« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月

2009年1月31日 (土)

琴石山城跡(山口県柳井市)

この城跡は登山客の多く訪れる事でも有名な琴石(コトイシ)山(標高545m)の山上に位置しており、山口県柳井市琴石山にある。案内板による説明が無ければ最初からここをかつての山城として訪れる者は皆無であろうとも思われるが、かつて「事能(コトヨシ)要害」と呼ばれた様に、海岸からは比高も相当なものがあり、山頂からは瀬戸内海側はもちろんの事、四方に眺望が利き、往時においては地の利も活かした要害堅固がそのままあてはまる山城であったように見受けられる。2annai

登山口は数箇所にあるが国道188号沿いにあるJR「柳井港」駅からは北東に一際高く聳える険峻な山塊がそれであり、麓からも直ぐ確認は出来る。ルート図に示すJR「柳井港」駅の東側数10mの地点にある踏切を渡り、ほぼ北側山に向いて車を走らせれば道標もあるので山上近くの駐車場までは迷わず辿り着ける。個人的には山中腹辺りの駐車場からトレッキング気分で山上を目指したかったのだが、天候(降雪)に恵まれず積雪の前に急いで直接車で登る羽目になった。駐車場からは遊歩道も設置されているので数分で山上主郭には到達出来る。現状(一月)積雪のせいで一面真っ白な状態でもあり、細部に渡る遺構の確認までは出来ない状況ではあったが、山上最高所の主郭跡及び東尾根から西尾根に渡って郭跡を確認することが出来た。他では唯一尾根上に空堀(土橋付き)、主郭壁に石垣痕などを確認出来た程度で、室町期に成立した古い形態の山城である為、あるいは多少公園化している状況でもあり多くの残存遺構は望めない状況と言えるものでもあった。

悪天候の条件下ではあったが山上は素晴らしい眺望で、最初から縄張り妙味あるいは遺構には期待出来ない山城であるが、山上は木々の少ないことからも城跡全体像を窺うことが出来、状態も良いので天候さえ良ければ充分な満足感に浸れたとも思える。機会があれば我が故郷からもそう遠くないので、天候の良い日を選んで麓から山歩きを楽しみながら再訪してみたいと思わせる城跡である。

古い形態の山城としては恐らく四季を問わず最高のコンディションが維持されていると見受けられ、登山も楽しめて山城も味わえるこの地方では有数の城跡と言えるのは確かである。尚、城跡に必要以上に遺構を期待してはいけない、存在そのものが充分戦国ロマンの漂う険峻さを誇る山城でもあり、多くの登山客は訪れるが個人的にひっそりと雰囲気を味わうのがベストとも思える、正しく「天空の城」と呼ぶに相応しい山城なのである。

1a 登山ルート

3_11 城跡概念図

4aa 海岸側より城山遠望

10_monomi_kaku 東端物見か

20_sita_horikiri_1 東郭より東尾根堀切

18_dobasi_horikiri_1 堀切土橋

22_higasi_kaku_1 東郭

24_higasikaku_gawa 山頂より東郭側

25_shkaku 山上主郭

26_shukaku_iwa_yagura_2 主郭内の大岩盤

32_zanseki 土留め石か

31_shukaku_yori_nisikaku_gun 山上主郭より西郭群

塩宇山城(山口県大島郡)

この城跡は山口県大島郡周防大島町東安下庄古城地区にあって、港を見渡せる中央の丘陵上に郭を構える港監視用砦とも見受けられ、青木氏の居城と伝わるが詳細は不明。別名「清木山城」

城跡へは山陽自動車道「玖珂」ICが最寄の乗降口、国道437号に進入すればそのまま柳井方面を目指して走り、海岸線に出れば更に大島へは橋を渡らなければならない。大島大橋を渡れば国道はそのまま走り続け「竜崎温泉」を目指せば道標もある事から、分かり易く到達出来るだろう。後はルート図の如く南側の海岸に出れば温泉側の逆に右折し安下庄の港を目指せばよい。港中央から見て北側の丘陵上が城跡にあたりルート図の如く北へ歩き、作業用モノレール沿いに登れば堀切を通過して二の丸に相当する削平地に辿り着ける。

現状(一月)城跡は休耕地となり自然任せの荒れ放題と化しており、直接郭跡を歩いて体感出来るのはほぼ小規模な主郭及び二の丸のみ、他の郭跡は生い茂る矢竹あるいは雑木に阻まれて進入困難な状況にある。外見から視認による判別もし難いが、主郭から南側は一段ほどの郭跡は確認出来、主郭より西側も状態は悪いが切岸処理の確認は出来た。一面笹藪状態である北側にも藪漕ぎしながら削平地は見て取ることが出来たが、付随しているであろう土塁などの遺構は後世において農地化している事を考えれば、現状から判別確認するのは至難の技でもある。

地形からみても丘陵は海岸側に迫り出した形でもあり、当時は主郭南端部はほぼ海に面していたとも想像出来、埋め立てによって現在陸と繋がっている亀島と同様に城跡三方は海に囲まれていたのではないかとも想像出来る。もちろん推察の域は出ないもので、海賊城の様相を呈すこの城跡は残存遺構も少なく更に状態も良いとは言えないが、個人的には港にあるせいか、なぜか風情が感じられロマンの漂う城跡と目には映ったのである。

1route 登城ルート

3 城跡概念図

4_1 港より遠望

4_tozandou 直登ルート

7_horikiri 堀切

8_2maru 二の丸

10_shukaku 主郭

11_shukaku_yori_2maru 主郭より二の丸側

13_shukaku_gawa 主郭東側

2009年1月30日 (金)

小竹氏城跡(三重県伊賀市)

この城跡は三重県伊賀市種生にあって非常に山深い、現在でも当時においても伊賀の中でも辺境の地と言わざるを得ない、隠れ里の如き山奥の更に又山奥に位置している。もちろん小竹氏の居城であるが詳細は不明、しかし伊賀の一士豪にしては似つかわしくない規模の大きい山城でもあり、この辺りは標高は高いとは思われるが現地においては比高は大したものではなく、ほぼ丘城と言っても良い城跡かも知れない。情報皆無に近い城跡でありながら、結果的には自分の予想を遥かに超えた見応えのある素晴らしい遺構群が現地には残存しており、いち早く鮮度の高い城跡の情報を掲載する運びとなった。

城跡へは西名阪道「上野東」ICが最寄の乗降口、国道422号で南下すれば「阿保」交差点より県道39号に進入して更に南下する。後は目印でもある「常楽寺」あるいは「種生神社」をめざして進行し、神社向の道から図に示す直登口まで車で上る。峠切り通し道付近には路駐スペースもあり、そこから取り付けば直ぐ城跡南端に位置する南出郭までは到達出来る。

現状(一月)城跡は低い笹あるいは雑木も相当蔓延ってはいるが、郭内の移動も容易に出来、遺構の判別確認には余り支障は来たさない状況にはある。道路脇から取り付けば直ぐ南出郭の堀切が迎えてくれるが、これは当時のままとも思える素晴らしい状態が自然保持されており、10m下の畑地まで縦堀となって落ち込む様は正に圧巻の一言に尽きるものでもある。この出郭から50~60m先の主郭堀切まで高い切岸を伴う土塁道を通って主郭に向う構造となっているが、主郭は後で訪問リポートを掲載する事になる永井氏城跡の縄張りにも酷似しており、分厚く高低差(内壁最大10m前後)のある巨大土塁は上部に更に櫓台とも見受けられる土塁も備わり、前述の堀切と周囲を取り巻く空堀土塁と併せて城跡最大の見所ともなっている。

主郭の北側堀切を越えれば更に広大な一部切岸の窺われる削平地が北西側に連続しており、城跡の規模を計り知る事が出来るが、この城跡は規模の大小に関係なく現存する遺構の素晴らしさであり、見応えのある遺構群の前には圧倒される事請け合いでもある。伊賀でも更に辺境の地にこれだけの城跡が存在している現実に驚きは隠せないが、現地における状況から考えても生産性の上がる広い水田地域はほとんど見当たらず、統治する領内においても全く利便性の無いこの地を築城地に選んだ事が全く理解出来ないのも現実である。個人的には現在ベストの状態と思える冬季に是非見学してもらいたいと思う、正に推奨に値する城跡と断言出来るものである! 

1route 登城ルート

4 城跡

3ko 城跡概念図

6 直登口

10_horikiri_2 出郭より南大堀切見所

11_minamikaku_dorui_2 南郭大土塁見所

11_minamikaku_dorui 主郭へ土塁道

20_shukaku_2 主郭の現状

18_shukaku_dorui_1 主郭虎口大土塁見所

19_yokobori_yori_kita_kaku_1 主郭北堀切より北郭群

27_kita_kaku 北郭

23_koguti 主郭虎口

2009年1月29日 (木)

萩原城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区淡河町萩原にあって、県道38号を西に向いて走れば目印となる北区役所出張所で左折あるいは次の理容院の角を左折、どちらで進路変更してもルート図の如く走れば城跡へは難なく辿り着ける。道幅が狭いので車の駐車は南郭の廃車トラックの放置されている場所に寄せれば迷惑はかからないとは思われる。ここからは北側に回りこんで虎口跡から直接進入してもよいし、図に示す大堀切より南虎口へ向いて直接上っても直ぐ主郭へは到達可能である。

城跡は有馬氏の居城と伝わり、西側に位置する淡河氏の居城である淡河城とは敵対する立場にあり、三木城攻めの際には秀吉軍に加わり参戦していた模様である。

現状(一月)城跡(主郭)内は冬枯れはしているが、雑木あるいは矢竹によって覆い尽くされているので見通しはかなり利き難い状態にある。流石に周囲を囲む高い土塁の全体像は遠くからは拝めないが、傍に近寄るか土塁上を歩いてみると主郭を一周しているのが分かる。土塁虎口も南北に二箇所残されており、南側虎口を形成する土塁は更に高く櫓台を想像させるものでもある。主郭南大堀切は高さも伴うもので主郭の土塁と並んで城跡の唯一の見所ともなっており、側へは土塁を伴う空堀となって繋がっている。現状ではこの辺りまでが残存している遺構であり、主郭西側及び北側は住宅地あるいは農地として全域が造成されており、城跡遺構はほぼ主郭を残して消失している様にも見受けられた。

