日下津城跡(広島県安芸高田市)
城跡は広島県安芸高田市向原町坂にあって、古くは毛利一族より分かれた側が坂氏を名乗ってこの地に居城、以来毛利氏一族をささえ重きを成したと伝わり、元就の代に及んでは一時期坂広秋が反旗を翻したが、その息子より再び元就に仕え代々重きを成したと歴史は伝えている。
城跡へは田屋城跡を起点にすれば説明し易く分かり易いが、田屋城跡の真東2km内に位置する山上が城跡にあたり、県道37号から向えば「支所入口」交差点より県道29号へ針路変更、後はルート図の如く右折して三篠川を渡れば道路沿いの案内板までは到達出来る。案内板からは墓地経由の登山道(2ルートあり)が山上まで繋がっているので迷わず辿り着ける筈である。
現状(四月)城跡は史跡としてある程度整備されているので比較的木々も少なく、縄張りにおける遺構標識も設置されている事から初めて訪れる見学者でも遺構が目に留まり易く、非常に見学し易く見て回りやすい状態にはある。ただ一部の郭内には伐採された木々がそのまま放置されていたり、雑木も蔓延っているので視認し辛く歩き難い箇所も少なからずある。現状遺構として目に留まるものは郭跡を除けば郭切岸、主郭周りの堀切(縦堀を含む)群、井戸跡、南出郭の土塁、西物見の段下の分厚い土塁と言ったところで、郭高低差がある事からも山城の醍醐味は充分味わえるが、尾根を断つ薬研堀の様な見応えのある遺構に巡りあう事は出来なかった。登山道も設置されており比較的残存状態も良い事から、程近い距離にある田屋城跡とセットで同日訪問となれば充分お薦め出来る山城と言えるのではないだろうか。凄いと声を発するほどの遺構は存在しないが、広島県内に於いては山城を史跡として評価する意識レベルが非常に高いものと見受けられ、近畿圏内ではおよそ見向きもされそうにない田屋城跡やこの城跡クラスの山城でもある程度整備が成されており、登山道あるいは遺構標識まで設置されているのにはただ驚くばかりである。山城ファンにとっても一般見学者にとっても、登山道が設置されているといった事実だけで訪れてみたい気分にもさせられ、状態の良い当時の遺構を見学すれば自ずと史跡保護の意識も高まり、後世幾世代にも渡って史跡を遺して行けるのではないかと個人的には思うのである。
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