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2008年12月13日 (土)

大平山城跡(京都府亀岡市)

 この城跡は地元の古老も知らないぐらいのマイナーな山城でもある事から、今回の山城訪問に関しては個人的には当然場所も特定出来ず、またしても存在の確認すら出来ないままの見切り発車の登山となってしまった。もちろんある程度は地形図上からも城跡の確信をもって挑んだのではあるが、その結果としては幸いな事に山城と呼ぶに相応しい、それも大規模な山上郭跡(切岸処理のされた)に辿り着く事が出来たので、山城の現況を含めた鮮度の高い情報をいち早く掲載する事に及んだ。

城跡は亀岡市東本梅町東大谷(赤熊字大平)にあり、同じ町内にある神尾山城跡(既にリポート掲載済)からは北西直線1kmに位置しており、麓の集落から望めば台形上に見える標高約480mの山上にある。ルート図の如く城跡登山口ともなる淨光寺(無住である)を目印として、国道372号から向えば一番分かり易く、そこからは道標は無いが半国山上に向いての登山道が用意されており、道は荒れてはいる(倒木だらけ)が迷うことなく30分程度で城跡虎口には辿り着ける。

現状(12月)城跡は冬季ともあって落葉しており、枯れ木は多いが意外に見通しも良く、山上約400mに渡って埋め尽くされた大規模な郭群(削平地)及び城跡遺構は全て判別確認可能な状態にある。もちろん戦国史にも登場しない様な山城跡なので形態も古く、主郭以外では現状を見る限り切岸処理も施されておらず、縄張りからみても規模の大きい五郭から形成される山城とみて間違いないと思われる。城跡唯一最大の見所と言えるものは主郭(山上最高所)西手前の土橋状の上り土塁で、両サイドは崖状急斜面、更には外見から判断しても(下まで降りるのは無理)縦堀までも繋がっている。主郭を形成する壁面には未だ切岸も窺え、更に相当埋もれてはいるが東郭に挟まれて空堀に見える遺構も確認する事が出来た。

この城跡は形態が古く、余りにも利便性が無視されており、とても戦国期を乗り切った山城の様には見受けられず、前述の神尾山城と同様に光秀の丹波平定の際に運命を共にしたのか、あるいはそれ以前には既に山城としての機能は失われていたのか、どちらかである様には推察される。

1route 登城ルート

5_2 城跡遠望

7 登山口

3oo 城跡概念図

16koguti_1 山上土塁虎口

23_naka_e 三の丸より二の丸虎口

26_umanose_dobasi 26_umanose_dobasi_1 土橋を伴う大堀切見所

30shukaku 主郭

33_higasi_kaku_1 東郭

この山城は神尾山城ともほぼ隣接しており、考えようによっては支城とも見受けられるが、これだけの規模、更に古い形態からも窺われる様に成立年代は神尾山城より溯り、戦国期においては既に廃城、あるいは明智による丹波統一後に廃城になった可能性が相当大きいものと推察される。結果的には山城としての醍醐味を感じる事は出来るが、見所が土橋を伴う大堀切程度なので、お薦め出来る物件とは言い難いが、登山道もある事から山歩きの好きな方は是非立ち寄って見ても、時間の無駄にまではいかないと思える山城である。

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コメント

丹波の渡辺です。大平山城は、光秀の丹波侵攻以前に細川氏と柳本・波多野氏との神尾山の合戦の時に作られた細川方の陣城と言われています。その時以降、文献上には出てきません。ですから、一時的な施設ですから、本格的な普請は無かったと思われます。結果的には、細川方が敗退し、京に戻ったのですが。
 いつも、一読者として楽しみに見ています。

TAKUです、いつも信頼のおける情報の御提供有難うございます。こんなマイナーな山城の城史まで知っておられるとは非常に驚くばかりです。先に山城ありきのスタンスで闇雲に探索行動する自分にとっては、城史についてまで詳しく調べ上げる余裕も材料も無く、コメントを頂戴する事によって訪城後の追跡調査としても非常に役に立っており、正にこれ以上ないバックアップともなっております。これからもよろしくお願い致します。

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