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2009年5月15日 (金)

五龍城跡(広島県安芸高田市)

この城跡は安芸高田市甲田町上甲立にあって、先にリポート掲載を終えた祝屋城の本城となる宍戸氏代々の居城であり、娘婿でもある宍戸隆家は元就より毛利両川と同等な扱いを受け、両川と並び称されるほど毛利では重きを成したと伝わっている。城跡へは祝屋城を起点にすれば分かり易いが、同じ国道54号よりそのまま南下しトンネル手前の「高宮分れ」交差点は左折し、ほぼルート図の如く向えば駐車場までは難なく辿り着ける。

個人的には数年前に一度訪れており再訪となったが、前回は全山総郭とも呼べる巨大な規模を誇る吉田郡山城に先に寄ったばかりに肝心の西郭群まで見学する余裕も無く、急いで回った為にこの城跡の素晴らしさを体感するまでに至らず、悔しい思いで城跡を後にした苦い記憶がある。今回はそのリベンジも含めて少し時間に余裕を持たせた訪問でもあり、やっと念願でもあったこの山城の城域のほぼ全て(八割)を把握することが出来た。

城跡は社殿の建立されている北東先端尾根に位置する尾崎丸から南西側に位置する足軽の段まで、規模は全長800mには達しそうとも思える大名クラスにも匹敵する非常にスケールの大きい巨大な山城でもある。形態としてはほぼ直線的に郭を並べただけの単純な縄張りではあるが、三ブロックから構成される郭群境には凄い堀切(空堀)を備え、多くの他の山城に見受けられる狭小な段郭などは皆無、全てに渡って規模の大きい郭群で山上は占められている。山上の中心に位置するのが本丸(主郭)であるが、その背後の際高く聳える立派過ぎる櫓台は土塁底部は土留め石となっており圧倒される事請け合いの遺構でもある。便宜上西郭群とした規模の大きい主要四郭で形成される郭壁には、土留め石ではない通常の野面積み石垣跡が随所に窺える事からも、西側は後で縄張りを拡張して行った事が想像出来そうにも思えた。個人的な判断では一ノ塁背後の堀切壁中ほどに石垣跡が窺われた事からも、当時は城中最大郭でもある一ノ塁堀切壁から郭周囲に至るまでの全てが石垣で覆われていた様にも感じられた。

3x 城跡全域の概念図

2_2 現地城跡案内板より

3_1 3_2 城跡概念図

Itiinodan 一位ノ段

25_nisi_koguti 中土塁虎口見所

32_3maru 三の丸

41_honmamru 本丸見所

44 本丸櫓台土塁見所

47_daihorikiri_3 大堀切見所

54_kaku2_isi 二の塁虎口石垣跡

59_shukaku_gaiheki_isi 一の塁背後壁石垣跡見所

60_horikiri 西端の大空堀(縦堀)見所

68_ido 井戸跡

現状(四月)城跡は本丸までは山城としてはこれ以上は望めないほど素晴らしい状態を維持しているが、本丸背後の大堀切から西郭群の一ノ塁までは雑木も蔓延り見通しもかなり悪い状態にある。しかし移動に差障る状態にまでは至ってはいないので、充分遺構見学は出来る状況にはある。既に両川の一つ小早川氏の居城、新旧高山城には訪れているが、個人的にみれば新旧高山城より若干規模で劣るかもしれないが、縄張り妙味に関してはほぼ同レベルにある山城とみた。正しく推奨に値する素晴らしい山城の一つでもあり、言葉で素晴らし過ぎる城跡の醍醐味が伝えられないのがもどかしいほどでもある。

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