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2009年8月

2009年8月31日 (月)

青木城跡(三重県名張市)

この城跡は三重県名張市青蓮(ショウレン)寺にあって、ほぼ独立した主郭丘陵上には現在「地蔵院」及び住職の住居が建っており、その一帯は「青蓮寺公園」として整備されている。自ずと当時を物語る遺構も相当消失したものと推察されるが、当時よりどの程度まで地形改変があったのかは、実際に現地を訪れて個人で確認あるいは想像して貰うより他ない状態でもある。しかしながら現存する唯一の遺構でもある、主郭周囲を「コの字形」に巡る土塁、更にその周囲を囲む状態の良い空堀(横堀)と大型の土塁は高低差を伴うものでもあり非常に見応えは感じられた。よって小規模な城跡ではあるがお手軽さも踏まえた上で、充分お薦め出来る城跡とも思われたので、今回その現況をリポートさせて頂いた。別名「青蓮寺城跡」とも呼ばれているが、青木氏の居城が伝わるのみで詳細は不明(概略は現地案内板をクリックの事)

城跡へは国道165号より青蓮寺湖あるいは青蓮寺公園を目指して百合ヶ丘経由で向えば難なく到達出来る。道路沿いには駐車場も案内板も設置されており、その横から長い石段を上れば直ぐにでも北側を巡る土塁が迎えてくれる筈である、個人的にはルート図の如く城跡南背後から車で直接地蔵院駐車場(本来は縄張り)まで乗り付けたが、後者の方が駐車場から見れば、寺院正門側の西背後に土塁、あるいは主郭内部にある通信施設が目に留まるので、直ぐにでも空堀跡まで歩いて向う事が出来る。

1route_2 登城ルート

2x 現地案内板

5 城跡進入路

3ao 城跡概念図

16_kitagawa_116_kitagawa 北側の空堀土塁

19_nisi_gawa_1 西側空堀と主郭土塁

21_shukaku_dorui 主郭を巡る土塁

20_shukaku_nai_1 主郭内

現状(八月)城跡は前述の様に、主郭周囲を巡る空堀及び土塁は夏草も刈り取られ全体像を窺う事も可能であり、整備されている事からも切岸も状態の良いものが拝め、高低差を体感する事も可能である、更に空堀の堀底上を歩いて見学すれば、深さも体感する事が自ずと出来る状況にある。主郭内部は画像を見てもらえば分かり易いが、畑地と化した内部は夏草で覆われており荒れ放題、幸いにも周囲を巡る高さはないが幅のある分厚い土塁は充分見て取る事が出来たが、住職個人の所有地ともあって勝手に踏み入る事も出来ず、歩いて広さを体感する事は叶わなかった。案内板によるとこの青蓮寺の地には上出城、雪岡城、愛宕山砦など三箇所の城跡があるとの事でもあり、機会があれば是非訪れてみたいものである。

2009年8月29日 (土)

薦生城跡(三重県名張市)

城跡は三重県名張市薦生にあって、薦生(コモオ)集落の南側背後の標高294mの山上に位置しており、かつて金毘羅神社が郭跡に鎮座していた事から、その石碑が郭転用地に建立されている。別名「有綱城跡」とも呼ばれている事から、鎌倉期まで遡れば源有綱の築城によるものかも知れない(確証はないが)、その後の詳細は不明。

城跡へは先にリポート掲載を終えた黒田城跡を起点にすれば分かり易いが、国道165号「黒田」の信号から北進して黒田城の山塊を左手に見ながら更に「東町」の信号まで直進、ここから左折して県道80号を走り、目印となる旧金毘羅神社登山口を目指せばよい。付近に駐車可能なスペースはないので、その少し先のルート図に示した「薦生バス停」まで向えば、その西側に小型車なら路駐可能なスペースは充分確保できる筈である。ここから登山口となる旧参拝道を目指して少し歩き、山上を目指せば10~15分程度で北郭群(旧金毘羅社敷地)に辿り着く事が可能である。尚、登山口から少し上った付近にも当時と現代の混在する屋敷跡とも窺える広い削平地が数段在ったので参考までに。

1route 登城ルート

4tozanguti_1 登山口

3ko 城跡概念図

現状(八月)城跡は郭転用地と見受けられた旧神社敷地以外は藪化も進行中であり、移動に難渋はしないが郭内の見通しは悪く、藪漕ぎまでには至っていないが全体像の視認は困難でもあり、とにかく歩き回っての探索は余儀なくされる状態にある。ただ城跡規模がそれほど大きくないが為に、歩き回れば山上における全ての郭跡を体感する事も出来、更に縄張りを掴む事もある程度容易いものとなっている。城跡の形態としては南北二城に分かれた縄張りプランと表現すれば分かり易いかも知れない。社跡のある北郭群の方が郭切岸がしっかりしている事、あるいは郭数が多い事からも此方を本郭群としても良いとは思われたが、個人的に南郭群の最高所に位置する郭跡の規模は城中最大でもあり、櫓台土塁構造の見受けられる事、あるいは南尾根背後を断つ大堀切が設けられている事を踏まえて便宜上の主郭として概念図には示した。此方(南郭群)は緩い斜面上の郭跡を含めてほぼ四郭で形成されているものであるが、長年の風化により土塁の土も流失しており、郭切岸も更に曖昧なものになっている。当然南郭群の方が先に構築されたものと目には映ったが、確証は持てない。地形から察しても東側は崖状急斜面、主郭西側尾根上は郭群の展開はある程度予想されたが、現状での縄張りプランあるいは遺構群から推察しても、それほど多くは望めないとも目には映ったので、踏破は断念するに至った。

5_1 上り始めに目に留まった地域

10_yasiro_ato 山上北郭群

14_nisi_kosi_kaku_1 西腰郭

15_yagura_heki_1 北櫓台切岸

25_minami_shukaku 南山上主郭

26_shukaku_yagura_dorui 土塁跡

30_horikiri 堀切

個人的には遺構に見応えを感じるまでには至れなかったが、郭高低差あるいは起伏の多いことからも山城としての醍醐味は充分味わう事が出来た。訪れる直前に地元の古老に城跡の情報を求めたが、かつて山上に館が存在したとの情報だけは仕入れる事は出来たが、それ以上の情報は得る事も出来ず、現状では城跡遺構だけが当時を知る唯一の材料なのかもしれない。登山道がしっかりしている事、この時期でもほぼ山上踏破出来た事を思えば、城跡に過度な期待を求めなければ、ある程度お薦め出来る城跡という事にはなろうか。

