« 丹波金山城跡(兵庫県篠山市) | トップページ | 高瀬城跡(三重県伊賀市) »

2009年3月16日 (月)

恒矢氏城跡(三重県伊賀市)

この城跡は島ヶ原地区大道にあって、先にリポート掲載を終えた清助山城、杉山城とは程近い距離にあり、正月堂を起点にすればルート図の如く東側に進路変更して城跡を目指せばよい、川を渡れば進行する道路方向の左右南北に山に近い丘陵が見えてくるが、さも山城の様に窺える右手の山がこれから向う城跡ではなく、峠に近い場所まで上った概念図に示す左手側が恒矢城跡であり、空き地から直登すればいきなり南郭の土塁が迎えてくれる。尚、前述の山城の様に窺えた右手南丘陵上も後で立ち寄った結果、個人的にも城跡と判断出来る遺構を眼にする事が出来たので、その現況リポートは次で掲載の予定。城跡は名が語る様に恒矢氏の居城と伝わるが詳細は不明

現状(二月)城跡は、下草や雑木に覆われて全体像を窺う事が出来ない主郭内を除けば、それなりに見通しも利くので郭跡、堀切、土塁、櫓台土塁といった主だった遺構群は全て判別確認は容易に出来る状態にある。丘城の多い伊賀にあってはこの城跡もそれに近いものがあるが形態は山城に近く、周囲を巡る高土塁も使用されておらず背後に櫓台の設けられた主郭だけが突出した高低差を以って構築されている。見所は便宜上の二の丸と三の丸境に位置する巨大仕切り土塁、主郭の背後を断つ大堀切と更に北に付随する巨大土塁で、堀切北側の土塁の方は高低差及び分厚さから櫓台としての機能も推察され、見応えのある深い堀切と相俟って更に相当な迫力も醸し出している、中央の仕切り機能を持つ巨大土塁は二の丸側にある虎口の備えである様にも見受けられた。

現状三の丸から南郭に向いては、住宅地側の郭跡切岸が敷地に合わせて不自然な形で削り取られ、更に堀切及び土塁もいきなり西側が不自然に削られた格好となっている為、ある程度近年の宅地造成によって縄張り内は地形改変があったのではないかとも見受けられた。直登到達地点における南郭端の堀切土塁と思われた構造物も造成地の為に削り取られた後の残欠とも見受けられるもので、推察の域は出ないが南側は相当郭遺構が消失している様にも感じられた。しかし現存する遺構だけでも充分当時に思いを馳せることは出来るので、残る遺構から当時の城跡の状態を想像する楽しさも含めれば充分楽しむ事の出来る城跡と言えよう。

1r 登城ルート

4_tozanguti_2 直登口

3 城跡概念図

7_horikiri 南郭堀切見所

9_minami_gawa 三の丸より堀切側

14_2maru_yori_dorui_1 二の丸より巨大土塁見所

18_shukau_nobori_koguti 主郭上り虎口

18_shukaku_2 主郭の現状

20_shukaku_yaguradai 主郭櫓台土塁見所

23_horikiri 北大堀切見所

« 丹波金山城跡(兵庫県篠山市) | トップページ | 高瀬城跡(三重県伊賀市) »

三重県の山城跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1070646/28240759

この記事へのトラックバック一覧です: 恒矢氏城跡(三重県伊賀市):

» ケノーベルGoogle Earth & Map エージェントからリンクのご案内 [ケノーベル Google Earth & Map Agent]
伊賀市エージェント:この記事ダイジェストをGoogle Earth & MAPエージェントに掲載しました。訪問をお待ちしています。 [続きを読む]

« 丹波金山城跡(兵庫県篠山市) | トップページ | 高瀬城跡(三重県伊賀市) »

無料ブログはココログ