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2009年8月29日 (土)

薦生城跡(三重県名張市)

城跡は三重県名張市薦生にあって、薦生(コモオ)集落の南側背後の標高294mの山上に位置しており、かつて金毘羅神社が郭跡に鎮座していた事から、その石碑が郭転用地に建立されている。別名「有綱城跡」とも呼ばれている事から、鎌倉期まで遡れば源有綱の築城によるものかも知れない(確証はないが)、その後の詳細は不明。

城跡へは先にリポート掲載を終えた黒田城跡を起点にすれば分かり易いが、国道165号「黒田」の信号から北進して黒田城の山塊を左手に見ながら更に「東町」の信号まで直進、ここから左折して県道80号を走り、目印となる旧金毘羅神社登山口を目指せばよい。付近に駐車可能なスペースはないので、その少し先のルート図に示した「薦生バス停」まで向えば、その西側に小型車なら路駐可能なスペースは充分確保できる筈である。ここから登山口となる旧参拝道を目指して少し歩き、山上を目指せば10~15分程度で北郭群(旧金毘羅社敷地)に辿り着く事が可能である。尚、登山口から少し上った付近にも当時と現代の混在する屋敷跡とも窺える広い削平地が数段在ったので参考までに。

1route 登城ルート

4tozanguti_1 登山口

3ko 城跡概念図

現状(八月)城跡は郭転用地と見受けられた旧神社敷地以外は藪化も進行中であり、移動に難渋はしないが郭内の見通しは悪く、藪漕ぎまでには至っていないが全体像の視認は困難でもあり、とにかく歩き回っての探索は余儀なくされる状態にある。ただ城跡規模がそれほど大きくないが為に、歩き回れば山上における全ての郭跡を体感する事も出来、更に縄張りを掴む事もある程度容易いものとなっている。城跡の形態としては南北二城に分かれた縄張りプランと表現すれば分かり易いかも知れない。社跡のある北郭群の方が郭切岸がしっかりしている事、あるいは郭数が多い事からも此方を本郭群としても良いとは思われたが、個人的に南郭群の最高所に位置する郭跡の規模は城中最大でもあり、櫓台土塁構造の見受けられる事、あるいは南尾根背後を断つ大堀切が設けられている事を踏まえて便宜上の主郭として概念図には示した。此方(南郭群)は緩い斜面上の郭跡を含めてほぼ四郭で形成されているものであるが、長年の風化により土塁の土も流失しており、郭切岸も更に曖昧なものになっている。当然南郭群の方が先に構築されたものと目には映ったが、確証は持てない。地形から察しても東側は崖状急斜面、主郭西側尾根上は郭群の展開はある程度予想されたが、現状での縄張りプランあるいは遺構群から推察しても、それほど多くは望めないとも目には映ったので、踏破は断念するに至った。

5_1 上り始めに目に留まった地域

10_yasiro_ato 山上北郭群

14_nisi_kosi_kaku_1 西腰郭

15_yagura_heki_1 北櫓台切岸

25_minami_shukaku 南山上主郭

26_shukaku_yagura_dorui 土塁跡

30_horikiri 堀切

個人的には遺構に見応えを感じるまでには至れなかったが、郭高低差あるいは起伏の多いことからも山城としての醍醐味は充分味わう事が出来た。訪れる直前に地元の古老に城跡の情報を求めたが、かつて山上に館が存在したとの情報だけは仕入れる事は出来たが、それ以上の情報は得る事も出来ず、現状では城跡遺構だけが当時を知る唯一の材料なのかもしれない。登山道がしっかりしている事、この時期でもほぼ山上踏破出来た事を思えば、城跡に過度な期待を求めなければ、ある程度お薦め出来る城跡という事にはなろうか。

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コメント

久しぶりにコメントさせていただきます。
薦生城(有綱城)、20年位前に「城郭体系」をみて一度登りました。
北の麓に居館跡?が記載されており、そこを見てから直接山上の主郭部に出ました。
郭は主郭から北北西方向に延びる尾根上にも有りそちらの郭を確認しながら下り、道がなく苦労して下山しました。
昨年より天正伊賀の乱に関して伊賀の城を再確認していますが、伊賀市尼ヶ谷「筒井氏城」、山添村「広瀬山城」、薦生城の東の八幡に有る「松倉豊後の陣城」、短野本陣山城、笠間峠の「筒井の砦」と、名張川沿いに粗南北につながっており筒井勢の伊賀侵入経路と何か関係が有るのでは無いかと考えています。(友人は否定的ですが)
前記の城の粗中央に位置する「薦生城」は伊賀には珍しい山城であり、もう一度確認する必要があると思っていました。記事を参考にさせていただき今冬には、行ってみょうと思っています。
伊賀の城を調べてみて、従来のような同じような城館が一様に分布しているのではなく、大山田村、青山、上野市、名張、各地区で特色があり又時代(織田氏、北畠氏の侵入)による影響により特徴が確認できると思っています。

TAKUです、お元気そうで何よりです。
薦生城に関しては、やはり北麓の登山口周辺に数段重なる広い敷地は、当時の居館跡と呼んでも良いものかも分かりませんネ、しかしながら相変わらず城跡に関しての造詣の深さには、ただ感心するばかりでもあります。
つい最近は随分前に頂戴したコメントの中で紹介を頂いた、伊賀の老川地区にある城跡を若山城と併せて訪問しましたが、覚悟していた通りに藪化が相当激しく、一面が矢竹に覆われており途中で断念せざるを得なくなりました。若山城の方は状態はましでもあり、非常に満足の行く訪問となりましたが、前者はこれからの冬季訪問でも踏破は無理なように感じられました。しかしながら現地で情報を仕入れた、まだ少なくとも二城存在するという山城の多さにはただ驚くばかりでもあり、こんな狭い山間部には既に訪れた峰出城も含めて、城跡(居館)は密集しているようですネ。
コメント最後に述べておられました、伊賀でも地区によって築城法に特色が出ているとの事ですが、それに対しては私もそれなりに感じてはおりました。もちろん築城年代のずれ、あるいは築城人物によっても縄張りプランは当然異なり、当時おかれた状況も当然加味されるものだとも思いますが、個人的にも個々の城跡の微妙に異なる縄張りプランに対しては、色々想像、推察しながら見学するのも楽しみの一つでもあります。もちろん最終的には結果の出ない事なのですが、、、。

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