2009年8月27日 (木)

黒田城跡(三重県名張市)

城跡は三重県名張市黒田にあって、当時は延木(ノブキ)氏の居城を伝えるが、天正伊賀の乱の折織田軍によって落城、その時の城主延木左馬允は討ち死にしたと伝えられている。伊賀にあっては館城の形態を採っておらず、数も比較的少ない山城に分類されるが詳細は不明、別名延木(ノブキ)氏城跡

城跡へはどの様な経路で向っても、最終的には国道165号(伊勢街道)を走る事になる。信号「黒田」の交差点で針路変更後、北進して現地に向えばよいが、目印となるものが見当たらないので、ルート図の赤線あるいは現地付近では概念図を参考にしてもらえれば分かり易いとは思われる。登山口は画像及び概念図に示したが、集落より山手側に向う道はそう多くはないので、案外迷わず登山口となる法然寺(小さな供養塔のみ)までは到達出来るはずである。ただここからは山上までは山道(旧参拝道)が繋がっており、迷わず山上主郭まで(10分前後)は到達出来るのだが、確実に民家の敷地内を通過する事になるので必ず住民の方に声をかける必要はある。尚、人の目を気にせず直登したいのであれば、図に示した下山時に使用したルートの逆を上っても山上には到達可能である(急斜面ではあるが藪漕ぎもなく上りやすい)。

1_route 登城ルート

4 城跡東より進入口

3ku 城跡概念図

15_higasi_kaku_1 東段郭群

16_kaku_heki 段郭群切岸

20_monseki_yasiroato 社跡か?門石

22_kaku 東郭群

34_shukaku_yagura 主郭櫓台

23_shukaku_haigo_1 主郭北背後の堀切見所

29_kita_naka_horikiri_1 北尾根中堀切見所

30_saihoku_horikiri_2 最北堀切より北郭群見所

現状(八月)城跡は植林地となっている為に、この時期でも下草は少なく木々も少ないので残存する遺構はほぼ全て判別確認が可能な状態にある。郭壁の随所に石垣跡あるいは石垣痕があり、柱穴のある門石が二個転がっている事からも、後世においては神社敷地として転用された様にも見受けられたが、土留め石などは相当古さも感じさせてくれており、多少当時に思いを馳せる事も出来るとは思われる、ただ当時のものかどうかの判断は難し過ぎるが、、、。城跡の形態としては小規模な山上最高所に櫓台土塁を配し、東側斜面を掘削して郭を数段連ね、主郭北背後は堀切によって郭を分断、更に北尾根上には郭を挟んで二連の堀切が設けられており、より堅固な構造が見て取れる。当然見所はこの三本の堀切と言うことになるが、その内二本は縦堀とつながっているものでもあり、相当な見応えを感じる事が出来る。この縦堀を含めた堀切群は状態も比較的良いものでもあり、これだけの為に訪れたとしても決して後悔する様には思われず、登山道がある事あるいは時期を問わず訪問可能な現状から察しても、当然お薦めしたい城跡と言うことにはなるだろう。規模も小さく縄張り妙味にも富んではいないのだが、意外に山城としての醍醐味も見応えも感じられた城跡なのである。

2009年8月25日 (火)

比奈知城跡(三重県名張市)

城跡は三重県名張市下比奈知にあって、名張市におけるニュータウンの一つである「つつじが丘」への北側の道路進入口からみれば、北東丘陵上に位置している。当時は下山甲斐守の居城を伝えるが、奈垣地区にある下山氏城はこの城跡からみれば本城にあたるものと思われる。此方は「奥屋敷」と呼ばれる様に居館跡とも見受けられるが、詳細は不明。

城跡へは名張街道と呼ばれる国道368号より向えばよいが、名阪国道「上野」ICから南下した場合、国道165号交差点を過ぎて2km先の短いトンネルを過ぎれば直ぐに右折、後は赤線で示したルート図の如く進行すれば、難なく民家の点在する城跡付近までは到達出来る。小型車なら付近を探せば何とか路駐出来るが、城跡進入口としては概念図に示した二箇所からが可能であり、個人的には民家の途切れる北側に目に留まった入山口から、ネットを開閉して踏み跡を辿りながら上ったが、そのまま道が途絶えても5分程度で間違いなく広大な規模の郭跡に到達出来る筈である。尚、参考ルートからの登城は住宅敷地をかすめる事になるので、怪しまれない為にも必ず住民の方に声をかける必要はあるだろう。此方からの山道を利用すれば前者よりは楽に早く空堀西端に到達可能である。個人的には前者の入山口から上り後者を利用して下山した。

1route 登城ルート

6tozanguti 入山口

3simo 城跡概念図

11 北側の広大な郭跡

13_karahori_dorui 12_kita_dorui_heki 東西に跨る空堀、土塁見所

15_koguti 土橋を付随させた虎口見所

25_karabori_shukaku_heki 主郭壁北角

30_dorui_heki 主郭の土塁内壁

36_minami_dobasi_horikiri 主郭南側の土橋付き堀切見所

38_tatebori_dorui_2 大土塁と縦堀見所

41_horikiri 出郭南の堀切見所

現状(八月)城跡は、北の広大な植林地でもある郭跡の一部を除いて、南出郭までに至る張りの全域が藪化及び風化の真っ只中にある。時期的にも仕方のない事かもしれないが、常緑樹が多い事、倒木がやたら多い為歩き辛く、四季を問わずこの醜い状態は継続されるものと予想される。自ずと納得の行く見学、あるいは満足の行く見学は出来ないものとも思われるが、木々の少ない場所を選んで歩き回れば、何とか主要な遺構は見学出来る様には思われた。概念図に描いたものが今回動き回れた範囲であり、目に留まった遺構を記したものでもあるが、方形主郭から南側尾根を断つ堀切までは何とか遺構も判別確認可能な状態にあるが、主郭より北側の三ブロックで形成されると見受けられた広大な郭跡は、全域にかけて削平の甘い(地表風化も含む)雑木密生地でもあり、郭内の移動にも難渋する始末で歩測も困難、外見から内部地形の変化を読み取るのは至難の技でもあり、今回概念図に示した郭形状などは外見からの推察を交えたものでもある。以上挙げたことからも、現状では醜い部分ばかりと思われがちだが、取り合えず目に留まった見応えのある遺構は、主郭四方を巡る土塁、更にその周囲を巡る空堀(これらはほぼ完存とみた!)、主郭南側の土塁を付随させた土橋を伴う堀切(縦堀に繋がる)、北側の丘陵全体を遮る形の東西に跨るスケールの大きい空堀、及びその一箇所だけに備わる状態の良い土塁虎口などである。現状の様相からみても、とても一般の城跡ファンにはお薦め出来る状態にない城跡ではあるが、上記の遺構群は、城跡の規模(南北に400m前後)の大きさと併せて、興味のある方にとっては充分満足出来るレベルにあるとは思われる。冬季訪問となれば状態も少しはマシかと思われるが、僅かではあるがそれに期待するしかないのが現状でもある。

