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2009年4月19日 (日)

疋田城跡(福井県敦賀市)

城跡は敦賀市疋田にあって、JR北陸本線「新疋田駅」の真北の丘陵上に位置している。城跡へは国道161号よりルート図の如く向えばよいが、城跡南側の線路沿いに運動場を兼ねた広大な空き地があるのでそこまでは車で進入出来、更に駐車も可能となっている。付近にある城跡案内板は直ぐ目に溜まるので、そこから登ればいきなり主郭までは到達出来る。Hi

登城ルート

3_2 現地案内板

現状(11月)城跡は全域がほぼ農地となっている為に、石垣跡などによって郭境を見分ける事は可能であるが、後世における積み直しも含めた石垣跡も混在している様に窺われるので、はっきりした縄張りは歩き回って自分の眼で見て判断するより手はない状態にある。全体が農地化(郭跡の転用)されている事で、ある程度見通しは利き全体像は掴み易いが、細部に渡っては下草も雑木も相当蔓延っているので中々遺構の判別確認は難しい状況でもある。石垣跡は本郭周囲から小規模な櫓台に至るまで相当量が破壊を免れて残っており、櫓台に相当すると見受けられる北壁側には非常に形の整った石垣跡が二段、今でも数10mに渡って現存している。更に見所とも言える石垣跡は農地化された広大な畑地の随所で目に留まり、見学者の目を非常に楽しませてくれている。

周辺を歩き回って確認した限りでは、城域は北側日吉神社付近にまで及んでおり、東側は住宅地傍までも城跡遺構らしきものを確認する事が出来た。遺構としては石垣跡の他に空堀、土塁跡などは確認出来たが、近世における造成がどこまで及んだものか見当も付かない為に推察の域は出ないものでもある。ただ線路側に残された巨大に見えた凄い空堀(堀切)は、地元の人に聞けば付近造成工事の為に当時作業用トラックを通した道であるとの見解であった(自分の眼には縄張りプランから推察しても空堀としか目に映らなかったが、、)

とにかくこの城跡は広大な面積を所有しており、案内板の設置された本郭部背後から線路沿いに至るまでの広大な空き地(小学校跡地らしい)は当然消失してはいるが、当時の縄張りの一部と解釈しても良さそうには思えるもので、本郭群より四方に広がる畑地も多少の改変はあったとは思われるが、全て当時の郭跡の様にも見受けられた。個人的には城域の東西南北をほぼ踏破した計算になったが現状では雑木密生藪地も多く、探せばまだまだ石垣跡、土塁跡を除いた優れた遺構が眠っているような気もするのである。

ほぼ平城に近い城跡なので当然山城の醍醐味は求められないが、当時(織田方による改修後)総石垣城に近かったと思われる相当量の石垣跡は見学に充分値する遺構でもあり、まだ未訪の方には是非訪問をお薦め出来る城跡と言えるものでもある。

4_yagura_haigo 進入口

8_shukaku_obi_isi 11_tenshu_obi_isi 櫓台石垣跡見所

14 本丸跡の現状

18 東郭側石垣跡

21 畑地に残る石垣跡

31 郭境

26 大手虎口か?

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