城跡としては主郭回りを除けば遺構残存度は非常に低いと見受けられるが、淡河城跡とは車で県道移動数分の距離にあり、更に時間の余裕のある方は天正寺城跡(リポート掲載済)までも足を延ばす事も可能であり、二城あるいは三城同日訪問としても余裕を持って城跡巡りが可能であり、三城の立地環境あるいは歴史なども事前に把握して赴けば、更に城跡巡りの楽しさが増すのではないだろうか。

1route 登城ルート

H_10 主郭北虎口

2ha 城跡概念図

7 道路沿いより大堀切

H_29 大堀切壁見所

H_17 東土塁空堀

H_21 主郭

H_7 主郭北土塁虎口

H_4 H_26主郭南土塁虎口

淡河城跡(兵庫県神戸市)

城跡は兵庫県神戸市北区淡河町淡河にあって、県道38号沿いにある「道の駅」駐車場からは南西側に直ぐ望むことが出来、川を隔てた河岸丘陵上に位置しており、現在では「淡河城跡」として看板の掲げられた小さな矢倉が建てられているのを麓から眼にする事が出来る。淡河氏の居城と伝わるが三木合戦の際には毛利方となる別所氏と並んで豊臣軍に反攻するも滅亡の道を辿る、現在二の丸に相当する一画には淡河氏の廟が建立されている。

城跡へは車は県道38号沿いにある「道の駅」駐車場を借り、ルート図の如く南側から牛舎横を通過して橋を渡れば、遊歩道より矢倉の見える本丸跡までは5分もあれば到達出来る。個人的には今回で三回目を数える訪城(一月)となったが、過去の訪問では時期が悪かったせいもあり本丸内及び外周に備わる水堀跡は草木に覆われており、とても満足の行く見学は出来なかった。しかし今回は内堀南側は草木も伐採されており、堀を仕切る土橋も深さを伴う見応えのある堀跡も、全貌を窺う事が出来る状態(西側は草木に覆われている)になっており、やっと三回目にして初めて本来の水堀を拝む事が出来た。おまけに本丸跡も無駄な草木が伐採されて見通しの利く状態になっており、天守台とされる櫓台までも全体像が見て取れる良い状態に改善されている。

本丸西虎口横から北側麓まで繋がる大空堀は隙間もない竹で覆われているが、現在竹の間引き作業が行われており、これから多少でも見通しが利く状態になるのではないかと、ある程度は想像出来る。現地にある縄張り絵図(当時の)からも広大な規模を誇った城跡だとは見受けられるが、現状城跡遺構として見学出来る状態にあるのは本丸回りだけの遺構と限られており、櫓台、内堀、空堀、淡河墓所南側の堀の一部、二の丸に相当する一部地域、大手道などは当時のままの状態を見学する事が出来る。

県道沿いにある事でお手軽に訪問出来る城跡でもあり、既に訪問された城跡ファンも多いとは思われるが、城跡のベストな状態を味わうのであれば、やはり冬季に訪れるのが一番良いと思われるのはどの山城にも共通した事かも、、、

1route1 登城ルート

7_tozanguti 登城口

1v_3 現地当時の縄張り絵図

O_33 本丸虎口

O_39 本丸より櫓台

O_12 櫓台

O_18 内堀南側見所

O_32 内堀仕切り土橋見所

O_42 本丸西大空堀見所

O_31 淡河氏墓所

2009年1月28日 (水)

亀山城跡(広島県庄原市)

広島県庄原市東城町小奴可(オヌカ)にあってJR小奴可駅からは国道314号を隔てた南西側の丘陵上が城跡、この地方では県指定天然記念物「要害桜」のある事でも有名。城史に関しての詳細は不明

城跡へは中国自動車道を「東城」ICで降りれば国道314号を北上する、そのまま小奴可地区に入れば警察署を目指してルート図の如く進行すれば、付近に「要害桜」の案内も出ているので城跡へは自ずと到達出来る。「要害桜」のある畑地は当時においても城域の一部であるとも見受けられ、そこからは既に堀切あるいは当時のものとも思える石垣跡などが少し見え隠れしているのが見て取れる。

現状(4月)城跡は整備されているので、史跡として一般客の訪れる主郭及び二の丸までは木々も少なく良い状態が保持されている、本来遺構見学をする目的で訪問する者にとっては、少し藪化は進行中ではあるが、主郭から堀切を挟んだ南側の遺構群(屋敷跡)が見学の対象になるものと思われる。此方には土塁、空堀、石垣跡などの遺構が目白押しとなっており、相当地表風化も進行しているので郭境あるいは形状などの判別はし辛くなっているが見所は多く、高さは失われているがうねうねした空堀を伴う土塁、あるいは櫓台とも思える大土塁、まだ深さの残る空堀、郭を形成する石垣跡の一部、三重構造の土塁を伴う空堀などは明確に判別可能でもある。更に南側に向いても丘陵上相当長く繋がっていそうにも見受けられたが、次の予定を考えれば長居は出来ず踏破は断念するに至る。

この城跡に関しては予想を越えた遺構群にも巡り会え、もう少し時間をかけて縄張り全体像が浮かび上がるまで見学したかったのだが、それも出来ずに非常に残念な思いで城跡を後にする事になった。最後に城跡を個人的に評価するとすれば、「主郭南側に位置する屋敷跡の遺構群は、当時を物語る上においては一見の価値に値するものである」と言い切れる。

1route_2 登城ルート

5_nisi_gawa_yori 要害桜と城跡

3_2 城跡外面図

8_daihorikiri_1 北堀切

12_2maru_yori_shukaku_heki 二の丸より主郭切岸

14_shukaku_nai 主郭奥土塁

20_minami_daihorikiri 南大堀切

22_hensoku_3jyuu_horikiri_1 三重空堀見所

27_dorui 屋敷跡の大土塁見所

31_isizumi_2 石垣跡見所

32_karabori 屋敷跡空堀見所

五品嶽城跡(広島県庄原市)

広島県庄原市東城町東城にあって、町の中心から見れば西側に聳える城山の山上から北側山裾に位置する世直神社辺りまでが城跡。本来毛利氏配下であった宮氏の居城とされるが、案内説明板によれば城主の変遷も激しかった模様である

城跡へは最寄となる中国自動車道「東城」ICで降りれば直ぐの距離でもあり、ルート図の如く進行すれば世直神社下の道路沿いに小さな城跡への道標を見つけることが出来る。そこからは西上部に見える世直神社を目指して上り、神社からは直ぐ山側に案内看板も目に留まるので、登山遊歩道を利用すれば山上主郭までは20分内で迷わず辿り着く事が出来る。

現状(4月)城跡における郭跡は下草及び雑木が蔓延り荒れ放題と化しており、移動に難渋する事は無いが、山上主郭以外は見通しも悪く全体像を見渡す事はほぼ無理で、遺構は歩き回って傍まで寄っての判別確認が余儀なくされる状態(県指定史跡にありながらとても醜い状態)にある。それでも山上全域における遺構群はほぼ判別確認は出来、遺構としての高低差を伴う郭切岸郭外周には土塁跡、更に二箇所の井戸跡も現存しており見る者にとっては非常に目を楽しませてくれる山城でもある。毛利氏後に改修をされたと思える主郭櫓台を形成する石垣跡、随所に残る石垣跡などは崩落石も含めて毛利時代のものとして判別可能でもあり、これらからも多くの郭壁は石垣で固められていたとも推察出来る。縄張りにおける個々の郭規模は大きく、山上を覆う郭群だけを見れば狭小な郭などは皆無に等しく、非常に豪快な山城の印象を受ける。これである程度整備がされて遺構群も見て回りやすい状態にあれば、間違いなく推奨出来る城跡としてリポート掲載出来たのだが、現状を窺う限りでは「石垣跡の残るお薦め程度の山城」と言わざるを得ない。ただ状態は悪いが遺構の残存度は非常に高いものがあり、山城としての醍醐味も充分に味わう事が可能でもあり、個人的には満足感に浸ることは出来た。冬季訪問あるいはこれから後に少しでも状態が改善されれば城跡もこの限りではないのかもしれないが、、

1route 登城ルート

3_1_2 城跡概念図

8 登山口

2_2 現地案内板より

10_takaisigaki_1 高石垣見所

13kayanohira 郭跡

16_ido_kaku 井戸跡

31_tukiyama_heki_isi_2 郭壁の石垣跡見所

33_shukaku_nai_2 主郭

34_oku_yaguradai 主郭奥櫓台

36_mawari_isigaki_5 櫓台石垣見所

2009年1月27日 (火)

近津長谷城跡(三重県多気郡)

三重県多気郡多気町長谷にあって城山のほぼ山上に位置する「近長谷寺」の北背後の山の山上が城跡2x

城跡へは伊勢自動車道「勢和多気」ICが乗降口で一般道702号から丹生大師を目指して北上する、丹生大師手前から東に向いて近長谷寺に向う道があるが道標がないので注意が必要であるが、寺院さえ目指して進行すればとりあえず辿り着く事は出来る。道路行き止まりの駐車場からは少し上れば寺院となるが、社殿背後には城跡の案内板及び道標も設置されているのでそれに従えば迷わず山上主郭へは到達出来る。

現状(一月)城跡は山上主郭までは快適に遊歩道で上れるが、周囲は全て雑木笹藪によって覆い尽くされており、当然眺望は全く利かず他の郭跡への移動は難渋を極める状態にある。それでも木々の比較的少ない西側へ下りると土塁を伴う立派な空堀を拝む事が出来、更に周辺には下草で覆われてはいるが郭跡が目に留まる。現状移動及び視認出来る範囲は限られてくるが、主郭北大堀切(外見から判断)側から延びる二本の堀切は、大土塁を頂点として西側へ放射状に縦堀となって豪快に谷まで落ち込んでおり、それに挟まれる形で郭群が形成されているのは見て取れる。この見応えのある遺構も全体像を鮮明に窺う事が出来ないのが少し残念ではあるが、この現状を考えれば仕方のない事か、、

城跡は冬季にも拘らずこの状態であれば、夏季の訪問は絶対に禁物!全体像などを把握する事は当然不可能とも予想される。個人的に訪れた数ある山城の中でも五本の指に入る藪城でもあり、これから先も良い状況に変わるとはとても思えない。しかし一人の山城ファンとしては山上までは遊歩道で上れるのであれば、せめて見通しの利く状態にまでは改善して欲しいと願うのみである。

結果的には城跡全体の恐らく1/3程度しか見て回る事は出来なかったと思われるが、個人的には二本の大堀切によって山城の醍醐味は感じる事が出来たので、期待していなかった分まずまずの訪城と言えるのかも、、、しかし見応えのある堀切画像が残せなかったのが非常に残念な処ではある。

