郷城跡(京都府京丹後市)
城跡呼称の取り違いが判明しましたのでお知らせしたいと思います。
この山城は郷地区に二城(船山城、郷城)ある中、郷城の呼称を持った城跡である事が、追跡リサーチによって判明しました。よって船山城として既に紹介したこの山城は、郷城との呼称取り違いでもあり、改めて変更したいと思います。尚、船山城の所在地は現状明らかではありませんが、判明次第報告の予定はしております。
(以下本文)
城跡は京丹後市網野町郷にあって、北近畿タンゴ鉄道と県道17号の交わる踏切より川を挟んで西側の丘陵上に位置しているが、城史に関しての詳細は不明。
城跡へは目印となる大きな建物や施設も見当たらないので、ルート図と概念図を参考に訪れて頂くしかないが、峰山町から県道17号を利用して北上するのであれば前述の踏み切りを過ぎれば次の道路で左折、更に図の如く道路に任せて進み、城跡の南端に位置する墓地への進入口目指して進行すればよい(車は路駐スペースあり)。車を降りればそこから集合墓地を経由して北に向いて歩けば自ずと城跡には5分もあれば辿り着ける筈である。
現状(四月)城跡は相当藪化も進行しているが、遺構として明確に判別確認出来るのは郭跡を除けば、主郭と見受けられる小規模な郭跡に備わる二連の方形土塁壇(機能不明)、更に東郭へ繋がる郭境にある空堀と櫓台に見える方形土塁、北郭及び西郭の切岸などであり、特筆すべき技巧を有した遺構は眼に留まらなかった。縄張りも現在集合墓地となっている尾根上数100mに渡って郭の展開は予想されるが、ここまで墓地として造成整地されておれば中々当時の縄張りの形態を想像するのは難しい状況でもある。現状城跡のほぼ半分以上は冬枯れしているとは言え雑木竹林地と化しており、中々満足の行く見学は出来ない状態にあるが、これから先も決して良いほうに改善されるとは予想し辛く、個人的には非常に評価し難いが、但馬地方から丹後地方にかけての多くの丘城に共通して見受けられる、櫓台にも見て取れる対面する方形土塁壇が備わっている事からも、充分見学する価値はある様には思われたのだが、、、まだ未訪で興味を持たれた方のみが訪問の対象となる城跡と言う事になるのかもしれない、、
尚、ルート図には砦跡と記したが明らかに城跡遺構と判断出来る(独自の判断)二本の堀切の備わる小規模な郭跡が西側の別尾根先端で確認出来たので、ついでに現況報告させて頂いた。
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