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2009年6月30日 (火)

佐野城跡(京都府京丹後市)

城跡は京丹後市久美浜町佐野にあって、同じ町内にあって既にリポート掲載を終えた竹藤城跡からみれば南へ直線約3kmの位置にあり、それほど遠くの距離にはない。ほぼ無名に近い城跡ではあるが佐野備前守の居城と伝わっており、後で丹後を支配する事になる細川氏によって落城した模様である。付近にお住まいの年配の男性からその当時の話を聞いたところ、「佐野城側では川沿いに面した急斜面に油をまいて滑りやすくする事によって、更に攻め手から城を防備する作戦に出たそうであるが、逆に火を放たれて城は炎上し落城した」との事であり、今となっては失笑するばかりの嘘のような当時の戦模様である。

城跡へは京阪神から向う場合、国道426号より482号を経由して久美浜を目指して車を走らせれば良いが、国道482号と国道312号の交わる交差点の川を挟んで直ぐ東側に聳える低山が目的地となる城跡であり、国道からも直ぐ確認する事は出来る。ルート図に示した様に312号へ右折して数100m東側の国道沿いにある、僅かに入り口と見られる入山口(夏草に覆われているが探せば分かる)に向えばよいが、夏草を少し掻き分けて中に進入して行くと、自ずと屋敷跡にも窺える無数の段状に連なる削平地が目に留まる、それと平行して山上まで連なる東段郭群に沿って上れば難なく主郭までは到達出来る(10分程度)。

1route_2 登城ルート

6 入山口

3sa 城跡概念図

現状(六月)城跡は藪化及び風化は進行中にあるが、この時期でも縄張り内の移動に難渋する事は無く、遺構も全体を通してほぼ判別可能な状態にある。外見から全体像を見渡す事は当然無理ではあるが、案外箇所によっては見通しも利くので見学し易い状態にあると言っても良いだろう(冬季に訪問すれば更に良い状態と思える)。城跡の形態としては川に沿った尾根上の東西に跨って郭が展開されるもので、最高所に位置する主郭から東側に数十段にも及ぶ郭群、更に家臣団の屋敷跡にも窺える無数の段郭群、主郭西側は急斜面を下りれば主郭と占有面積がほぼ同等かそれ以上とも窺われる規模の大きい西出郭が配されており、縄張り変化にも富んでおり非常に目を楽しませてくれる山城である。

18_dorui_1 東郭群の土塁見所

23_higasikaku_jyoudan_dorui_3 東郭群最上段の土塁見所

37_nisidemaru_heki_1 西出郭へ

39_demaru_minamigawa 出郭南側

50_shukaku_1 主郭内

54_kita_yakenbori_4 北大堀切見所

56_saihoku_horikiri 北出郭の堀切

61_yasiki最上段の屋敷跡とも窺われる平地  

見所としては東郭群の最上段に備わる郭を仕切る二連の状態の良い大土塁、主郭北側尾根を分断する高低差を伴う素晴らしい堀切(薬研堀)、西出郭の鋭角な切岸、居館とも見て取れた広い削平地上の土塁郭など探せば遺構は目白押しでもあり、飽きを来させず見て回る事が出来る状況でもある。自作概念図に示した様に地形を活かしたユニークな縄張りプランそのものも見所であり、最近コンパクトな縄張り形態の山城を多く訪問しているせいもあってか、この山城は縄張り妙味もあって特に素晴らしいものの様に目には映った。山上主郭までは急斜面を上る必要も無く、この時期でもそれなりに動き回れる状態の良さ、あるいは遺構の醍醐味を考えれば当然推奨に値する城跡でもあり、丹後地方に訪れた際には是非覗いて頂きたい、これぞ山城と呼べる本格さの漂う城跡である。

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京都(丹後地方)の山城」カテゴリの記事

コメント

takuさん
takuさんが訪問されたのはかれこれ7年前になりますが、記憶ありますでしょうか。
今回の遠征のラストバッターで訪問しました。

登城口は写真がヒントになりました。これが唯一のヒントですね。一瞬の藪を抜けると細かい段郭で城郭の雰囲気漂います。
しばらくそのまま進むと急峻な坂が見えてきて適当に登ると山頂付近の山城郡へ。次から次へと
大きな切岸を抱えた段郭。大感激。それも結構広く、大感激でした。