1routo 登城ルート

9_tozanguti 登城口

K_6 主郭土塁虎口

K_8 主郭

K_11 西空堀

K_27 西郭跡

K_20 堀切見所

2009年1月26日 (月)

坂内城跡(三重県松坂市)

城跡は三重県松坂市阪内町脇谷にあって、国道166号を経由して県道29号より阪内川に沿って西に向う。2kmも走れば目指す坂内神社に辿り着けるが、登山口は其の少し手前に「天守、ガイコツ峠」の矢印の入った看板のある場所からであり、車は個人的には路駐したが神社西側の居館跡地とされる「子育て支援センター」の広い敷地に駐車可能だと思われる。1route_2

登城ルート

30_yakata_ato

居館跡地「子育て支援センター」

2a_2 敷地内の案内説明版より

登山口からは道に任せれば15分程度で山上郭群には到達出来 るが、途中に道標などは無いので山道分岐点は山側を目指して上れば良い。現状遊歩道整備中でもあり、何れにしても案内道標は近いうちには設置されるのではないだろうか。

現状(一月)かつて「天守」と呼ばれた山上郭群は城址碑あるいは休憩所も建っており整備されているが、詰城とも呼べる非常に小規模な山上郭であり、南側斜面と西側斜面に小さな郭が付随するだけの山城跡である。遺構としては郭跡、南北斜面には土塁を伴う二重堀切、主郭東壁には石垣跡、登山道中の中腹に小規模な郭跡程度であるが、これだけ急峻な山上斜面に堀切が設けられている事で、多少でも山城の醍醐味に触れる事は出来る。ただ東壁に少し残る石垣跡に関しては非常に古そうに感じられたので、個人的には当時の石垣跡と決め付けたが、過去の調査結果を知らない為に推察の域は出ないものでもある。

見学の際にはくれぐれも麓登山口看板にある「天守」と言う名、あるいは北畠一族の城跡であるという事から過剰に山上郭群を期待してはいけない、前述の様に詰城あるいは物見の機能を担ったと見受けられる小規模な郭群なのである。個人的には予備知識もあり想定内には納まったが、二重堀切及び石垣の存在までは想定外であった為に非常に嬉しい誤算となり、改めて訪ねた甲斐があったと、後で一人で納得するのである。

5tozanguti

登山口

3sa 城跡概念図

12_shukaku 山上主郭

18_isigaki_1s 石垣跡見所

20_nisikaku 西郭

24_kita_horikiri_2 北堀切見所

27_2jyuu_horikiri2_1 南二重堀切の2見所

2009年1月25日 (日)

五箇篠山城跡(三重県多気郡)

三重県多気郡多気町古江にあって、町の中心部を流れる川を隔てて南側に位置する、独立した山塊の山上全域が城跡。野呂氏代々の居城と伝わるが詳細は不明2z

城跡へは伊勢自動車道「勢和多気」ICが最寄の乗降口、そこから国道368号を経由すればルート図の如く進行、迷わず丘陵上に建つ図書館向側の登城口までは辿り着ける。目指す山上郭(主郭)へは公園化されている事からも、遊歩道を上れば5分程度で到達出来る。

最初に到達した木々の無い眺望の利く郭跡が主郭に相当するものと思われ、周囲は土塁で囲まれた跡があり、東側は二重堀切(二重土塁)によってより堅固に構築されている。主郭は北麓道路上からも既に望む事が出来、裸山に近いので当時に思いを馳せる事も容易な状態にあるが、二重堀切を越えて東側は遊歩道によってある程度縄張りは把握可能なものの、北側帯郭内は前面竹林地、東一、二郭内は雑木矢竹密生地と化しており踏破は非常に困難、おまけに地表も見えない状況となっている。もちろん郭内の遺構に限っては視認も出来ないので確認は不能でもある。それでも郭間に施された高低差のある直立に近い切岸及び堀切は状態も良く城跡の最大の見所ともなっており、郭を連続して堀切で分断しただけの単調な縄張りプランではあるが、この山上に掘削された五本の堀切は非常に見応えがあり、主郭の状態の良い土塁と並んで城跡を語る上では一番誇れる遺構群であると目には映った。願わくば状態の良い主郭と同様に東郭跡も木々の伐採を行って、外見から覗いても容易に当時の山城が想像出来る状態にまで整備して欲しいものである。(規模もそれほど大きくはないので、やる気があれば充分可能とは思われる)

しかし他の県指定史跡に認定された山城のことを考えれば、ここまでの状態が保持されているのであれば文句も言えず、山城遺構を後世まで遺そうとする意欲は充分表れているので個人的には非常に好感が持てた。駐車場からも直ぐ上れてお手軽に山城を味わう事が出来、遺構残存度も非常に高いと見受けられるので、間違いなく訪問をお薦め出来る物件の一つと言う事にはなる。

1route 登城ルート

3go 城跡概念図

8 山上へ

16_gedan_yorishukaku_e 主郭南下段

19_shukaku 主郭土塁見所

19_shukaku_2 主郭

24_dorui_higasi_horikiri 二重堀切の1

27_2kaku_horikiri_1 東2郭の堀切

29_2kaku_higasiheki 東2郭切岸

32_higasi_horikiri 東端大堀切見所

2009年1月24日 (土)

神辺城跡(広島県福山市)

広島県福山市神辺町川北にあって国道313号沿いにある「天別豊姫神社」南背後の山の山上が城跡、戦国期以前より城跡は成立しており城主の変遷は激しいが主に毛利一族の居城と伝わる。

城跡へは山陽自動車道「福山東」ICが最寄の乗降口、そこから国道182号を経由して国道313号に針路変更し、国道沿いにある「天別豊姫神社」を目指して進行すればよい。神社交差点を過ぎれば東側数100m地点より右折、ルート図の如く吉野山公園を目指せば城山山上尾根に位置する歴史民俗資料館駐車場までは迷わず辿り着ける。その駐車場も恐らくかつての郭跡の転用とも見受けられ、直ぐ西側には櫓台に見えなくもない土塁と背後には大堀切を見て取る事が出来る。

現状(一月)城跡は整備が行き届いており、山上における郭跡並びに付随する遺構は全て容易に見学出来る状態にあり、遠く外見から城山を望んでも裸山に近く、当時の山城の状態に思いを馳せる事も容易であり、山城としてはこれ以上望めない整備保持状態にあると言ってよいものでもある。城跡に縄張り妙味は求められないが、コンパクト(規模は比較的大きい)にまとまった縄張りは見学し易く、短時間で全域を見て回りやすいので自分の様に遠くから訪れた者にとっては非常に有難い城跡と言える。特筆すべき見応えのある遺構が見当たらないのが難点ではあるが、これも状態の良さでカバーしており、見所を探すとすればまず残存状態の良さ、駐車場西側に備わる大堀切は最初に挙げられる。状態が良いので切岸も当時の状態に近いものを拝む事が出来、全体を通して木々の少ない事からもダイレクトに山城を体感する事が出来る。

戦国期山城を堪能するには持って来いの城跡でもあり、個人的には是非訪問をお薦めしたい山城の一つに挙げられる。

1 登城ルート

3_2 城跡概念図

4_enbou_1 城山遠望

8_kita_gawa_1 資料館側より城山

40_tatebori_ato 東側縦堀

11_yagura_ura_horikiri_1 駐車場西の大堀切見所

22_3maru_yori_2maru_heki 三丸より二丸切岸

23_2maru_yori_nisi_gawa_dankaku 二丸より西側

24_2maru_1 二丸内

28_shukaku_oote_koguti 主郭

31_kita_gedan_ido 北下段の井戸跡

鷲尾山城跡(広島県尾道市)

広島県尾道市木ノ庄町木梨にあって門前集落の北側に聳える険峻な山の山上が」城跡、杉原氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは最寄の山陽自動車道「尾道」ICで降り、そこからは国道184号を経由して一般道158号を北上する。数分も走れば木梨地区に入れ、更に北に向いて進行すれば門前集落よりそれと分かる山が目に入る。後はルート図の如く狭い道になるが山上中腹辺りの駐車場までは車で上れるので、そのまま狭い車道 に従えばよい。駐車場からは道標も設置されているので、登山口辺りまで延びている北端の堀切を確認しながら、山上主郭に至るまでの途中にある数段の小規模な郭跡、井戸跡、あるいは郭壁随所に残存している石垣跡なども確認しながら、20分程度あれば山上主郭までは到達出来る。

現状(一月)城跡は冬季にありながら主郭と一部の郭跡以外はほぼ全域が矢竹薮に覆われており、郭形状あるいは郭内の遺構確認は困難な状態にある。石垣跡などは露出しているので差障り無く判別出来るが、現地案内板縄張り図にあった南郭群、西郭(馬場跡)群は密生する矢竹あるいは雑木に阻まれて踏み入る事も出来ず、見て回れたのは山上郭群のみに終わってしまった。幾つかの箇所には遺構の表示もされており期待が持てたのではあるが、山上の展望所としての値打ちのみに終わっており、戦国期を語る山城としての史跡価値はほぼ忘れ去られている様にも見受けられた。

城跡は山上郭群を見る限りでは規模はさほど大きくない様にも思われたが、郭壁に残る多くの石垣跡あるいは崩落石などからも、山上郭群は周囲をほぼ石垣で堅固に固められてあったかの様にも思われ、当時は石垣城と呼ぶに相応しい要害堅固な山城であったのではないかとも推察される。

多くの地域を代表する山城は展望所としても使用され、登山道も設置されており見学者にとっては非常に有難いのだが、その反面遺構の保存状態にまでは気が行き届いていないのが常で、後世まで遺す必要のある折角の山城遺構がこのまま風化して行くのも非常に残念でもあり勿体無くも思えてくる。

1z 登城ルート

4a 南より城跡遠望

2z_2 現地案内板より

3_1_3 城跡概念図

14_horikiri_2 北堀切

18_kitakaku_hasi_isi 北端郭の石垣跡見所

20_kita_hasi_kaku 北郭群

28_2dan_heki_isi 石垣跡

32_ido_ato_1 井戸跡

33_shukaku_kita_gedan_nisi 規模の大きい石垣跡見所

40_shukaku_nai_1 主郭

2009年1月22日 (木)

奥野部城跡(京都府福知山市)