2009年8月23日 (日)

芳賀野城跡(兵庫県朝来市)

この山城(ハガノ城)は二年前の2007年11月に新聞にも掲載されたが、地元の郷土研究家のY氏によって発見されたものである。一度は訪ねたいと思いながらも先延ばしになっていたが、今回は場所も確定出来ぬまま取り合えず地元で訪ねれば何とかなるだろうとの思いで現地に向った。幸いにも現地で山城の発見者でもあるY氏と偶然出合うことが出来、更に予想していた以上の城跡遺構にも巡り合う事が出来た。おそらくまだ新聞以外の文献に限れば、現地での詳細は余り報告されていないとも予想され、今回はまだ未訪でこの城跡が気になっていた方にとっては、よりタイムリーな現況報告とも思えた事から、早速リポート掲載に及んだ。現状城史に関しての情報は皆無でもあり、詳細は不明

城跡は朝来市岡にあって、先にリポート掲載を終えた法道寺城跡あるいは岡城跡からは車で南へ数分の距離にある。ルート図を参考にすれば分かり易いとは思われるが、国道9号より527号へ進路変更した後は法道寺城跡の山塊、岡城跡を右手に見ながら集落を南下すればよい。この道路の行き止まり三叉路手前辺りより、現在工事中でもある高架支柱に沿う形で左折、そのまま道任せで上り、道路造成工事中で通行止めの柵まで到達すれば、城跡へはここから車を降りて歩いても直ぐの距離にある。概念図に示したカーブミラーを目印として、右手側にある沢沿いに進入して、最初に目に留まる遺構でもある縦堀に沿う形で尾根まで登り切れば、北西の先端郭には5分もあれば辿り着く事が出来る筈である。

Hagano 登城ルート

Hagano_1 城跡進入口

8_tatehori_tozanguti 直登ルート

Hagano_2 城跡概念図

現状、城跡は画像を見てお分かり頂ける様に、この時期(八月)でも藪漕ぎも無く、郭移動も容易く、ある程度見通しも利くことから、山上尾根に残存する遺構群はほぼ判別確認可能な状態にある。植林地でもない山深い奥地に存在する城跡としては、非常に見学し易い良い状態にあると言っても過言とは思えないものでもある。この城跡の最大の見所は北東側斜面に掘削された畝状縦堀群(6~7条)と主郭南背後を断つ二連の堀切に尽きるが、堀切(空堀)箇所には土橋も鮮明に残っており、畝堀群は長年の風雪により深さは失われているが、山城ファンが見れば明確に判別出来る状態でもある。城跡は小規模である事や、余り縄張り変化には富んでいない事、郭間の高低差もほとんど無いに等しい状態である事からも、山城としての醍醐味は感じられ難いが、前述の遺構だけで充分感動は与えてくれそうにも感じられた。この時期でも縄張りの全域を見て回れる事を思えば、四季を問わず訪問は可能でもあり、状態の良い法道寺城跡、岡城跡と三城併せた訪問とすれば、最高の山城巡りとなりそうにも思えるのである。山城ファンだけに止まらず、一般の城跡ファンにもお手軽さを踏まえれば、充分お薦め出来そうにも思えた。

12_sentan_gawa_dankaku 北西段郭群

15_shukaku_1 主郭の現状

26_une_5 26_une_3 畝状縦堀群見所

16_horikiri_dobasi_1 堀切土橋見所

21_horikiri_tatedorui 堀切より縦堀へ繋がる見所

19_nantan_horikiri_1 南端堀切見所

尚、現地でお世話になったY氏とは山城談義で時間の経つのも忘れて盛り上がり、非常に充実した時間を過ごさせて頂いたが、養父市から朝来市周辺に限っては、無数に点在する山城のことごとくを踏破しておられる凄い健脚の持ち主でもあり、地形から読み取った山上尾根の隅々に至る遺構の数々を、全て作図によって記録されておられるのには非常に感銘を受けた。別な意味で山城探索にかける凄い執念を感じ取る事も出来たが、そうした積み重ねが新しい城跡の発見に繋がったのではないかとも思えるのである。個人的には遠距離訪問が多く、中々縄張りの全てを踏破したくても出来ないのが現実でもあり、仮に出来たとしても尾根伝いに山塊の全てをくまなく踏破するのは、実際には至難の技とも思えるのである。今回はこの山城を訪問したお陰で、個人的には非常に素晴らしい出会いをする事が出来たが、山城巡りをしていると必ずそうした人との触れ合いもあり、更に山歩きする事によって自然との一体感も同時に味わう事が出来るのである。

2009年8月21日 (金)

田中城跡(滋賀県高島市)

城跡は滋賀県高島市安曇川町田中にあってJR安曇川駅から真西側へ3km程度移動した距離にあり、田中地区内にある上寺集落のほぼ真西側背後の先端尾根から山上にかけてが城域となっている。(城史に関しての詳細は現地案内板をクリックの事)

1_1v 登城ルート

2a 現地案内板

2z 現地案内板縄張り図

城跡へ京阪神から向う場合は、無料走行出来る湖西道路を北進して国道161号へ合流すれば良いが、打下城跡あるいは大溝城跡のある近江高島を通過すれば一般道296号へ左折西進、更に3km程度走り一般道297号へ右折北進すれば、目指す上寺集落までは分かり易く辿り着けるはずである。集落に入ればバス停傍の道路脇に大きな案内看板(縄張り図と城史に関しての説明がされている)が設置されているので登山口は容易く見つける事が出来ると思われる。付近を探せば路駐可能でもあり、後はルート図の如く住宅地の路地を通過すれば5分内で城址碑までは辿り着ける。そこから右手側が屋敷跡地(竹林地)、山上に向いて山道を上れば見張り所を経由して山上主郭郭までは迷わず到達出来るが、相当複雑に郭群は配されているので案内道標に従って進んでも中々全体像が見えてこないのが現でもある。裏を返せばそれほど規模も大きく更に醍醐味もあると言うことにはなるのだが、とにかく縄張り内を歩き回っての見学は余儀なくされる。

