きたいと思う。山上郭群は状態が悪いので一般見学者にはお薦めとは言えないが、山城ファンにおいては覗いても決して損はしない遺構である様には感じられるのである。

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