京都府福知山市奥野部にあって国道9号と和久川の交わる地点の北西側丘陵上が城跡、芦田氏の拠った城跡と伝わっているが詳細は不明

城跡へは国道9号を北上した場合、道路沿いにある大規模なショップ「インテルナモリイ」を目指して進行、城跡は其の西背後の丘陵上にあるので、手前橋から位置を確認すれば橋を越えて直ぐ左折する。後はルート図の如く走り、付近道路空きスペースに路駐、北側の住宅地横をかすめて社殿参拝道に進入すれば、自ずと社殿の建つ南丘陵上の主郭には辿り着ける。

城跡は最初に到達した南城郭群、北側の堀切を境にして別峯山上に位置する北城郭群、更にはその西側山上に位置する西山上郭群でほぼ形成されており、非常に広域に渡って郭の展開がされている規模の大きい城跡と見受けられる。社殿のある南城主郭が城中最大規模を誇っており、状態は一番良く高低差のある切岸、縦堀、堀切遺構などを見て取る事が出来る。北城主郭は南城より少し高所にあり規模は小さいが西側半分には土塁が残存し東斜面には縦土塁を境にして数段の広い屋敷跡が連なっている、鉄塔の建つ西山上郭群には土塁などの明確に判別し易い遺構は存在しないが、明らかに削平された数段の段郭群で形成されており、未踏ではあるが南側尾根上から参拝道近くまで郭が展開されている様にも窺われた。

現状(12月)冬季ではあるが南城北堀切から北山上の北城主郭まではほぼ自然任せの風化中でもあり、満遍なく覆い尽くされる雑木あるいは笹藪で、視認あるいは踏み入り移動するには少し難渋する状態にある。それでも北主郭の土塁などは確認出来たが、更に東側は国道沿い近くまで雑木に覆われており全て踏破するまでには至れなかった。福知山市内における数多い城跡の中でも三峯に跨る規模を持った城跡は少なく、戦国期を物語る史跡としても非常に貴重な城跡と感じられたが、個人所有の山とも見受けられるので、この遺構群を後世まで遺す事はこれから先も非常に困難である様にも感じられた。全体の状態がもう少し良好であれば推奨も出来たのだが、訪問時期(南城は何時でも可、他を見学するのであれば夏季は禁物)も限られるとあれば、中々お薦めとまではいかないのが現状を見る限りの個人的な見解である。

1route_2 登城ルート

6_1 進入路

3o 城跡概念図

8_minamijyou_heki 南城主郭切岸見所

10_koguti_e 虎口跡

11_minami_shukaku_1 南城主郭

17_nisi_heki 主郭西切岸

23_naka_horikiri 中央堀切

26_shukaku_dorui_1 北城土塁見所

30_sanjyou_dankaku 西山上郭群

2009年1月21日 (水)

坂梨城跡(京都府福知山市)

この城跡は福知山市大呂地区に存在する桐村城跡として場所を確定して訪問した訳ではないが、先にリポート掲載に及んだ(仮)川北城跡と同様に無名に近い存在である為に、現地での情報あるいは手元の資料からはこの地が桐村城跡と断定出来る情報は得られなかった。しかし判別確認可能である郭跡、堀切、土塁などからも山上には紛れも無く城跡遺構は残存しており、今回は呼称の確定までは至れなかったが(仮名)桐村東城跡としてリポート掲載に及んだ。

2014年2月 この山城は当時(リポート掲載時の2008年)京都府においては、城跡としての識別呼称はもちろんの事、城郭としての認識もなかった様にも窺われましたが、つい最近京都府在住山城ファンの方から頂戴した信頼出来る情報により、現在では所在地字名が採用されて、坂梨城として識別呼称の付けられた城跡という事が分かりましたので、この場を借りてご報告したいと思います。城跡名は(仮名)桐村東城を改めて坂梨城としましたが、リポート掲載記事は2008年当時のまま据え置いております。

城跡を訪れるには天寧寺を起点とすれば分かり易い位置にあるが、国道9号を福知山市内から北上した場合、「牧」交差点より国道176号に針路変更、そのまましばらく北上すれば下天津駅の表示が道路沿いにあるのでそちらに左折進路変更する。後はルート図の如く登山口である八幡宮を目指し、到着後は其の背後からの尾根を登り切れば、10分程度で山上主郭には辿り着く事が出来る筈である。

現状(12月)城跡はほぼ植林地である為に見通しも比較的良く、移動も容易く、遺構の判別確認は容易に出来る状態にあるが、古い形態の山城でもあり更に自然任せの地表風化がそれに追い討ちをかけており、郭跡は凹凸が激しく相当荒れ放題と化している。それでも前述の主郭の土塁跡、西側の尾根を断つ大堀切は土塁も高低差も伴っており、城跡唯一の見所ともなっており、多少ではあるが満足感を得る事は出来た。しかしこういった情報の無い山城跡は最初から期待も少ないので、探索中に膨らむ期待感あるいは城跡遺構を見つけた時の喜びは大きく、山城巡りの醍醐味が倍増するのは確かなことではある。

1route2 登城ルート

4 城跡遠望

Photo 城跡概念図

6tozanguti 登山口

12_higasi_kaku 東郭群

17_kita_sita_dorui 東郭群斜面の土塁

19_shukaku_dorui_1 主郭土塁

20_shukaku_higasi_kaku 主郭東側

21_nisikaku_dorui_1 西郭土塁

24_nisi_dai_horikiri 大堀切

2009年1月20日 (火)

川北山ヶ市城跡(京都府福知山市)

最初に、この城跡は既にリポート掲載済でもある「高龍寺城」関連から、個人的に西側「川北」付近に城跡の目星を付けて探索中に偶然巡り会う事が出来たのだが、小規模でありながらも郭跡、郭切岸処理、土塁などの明確な城跡遺構が残存しており、城跡としての情報は皆無に等しいが、隠れた城跡として是非この城跡の存在を知って欲しいが為に今回は、仮名「川北城跡」として掲載に及ぶ事となった。

(2010.4/4) この度、信頼出来る外部からの情報により、この城跡遺構は「山ヶ市城」の呼称を持った城跡である事が判明しました。

城跡へは福知山市内より北側を東西に走る県道74号より向う、川北集落に入れば県道沿いにある簡易郵便局の交差点から北側に望める丘陵がそれであり、直ぐ場所の確認は出来る。、後はルート図の如く川沿いに進路変更し、社殿参拝道を利用すれば主郭までは5分内で辿り着ける。(神社参拝進入口付近には小型車であれば一台駐車可能)

城跡は小さな社殿の建つ場所が主郭櫓台と見受けられ、南に向いて段郭群、北側は尾根沿い東側に土塁を伴った郭跡が確認出来る。この土塁は郭仕切り土塁、あるいは防備としても一役買っていそうに思えるもので、雑木藪の中ではあるが良い状態のまま自然保持されている。これは他に技巧的な遺構の見当たらない城跡にあっては唯一の見所と言えるものでもある。現状(12月)城跡は冬季にも拘らず主郭回りを除いては相当雑木あるいは竹が蔓延り、外見から全体像を窺う事はほぼ無理な状態にあるが、郭内に踏み入れば郭形状、土塁などは確認する事は出来る。

藪化進行中とはいえコンパクトな城跡なので全体の縄張りを把握する事は容易でもあり、県道からも数分で訪問出来る距離にあるのでお手軽感は強く、周辺移動中に立ち寄る程度の事であれば、充分納得して見学出来る城跡と言えるのではないだろうか。

1route 登城ルート

5tozanguti 参拝道進入口

3ka 城跡概念図

K_1 主郭櫓台

K_16 櫓台下段

K_15 南段郭群

K_14 主郭西土塁郭

K_4 東より主郭側

K_7 東郭の土塁

2009年1月19日 (月)

東下城跡(兵庫県神戸市)

城跡は神戸市北区山田町東下にあって、別名「山田城」とも呼ばれ山田氏の居城と伝わるが詳細は不明。

近畿圏内ではもちろん神戸市内に居を構える城跡ファンでさえ聞いた覚えのない山城と見受けられるが、今回地図上からも場所はここ以外考えられないとして、見切り発車状態にはなったが個人的には自信を持って臨んだ。結果的に城跡は事前予想通りの山上に位置しており、期待をしていなかった分、予想を遥かに上回る残存度の高い遺構群に巡り会う事が出来た。年間を通して何人の山城ファンが訪れたのか想像出来るぐらいの山城なので相当藪化は進行しているが、現状(一月)多少移動に難渋するぐらいで、単調な縄張りの全体像を把握する事はほぼ可能な状態でもあり、その結果として今回鮮度の高い城跡の情報を掲載する事が出来た。

城跡へは県道85号を西に向いて走ればほぼルート図の如く東下集会所を目指して進行すればよい、集会所の隣山側には小さな公園があるのでそこに駐車させてもらい、更に概念図に示す通りに山に向う。進入口としては図に示す三箇所が可能であり、池傍から直登すれば5分程度で山上郭群に辿り着けるが、池を越えて更に歩けばカーブミラーがあり、そこから尾根に沿うか、あるいは畑地まで上ってその背後から尾根に沿って上っても、山上までは方向さえ間違えなければ難なく辿り着ける。個人的には矢竹に覆われた池傍(図に示す)から直登して下山に畑地を通過して下りたが、このルートの方が効率良く見て回れそうには思われる。

1route_2 登城ルート

5 池より城跡

7_gezanguti 進入路

3hi 城跡概念図

現状城跡は落葉樹の多い事から枯れ木が多く、郭内の移動に余り差障りはない。風化藪化共に相当進行している状態にはあるが、相当埋もれている堀切なども明確に見て取る事が出来、主郭内部も未だにほぼ平坦な削平地が自然保持されており、山上における遺構(土塁跡、堀切、切岸跡)群は全て判別確認可能でもある。特筆すべき見応えのある遺構が存在しないのが少し残念な処ではあるが、付近傍まで住宅地あるいは農地が迫っている事を考えれば、よくぞここまで自然保持されたものである。恐らく個人所有の城山である為に縄張りも当時の手付かずのままが残され、形態もほぼ変わらずそのまま数百年の時を経たものと察せられるが、この遺構残存度(ほぼ完存)を見る限りでは賞賛に値する山城である。神戸から三田にかけての山城としては滝山城跡あるいは桑原(大浪山)城跡に匹敵するぐらいの残存度の高い山城と言えよう。限りなく無名に近い山城ではあるが、個人的には是非訪問をお薦めしたい城跡の一つである。(夏季訪問は避けるべし!)