8yasiki_dorui_1 屋敷跡の土塁見所

12_mihari_kaku 大手見張り所

20_karabori 空堀見所

22_karabori 空堀

24_dobasi 土橋

25_dorui 土塁跡

30horikiri_sita_kaku 郭跡

45_shukaku_nai 主郭の奥櫓台見所

48_shukaku_haigo_horikiri 主郭背後の堀切見所

現状(一月)城跡は史跡としては登録されていない様だが、地元の方によってある程度整備された状態が保持されており、城跡内には案内道標や随所に遺構案内板まで設置されている。山上に向うほど木々も多くなり状態は悪くなるが、山城としては見学し易く非常に見て周り易い状態にあると言っても良いだろう。更に冬季に訪れた事もあって枯れ葉も多く見通しもある程度利く状態にあるので、郭の形状や遺構の全体像まで把握する事が容易い状況でもあり、非常に好感の持てる山城と目には映った。城跡は縄張り規模も大きく、麓の住宅地背後の竹林地に現存する土塁を伴った屋敷跡群から、中腹に位置する広大な郭跡及び付随する郭群、更に山上郭群まで限なく見学すればたっぷり時間もかかってしまうので、事前よりゆとりを持たせた山城巡りが肝心かも、、、。薬研堀などの見応えを感じる堀切は存在してはいないが、空堀(横堀)、状態の良い切岸、土塁などの土塁城としての遺構は数多く現存しており、道標あるいは現地縄張り図に任せて山上郭まで網羅すれば、この戦国期山城の全てを堪能する事が出来るものと思われる。見所としては山上主郭に至るまでの縄張りの全てと言っても過言ではなく、現状の整備された状態あるいは遺構残存度の高さを考えれば正しく推奨に値する山城でもあり、個人的にも是非お薦めしたい城跡という事になろうか。

2009年8月19日 (水)

打下城跡(滋賀県高島市)

城跡は滋賀県高島市高島町にあって、JR「近江高島」駅の南西側に聳える標高374m(比高約250m)の長法寺山の山上に位置しており、別名大溝古城。ちなみに駅の東側に位置している大溝城跡からは充分位置は確認する事が可能である。(城史に関しては現地案内板をクリック)

城跡へは京阪神から向えばJR湖西線に沿って走る国道161号を北進すればよいが、目印となるのはJR「近江高島」駅であり、その真西側にあって城山台住宅地を越えた位置にある日吉神社からが登山スタート地点となる。ルート図の如く神社南側には道標があることからも、登山口(画像に示した)は容易に見つける事が出来る筈である。後は道標に従い沢に沿った形で上れば、途中数箇所に道標が設置されているので迷わず山上主郭までは辿り着けると思われる(約30分は要す)。

1route_1 登城ルート

2 現地案内板より

6tozanguti 登山口

2_1_2 現地縄張り図

山上尾根に到達すれば左手尾根側が目指す城跡(道標あり)、更に右手側を西に上れば「見張り山」に向いて無数の郭跡、土塁、あるいは土橋などを眼にする事が出来る。ただしどこまでが当時の城跡としての遺構かは素人目には判断出来かねるが、個人的には「馬の足形」と呼ばれる巨石を経由して見張り山までは踏破した。見張り山と呼ばれるからには当時の物見としての機能を備えていたものとも見受けられるが、遺構案内が見当たらなかったので判別は不可能でもある。特別見応えのある遺構には巡り合えなかったが、恐らく城域はここまで及んでいたものと考えられる。肝心の本郭群は現地縄張り図に示される様に相当な高低差(50~60m)を以って南北二城に分かれており、その移動尾根沿いに小郭群が配される非常にユニークな構造となっている。見所は中主郭に残存する虎口土塁を支える石垣跡、その郭跡周囲を巡る土塁北主郭の分厚い土塁、その外壁に部分残存する石垣跡などが挙げられるが、主郭西尾根を断つ二重に見えた縦堀も決して見逃してはならない遺構の一つと思われる。現地縄張り図に記載されてあった南郭、あるいは出郭までは現状(一月)の密生する雑木藪を考えればとても踏破探索する気分にはなれなかった。更に北主郭側には畝堀と記載されてもいたが、場所も遺構の判別もし辛く案外見逃したかも知れないので、これから訪問される方には是非目を凝らして覗いて頂きたいと思う。

17_une_tatebori

主郭西側の二重縦堀見所

20_nakashukaku 中主郭

22_yaguradai_isi_2 虎口の石垣跡見所

24_shukaku_mawari_dorui 周囲の土塁見所

25_shukaku_minami_sita_dorui 主郭南側下の土塁

36_kitakaku_minami_koguti 北主郭の虎口

38_kitakaku_nai_dorui 周囲の土塁

41sotogawa_isi_1 外壁に残る石垣痕

45_monomi_ooisi 巨石「馬の足形」

個人的には標高400m以上の「見張り山」地点まで探索したので心身共に疲れ切ってしまったが、凄い高低差を以って南北二城に分かれたこの山城は非常にユニークでもあり、登山道がある事、あるいは前述の残存度の高い遺構群を考えれば、状態は悪いが何とかお薦め出来る城跡と言う事にはなるだろう。ただし条件付にはなるが夏季訪問は出来るなら避けた方が無難かも、、

2009年8月17日 (月)

星ヶ崎城跡(滋賀県蒲生郡)

城跡は滋賀県蒲生郡竜王町星ヶ崎にあって、当時観音寺城を居城とした六角氏一族でもある鏡氏の居城と伝わっているが、六角氏同様織田信長によって滅ぼされている。別名星ヶ峯城跡

城跡へは名神高速道路「竜王」ICが最寄の乗降口、インターから下りれば国道477号より北進して「西横関」交差点を左折して国道8号に合流すればよい、少し西進して「道の駅」を過ぎればルート図の如く国道の側道となる旧街道へ進入、狭い道路を少し走れば左手側の住宅地脇に城跡の案内看板が目に留まるので、そこから八幡神社跡までは参道を利用し、その後は登山道に任せて所々に備わる道標を確認しながら上れば、30分程度(意外に時間も距離も長く感じられた)で山上郭群までは辿り着ける。