大声で吠えながら喜んでしまいました。
takuさんは地元の方に昔の言い伝えをお聞きされたそうですが、地元といっても家は遠く勿論人もいないので私は聞けませんでした。面白い言い伝えがあるのですね。

この城址を訪問を終えたのが午前中の10時。時間的にはまだ他の城郭も訪問可能でしたが、あまりにも満足してしまって、この余韻は消したくないと思い、その日はこれが最後にしました。お蔭で高速をけちって下道を通っても吹田市の江坂まで
3時間弱。NHKの囲碁講座も見れました。

まだまだ未訪の京丹後市の山城多数あります。
再訪したいと思っています。転勤族なので、
びくびくしていますが、転勤があと一年ぐらい持てばと思っております。

ありがとうございます。

TAKUです、コメント拝見させて頂きました。
nnnn佐野城までも踏破されましたか、、、この山城は大井城とは随分異なる縄張りのユニークさや、登城口付近まで無数に連なった段郭群やらで、今でも鮮明に記憶に残っておりますが、ヒデさんが感激された由、充分過ぎるほど分かります。
それにしても丹後の山城はいいですね~
私の琴線に触れる城跡ばかりです。

それから前回のコメント返信では書き忘れておりましたが、野糞の件、私にとっても、恐らく山城ファンにとっても、間違いなく「ある、ある」ですね。あの開放感は快感に近いものがあります。(笑)

ゴールデンウィークに突入しましたが、山城巡りも含めて、より充実した日々となれば幸いです。

Takuさん
いきなり閑話休題で恐縮です。いつ来るかとビクビクしていた社命を昨日通達されました。7月1日付での辞令です。

転勤族なので覚悟していましたが、この赤紙が来たという気持ちです。

7年前に山城マニアになりその後一年で関西に転勤。当時は全くのビギナーでその当時の累計は精々300程度。
此方に来てtakuさん の素晴らしいサイトがあることも知り、西日本を中心に登城しまくり、現在4000城までになりました。正確な城数は数えていませんが その3700城の内4割程度はhp参考にさせていただいたと思います。

本当に感謝しています。こんな所誰が登城するのかと心が折れそうな山城沢山あり、色んなドラマ、感動を頂きました。正確な地図情報本当に助かりました。

あと2ヶ月弱の関西となりましたが、先輩の跡道をできるだけ辿りたいと思っています。

感謝の気持を込めて涙腺ウルウルするかもしれません。

私事ですが学生まで
此方にいて、両親もかなりヨボヨボですがまだ健在で大阪 いいます。

私用で関西に戻る機会はあると思うので多々あるtakuさんのHPにある未訪問の廃墟溢れる山城巡りの夢は取っておきたいと思います。
心残りは一度でもお逢いできればということですが、これもこれでしょうか。

ヒデさん、コメント拝見させて頂きました。
ついに関西を離れる時が来ましたか、、、
登城後においては、今まで数多くのコメントを頂戴した事で、感動も共有し合え、自身にとっては励みともなり、アシストとしてヒデさんのお役に立てた事もそうですが、とても有意義なブログに成り得ました。
ここで改めて感謝の意を表したいと思います。

ただ山城は日本全国津々浦々にありますので、転勤地においても、今まで同様、更なる山城制覇を成し遂げて頂きたいと思っております。
また関西に来られる日もあるかとは思いますが、その時は転勤地における近況報告も含めて、ブログに書き込んで頂ければと思う次第です。

私としては、めったに人が訪れない山城で、偶然声をかけた相手が、たまたまヒデさんだった、という事になりそうな気がしてなりませんが、、、、

転勤地が今まで同様、意欲的な山城巡りが出来る環境である事を願って止みませんが、くれぐれも怪我には気をつけて、山城巡りにおいてもご自身においても、更なる進化を遂げて頂ければ幸いです。

takuさま
ありがとうございます。
転勤地は留守宅がある東京です。
単身赴任のお陰で沢山回ることできました。東京ではワイフのお守りも少しはしなくてはならないと思うので登城数は激減すると思います。

感謝の気持ちを込めて本日は綾部市を回ってきました。
いくつか感動したのがあったので別投稿します。

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