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2009年2月 3日 (火)

比熊山城跡(広島県三次市)

広島県三次市三次町上里にあって支城でもある尾関山(尾関山城跡)公園の北側に位置する日隈山(標高332m)の山上が城跡、毛利傘下の武将三吉氏の居城と伝わり、毛利氏の防長転封の際には築城中でありながら廃城となった歴史を辿る戦国後期の山城。

城跡へは中国自動車道「三次」ICが最寄の乗降口、国道375号を北上して市内を通過すれば自ずと国道沿いにある尾関山公園には迷わず辿り着ける。もちろん尾関山自身も城跡なので後で立ち寄ることになるが、先に車は公園内駐車場に停め、登山口となる国道向にある鳳源寺まで歩く、墓地からは一旦東側に向いて歩く形で山道が山上まで通じているので、道に任せれば自ずと20分程度で山上主郭までは辿り着ける。

1_2 登城ルート

4enbou 南より遠望

現状(四月)城跡は植林地となっているので下草も少なく案外見通しは利き、山上における遺構は藪化している東郭群を除けば、ほぼ判別確認可能な状態にあると言ってよい。戦時中は畑地として利用されたと聞くので場所によっては風化と相俟って郭跡は曖昧で、地形も中々読み辛いのが現状でもあるが、郭壁の至る所に石垣跡あるいは崩落石が残っており三吉氏は相当な人員を動員して石垣城を築こうとした事が窺える。実際に完成までは至らなかったと伝わるらしいが、個人的に見る限りにおいては土塁の状態、切岸、あるいは郭跡なども他で見てきた完成された山城と遜色なく、ほぼ城跡は完成まで漕ぎ着けていたのではないかとも思われる。又この山城は居館も兼ねていた様にも見受けられ、広大な千畳敷と称される郭跡は隅に櫓台、東郭境には巨大土塁を備えており、他の北郭群、東郭群を併せた山上における郭占有面積は大名クラスの城跡規模を誇っている。見た目では通常の山城三城分に匹敵するほどの広さであり、いかに三吉氏が大きな勢力であったかを物語るものでもある。

現在遺構として確認出来るのは郭跡を除けば井戸跡、郭における土塁跡、櫓台跡(側壁に石積み跡がある)、石垣跡、枡形虎口跡(相当風化している)などで、石垣城なので縦堀の有無までは確認に至れなかったが山城を形成する上での遺構はほぼ備わっている言ってよいものである。しかしながら戦国後期に標高330m(比高200m)の山上に、ここまで巨大な石垣城を築く発想は西中国では但馬竹田城だけだと思っていたが、この城跡が完成して現在に至っていたら山城の既成概念も少しは変わっていたのではないかと勝手に想像してしまうのである。正しく推奨に値する凄い山城!である。

3_1 城跡概念図

9_higasimaru_ido_ato 東郭群の井戸跡見所

10_higasimaru_dankaku_gun 東段郭群の土塁

18_dorui_haigo 千畳敷大土塁見所

51_dankaku_isi_1 中郭群石垣跡

24_nisimaru_yori_yagura 西郭より櫓台

22_yagura_isi_1 櫓台石垣跡見所

40_nisimaru_yori_hokutou_1 西郭より北郭群

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