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2009年3月17日 (火)

高瀬城跡(三重県伊賀市)

この城跡遺構は先にリポート掲載に及んだ恒矢氏城跡中に記載している様に、近世造成された道路を挟んだ南側丘陵上に位置している。個人的にも外見からあまりにも山城の様相が窺えたので寄ってみた所、伊賀の城跡らしく居館跡とも見受けられる三方土塁を巡らした主郭跡(現状は畑地)、櫓台とも見受けられる土塁最高所の郭跡、空堀に見える掘削された跡、土塁虎口などが確認出来た。もちろん発掘調査の有無あるいはその結果などは知らないので独自による推察と言う事になるが、自作概念図に描いたものが独自で判断した遺構と呼べそうなものである。現状の主郭(畑地)周囲を巡る分厚い土塁、社殿のある削平地は櫓台とも見受けられるもので、伊賀の城跡を見て回っている方なら直ぐ城跡の形態として判別出来るものでもあり、恒矢氏城跡に関連した南出郭群とも窺えそうに思えたので、今回は(仮名)恒矢南城跡(現状城跡呼称は文献にて照会中)としてリポートの掲載に及んだ。尚、くれぐれも城跡遺構としたものは独断と偏見によるものであり、個人的にも恒矢氏城跡を見学ついでに寄って城跡遺構を確認しても、絶対に無駄足には終わらないものと判断したものである。藪化していないだけに全体像も窺う事が出来、城跡遺構としては非常に見学し易く貴重な存在であると目には映ったが、、、

城跡遺構へはルート図中にある進入路より最上段に位置する民家横より直接山上まで上れるのだが、住宅地庭先あるいは横の畑地を通過する事になるので住民の方に了解を得たほうが良いとは思われる。(個人的には偶然畑仕事をされていた地元の方に許可を得て通過させてもらったが、、、)

現状(二月)城跡と見受けられる主郭に相当する丘陵上は畑地となっており見通しも利くので三方を囲む土塁を含めて全体像を窺う事が出来る状態にある。この地を城跡と断定した上での見所はやはり現在土も流れ出して高さは失われていると思えるが分厚い土塁、良好に残存する土塁虎口、社殿の建つ一際高い位置にある櫓台大土塁といった処になると思われる。

もしブログ読者の方で既にこの城跡遺構を見学して、城跡呼称の確認までされた方が居られるのであれば、是非情報を提供して頂けると有難いのですが、、、

12/1日)お蔭様で外部情報により城跡呼称が判明しました。

3ka 城跡概念図

4a 西より遠望

8_kitakaku_yagura_1 北郭より櫓台壁

11_dorui_koguti 土塁虎口と目に映った

14_yagura 櫓台

15_shukaku_dorui 主郭土塁見所

18_shukaku_minamigawa 主郭南側

20_minami_yori_shukaku 南郭より主郭土塁見所

22_karabori_ato_dorui 当時の空堀に見えた

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