奥野部城跡(京都府福知山市)
京都府福知山市奥野部にあって国道9号と和久川の交わる地点の北西側丘陵上が城跡、芦田氏の拠った城跡と伝わっているが詳細は不明
城跡へは国道9号を北上した場合、道路沿いにある大規模なショップ「インテルナモリイ」を目指して進行、城跡は其の西背後の丘陵上にあるので、手前橋から位置を確認すれば橋を越えて直ぐ左折する。後はルート図の如く走り、付近道路空きスペースに路駐、北側の住宅地横をかすめて社殿参拝道に進入すれば、自ずと社殿の建つ南丘陵上の主郭には辿り着ける。
城跡は最初に到達した南城郭群、北側の堀切を境にして別峯山上に位置する北城郭群、更にはその西側山上に位置する西山上郭群でほぼ形成されており、非常に広域に渡って郭の展開がされている規模の大きい城跡と見受けられる。社殿のある南城主郭が城中最大規模を誇っており、状態は一番良く高低差のある切岸、縦堀、堀切遺構などを見て取る事が出来る。北城主郭は南城より少し高所にあり規模は小さいが西側半分には土塁が残存し東斜面には縦土塁を境にして数段の広い屋敷跡が連なっている、鉄塔の建つ西山上郭群には土塁などの明確に判別し易い遺構は存在しないが、明らかに削平された数段の段郭群で形成されており、未踏ではあるが南側尾根上から参拝道近くまで郭が展開されている様にも窺われた。
現状(12月)冬季ではあるが南城北堀切から北山上の北城主郭まではほぼ自然任せの風化中でもあり、満遍なく覆い尽くされる雑木あるいは笹藪で、視認あるいは踏み入り移動するには少し難渋する状態にある。それでも北主郭の土塁などは確認出来たが、更に東側は国道沿い近くまで雑木に覆われており全て踏破するまでには至れなかった。福知山市内における数多い城跡の中でも三峯に跨る規模を持った城跡は少なく、戦国期を物語る史跡としても非常に貴重な城跡と感じられたが、個人所有の山とも見受けられるので、この遺構群を後世まで遺す事はこれから先も非常に困難である様にも感じられた。全体の状態がもう少し良好であれば推奨も出来たのだが、訪問時期(南城は何時でも可、他を見学するのであれば夏季は禁物)も限られるとあれば、中々お薦めとまではいかないのが現状を見る限りの個人的な見解である。
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コメント
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こんにちは
桐村城はもう10年以上前に行ったので、かなり記憶が・・・・・・・
ただもう少し奥だったと思います。
また主郭の回りに畝状とまではいきませんが、
散漫ながら竪堀があった記憶しています。
これも記憶があいまいですが、
桐村城は福知山市史に概要の図面が掲載されていたと思います。
投稿: タカ | 2009年1月23日 (金) 13時39分
TAKUです、早速の情報の御提供有難うございます。
桐村城跡の呼称に関してはブログ内容にもある様に自分としても全く自信が無く、今回は読者の方の訪問情報を頼りに城跡の見当を付けるしか方法は無い状態です。資料を求めようにも福知山までの道程は遠く、しばらくは他の情報提供も待ちながら呼称の確定はして行きたいと思っております。しかしながら本来の桐村城跡と場所が違っているという情報は非常に貴重なもので、呼称確定までに一歩前進したのは確かです。。早速ブログ訂正すると共に、本来の桐村城跡の場所も見当を付けて行こうと思っています。
それから位田古城跡の情報も一緒に有難うございました、未踏に終わった箇所にそれだけの遺構がまだ眠っていたとは驚きでした。付近を通った際には是非再訪したいと思っております。
投稿: TAKU | 2009年1月23日 (金) 22時26分