10_nisi_3dankaku_gun 西三段郭群

14_horikiri 15_horikiri_minami_sita_yori 堀切

16_2maru_dorui 二の丸土塁

22_shukaku_1 主郭

30_minamikaku_gun_horikiri_e 南郭群

31_minami_horikiri_1 南郭群堀切

2009年1月18日 (日)

一部城跡(兵庫県養父市)

城跡は兵庫県養父市八鹿町八鹿にあって、県道6号を走ればその道路沿いにある「コープこうべ」を目印にして進行すれば分かり易い。「コープこうべ」からは入り口より道を隔てた向側の細い道路に進入すれば、行き止まりでもある玉島神社には直ぐに辿り着ける。敷地は駐車可能となっており、そこから目指す城跡の位置だけ確認すればルート図の如く東側から墓地経由で城跡を目指せばよい。墓地側から南側は直ぐ城跡でもあり当時は堀切が備わっていた様にも見受けられる。尚、城史に関しての詳細は不明

現状(12月)城跡は進入口周辺から南側の二連の堀切までは雑木が蔓延ってはいるが、主郭から南側の郭跡はまだマシでもあり、遺構の判別確認にはさほど差障りはない状態にある。遺構として現存しているのは郭跡以外では相当埋もれてはいるが二連の堀切とそれに付随する土塁、上り土塁、縦堀と行ったところで、特筆すべき遺構群は見当たらない、ただ個人的に見て感じられた事は、小規模でありながらも切岸、堀切群から窺われるように、本格的な普請が行われている様にも見受けられ、街道監視としても大変重要な城であった様には思われる。

規模も小さいので全体を見て回ってもそんなに時間を要する事もなく、墓地を南に越えれば直ぐ城跡でもあり、更に縄張りも容易に把握出来る事からも非常にお手軽と言える城跡ではある。城跡の機能から考えれば北西側の山上には別の城跡(未訪)があるらしく、その枝尾根先端に位置するこの城跡は、案外その出郭の可能性もあるとは思われる。

1route 登城ルート

4 神社側より遠望

3iti 城跡概念図

6tozanguti 城跡進入口

7_kita_karabori_dorui 北堀切土塁

11_shukaku 主郭

12_minami_gedan_1 南下段郭

13_gedan_yori_shukaku_heki 主郭切岸

15_higasi_gedan_dorui 東郭土塁と主郭切岸

16_higasi_obi 東帯郭

2009年1月17日 (土)

小田城跡(広島県東広島市)

城跡は広島県東広島市河内町小田にあり、毛利を支えた小早川氏の分家でもある椋梨氏一族の城跡で、最後の城主として小田氏の居城が伝わる。

城跡へは小田集落に入れば郵便局から保育園傍を通り、ルート図の如く突き当りを左折して城跡を目指せばよいが、車道沿いの城跡進入口となる場所には道標が設置されており、すぐ北側に目に留まる墓地側に上る。道標は無いが北奥側に位置する墓地背後からは左手に進路を変えて更に上ると郭南壁に大石垣のある郭跡、更に空堀道を通過すれば大手虎口とも見受けられる石垣跡までは到達出来る。門石手前には既に大堀切も窺う事が出来、そのまま直進すれば左手に郭跡更に主郭北背後の大堀切まで到達出来る。主郭へは途中から右手に上る山道があるのでそれに従えば山上の三の丸から主郭まで一気に見学可能である。

現状(4月)城跡の山上郭群以外は、郭内に踏み入るのを躊躇するほどの密生雑木藪となっており、外見からの視認も困難、ましてや郭内の移動はほぼ無理な状態にある。それでも道中より郭を形成する大石垣跡の確認は出来たが、郭内の奥までは侵入出来ないので郭形状などは外見からの推察に終わってしまった。山上三郭においては木々も少ないので見通しも良く、郭壁の石垣痕、井戸跡、土塁などは明確に見て取る事が出来た。城跡の見所としては規模は小さいが毛利氏特有の石積み跡(赤松氏に近い)で、野面積みに近いが特に大石を多用した石垣跡はすぐにそれと分かるもので、西中国の城跡には特に多く窺われ、現在でも城跡西側の農作地辺りにも名残として残っている。

城跡の規模は小さく縄張り妙味もさほど感じられず、状態も良くないので推奨とまでは行かないが、石垣の残存する城跡としては見学には充分値する城跡と感じられた。

1_1a 登城ルート

2_1 現地案内板より

Enbou 城跡遠望

3_1x 城跡概念図

10_ooisigaki_1 南郭群大石垣見所

11_dorui_dou 空堀登城道

14 虎口石垣跡見所

22_3maru_yori_2maru_heki_1 三の丸より主郭側

30_shukaku_yori_2_3maru 山上三郭

2maru_yori_shukuruwa 二の丸より主郭

三丘嶽城跡(山口県周南市)

山口県周南市熊毛町広末集落にあって、貞昌寺より山陽自動車道を挟んで北に聳える険峻な山容である三丘城山の山上が城跡、城史に関しての詳細は不明

我が故郷からそう遠くない場所にありながら何年も訪ねる機会が無かったが、今回やっと訪問する事がかなった。城跡へは登山口が数箇所あるらしいが山陽自動車道「熊毛」ICを降りると一般道144号より貞昌寺を目指して行くのが一番分かり易いと思われる、ルート図の如く集落に入ればまず西側へ橋を渡れば既に山塊は見えているので正面にある案内板で登山口を確認すれば、迷わず登山口駐車場までは到達出来る。

外見から窺えるようにこの城山の山頂に辿り着くまでは非常に厳しい上り斜面との格闘になるが、現状まだ九月ということもあって木々は青々と生い茂り、蜘蛛の巣を掃いながらの進軍を余儀なくされ、体に倍の疲れを感じながらやっと南端に位置する自然岩を取り込んだ物見郭跡に辿り着く事が出来た(約40分は要した)。

城跡は山上全域がほぼ雑木藪と化しており、移動はある程度出来るが郭内部の視認は藪によって中々難渋する状態になっている。それでも山上における遺構となる自然巨石を取り込んで形成された郭跡、郭切岸、郭壁の石垣跡などは充分判別確認する事が出来た。これだけ険峻極まりない山上にありながらも物見程度の城跡に収まらず規模は比較的大きく(総全長100m近い)、技巧を必要としない崖状急斜面あるいは石垣によって山上主郭周囲は固められていたとも見受けられる。

城跡最大の見所となるのは南端物見郭の手前数mに渡って築かれた残存状態の良い石垣跡で、この往時に思いを馳せることの出来る遺構を眺めるだけで、全ての疲れが一掃される様でもあった。それにしても巨石を以って防壁あるいは土塁代わりとしたこの山城の様相は戦国期ならではのもので、まるで天険の要塞の如しである。

Photo 登城ルート

4 南より城跡遠望

Photo_2 城跡概念図

11_ooiwa_koguti_ka 虎口風自然巨石

12_temae_isigaki 物見手前の石垣跡見所

16 南端物見郭跡

22_gedan2_kyoseki_heki_1 三の丸巨石壁見所

27 二の丸

28_shukaku_minami_sita_isi 主郭南壁の石垣跡見所

30_kyoseki_haigo 主郭の巨石壁

地形図から推察される様に山上郭から北東側尾根にも郭の展開は予想されたが、現状の全域藪化状態を考えれば更に尾根に降りてまで踏破する気にはなれなかった。未踏地は残したが城跡を個人評価した場合「藪化はしてはいるが手付かずの遺構の残存度は高く、これぞ戦国期山城である!」と声高らかに連呼出来る城跡と言える。

2009年1月16日 (金)

向山城跡(兵庫県朝来市)

兵庫県朝来市山東町新堂にあって、集落より国道9号及び山陰本線を挟んだ南側に位置するほぼ独立した山塊の山上が城跡。位置関係からも磯部城あるいは城跡南西側に位置する滝野城の支城の様にも見受けられるが、佐藤氏の居城を伝えるのみで詳細は不明

城跡へは国道9号を走ればほぼルート図の如く進行、直登口となる線路横周辺は空きスペースもあり路駐可能となっており、写真に示す辺りより山上に向いて上れば、急斜面ではあるが10分程度で城跡東端の堀切には辿り着ける。西側からも尾根伝いに上れるが、45度に近い急斜面でもあり距離も長く、更に踏み切りの無い線路を横切る事にもなるので余りお薦めは出来ない(下山時は使用したが、、)

現状(12月)城跡は木々も少なく見通しは非常に良いが、地表は低い笹によって覆い尽くされており、郭内部における微妙な地形は感じ取り難い状態にある。それでも全体像は掴み易く、郭群を分断する五本の堀切及び直立に近い高低差のある切岸などは城跡の最大の見所ともなっている。郭を連結させただけの直線的で単調な縄張りプランなので、山城の持つ醍醐味は余り感じられないが、山上は急峻でもあり堀切を形成する切岸は高さもあるので非常に見応えを感じる事は出来る。郭壁周辺は急斜面でもあり低木下草が蔓延っている為に、縦堀の有無までは確認できなかったが、城跡における堀切の多用から考えても、縦堀は当然設けられていると解釈しても良さそうには思われる。

個人的には予想を上回る事は無かったが、期待していた通りの山城でもあり満足の行く訪城と言えるものにはなった。

1route_3 登城ルート

5tozanguti 直登進入口

3mu 城跡概念図

10_higasi_kaku_gun_3 東郭群

11_dai_horikiri 主郭東大堀切見所

12_shukaku_heki 堀切側の主郭切岸見所

14_shukaku_1 主郭

20nisi_horikiri 西堀切壁見所

20nisi_horikiri_1 西大堀切

21_nisikaku2 西郭群

22_nisikaku2_horikiriheki_1 西郭堀切壁

2009年1月15日 (木)

軽部城跡(兵庫県養父市)

兵庫県養父市養父町上野にあって、国道312号と国道9号の交わる交差点の西側に位置する独立した丘陵上が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは国道9号を走れば「上野北」信号交差点を西に進路変更、城跡は既に国道からも望める位置にあるので確認すればルート図の如く、但馬魚市場の西側より南側の進入口となる山道まで少し歩けばよい、駐車は周辺空きスペースに路駐可能であるが、南側には広い空き地も見られたので直接そちらに乗り付けても良かったのかも知れない。(個人的には個人所有地の可能性もあるので路駐したが、、)