1z_2 登城ルート

4_2 登山口案内板

3 城跡概念図

現状(三月)城跡は冬枯れ後ともあって、ある程度見通しも利き、それなりに見て周り易い状態にはあるが、場所によっては下草(シダ類)で覆い尽くされており遺構の確認判別し難い箇所もある。しかし山上主郭西壁に10m以上に渡って遺された、高さを伴う(2~3m)石垣跡は城跡にあっては抜群の存在感を誇るものとなっており、城跡を語る上での最大の見所ともなっている。画像に示したように石垣底部はまだ相当埋もれているとは思われるが、状態が良い事も相俟って非常に目を楽しませてくれている。他では主郭東側あるいは南側にも一部石垣痕、石列などを眼にする事が出来、当時では少なくとも主郭周囲は全て石垣で覆われていたものと想像出来そうにも思われた。城跡の形態としては地形任せで尾根上を削平して築かれたものであり、縄張りプランに特別なものは感じられなかったが、直立した石垣が主郭を防備する為の最大の要であった様には感じられた。雑木の生い茂る周囲の斜面全域までは踏破出来なかったが、堀切跡は二箇所で確認する事は出来た。城跡の性質上自作概念図における以外に見応えのある遺構(縦堀などの堀切)が遺されているようには見受けられなかったが、他で特別な技巧を有する遺構も窺われなかった事からも、そう多くは望めない城跡の様には感じられた。

19_shukaku_kitagawa_2 主郭北側

20_shukaku_nai_1_2 主郭内

24_nisi_isigaki_1_2 24_nisi_isigaki_3_2 主郭西壁の石垣跡見所

23_shukaku_nisi_isigaki_2 主郭西側より

28_higasi_isigaki_1 東壁の石垣跡見所

32gedan_higasi_horikiri_2 東側堀切地形

31_nantou_kaku 南東郭

城跡は藪化も地表風化も激しく状態が良いとは決して言えないが、藪漕ぎもなく登山道で山上郭まで到達出来る事を思えば、この主郭壁に残存する石垣跡を見学する為だけに訪れたとしても充分な満足感には浸れ、納得した山城巡りが出来そうとも思えるのである。小規模でもあり遺構が目白押しの山城ではないが、当時に構築された石垣に興味のある方だけに是非お薦めしたいと思える城跡の一つである。

2009年8月15日 (土)

土山城跡(滋賀県甲賀市)

城跡は滋賀県甲賀市土山町北土山にあって、集落に向いて延びた舌状の尾根先端に位置している。当時は土山氏の居城と伝わり信長の家臣でもある滝川一益に攻略されているが、現在の城跡に残る遺構は恐らく滝川氏によって改修されたものとも見受けられ、俗に豊系とも見て取れる特色を持つ分厚い土塁と虎口、あるいは付随する虎口前面の空堀がそれを雄弁に物語っている様にも思われた。個人的には先にリポート掲載を終えた玄蕃尾城とも相通じるものを感じたが、、、。 (城史の概略は現地案内板をクリック)

Tu1 登城ルート

Tojyoukuti_1_2 現地案内板

Tojyoukuti_2 登城口

城跡へは国道1号「土山町役場」の交差点を北上してルート図の如く進行すれば容易く付近までは辿り着けるが、集落道路沿いの土山城址碑と灯篭及び案内板のある箇所が登城口となっており、画像に示した様に民家の間の狭い道よりそのまま山道に進入すれば、5分もあれば南虎口の土塁までは到達出来るはずである。尚、駐車場に関しては付近の道路は狭く、個人的には民家空き地に許可を頂いて車は駐車したが、集会所付近にもスペースがあったかもしれない。もちろん確証はないが、少し距離をおいた場所を探せば駐車スペースは充分確保出来るものと思われる。

現状(二月)城跡は冬季あるいは植林地ともあって樹木も少なく、周辺の木々も枯れている事から見通しもある程度利き、非常に見て回りやすい状態にはある。お陰で縄張り内における遺構もほぼ判別確認出来る状況にあるが、土塁(土城)城とあってか長年の体積物あるいは風化によって土塁も郭内も随分変化しており、南出郭あるいは便宜上の二の丸などに窺えた土塁跡は、ほぼ高まりを感じる程度のものとなっている。特に主郭の北背後における堀切を絡めた複雑な地形は非常に曖昧でもあり、中々地形から遺構を推察するのは困難な状況でもある。見所は主郭南虎口から馬出し虎口を経て、南出郭虎口(枡形虎口あるいは馬出しか?)に至るまでの虎口を形成する土塁、それに付随する形の土橋及び空堀は真っ先に挙げられるが、主郭周囲を巡る土塁も見所であり、他縄張りを形成する土塁は全て見応えがあるもの(大型)であり、空堀を多用した縄張りプランは機能を想像しながら見学すると見飽きることがなく、より楽しく見て回れそうには感じられた。とりあえず概念図に示したものが判別出来た遺構あるいは目に留まった遺構になるが、ほぼ山上における縄張りの全域を見て回れた計算にはなる。ただ城跡の東側には広域に渡って段状の削平地が連続するが、築かれた時代背景までは知る術もなく、個人的には屋敷跡の様にも見受けられたが、まだ未訪の方の参考までに、、、。

3tu1 城跡概念図

12_daidorui 南土塁虎口見所

14horikiri_dobasi_1 南出郭虎口の空堀土橋見所

24_2maru_nai 二の丸内

26_umadasi_mae_hori 馬出し虎口前の空堀見所

32_shukaku_nai 主郭内

34_dorui_kado 主郭土塁見所

38_kitakaku_hori_dorui_1 主郭南側空堀

48_dorui_koguti 南西郭虎口土塁

城跡を一言で語れば土塁(土城)城の醍醐味はくまなく味わう事が出来、戦国ロマンに浸れる事請け合いの城跡と言うことになろうか、当然お薦めしたい城跡の一つでもあるが、比較的状態が良い事からも四季を問わず納得の行く見学が出来そうにも思えた。

2009年8月13日 (木)

大藪城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市養父町大藪にあって、付近には大藪古墳群のある事からも古墳群見学の為の遊歩道コースは設置されてある様に見受けられたが、現在この山城を訪れる為だけの登山道は見当たらず、城山に上るには整備された古墳見学ルートを利用して、途中からは急斜面の直登(木々が少なく藪漕ぎはほとんど無い)を余儀なくされるのが現実でもある。ただ訪問結果としてこの城跡は、この時期(7月)にしては郭間移動もし易く、比較的状態もまし(郭内の見通しは困難)な方であり、残存遺構はほぼ判別確認可能な状況にある事からも、規模は小さいが山城ファンには充分楽しめる城跡として掲載に至った。城史に関しての詳細は不明

