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2009年3月 7日 (土)

周山城跡(京都市右京区)

城跡は京都市右京区京北周山町にあって、町の中心より真西側に聳える標高約480m(比高230m)という険峻極まりない山上最高所に位置している。比高が200mを越えれば自ずと歩行距離も時間も費やすことになり、山上主郭までは途中の郭跡も見学すれば麓からはたっぷり50~60分はかかってしまう。山歩きは楽しめるが先がこれほど長いと山城巡りにおいては決して後の訪問に残さない事が大事であり、体力のあるうちに先に寄った方が色々な箇所を見て回れるような気はする。個人的にも今回は二度目の登山になるが結果的には城域が四方尾根上広くに渡っている事、あるいは見所も多い事から時間もかかり、まだ数箇所に点在する郭跡及び未踏尾根上を残した状況でもあり、全域踏破までには至っていないのが現状なのである。三度目は半日割いて今度こそ自作概念図を仕上げてみたいとは思うのではあるが、中途半端が嫌いな性格とあっては何度目の訪問で仕上がるのか見当が付かないのが現状でもある。

この城跡は明智光秀の築城として余りにも有名であり、同じ石垣を用いた光秀の山城としては丹波金山城を遥かに凌駕する規模を誇っており、もし全石垣が残存していたら総石垣城として名を馳せている但馬竹田城とも比肩しうる戦国期山城である様にも見受けられる。もちろん遺構保全状態は比べるレベルには到達してはいないが、個々の郭壁面(四方尾根上の郭跡も含めた全て)に相当な高さと量で残された石垣跡は崩落寸前の石垣跡と並んで相当見応えのあるもの、無骨に積まれたこれらの石垣跡はむしろ戦国期における臨戦時を物語っているものでもあり、整備されていないこの状態にある方がかえってロマンに浸れそうとも言える。

1route1 登城ルート

3 現地縄張り図

4_tozan_guti 登山口

現状(11月)郭内は植林地であることも幸いして比較的見通しは良いが、風化及び堆積物によって地表が露出していない部分が多く、細部に渡る遺構の判別は中々難しい状況にある。縄張り内においても石垣が崩落している箇所、あるいは風化による地表の凹凸も相俟って曖昧な部分が多く、郭境などの判断は非常に難しい状態でもある。しかしこの城跡に限って言えば、純粋に石垣跡の見応え及び醍醐味だけでも当時に思いを馳せる事が可能でもあり、それで充分納得した山城見学になる様には思われる、、

光秀の残したこの全山総石垣の山城は京都府に存在する改修の施されていない山城としては稀有な存在でもあり、整備さえすれば縄張り妙味も含めて但馬竹田城に充分匹敵するものでもあり、個人的には京都府唯一の戦国期に成立して現在に至る総石垣城として、是非とも保全整備される事を願わずにはいられない。

13_shukaku_e 二の丸より主郭へ

20_shukaku_dorui 主郭土塁

25_tenshudai 主郭内の曖昧な地形

39_takaya_nisi 鷹屋ノ丸西石垣見所

46_koshoumaru_isi 50_koshoumaru_isi 小姓丸石垣見所

43_koshoumaru_yori_nisimaru 郭境の石垣跡

56_nisimaru_koguti 西丸虎口石垣

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コメント

周山城とみて、懐かしくてお便りさせていただきます。15年前の冬には毎週のように通い詰めていました。以下ご存じでしたらご容赦ください。
西方向、黒尾山に続く尾根上には3か所のピークに土築の郭があり、一番西の郭には枡形遺構と思われる物も存在しています。この尾根途中に堀切がありその上の高圧鉄塔の下で3月末から4月の風のない日にはよく寝て(ビールを飲んで)いました。
本丸より北に延びる尾根には「観音堂」呼ばれる郭、二の丸先端より北に延びる尾根にも郭群が存在します。本丸を南斜面を下ったところにも郭が存在します。馬駆場より虎口を出て二の丸下を通つて二の丸虎口に入る道も残っています。本丸のL字型と二本の土塁(地元ではその間の土を埋葬金を探してを掘った伝承がありますが、天端の石垣が生きているのでその可能性は低いと思っています)は矢倉台(天守)の可能性が高いと思っています。本丸西側虎口の内側の四角い穴は従来「井戸(溜池)」と呼ばれていますが虎口を受けている堀ではないかと思っています。本来の井戸は本丸北西直下に石垣構築の立派の物が残っています(友人は天正9年の文献に出ているものと言っています)以上の遺構の状況と、文献には加藤氏、羽柴氏が入っていることが確認されていますので、明智氏時代の遺構がどれだけのものが残っているか疑問視されているのが現状のようです(私には分りませんが)。最近は相変わらず伊賀の城を訪ねていますが最近は、幅を広げて先週、今週「川上氏砦」「山村氏城」「城氏城」「掛田城」「小鴨城」などに行ってきました。先日はトラブル(書き込みは読みましたが、私のコメントは、差し控えさせていただきます。私としましては、前にお知らせしましたように現地を見ての解釈はおのずとから各自の主観に基づくと考えます)ありました様ですが楽しみのさせていただいていますの頑張ってください。

TAKUです、周山城に関しての情報及びコメント有難うございます。
三度目の訪問が何時になるかは分かりませんが是非参考にさせていただきます。周山城に限らず他の城跡全てに共通する事ですが、城跡遺構に関しては色々な方の色々な見解があって当たり前であり、邪馬台国の場所と同様に、これから数十年かかっても相当綿密な発掘作業をしない限り、永久に結果も結論も出ない様には思えます。同じ謎であるなら素直に見たままを感動に結びつける事が一番大事であり、城跡を楽しんで見学するこつであると言う事が、数十年山城巡りをする中で、遺構をある程度判断する目と共にやっと近年分かって来た様に思えます。個人的にも今のスタンスでこれからも自分が感じたままのリアルな山城情報を掲載するつもりです。激励有難うございました。

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