現状(12月)城跡は下草は満遍なく蔓延ってはいるが、冬枯れのせいもあり特別移動に難渋する事もなく、ある程度見通しも利くので南北に連なる郭群及び郭間四箇所の堀切は明確に見て取ることが出来る状態にはある、ただ図中における主郭は地表が見えないほどの草木に覆われているので外見から内部を窺うのみで、とても踏み入る状態にはないのが現状でもある。城跡を外見から判断しただけではただの低い丘陵としか目には映らず、削平地のみで堀切などがあるとは思われなかったが、状態が悪いのにも拘らず見事な堀切が備わっているのには驚くばかりであった。主郭北に備わる二本の堀切は何れも高低差はさほど無いものの、東壁はいきなり絶壁状態でもあり非常に見応えは感じられたが、近世において削り取られた感(個人的に郭の形状に少し不自然さを感じる)もあるので、この現状だけを見て素直に凄いと感じるしかない状況にある。

個人的にも国道を移動中に立ち寄った程度の城跡なので何も期待していなかったが、意外にも堀切遺構は残存しており、嬉しい誤算を含めて満足感は味わう事が出来た。5分程度でお手軽に訪問出来る城跡ではあるが、現状を窺う限りにおいては夏季の訪城は避けた方が良いとは思われる。

1route_2 登城ルート

4_1 北より城跡遠望

3karu 城跡概念図

6tozanguti_2 進入口

10_3maru_gawa 二の丸より三の丸側

14_dai_horikiri_1 中央堀切見所

16_shukaku_1 主郭内部

17_yagura 櫓台か

19_shukaku_kita_horikiri 主郭北堀切

22_kita_hasi_kaku 北端の郭

2009年1月14日 (水)

一ノ宮竹石城跡(京都府福知山市)

京都府福知山市一ノ宮町竹石にあって、竹石集落より南東側国道に向いて伸びた丘陵上が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは福知山市内より国道9号を経由し国道426号を北上して一ノ宮町に向う。集落周辺に到着すれば国道沿いに、写真に示す「里の駅」と書かれた大きな看板が目に留まるので、手前よりルート図の如く集落に向う狭い道路に左折する、そのままほぼ赤線ルート図の如く走れば城跡周辺には路駐も可能であり、南東側に竹林を確認次第その方角にある農作地の畦道より進入、直ぐに規模の大きい主郭(現状休耕地)が迎えてくれる事になる。

城跡に関しては偶然付近で出くわした土地の所有者より事前に話を伺う事が出来、石垣跡のある事、あるいは空堀の残存する事、市より一度調査があった事などの情報を得る事が出来たが、城史に関してまでは御存知無い様であった。

現状(12月)城跡は広い主郭以外はほぼ雑木竹林地と化しており、更に下草も蔓延りとても見学し易い状態では無いが、残存遺構としての竹林地の中の郭跡、あるいは見所でもある三本の堀切、石垣跡と全て判別確認は出来る状態にはある。中でも概念図に示す箇所の堀切壁に残る石積み跡、その堀切東側の郭壁に残る幅5~6mに渡る二段の石垣は、当時堀切壁及び郭壁は石垣で構築されてあったと判断出来るものでもあり、当時に思いを馳せる事も容易となっている。堀切も自然風化及び倒木などで決して状態が良いとは言えないが、一番肝心な主郭回りに堀切、石垣跡などの遺構が集中して現存しているのにはただ驚くばかりであり、集落周辺が農地として地形改変が行われた中、よくぞここまで残っていたと感心するばかりでもある。主郭回りの手付かずの遺構群に関しては、折角ここまで自然保持されたのであれば、これから先も是非この状態のままで遺して欲しいと願わずにはいられない。尚、川を挟んだ南西側の広大な丘陵地(現状農作地)は当時の馬場跡でもあるらしい。

限りなく無名に近い城跡ではあるが、三本の堀切と残存する石垣跡は当時の本格的な普請を想像させるものでもあり、充分見学に値する遺構であると自分の目には映った。国道426号沿いからも城跡は望める位置にあり、移動の際に立ち寄っても時間の無駄には決してならないものと思われる。

1route_2 登城ルート

4 城跡進入路

3 城跡概念図

12_shukaku 主郭

15_shukaku_minami_horikiri_1 主郭堀切見所

24_higasi_gedan_1 堀切東郭

25_gedan_isigaki_1 25_gedan_isigaki_3 東郭壁の石垣跡見所

21_horikiri 出郭堀切見所

11_nisi_dan_1 西側の郭群

27_minami_gawa_baba_2 南丘陵上の馬場跡

2009年1月13日 (火)

楢崎城跡(広島県府中市)

広島県府中市久佐町にあって安全寺背後より東側に延びる尾根先端部が城跡、毛利旗下の武将として活躍した国人楢崎氏の居城

城跡へは府中市内からであれば国道486号を利用し北上、県道24号に入り更に県道56号に進路を変え久佐町にある安全寺を目指せば分かり易い、到着後はルート図の如く寺院背後に備わる登山道で迷わず山上主郭には辿り着ける。

登城開始となる寺院背後の登山道よりすぐ北側には数段に及ぶ古い石垣群が眼に留まり、屋敷跡を想像させるが築造の時代背景までは判別は不能である、ここを通り過ぎて道に任せて進むと数分で北側の尾根を分断する大堀切に出くわすが、これは残存状態も良く更に高さもあるので中々見応えがある。ここからは登山道を通らず直接崖状北斜面に取り付いて上るが、予想通り更に二連からなる堀切及び土塁が設けられていた。この遺構に満足感を覚えながら斜面を登り切ると山上主郭に辿り着くが、規模は大きく社殿のある事から整備されており眺望も効き、尚且つ小さな櫓台周囲を取り囲む石垣跡、更には主郭南側虎口横にも残存石垣跡を眼にする事が出来た。主郭を一周した訳ではないが恐らく当時は石垣によって周囲は固められていたのではないかとも想像させられる。

城跡は山上にほぼ四段の郭を並べ形成されただけで縄張り妙味には期待出来ないが三連の堀切、石垣遺構の他に石組み井戸跡、畝状縦堀などの見所も多く意外に見る者を飽きさせない。現状畝堀は西斜面で確認したが恐らく未踏地である東側斜面にも備わっているのではないかと推察される、更に地形から察する処、まだ東尾根にも縄張りは延びているようにも思われたが、冬季である現在(一月)でも主郭東側は枯れ木及び常緑樹に覆われており踏破は断念するに至る。

情報資料などによって石垣跡は予想していたが他の遺構群も素晴らしく、想定外の事でもあり思わぬ感動に浸りながら城跡を後にした。残存状態が良く遺構残存度も高いので個人的には推奨できる山城の一つである

1z 登城ルート

4_enbou1 西より城跡遠望

3nara 城跡概念図

12_tera_kita_gawa_ysiki_isi_4 寺院北側の石垣跡

23_kita_daihorikiri 北大堀切見所

25_shukaku 山上主郭

30_yagura_shuui_isi_2 櫓台周囲の石垣跡

34_koguti_heki_isi_1 南虎口の石垣跡見所

36_2maru_ido_isi石組み井戸跡見所

41_gedan_ooisizumi 南最下段の大石積み

鏡山城跡(広島県東広島市)

広島県東広島市西条町鏡山にあって鏡山公園内に聳える山の山上が城跡、最初の築城は大内氏によるものであるが尼子氏との抗争により城主の変遷の激しい山城である。

城跡へは山陽自動車道「西条」が最寄のICで、そこから国道375号を南下し国道2号を越える。広大な規模でもあるサイエンスパークを目指せば自ずと北西に位置する鏡山も確認出来、道路沿い登山口までは難なく辿り着ける。

現状(12月)城跡は公園としての整備も行き届き、冬季でもある事から見通しも良く、規模も大型ではないので山上における遺構群は全て判別確認が容易に出来る状態にある。道路沿いの案内板から上ればすぐに郭跡と確認出来る平坦地及び土塁が目に留まり、ここから更に上れば南郭群を通過しながら連続縦堀、三の丸、二の丸を経て山上主郭までは到達出来るが、郭壁は自然岩を取り込んで形成された箇所、あるいは部分的に石垣跡も窺う事も出来、崩落石の多いことからも石垣が相当多用されていた城跡とも想像出来る。井戸跡も山城にしては珍しく数箇所の郭跡に残っており、当時山上には居住空間が存在した事を物語っている。城跡は見所も多く、登山口郭跡から始まって連続縦堀、西尾根を断つ二重堀切、主郭石列、井戸跡、高低差のある切岸、更に整備の行き届いた郭跡まで満遍なく見て楽しむ事が出来、状態が良いので当時に思いを馳せる事も容易であり、戦国期山城を体感し堪能するにはこれ以上は望めない城跡とも感じられた。まだ中国地方においては数多くの山城を訪問した訳ではないので他とは比べられないが、恐らくこれ以上の状態の良い山城には中々巡り会えそうにも無い気がする。比高100mにも満たない山城ではあるが山上は非常に急峻でもあり、常に自分が追い求める「天空の城」と呼ぶに相応しいイメージの山城と目には映った。

山陽自動車道を降りて数分程度走ればで訪れる事が出来、仮に途中下車したとしても決して期待を裏切られるとは思われず、満足感に浸れる事請け合いの推奨出来る山城の一つである。

1_1 登城ルート

2xx 城跡概念図

14une_tatebiri 連続縦堀見所

21ootekoguti_kaku 大手虎口郭

23_3kaku_baba_1 三郭

38_nisikaku_horikiri 西二重堀切見所

43_kitakaku_gun_1 北郭群

46_sitadaba_nai_2 下のダバ

28_nakadaba_nai 26_nakadaba_2maru_1 二郭(中ダバ)

30_yaguradai 奥主郭

2009年1月12日 (月)

土田観音山城跡(兵庫県朝来市)

この城跡は戦国期における大田垣氏の居城を伝えるのみで情報は皆無に等しく、他の但馬地方の城跡と同様に今回も場所を確定出来ぬままの訪問となったが、幸運にも地図上から想定した通りの場所に位置しており、無難に山上主郭までは辿り着く事が出来た。

結果的にこの城跡は自分の予想を遥かに上回る規模と遺構残存度を誇っており、これまでこの城跡に関しての情報が無かった事が不思議で仕方が無い(もちろん但馬史の中には登場していて既に調査されていたとも思われるが、、)ほどのものである。個人的にはこういった城跡は戦国期を物語る史跡として後世まで遺して欲しいし、この素晴らしい遺構群が見学の対象になれば、いずれにしても町起こしにも繋がるので、一人の山城ファンとしては切にそれを望むところでもある。決して期待は裏切らない正に推奨に値する山城と言えるものである。