城跡へは先にリポート掲載を終えた寺谷城を起点とすれば分かり易いが、寺谷城へ向かう為に右折した一般道104号はそのまま豊岡に向いて進行、「千石橋」交差点まで辿り着けば右折、後はルート図に示す様に現地古墳案内板を右折して「こうもり塚古墳」を目指して進行すればよい。この付近には狭いながらも路駐スペースはあるので、ここからが城跡目指してのスタート地点となる(道が狭いので他には路駐箇所は無い)。ルート図には複雑で紛らわしいので示さなかったが、個人的には「こうもり塚古墳」背後からの見学ルートで城跡を目指した、しかしこのルートは途中から山道が三方に分かれており、道標も設置されていないので迷う恐れのある事からも、これから訪れる方には迷い難く城跡までは最短で到達出来るであろう、溜池経由の整備されたルートを赤線で示した。直登取り付き地点は山道沿いの沢筋、軽トラの廃車が放置されてある地点を目安にすれば分かり易く、その手前あるいはそれを過ぎて左手(西側)急斜面に取り付けば、10分とかからず山上主郭には到達出来る(「こうもり塚古墳」からは20分要す)はずである。

1route 登城ルート

4 城跡進入路

3oo 城跡概念図

10_horikiri_1 北大堀切見所

12_shukaku_heki 堀切壁見所

13_shukaku_1 主郭内の現状

15_shukaku_minamiheki 南下段郭より主郭側

19_ninomaru_gawa_1 二の丸側切岸

22_horikiri_2 西堀切と大型土塁見所

27_nansei_kaku_gun 南西郭群

28_dankaku_heki_1 南西郭群の切岸

城跡は概念図に示したまでが自身で歩き回った範囲であり、目に留まった遺構群であるが、南側に向う枝尾根全ての踏破は周囲が崖状斜面ともあって叶わなかった、当然図中に示したまでが縄張り、あるいは遺構の数々とは思われないのだが、山上郭群はほぼ踏破出来たので、ある程度の満足感に浸ることは出来た。(城跡の形態あるいは地形上からも未踏南枝尾根上に見応えのある遺構が存在する様には見受けられなかった、、)城跡の見所としては主郭北尾根を断つ豪快な堀切(切岸の高低差は凄い)、高低差のある切岸壁数箇所の斜面に明確に残る縦堀(全体的に周囲斜面上には数本の縦堀地形は窺われたが、、?)などが挙げられるが、縄張り変化に富んだ城跡の形態そのものも充分見所と言えるものでもある。小規模な城跡ではあるが自分の中ではなぜか印象度の高い山城の一つになった。

2009年8月11日 (火)

高田城(兵庫県朝来市)

城跡は兵庫県朝来市和田山町高田にあって、現在若宮神社の境内から敷地内が城跡(平山城)と伝わっている。詳細は不明であるが、当時のこの一帯を支配していた山名四天王の中の一人でもある太田垣氏(ウスギ城あるいは竹田城が本拠)の支城、あるいはその傘下にあった城跡の可能性は高いものと見受けられるが、推察の域は出ない。

城跡へは国道9号を進行して既にリポート掲載済でもある土田城をかすめ、ルート図の如く国道沿いの西側に位置する若宮神社を目指せばよいが、国道沿いからは小さな鳥居も目立ち難いので、神社入り口向いにあるレストラン「但馬牛ほくぶ」を目印とすれば分かり易い。中型車までであれば北側から直接神社敷地まで乗り入れる事も可能である。

現状(7月)城跡は全域が神社敷地と化しており、整備されているので当然全体の見通しはある程度利く状態にあるが、郭跡などは社殿敷地として近世に転用されたものとも窺え、近年どこまで郭跡が造成整備拡張されたものかは想像も付かない状況にある。現在城跡としての面影を残すものは、最高所に位置する規模の小さい社殿敷地(主郭跡か?)あるいはその高低差を伴う切岸壁、その北側真下に位置する社殿敷地、東側斜面に蔓延る低い笹や下草の中に僅かに数本の縦堀とも窺える地形が目に留まるだけで、醍醐味を感じるほどの遺構に巡り合えないのが現実でもある。独立した低山を利用している為に堀切などは地形上期待出来ない状況にあるが、横堀、土塁などの地形も目に留まらなかったので、当時はそれほど技巧に富んだ城跡ではなかった様にも見受けられた。現状を見る限り縄張りを含めて見学者の推察あるいは想像力に全てが委ねられる、と言っても過言であるとは思われないが、これから訪問される方には是非この言葉を目安にして頂きたい。

1x 登城ルート

T_11 城跡入り口

T_1 若宮神社社殿

T_6 山上主郭内

T_7 主郭より北郭側

T_10 主郭北壁

T_8 東側斜面の現状

遺構の醍醐味を求めて訪問するのであれば恐らく落胆する事は必至の城跡と言えるが、当時における城跡の立地環境、あるいは城跡の風情を味わう程度であれば、国道沿いから5分とかからず赴けるお手軽さもあり、山城巡りの際、国道移動中に少し立ち寄る程度の事であるならば決して時間の無駄にはならないものとは思える。

2009年8月 9日 (日)

寺谷城跡(兵庫県朝来市)

城跡は兵庫県朝来市和田山町寺谷にあって、JR播但線「和田山」駅からすれば円山川を挟んだ真北側に望む事の出来る突き出した尾根の山上に位置している。但馬地方の城跡の多くは当時山名氏の傘下にあったと思われるが、この城跡も地元の方の話によれば竹田城(山名四天王の中の一人太田垣氏の居城)の支城あるいは出城と伝わっているとの事でもあり、恐らく円山川を挟んだ西側の近距離にある太田垣氏の支城でもある土田(ハンダ)城と同様に、一族の拠った支城とみてよいものかも知れない。詳細は不明

城跡へは国道9号と312号の交わる「一本柳」の交差点を北上して線路を渡る、その後は一般道104号へ自然に合流するが、ルート図の如く「寺谷」交差点を右折し直進すれば、今回車を預ける事になる公民館までは難なく辿り着く事が出来る。ただ今回の訪問では個人的には山上まで上れそうな山道は、公民館より東側集落のほぼ端に近い民家脇に発見出来たのだが、時期的にも夏草で山道は覆い尽くされており、更にマムシの生息する危険性もあったので、迷わず付近にお住まいの方に別のルートを案内して頂いた。このルートでは直接住宅地の敷地内を通過して上ることになるので今回は参考ルートとしたが、民家の最奥最上段にある水田傍の害獣避けフェンスを開閉すれば、直ぐ真上に聳え立つ西端郭の切岸が迎えてくれる筈である。取り合えず進入口は画像に示したが、夏季訪問においては必ず付近の民家に声をかけて敷地内を通過する了解を得る事が先決となろう。冬季訪問においては前述の山道さえ探し当てれば、そのまま山上に上れる(地元の方にも上れると聞いた)とは思われるので、わざわざ了解を得る必要はなさそうではあるが、、、。

