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2009年6月21日 (日)

TAKUよりお知らせ

先月「城跡呼称に関して訂正」の必要があると掲載しました、兵庫県豊岡市にある海老手城並びに森津城が、今回の現地訪問によって本来の城跡の場所の確定、及びその実態まで明らかになりましたのでお知らせしたいと思います。

まず海老手城跡の方は前回現地情報より推察お知らせした通りに、最初に海老手城と紹介した城跡より南側の国道及び川を隔てた対岸の低山に位置している事が判明しました。とすれば最初にリポート掲載に及んだ城跡の呼称は、、?と言う事になりますが、この地域には城跡(砦)が密集しているといった現地情報からも、未だ呼称の特定までには至っておりません。もちろん付近住民の方数人に訪ねても存在すら知られていない状況でもあり、当然出版物あるいは資料にも登場していない無名の城跡とも見受けられ、これから先も城跡としての呼称の特定は期待出来そうにないのが現実でもあります。ただ深く但馬史あるいは郷土史に関わっておられる方であれば、明確に判別可能な土塁あるいは堀切が残存している事からも、案外知っておられる可能性はあるとは思えますが、、。

取り合えずこの城跡に関してのリポートは、現在編集中の本来の海老手城とも紛らわしくなって来るので一旦削除したいと思いますが、城跡概念図の方はこれから山城巡りの一環として訪れる方もおられるかも知れず、森津城に隣接している事からも登城ルートと共に、引き続き呼称判明までは森津城と同時掲載をし続けるつもりでおります。もちろん呼称が判明次第報告はしたいと思っておりますが、お薦め出来るほどの見応えのある遺構が残っている訳でもなく、余り深く追求する必要は無いのかも分かりません、、、

一方森津城跡の方は最初にリポート掲載をした城跡の谷を隔てた直ぐ東側の山上に本来の森津城(今回のケースでは便宜上本来の、、と呼ばせて頂きました)があることが判明しました。此方の城跡は一部の城跡に詳しい方の話によれば「どちらも森津城であり別に城跡を分けて考える必要もなく、二城一体とした形態であるなら規模の小さい方が出城かも知れない」と言った見解でもあり、取り合えず既に紹介した規模の小さい森津城は掲載する分には紛らわしいので、差別化する意味合いで森津西城と訂正し直して、新しくリポート掲載に及ぶ森津城跡の中にそのまま掲載する形にしたいと思います。どちらの城跡も現況リポートに関しては現在編集中でもあり、近日中に掲載に及びたいと思っております。

尚、開設以来ほぼ毎日更新を続けて来ましたブログですが、流石にここに来てプライベートも含んだ諸事情により、毎日の更新が困難となりました。訪問はしたものの掲載が追いつかず未掲載のままになっている近畿圏外の山城もまだ数多く残しており、これから毎日の更新が困難ともなれば、当然リポートとしての鮮度も落ちる事にも繋がるので、これから先も日の目を見ることも無く終わってしまいそうかと思うと少し残念な気はします、しかし拠点に近い京都府、大阪府、兵庫県の中に限っては、訪れた山城はほぼリポート掲載に及ぶ事が出来ましたので非常に満足はしております。

これからのブログ掲載は不定期になるものと予想されますが、数十年来続けて来たライフワークとしての山城巡りの回数が極端に減る訳ではありませんので、時間の許す限り編集しながら情報鮮度が落ちない程度に城跡リポートは発信して行くつもりでおります。ブログ更新回数は減るとは思われますが、これまで同様山城訪問におけるアシストとして「山城賛歌」を活用して頂ければ、自分にとってもこれ以上の喜びは無いものと思えます。

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