城跡は兵庫県朝来市和田山町土田(ハンダ)にあって、国道9号にほぼ面している西側山上に位置しており、「ローソン」駐車場からは国道を挟んで西側を望めば既に見えており位置確認は直ぐ出来る。後は国道沿いにあるGS「ジョモ」を越えて直ぐ川沿いを西側に走り登山口となる神社に向う。神社からはルート図の如く山裾を巻く細い山道を通り、伐採の行われた段郭群まで少し歩き、そこから直登すれば堀切の備わる出郭、あるいは居館跡とも見受けられる規模の大きい山中腹郭群には難なく辿り着ける。更に西側へ東尾根段郭群を経由して上れば自ずと山上主郭までは到達出来る。(個人的には神社側から直登して東尾根より下山したが、その逆の方が上り易いし分かり易い)

城跡はとにかく城域が広い為に、自作概念図に示される縄張りを全て見て回るにはかなりの時間も要すが、見て回る分には期待も膨らみ更に楽しみが増すのも現実である。山上最高所に位置するのが主郭櫓台と見受けられ、それほど規模は大きくはないがそこを頂点として更に南山手側、北側尾根、直登口にあたる東尾根側へと隙間無く郭群が連なっており、数箇所の堀切で以って山上郭群は分断されている。状態は自然に任せた荒れ放題でもあり決して良いとは言えないが、一部は植林地あるいは冬季ともあって雑木密生地は少なく、山上から中腹に至るまでの遺構群はほぼ判別確認は可能、縄張りも容易に把握出来る状態にはある。特別これが凄いと言った技巧的な遺構は無いが、手入れのされていない無名に近い山城において、ここまで当時のままの縄張りが自然保持されているのは驚異でもあり、これが城跡最大の見所と言うべきものでもある。語れば限が無いが但馬地方に赴かれた際には是非一度訪ねて欲しいと思う山城の一つである。

Handa 登城ルート

4 城跡遠望

Photo 城跡概念図

5_tozanguti 登山口となる神社

46_horikiri_gawa_1a 東出郭群奥堀切見所

39_horikiri 東出郭大堀切見所

40_horikiri_one_gawa 堀切より尾根上郭

8_kita_demaru 北出郭と堀切見所

16_2maru_yori_shukaku 主郭側

20_minami_gawa_daidorui_1 主郭南側下の大土塁見所

21_dorui_sita_horikiri_1 南堀切見所

2009年1月11日 (日)

筒江城跡(兵庫県朝来市)

この城跡は兵庫県朝来市和田山町筒江にあって、丘陵上に位置している事からも館城の性格が窺われ、ほぼ主要二郭で形成される分においては縄張り妙味には余り期待出来ないが、それを補って余りある遺構残存度の高さ、直立に近い切岸及び空堀の見応えなどは抜群でもあり、外見から城跡を窺う以上の醍醐味を感じ取る事が出来る。知名度も無いに等しく相当マイナーな城跡ではあるが、国道からも寄り道程度で訪問出来るのでお手軽でもあり、個人的には是非訪問をお薦め出来る物件でもある。

城跡へは国道312号を走れば「加都北」交差点で東側に針路変更、後はルート図の如く城跡目指して向えば難なく辿り着ける。城跡は丘陵上にあるので進入口としてはどこから取り付いても直ぐ主郭に到達出来るように思えるが、周囲は直立に近い切岸と深い笹藪に遮られ、写真に示す南端の民家の間の細い道から向うのがベストな選択だと思える。

現状(12月)城跡は状態も良い部類に入り、北側の密生する雑木笹藪地を除いては視認及び移動にも差障り無く、現存する遺構はほぼ判別確認可能な状態にある。中でも主郭と副郭を繋ぐ上り土橋それに付随する空堀、主郭北側の大土塁を伴う大空堀などは残存状態も良く、高低差を誇る切岸と並んで当時に思いを馳せる事も容易となっている。もちろん城跡最大の見所とも言えるもので、規模の大きい二郭と併せた城跡は予想した以上に見応えがあり、日も暮れそうな時分に立ち寄った為に足元が見え難くなるのも忘れて、何度も遺構回りを行ったり来たり繰り返してしまったほどである。お陰で画像も鮮明さが失われており、遺構の説得力には少し欠けてしまってはいるが、冒頭に述べた様に戦国期を物語る残存遺構には素晴らしいものがあり、国道の移動ついでに寄れば決して期待は裏切らない城跡と断言出来るものでもある。

しかしながら但馬地方における城跡の郭切岸の高さ、状態の良さはどれも半端なものではなく、縄張りプランあるいは保持されて来た自然環境によるものとは思われるが、現在でも当時の切岸を再現したかの様にも窺われ、しかも相当明確に残っているので何時もの事ながら感動を覚えてしまう。

1route 登城ルート

6tozanguti 南端の進入口

3tu 城跡概念図

7tojyou_dorui 堀切へ

10_horikiri_dobasi_2 主郭へ上り土橋見所

13_horikiri_yori_fuku 堀切より副郭

22_fukukaku_horikiri 堀切見所

15_shukaku 主郭

23_kita_karahori_3 23_kita_karahori_4 北堀切土塁見所

2009年1月10日 (土)

高城跡(三重県松坂市)

城跡は三重県松坂市大阿坂町にあって、ルート図の如く県道58号より農機具店の南側数10mより西に向う細い道路に進入、後は西側の大池までそのまま向かえば池そばの空きスペースに車は駐車可能、そこからはほぼ直立した郭壁に木々の隙間から縦堀も窺われるが、よじ登るのは少しきついので図に示す箇所まで歩けば、山道から城跡まで進入する事が出来る。もちろんこの辺りより既に城域でもあり、一面笹で覆われた地表の見えない削平地を通過すれば、自ずと西側に位置する主郭までは到達出来る。2a

現地案内板より

現状(一月)城跡は冬季にも拘らず雑木あるいは矢竹が密生しており、主郭を除いては移動はもちろん視認も困難な状況にあり、城跡全体を見て回るには非常に難渋する状態でもある。特に主郭西側は前面雑木矢竹密生地となっており、郭の展開は予想されるが踏み入る事はまず無理で、土塁の一部を外見から確認出来る程度と思ってもらえばよい。しかし主郭においては木々も少なく見通しが利く為に規模の大きさを体感する事も出来、西土塁虎口跡、櫓台大土塁、周囲を取り巻く分厚い土塁など明確で見応えのある遺構を拝む事が出来る。主郭内の地表は凹凸も激しく人為的なものか風化の為かは判別出来ないが空堀とも窺える様な窪み地形は見て取れた。

現状東郭より東側は笹藪地帯あるいは農地となっているが、恐らく東端の農地から民家に至るまでは本来の縄張りであるようには見受けられた。進入口に選んだ辺りには外見からは直ぐに判断出来ないが、笹藪を少し掻き分けると農地を跨いで鋭角に掘削された堀切が窺われ、これは更に北側の池までも繋がっていた。ただこの見応えのある堀切は水路として近世に設けられた可能性もあるので、現状見たままを凄いと思う以外はどうしようもないのが現実でもある。城跡は見所が多いとは決して言えないが残存度の高い主郭回りの遺構群(特に分厚い土塁)は中々見応えはあり、戦国期における土塁城の姿を再現している様でもあり、この城跡遺構の素晴らしさには充分な満足感を得る事が出来た。

1route 登城ルート

3ta 城跡概念図

12_higasi_horikiri_1 東端の堀切見所

14_higasikaku_koguiti_e_1 東郭虎口

18_shukaku_e 主郭東虎口

20_shukaku 主郭

22_koguti_gawa 主郭東虎口側

25_yagura_sita_koguti_1 櫓台より西虎口見所

21_oku_nisi_koguti 奥西虎口見所

2009年1月 9日 (金)

八田城跡(三重県松坂市)

城跡は三重県松坂市嬉野八田町にあって、伊勢自動車道を走れば「一志嬉野」ICが最寄の降り口となる、そこから県道67号を南下すれば2km内に位置しており、ルート図の如く島田橋を越えれば二筋目を右折する、直ぐに左手側に丘陵(城跡)が見え、更に進めば城跡と分かる矢倉風建造物が見えてくる。ここを潜れば既に城域となるが、写真にある手前広場が駐車場なのかどうかはっきりせず(表示が無い)、個人的には公民館前まで少し戻って車は路駐した。

1_3 登城ルート

7 進入路

2x 現地案内板による城跡説明

3ha 城跡概念図

現状(一月)城跡は地元の人達の史跡に対する意識レベルの高さもあって、整備もある程度行き届いており、遺構の判別確認は容易に出来る状態にある。特に規模の大きい主郭は周囲に至るまで見通しが利く事からも広さを体感する事が出来、周囲を取り巻く分厚い土塁、一際高い位置にある巨大櫓台土塁、土塁を伴う二箇所の虎口など何れも素晴らしい状態のものを見学する事が可能となっている。縄張りは主郭に付随する二郭及び大堀切を挟んで南東丘陵上に位置する規模の大きい出郭より形成されており、小規模ではないが大きくもないレベルの城跡と感じられた。見所としては前述の主郭回り以外では主郭南側を分断する深い堀切が真っ先に挙げられ、戸跡近くまで縦堀として掘削されており、更に状態も良い事から圧巻と呼ぶに相応しい様相が窺える。南東出郭は城跡案内紙には城域にも入っておらず、現状自然任せの雑木天国と化してはいるが、明らかに削平された跡も見受けられ、東側先端に近い箇所には土橋を伴う堀切まで備わっており、当然縄張りの一部と解釈しても良さそうには思われた。尚、出郭最高所から南に下りれば深い堀切が東西に渡っているので、これも見逃してはいけない。

11_dorui_koguiti_1 登城最初の虎口土塁

20_shukaku_1 主郭

21_shukaku_dorui_1 主郭南側土塁

24_yaguradai 櫓台土塁見所

25_shukaku_minami_koguti 主郭南虎口見所

32_horikiri 南堀切見所

34_horikiri_1 縦堀全体像見所

38_ido 井戸跡

全体を見て回って感じられた事は、遺構残存度はずば抜けて高く(完存に近い)、更に遺構保全状態の良い事から遺構も判別し易く、戦国期を物語る土塁城としては最高の教本にも値する城跡だと言えるのではないだろうか。城跡は自分の事前予想を大きく超えたレベルでもあり、公園化されてはいるが遺構は破壊されておらず非常に好感が持てた。これらの事からも個人的には推奨に値する城跡として、是非訪問をお薦めしたい城跡の一つには挙げられる。

2009年1月 8日 (木)

