竹藤城跡(京都府京丹後市)
この城跡は先にリポート掲載に及んだ盛岡城の麓にある貴船神社より、数10m東側に移動した木橋のある場所が直登進入口にあたり、今回の山城巡りの中の訪問予定には入っていなかったが、盛岡城の城山所有者の方からこの本城の方がもっと大規模でもあり、井戸跡なども残っていると聞いたので迷わず寄って遺構見学する運びとなった。かつては木橋を渡った大手にあたる谷沿いから登山道もあったようだが、現在は踏み跡すら残っておらず直登は余儀なくされる状況下にある。個人的には参考ルートと概念図に示した東側急斜面(崖に近い)最短ルートを10分内で一気に上り切ったのだが、下山ルートでもある二箇所からが一番直登として取り付きやすく、斜面も少しはおだやかである様には感じられた。
城史に関しては竹藤左京進の居城を伝えるのみでもあるが、地元の方に聞いた話ではこの竹藤氏は一色氏の滅亡後は細川支配による丹後で臣下として活躍し、江戸時代から更に明治時代に至るまでは家名も存続した様であるらしいが、、詳細は不明
現状(四月)城跡は盛岡城に負けず劣らず藪化は深刻化しているが、複雑な縄張り形態でもなく、特に技巧を有した遺構も存在していないので、歩き回れば何とか遺構の判別確認及び城跡の縄張りあるいは規模などを体感する事が可能と言える状態にはある。もちろん枯れ木の密生によって全体の見通しは悪いが、高く切り立つ切岸、堀切(一箇所確認)などは充分見て取れる状況でもある。井戸跡はこの状況下においては探し当てる事が叶わなかったが、自宅に戻って文献を見入っていると、確かに井戸跡あるいは当時の武家屋敷跡地が残存している様には記載されてあった。地元の方から事前に聞いた様に流石に竹藤氏本城とするに相応しい規模、あるいは高い切岸による堅固さも兼ね備えており、見応えもある事から充分満足の行く訪城と言えるものにはなった、ただこの深刻な藪化は非常に残念ではあるが(夏季訪問は禁物!)、、 尚ルート図に示したタチ(館)と現在でも呼ばれている辺りが竹藤氏の居館跡であると地元の方に聞いた情報であり、個人的にはこの城跡が今日を締めくくる最終の山城巡りとなった関係で探索は叶わなかったが、まだ未訪の方の参考までに。
二城併せれば確実にお薦め出来る城跡と言えるのではあるが、ここまで藪化が激しいと興味を持たれた方のみが対象の山城として良いのかも知れない。
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