1route 登城ルート

6 参考城跡進入口

3te 城跡概念図

どちらにしてもこの山城は進入口から5分もあれば城域に到達可能でもあり、充実した訪問内容から考えても是非お薦めの城跡でもある。山上主郭と便宜上の二の丸、主郭北背後の堀切、個々に於ける郭切岸だけはこの時期(7月)でも素晴らしい状態が保持(植林地)されており、無名に近い山城である事を考慮すれば絶賛に値する山城と言えるものでもある。概念図に示したまでが現状判別確認する事が出来た遺構群であるが、遺構残存度は非常に高いものがあり、当然風化はしているもののほぼ完存とも思える遺構群には少なからずとも感動を覚えてしまう。城跡最大の見所は遺構としても判別し易い堀切(空堀)群という事になるが、図に示した主郭の北側尾根を断つ堀切(直立に近い凄い堀切壁)、西堀切(縦堀に繋がる様相)、西先端物見郭の幅を持たせた高低差のある大空堀は、正に圧巻と呼ぶに相応しい遺構と目には映った。技巧を伴う遺構が目白押しの城跡ではないが、この三箇所における堀切と下草の少ない美しい郭切岸が見学の全てとも言い切れる山城の様には感じられた。尚、山上郭に佇めば木々の隙間からでも和田山の街並みや他の山々が望める事からも、今となっては珍しい山上主郭から景色が望める非常に値打ちのある山城と言えるのかも、、、。

15_3maru_heki 三の丸切岸見所

22_3maru 三の丸内

26_nisidamaru_horikiri 26_nisidamaru_horikiri_2西堀切(縦堀へ)見所

27_nisi_demaru_1 西出郭

28_daikarabori_1 西大空堀見所

39_2maru_nai 木々の少ない二の丸

37_horikiri_heki 主郭北堀切見所

33_shukaku_1 山上主郭の現状

2009年8月 7日 (金)

諏訪城跡(兵庫県朝来市)

この城跡は山城の多い但馬地方にあっては、分類すれば丘城あるいは平山城という事になるが、事前に地形図から予想しても比高30m前後でもあり、自ずと規模の小さな館城(居館)が想像された。しかし現地に訪れてみると館城でありながらも規模は相当大きく、全長300m前後あろうかと思われる独立した低山の南北に跨る主要二郭で形成されており、その中央には二箇所の空堀と櫓台的な郭を挟み、更に城跡の西側には土塁を付随させた横堀、一部は畝状にも見える縦堀(目に留まったものだけでも概念図に示した南北に至るまでの合計10本前後)、主郭西側には土塁までも張り巡らされ、相当技巧に富んだ城跡と目には映った。

城跡は兵庫県朝来市山東町大月にあって、山東CCの池を挟んだ真東側の独立した低山に位置しており、室町期まで遡れば当時は釘貫氏の居城が伝わっており、秀吉の但馬侵攻により山名氏と同時に衰退の道を歩んだと思われる。詳細は不明

城跡へは国道427号の「矢名瀬」から北近畿豊岡道に向いて南下するのが一番分かり易く、ルート図の如く進行すれば城跡進入口付近までは難なく辿り着ける。後は画像に示した道路沿いの小屋の脇にある害獣避けフェンスを開閉して進入すれば、直ぐにでも縦堀(空堀道)を通過して主郭東側の郭跡(帯郭)に到達可能である。

1route2 登城ルート

10 城跡進入口

3su 城跡概念図

現状(7月)城跡は人の手も入らず自然任せの荒れ放題と化しており、更に相当藪化も進行している事からも、郭内に限れば外見から視認による全体像の判別確認は非常に困難な状態にある。ただし前述の土塁跡、あるいは空堀、縦堀群などは遺構残存度も高く、明確に判別可能な事からも、竹林地にありながらも見学者にとっては非常に目を楽しませてくれる材料ともなっている。特に便宜上副郭とした西側斜面に形成される土塁と横堀、あるいは縦堀を絡めた構造(畝状に見える)は非常に目を引くものとなっており、相当技巧的でもあり城跡最大の見所と言えるものでもある。城跡の北端側は竹林雑木藪、南端側は膝まで生い茂る笹で外見から遺構の判別確認は困難を極め、城跡南東側あるいは南端側までは踏破確認する事は出来なかったが、遺構も概念図に示した限りにあらずと断言出来そうにも思える、まだまだ多くの隠れた遺構が遺されている城跡の様には感じられるのである。縦堀などの現状判断可能でもあり目に留まった遺構群は図に示したが、当然東斜面側には西側斜面と同様に相当数の縦堀(畝状縦堀もありか?)が設けられている様にも想像される。状態が良くないので一般の史跡見学者にはとてもお薦め出来ないが、遺構の醍醐味を求められる方、あるいは縄張りに関心のある方には見学の見返りは必ずあるものと断言出来そうにも思えたので、個人的には是非訪問をお薦めしたい城跡の一つである。

15_horikiri_1 中央堀切見所

20_karabori_dorui_2 横堀と土塁見所

40_shukaku_heki 主郭切岸(8m前後あり)

35_shukaku_nai 主郭内

41_shukaku_minami_dorui 主郭南側の大型土塁

34_shukaku_kita_dorui_2 主郭北端の土塁見所

47_dorui_karahori 副郭西側の横堀と縦堀見所

51_tatehori 縦堀見所

13_shukaku_minami_isi 構築時代不明の石垣跡

2009年8月 4日 (火)

箕作城跡(滋賀県東近江町)

城跡は滋賀県東近江町五個荘山本町にあって、京阪神から向えば国道8号を北進すれば五個荘清水鼻地区付近からは新幹線を挟んで東に単独で聳える山なので直ぐ城山と確認する事は出来る。当時織田信長に攻略されるまでは六角氏の居城と伝わっている模様であるが詳細は不明。

