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2009年4月18日 (土)

砕導山城跡(福井県大飯郡)

城跡は福井県大飯郡高浜町宮崎にあって、先にリポート掲載を終えた高浜城跡からは国道を挟んで南側に位置する砕導(サイチ)山の山上からほぼ四方に渡る尾根上に縄張りは展開されている様に見受けられる、高浜城主でもある逸見氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へはJR「若狭高浜駅」あるいは佐伎治(サイチ)神社を目指せば分かり易く、国道からも直ぐの距離にある神社に到着すれば南側奥より妙見経由で参拝登山道が山上主郭までは通じているので迷わず辿り着く事が出来る。この山城は訪問後に文献及び資料から分かった事だが、今回訪問リポートとして掲載に及んだ城域は砕導(サイチ)山を主郭とする本郭群であり、更に縄張りは南側尾根あるいは東へ繋がる連続する尾根先端にまで及ぶもので、全山総郭とも呼べる広大な規模を誇る山城である事も判明した。どちらにしても遠距離での訪問でもあり、全山踏破する事は最初から無理だったのではあるが、、

以上の事から今回はルート図に示す砕導山本郭群のみの訪問リポートということになり、結果的にも凄いと思える見応えのある遺構にはお目にかかる事は出来なかったが、戦国期山城の雰囲気を味わうのであればこの山上郭群だけの見学でも充分である様には感じられた。

現状(四月)城跡の山上主郭に至るまでの規模の大きい三郭(概念図に示す)は社殿敷地でもあり、ある程度整備されているので見学し易いが反面、近世においてどこまで造成整地されたものかは見当が付き難く、郭跡の転用として見たままを自分で判断するしかない状況でもある。形態としては麓から山上にかけて郭は三段構の構造であり、移動尾根上に土橋を挟んで郭間に堀切なども確認する事が出来た。土塁などは確認出来なかったが密生する雑木藪の中には数段にも及ぶ削平地の確認、便宜上の二の丸北斜面には見応えのある二重堀切を確認する事は出来た。概念図に示すまでが今回踏破確認した遺構でもあるが、山上主郭からの東尾根移動は最初に計画に入っていたのだが、密生する雑木藪の為に非常に困難を極め、ついに断念に至った経緯がある。東峯から東尾根先端にかけて展開されているであろう郭群は、次の訪問時にリベンジということにはなったが、その機会が何時訪れるのかは見当が付かないのが現状でもある。しかし必ず近い内に全山踏破をして縄張り及び戦国期の遺構群を確認してみたいと思わせる山城の一つである事は確かである。

1z 登城ルート

2nawa1 城跡概念図

10_higasikaku_koguti 東郭虎口

11_higasikaku 東郭(転用地)

13_2 土橋風の移動尾根道

15_dankaku_horikiri_1 堀切

17_kaku_nai 社殿(郭跡転用地)

18_yasirokaku_kita_horikiri 北二重堀切1見所

20_shukaku_dankaku_gun 段郭群

25_shukaku_nai 山上主郭

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