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2009年9月17日 (木)

霧生城跡(三重県伊賀市)

城跡は三重県伊賀市青山町霧生(キリュウ)にあって、地元では関(カン)城跡とも呼ばれている様である。当時は北畠氏の家臣でもある福山氏の居城が唯一伝わっているが、詳細は不明でもある

城跡へは国道165号「阿保」より県道29号へ進路変更して、そのまま南下を続ければ目的地でもある霧生集落には難なく辿り着ける。集落においては川が合流する付近が中心部でもあり、ルート図を参考にして川沿い道路付近から南側を望めば直ぐにでも城跡の位置は確認する事が出来る筈である。概念図に示した付近(通行止め)には駐車スペースもあり、そこから画像に示したコンクリ道から直登すれば、10分内で山上主郭までは到達可能である。

1route_2 登城ルート

6 進入口

3ki 城跡概念図

この城跡も存在は資料などから認識する事は出来ていたが、場所も特定出来ずに事前に目星を付けた地図だけを持って現地に向った。現地では最初に出くわしたお母さんに訪ねたお陰で、城跡の位置する場所は直ぐに確認する事が出来たが、それは正しく自分が地図に印を付けた場所でもあり、僅かながらの自己満足を胸に山上を目指す事になった。

8_toutatu_titen_dorui 山上到達地点の郭

17_shukaku_dorui_naiheki_1 主郭大土塁の内壁

17_shukaku_nai_1 主郭内部

13_kitagawa_dorui 主郭土塁上

20_minami_horikiri_1 主郭南側堀切見所

Higasi_yori_horikiri 東側より堀切

22_minami_kata_horikiri 片堀切(縦堀)見所

現状(八月)城跡は予想通りの藪化進行中にあるが、城跡が小規模な事あるいは複雑な遺構も目に留まらなかった事からも、城跡を形成する遺構群はほぼ判別確認出来る状態にあり、見て回るにも余り難渋はしない状況にある。形態としては伊賀に多く見受けられる三方を高土塁で囲んだ館城の様相を呈しており、その南側には尾根を分断する二連の縦堀を含んだ堀切が備わっている。伊賀における城跡の中でも、特にオーソドックスな縄張り形態でもあり、縄張り妙味を感じられる山城とはとても呼べないが、見所を挙げるとすれば唯一この二連の堀切は挙げられよう。小規模ではあるが風化に任せた遺構はほぼ完存状態とも窺えるものであり、個人的には数多い伊賀の館城の中でも限りなく普通に近いとは思えたが、この時期でもそれなりに見学出来る状態から察すれば、充分見学に値する城跡と言えるのかもしれない、、。尚、南尾根伝いに山上までは踏破する余裕はなかったが、本来は詰城と呼べる山上郭が存在していても不思議はないものと思えた。

余談にはなるが、この城跡にも先に寄った若山城にも、先達の方による城跡名を記す「青色の小さなタグ」が掲げてあった。自分の様に場所も特定出来ず、見切り発車で気ままに現地を訪れる者にとっては非常に有難いものであり、自ずと親近感を覚えてしまうものでもある。特に城跡の雰囲気を感じる事が出来れば、直ぐにでも上って確認せずにはおられない自分にとっては、城跡呼称の確認も同時に行えるので、非常に助けられているのが現状でもある。

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