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2009年5月27日 (水)

吉井城跡(山口県大島郡)

城跡は山口県大島郡周防大島町西屋代/吉井にあって、当時水軍としては最強を誇った村上水軍(三島ある能島、来島、因島のいずれか)の城跡と伝わり吉井氏の居城と聞いた。本来大島の西側半分を来島水軍、東側半分を能島水軍と分割統治としていたらしく、西側に位置するこの城跡は来島水軍に属す城跡と言ってよいのかも知れないが、当時は三島水軍を巡る周りの情勢もそのつど変化(一時は敵対関係)しており現状詳細は不明。

付近に居を構えられる町史に詳しい方でも詳細を掴めないほど無名に近い城跡なので、現地で聞き込んだ以上の情報はこれから先も得られないかも分からないが、石垣が郭壁(畑地)に残存している事と当時の郭跡が畑地あるいは蜜柑畑として転用されて現在にまで至っているが、現状はほとんど藪に近い状態との情報だけは事前に得る事が出来た。尚、未訪に終わったが西屋代には龍心寺と言う曹洞宗の寺院があり、ここは能島水軍大将村上武吉の嫡流にあたる元吉から元武あるいはその子孫の菩提寺になっており、一族の墓所になっているとも聞いた。

城跡へは山陽自動車道「玖珂」ICが最寄の乗降口、ここから国道437号に進入し道路に任せて進行すれば、既にリポート掲載済でもある塩宇城跡へ向う時に利用した大島大橋は自ずと渡れる計算にはなる。橋を渡れば県道4号へ直ぐに右折、後はルート図の如く西屋代集落にある小字吉井、あるいは吉兼集落を目指して屋代川沿いに進行すればよい。現地に入れば川沿いにある学校、JA、郵便局が目印となり、ルート図に示す赤線ルートのいずれかで城跡までは到達出来る筈である。この地より川を隔てた東側丘陵上には吉兼城跡もあるが、一帯は集合墓地、畑地あるいは藪地と化しており城跡と明確に判別出来る遺構は見る限り現存していないように見受けられた。

1route_2 登城ルート

5_2 進入口

Oosima_4 郭切岸

Oosima_15 Oosima_17当時の遺構と断定は出来ないが石垣跡

Oosima_12 堀切より北側の郭跡地

Oosima_13 郭跡

Oosima_9 堀切道

Yosikanejyou 吉兼城跡遠望

現状(四月)城跡は事前に聞き込んだ通り、小さな蜜柑畑の一部を除いてはほぼ密生する矢竹雑木藪と化しており、堀切(南北を断つ唯一の堀切道)、段郭状になった郭跡及びその切岸はある程度確認出来ても郭内に踏み入る事はほとんど不可能な状態でもあり、縄張りを把握する事はほぼ不可能、これが当時の遺構と断定出来そうなものは郭切岸、郭跡の転用と見受けられた畑地あるいは堀切道、近世の石垣跡も混在している様には窺われたが、一番古そうに感じられた二段の石垣跡(この石垣が当時のものと断定できる確証は無い)などで、これらが城跡を物語る唯一の遺構とも見受けられた。遺構残存度も低く状態も良いとは言えない城跡ではあるが、個人的には訪問後に村上水軍に関して興味を持つ事にも繋がり、更に知識を吸収し直すきっかけともなったので充分納得の出来る訪城となったのは確かである。

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