« 高生田城跡(兵庫県朝来市) | トップページ | 宮城跡(兵庫県朝来市) »

2009年4月22日 (水)

東河小川城跡(兵庫県朝来市)

城跡は朝来市和田山町宮にあって、戦国期当時は山名氏傘下の上道氏の居城(本城と聞いた)と伝わるが、同じ和田山町にある竹田城を初めとして、他のこの近辺の城跡と同様に秀吉の但馬攻略軍によって落城したとみてまず間違いのない処とは思われる。

2010年5月 掲載した黒田城は、その支城となる小川城跡と判明しました

この東河(トガ)地区は東河川に沿った集落の付近には上道氏関連の多くの城跡あるいは砦跡が点在しており(地元の方の情報と資料による)、推察ではあるがこの付近の小山や丘陵地は狼煙台程度の遺構も含めれば、ほぼ当時の城跡の様な気もするのである。実際に東河地区の山城巡りにおいては素性の分からないままの城跡も踏破しており、この黒田城跡とは今回便宜上の出城として同時掲載に及んだ。時間に余裕があれば更に目星を付けた区域二、三箇所も踏破したかったのだが、次の予定を考えればそれも叶わなかったのが少し残念な処ではあった。

城跡へは国道9号あるいは国道312号より和田山へ向えば、交差点「一本柳」で針路変更し一般道273号へ進入すればよいが、宮集落に入ればルート図の如く左折、直ぐ正面の民家背後に現れる丘陵が城跡でもあり、後は概念図に示す墓地から上れば5分内で主郭まで辿り着く事が出来る。

1route_2 登城ルート

4 進入路

3kuroda 城跡概念図

8_koguti_kaku 虎口か?

18_kaku 主郭下段郭

16_kita_kaku_gawa_1 主郭北側の現状

23_kita_3ren_doruidan_2 北郭の土塁壇

26_horikiri_2 最北の堀切

現状(三月)城跡の主郭と見受けられる辺りから東斜面及び北郭にかけては地表も見えないほどの笹あるいは雑木が密生しており、中々満足の行く遺構見学は出来ない状態にあるが、郭跡を除けばかろうじて概念図に示した三連の方形土塁壇及び堀切だけは判別確認することが出来た。この三連の土塁壇は一見櫓台に見えなくも無いが、但馬地方の城跡に数多く見受けられるものであり、一体どの様な機能があったのか非常に気になるところではある。普通に見れば二本の空堀を間に挟んだ様にも見えるが、当時空堀ほどの深さがあったようには見受けられず未だに謎のままである。この城跡は結果的には後で見て回る事になった東の小山に位置する宮城跡あるいは南東側の出城と同日訪問で、何とか充実した山城巡りが出来る様には思えたが、個人的にはこの城跡に遺構の醍醐味も見応えも感じる事が出来なかったのが本音でもある。しかしながら上道氏本城と聞くからには東河地区の城跡巡りの一環としては絶対に避けて通れない城跡の様には感じられた。尚、ルート図に示したが南東側に出城とした尾根上にも、この城跡と同様に三連の立派な土塁壇と削平地の残る砦跡が存在するので、ついでに見学しても無駄足にはならない様な気はするのである。

Dejiro 2010年5月 フタタ城跡と判明しました

23_sita_yasiki_1  副郭(居館か)

Dejiro_2 西郭群と主郭切岸

Dejiro_1 方形土塁壇

« 高生田城跡(兵庫県朝来市) | トップページ | 宮城跡(兵庫県朝来市) »

兵庫(但馬地方)の山城」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1070646/28929279

この記事へのトラックバック一覧です: 東河小川城跡(兵庫県朝来市):

« 高生田城跡(兵庫県朝来市) | トップページ | 宮城跡(兵庫県朝来市) »

無料ブログはココログ