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2009年6月20日 (土)

広瀬城跡(京都府南丹市)

この城跡は南丹市八木町北広瀬にあって、国道9号より八木町に入れば八木交差点より477号へ針路変更、その後は桂川を渡れば直ぐ川沿いに左折し、目印となる「阿弥陀寺」あるいは隣接する「岡神社」を目指せばよい、直登取り付き地点は概念図の如く神社すぐ背後にある墓参道からで、道が途切れてもそのまま山上を目指して上れば、山上主郭までは10分内で藪漕ぎもなく辿り着く事が出来る。

この山城を訪問するきっかけとなったのは、昨年の刑部城跡訪問の際に西に聳えるなだらかな山容を持つ低山が、刑部城跡と同様に城山の風情を充分過ぎるぐらいに醸し出していた事からも、何時か機会があれば踏破探索してみようと思っていた事によるもので、今回はたまたま付近を通過した事も重なり、事前から描いていた南北二通りの直登想定ルートの中、南側に位置する岡神社側より直登を敢行した。(ちなみに北側先端に下山したが、この逆ルートでも分かり易く上れる)

結果的には昨年推察した通りに、山上には古い形態を持つ明らかに山城跡と呼べる遺構群北側に繋がる尾根上には数100mにも及ぶ郭群(削平地)、何れも地表風化によって埋もれて判別し難い状態にはあるが、堀切あるいは土塁などを伴って北尾根先端にまで縄張りは展開されていた。山上に向うまでには僅かな期待はあったが、これほどまでとは思っていなかったせいもあり、久し振りに味わう嬉しい大誤算にテンションの上がる訪城と相成った。しかし、これだけの城跡遺構がありながら手元に所有する資料の中からは城跡呼称を見出す事が出来ず、今回は是非山城ファンの方達に存在を知って頂く為に仮名としてリポート掲載に及ぶ運びとなった。当然既に訪問されて遺構の確認あるいは城跡呼称の確認まで行なわれた方も居られるかも分からないが、間違いなく城跡と断定出来る遺構群と見受けられたので、今回はまだ未訪の方の為に迷わず現況(六月)リポートさせて頂いた。

1route 登城ルート

8 進入口

3h 城跡概念図

現状、山上郭群においては長年の地表風化によるものか、最初から安普請で築かれたものかは判断出来かねるが相当地形は曖昧でもあり、部分的に切岸などは窺えるが高低差を伴う切岸は皆無、周囲はなだらかな斜面とあって当然縦堀なども設けられておらず、明確に判別出来る遺構も限られてくる状況にはある。それでも山上における僅かな土塁跡、あるいは他に類を見ない形態とも見受けられる土塁壇での本郭構成など、非常に見学者にとっては想像を掻き立てられて、推察も含めて楽しく見て回れる城跡と目には映った。連続する起伏の少ない北尾根上には、相当埋もれてはいるが堀切(空堀)跡や土塁壇なども目に留まり、連続する削平地を通過して先端部には城中最大とも見受けられる北出郭があり、相当距離を歩く事にはなるが充分目は楽しませてくれる様には感じられた。

個人的には今回(過去)の様に城跡として資料にあらずとも、外見から城山と感じれば直ぐに踏破探索してみたくなる性分でもあり、城跡呼称に関しては暫定あるいは仮名として既に掲載を終えた、京都府内に限れば桐村城、千手寺城、川北城などは今もって呼称確定にまでは漕ぎ着けていない現状なのだが、この山城も自ずとその中の一つに加えられそうな気もしてくる、、、。自身で歩き回った末、作成した概念図(当然正確ではない)に少しでも興味を持たれた方のみが対象となる山城かも知れないが、現状藪漕ぎ見学までには至っておらず、付近を通過したついでに寄る程度ならば見応えは少ないかも知れないが、縄張りを縦走して体感した見返りは決して少なくはないと感じられるのである。

13_minami_doruikaku_1 山上南土塁壇見所

15_doruidan 北土塁壇

16_dorui_ato 僅かな土塁跡

21_doruidan_kuboti 本郭群窪地

38_horikiri_dobasi 北郭群へ堀切土橋見所

41kitakaku_gun_horikiri_ato 僅かに残る堀切跡

44_kitademaru 北出丸

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