城跡へは名神高速道路「八日市」ICが最寄の乗降口、国道8号と合流するまでには色々なルートが考えられるのでここでは割愛させて頂くが、ルート図の如く国道8号より目印となる神崎中央病院を目指せば分かり易い、病院の北東より東へ針路変更後、新幹線高架下を潜れば真東に鉄塔が直ぐ目に留まるが、この付近に車の駐車スペースが確保出来ると思われる。鉄塔より南側に聳える送電鉄塔の建つ山が城跡であり、位置を確認すれば画像に示した農道から屋敷跡地を通過して山に入って行けば良い。

今回の登山に於いては個人的には山裾に存在する屋敷跡地と見受けられる広大な段状の削平地(郭壁あるいは土塁壁の数箇所で石積み跡が見受けられる)から、僅かな踏み跡を辿って鉄塔(送電線)に沿う形で山上まで直登したが、本来は別に登山道があったのかも知れない、少なくとも北側からの登山道は見受けられなかったが、、、どちらにしても送電線に沿って上れば20分程度は要すが間違いなく山上主郭までは辿り着ける筈である。尚、図中の下山(参考ルート)においては過去使用されていたと思われる山道(踏み跡程度の急斜面)が見受けられたが、これが本来山上まで繋がる山道であったのかも分からない、、?

1z 登城ルート

Tozanguti 登山進入口

3a 城跡概念図

5_fumoto_yasiki 推定屋敷跡地

7_fumoto_isi 屋敷跡の石垣跡見所

18_shukaku_kogutikaku_isi 主郭西の石垣跡見所

21_shukaku_nai 主郭の現状

23_higasi_horikiri 堀切

24_higasi_kaku 東郭1

25_higasikaku_sekiretu

石列

27_higasikaku2東郭2

現状(三月)城跡は進入口でもある麓の屋敷跡周辺は矢竹で覆い尽くされており、細部における地形の変化の確認は困難となっている。矢竹の隙間にやっと石垣跡あるいは土塁跡を確認出来た程度でもあり、せいぜい家臣団の屋敷跡地あるいは居館跡を推察出来る程度であると思って頂ければ良い。山上郭群の形態としては規模の小さい最高所を主郭として、ほぼ東尾根上に地形に任せて郭が配された平凡な縄張りプランでもあり、見応えを問われると少々返事に困ってしまうのが現実でもある。確認出来た遺構としては鉄塔の建つ主郭西側に石垣跡が一部分残存しており、堀切を挟んだ東郭群に石列あるいは土塁の高まりを目にした程度でもあり、東側尾根は密生する矢竹藪となっているので踏み入る事も外見から判別確認するのも不可能な状況となっている。現状から城跡に縄張り妙味などは全く期待は出来ず、山上に残る僅かな石垣跡に興味がある方以外には訪問は中々お薦め出来ないのが個人的な見解でもあるが、これから訪れる準備のあった方にとってはタイムリーな現況報告となったものと思いたい。

2009年8月 2日 (日)

小脇山城(滋賀県東近江市)

城跡は滋賀県東近江市小脇町にあって、全国的にも有名な安土城跡からは南東側直線約6kmの位置にあり、箕作山を最高所としてみれば南西側の中間尾根上の最高所(標高373m)に位置している。当時においては六角氏の家臣、三井氏の居城が伝わっているが詳細は不明。

近江地方には石垣を用いた城跡が数多く現存しているが、この山城も高所にありながらも相当多くの石垣が使用されており、地表に露見している部分は多くはないが、山上郭群の随所に石垣跡あるいは石列を窺う事が出来る。当然見学する分には石垣跡が一番目を楽しませてくれる遺構になるとは思われるが、斜面に眼を凝らせば縦堀などの遺構も充分確認する事が可能であり、地表風化は激しいが僅かながら北郭群に土塁の高まりも見て取る事が出来る。個人的には小規模で縄張り妙味(堀切を中央に挟んでほぼ尾根上に直線的に郭が配置)には少し欠けるが、これだけ当時の石垣跡が拝めるのであれば充分見学に値する山城とも見受けられるので、比高230mを上るきつい登山にはなるが、険峻さを誇る山城の好きな方、あるいは石垣跡に興味のある方には当然お薦めの城跡と言う事にはなろうか。

1z 登城ルート

3a 城跡概念図

17_magaibutu 磨崖仏見所

城跡へは名神高速道路「八日市」ICが最寄の乗降口、インターを下りれば直ぐ国道421号に合流出来るので国道に任せて西進、踏み切りを越えた「小脇町」交差点より一般道208号へ進路変更すれば、後はルート図の如く向えばよい。個人的には図に示した尾根先端部にあたる南側の丘陵が気になったので南側からの直登になったが、西麓側からは石戸山「十三佛」に向けて石段で最後まで上りきる事の出来る登山道が設置されているのでそちらからの登城をお薦めしたい。参考直登ルートであれば山上郭群までは50分要したが、後者を選択すれば10分以上は短縮出来るものと思われる。「十三佛」に到達すれば背後に磨崖仏のある大岩群(眺望が素晴らしい!)からは箕作山に向いての登山道を利用すれば、難なく城跡までは辿り着く事が出来る。

28_dan_sekiretu_1 数段にも連なる石垣跡見所

34_2dan 37_gedan2_isi 南郭群の石垣跡見所

38_gedan1_kado 南最上段郭石垣跡見所

40_nankaku_top_1 南郭TOP

44_horikiri 中央堀切

46_shukaku_gedan2_isi 主郭下段付近の石垣跡見所

53_shukaku_nai_2 主郭内

62_tatebori_dobasi_2  北端の空堀土橋見所

現状(三月)城跡は冬枯れ後である事、あるいは箕作山への登山ルートで移動し易い事も重なり、山上に展開される郭跡、遺構などは非常に見て回り易い状態にあるが、自然任せの藪化は進行中でもあり、登山道から一旦外れると周囲は密生する雑木藪となっているので山城見学においては当然宿命とも言えるが、細部における遺構の判別確認は中々難しい状況となっている。概念図における範囲が確認出来た遺構であり歩き回れた範囲でもあるが、雑木の密生する急峻な斜面以外はある程度見通しも利き、ほぼ見て回る事が出来る状態にあると思って頂ければよい。ただ夏季訪問においては当然見通しも利き難くいものとは思われるが、、、。個人的には山登りを楽しむ事も出来、途中岩戸山における磨崖仏などの史跡見学あるいは眺望、山城遺構も充分味わう事が出来たので、非常に有意義で満足感に浸れた価値のある山城巡りとなった。

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