中山比丘尼城跡(兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市但東町中山にあって、先に掲載した中山城跡の北端に設けられた大堀切に道標が備わっており、そこから遊歩道に従い北に向いて100m程度歩けば更に道標が備わっているので、城跡へは難なく辿り着く事が出来る。外垣氏の居城と伝わるが尾根を共有している中山城との関係までは現状調べるまでには至っていない。

現状(12月)城跡は木々も比較的少なく見通しも利くが、中山城とは比べるレベルにないほどの下草、あるいは低い笹によって全域が覆い尽くされており、地表が表れない部分の面積の方が多く、郭形状などは非常に把握し辛く、遺構も相当近寄らないと判別し難い状態にある。もちろん移動は遊歩道に沿えば良いので難渋する事はないが、形状のはっきり分かる堀切群に関して言えば、それなりに満足のいくレベルのものを拝む事が出来る。規模は小さいが本郭群を形成する縄張りの中に遺構は凝縮されているので、非常に見学はし易いものとなっているが、見所を挙げればやはり本郭群を南北で挟む形の堀切で、痩せ尾根を分断する様は小規模とは言え、中々見応えは感じられるものである。ユニークな処では南郭西側面には櫓台に向いて移動用土塁土橋が設けられているが、西面の守備にも一役買っていそうにも思われる。

冬枯れしない笹のお陰で満足の行く見学は出来なかったが、個人的にはある意味中山城よりは楽しめたかも知れない。

但馬地方にあってもこの但東地区には亀ヶ城跡を中心とした城跡、支城あるいは砦跡が規模の大小は問わずまだまだ眠っていると思われるが、これからの山城巡りが益々楽しみに思えてくる処ではある。

1route_2 登城ルート

3 城跡概念図

4 途中の道標

11_kita_horikiri_1 北端堀切見所

14_kitakaku 北主郭

16 土橋間の堀切

16_naka_kaku_dorui_dan_1 南郭群の土塁壇

23_shukaku 南郭櫓台

26_shukaku_minami_hori_1 櫓台南空堀見所

31_horikiri_yori_doruikaku 南端堀切見所

2009年1月 7日 (水)

但東中山城跡(兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市但東町中山にあって、二つの川に挟まれた中山地区中心部にある丘陵上が城跡。堀直正の城跡と伝わるが詳細は不明

城跡へは国道482号を走り、中山地区に入ればルート図の如く城跡の南端に位置する如布神社を目指せば分かり易い。車は神社敷地にスペースがあるので駐車可能であるが、既にそこから北側に見えている丘陵が目指す城跡であり、図に示す延命地蔵尊とゴミ置き場の間から、墓参用の山道が山上までは通じているので、墓地経由で5分もあれば主郭には辿り着ける。

郭跡の転用とも見受けられる南側墓地に到達するまでの山道からは、郭壁面に土中から古い石垣跡も覗いており、かつては壁面に石垣も使用されていた事が想像される。現状(12月)城跡は公園化されており、残存状態も良く下草は蔓延ってはいるが見通しも利き、山上における遺構群は全て判別確認可能な状態にある。

丘陵上は全て郭群で占められており規模は南北に渡って300m近くはある様に見受けられ、遺構として目に留まる主だったものは、堀切、土塁、主郭中央の土塁壇(近世に盛り土した可能性はある)と言った処である。城跡は主郭南側の低い熊笹で覆われた出郭(地表が見えない)以外は全ての郭に切岸処理は見受けられ、古い形態の城跡の様には見えるが、石垣跡がある事、あるいは現在の切岸の状態からも、戦国期までは充分機能していた城跡の様には感じられた。城跡の見所は迷わず堀切群と言う事になるが主郭南北を分断する大堀切及び北出郭側の堀切は高低差及び形状(V字形)とも当時のままに近い思われるもので、全体像も窺う事が出来、更に高さもある事から抜群に見応えを感じるものであり、中山城を語る上で一番の誇るべき城跡遺構と言えよう。

尚、北端堀切を下りると道標に「比丘尼城跡450m」と記されており、そのまま遊歩道に導かれて北側に向えば比丘尼城跡も見学出来るので、中山城跡とセットで同日訪問が可能でもあり、比丘尼城跡と併せて考えれば充分推奨に値する城跡と言える。(比丘尼城跡の訪問リポートは次で掲載の予定)

1route 登城ルート

3n 城跡概念図

6_tozanguti 登山口

10_minami_isi_3 石垣跡見所

14_horikiri_yori_minamigawa 堀切より南郭群

18_minami_kaku_horikiri_dorui 主郭南堀切と土塁

24 24_shukaku_kitagawa_1 主郭

31_shukaku_gawa_1 北大堀切見所

28_kita_dai_horikiri 堀切北出郭見所

2009年1月 6日 (火)

井田城跡(京都府福知山市)

京都府福知山市夜久野町井田にあって、国道9号沿いにある加茂神社北背後に聳える山の山上が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは国道9号で井田集落に入ればルート図の如く交差点を右折、すぐ右手に公民館が目に留まれば車はここに駐車させてもらい、道標は無いが公民館を出てすぐ左手向いより写真に示す山道が加茂神社へ繋がっているので、ここから上れば自ずと神社背後からそのまま尾根伝いに登り切れば、山の如く聳え立つ山上主郭までは到達する事が出来る。もちろん神社からは登山道は無いが5分もあれば到達可能である。

現状(12月)城跡は全域が植林地となっており見通しは良く、下草もほとんど無いので山上郭群における遺構は全て判別確認が容易に出来る状態にある。特筆するほどの遺構は見当たらないが、外見から窺える主郭の切岸は直立に近いもので、高低差が7~8m前後はあり、しかも中央に孤立している為に相当な見応えを感じる事が出来る。主郭まで上るのには足場も少なく、直立に近いので案外苦労するほどである。主郭北側下には大土塁が形成されており随分埋もれてはいるが空堀跡も窺え、更に下に下りれば大規模な郭が直立に近い切岸を伴って展開されている。山上郭群だけを採り上げれば規模も小さく縄張り妙味も無い城跡と位置付けが出来るが、登山道中の緩い傾斜の連続する削平地及び現在の加茂神社の広大な敷地も居館跡あるいは郭跡と想定すれば、決して規模の小さい城跡とは言えなくなる。

堀切の存在も確認出来ず、技巧を伴う遺構も見受けられない古い形態の山城ではあるが、個人的に見て感じるには戦国期も改修を施されながら乗り切った城跡の様には見受けられず、光秀による丹波平定以前、あるいはその際に廃城となった可能性は非常に高いと思われる城跡と目には映った。

1route_3 登城ルート

6tozanguti_2 登山口

3i 城跡概念図

10_yasiro_kaku 社敷地郭跡

13_2 奥主郭

18_kita_dorui 北側の大土塁、空堀跡

22_shukaku_heki 主郭切岸見所

27_minami_kaku 南郭

33_oohiroma_1 北郭

2009年1月 5日 (月)

亀ヶ城跡(兵庫県豊岡市)

この山城は訪城を終えた結果、正に2009年の「山城賛歌」トップを飾る城跡に相応しく、今年一番最初の訪問リポートとして掲載に及んだ。

城跡は文献に畝状縦堀が残存しているとして記載されている事からも、今回の但東方面の山城巡りにおいては必ず立ち寄るつもりでいたが、ネット上でも余り情報が得られず、場所の確定は出来たが当然登山口も分からないまま現地に赴く事になった。余り期待もせずに訪れたものの、結果的には自分の予想を遥かに上回る残存状態の良さ、遺構残存度の高さ、規模の大きさを誇っており、賛辞の言葉も見つからないほどの城跡遺構にはただ驚くばかりであった。まだまだ近畿圏内にはこの様に隠れた状態の良い山城が存在しているのである。

城跡は豊岡市但東町太田にあって、国道から少し入った森本神社の北側に聳える低山の東西に跨った山上に位置している。城跡は代々太田氏の居城と伝わるAnnnai

地元パンフレットより抜粋

城跡へは国道482号を走り太田集落に入ればすぐ国道沿いに大きな「亀ヶ城跡」の大きな立て看板が目に留まるので車は傍の空き地に駐車、後はルート図の如くそのまま北東側に向いて数10m歩き、地蔵尊の真向いの畑畦道より山に向いて進入する。現在幸運にも地元の区長あるいは有志の方々によって登山遊歩道設置作業中でもあり、迷わず山上主郭までは到達出来たが、山上は現状植林地となっており、見通しも良く手入れもされているので、城跡遺構群は全て判別確認可能となっている。山上は前述の様に想像以上に素晴らしい状態が保持されているので、戦国期における山城の姿並びに縄張りに至るまで、余すことなく堪能する事が出来るが、特に城跡最大の見所でもある畝状縦堀群及び東城と西城を断つ大堀切南西側の尾根を断つ巨大土塁を挟んだ二本の堀切は、すぐにでも当時が甦りそうにも感じられ、山城ファンにとっては感涙を呼ぶ遺構とも言えるものである。但馬地方特有の高さを伴う直立した郭切岸も未だ健在でもあり、北側の切岸斜面などは数10m下に位置する馬駆け場まで一気に落ち込んでおり、言葉にならない程の迫力及び凄みを感じるものとなっている

1route_2 登城ルート

5_2 城跡進入路

3kame_2 城跡概念図

11_tyuuou_kaku_1 遊歩道中の郭跡

22_higasi_shukaku_2 東城主郭

25_shukaku_yagura 東主郭の大土塁

32_horikiri_heki 中央大堀切見所

36_nisi_yagura 西城主郭櫓台

40_une_dai_horikiri_2 南西大堀切と大土塁見所

46 42_unebori 44_une_2 畝状縦堀群見所

現在整備中の遊歩道あるいは郭跡などの無駄な木々の伐採が片付けば、これから更に状態も良い方に改善されると思われるが、地区を挙げて史跡を後世に遺す事も含めて、現在城跡の話題作りにも取り組んでおられる事も肌で感じたので、四季を問わず訪問が可能な戦国期山城として生まれ変わり、これから益々期待の持てる城跡になりそうだとも思われる。むしろ無償で整備されておられる地元有志の方々の苦労が報われる為にも、是非訪ねる人達で賑わう城跡となって欲しいと願うばかりである。

縄張り妙味、遺構残存度、残存状態全てにおいて山城としては上位にランク付け出来るものでもあり、戦国大名クラスの城跡にも匹敵するほどの規模を持つ、個人的にも期待は絶対に裏切らないと断言してもよい、正に推奨出来る山城の一つである。

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

無料ブログはココログ