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2008年12月 7日 (日)

矢田城跡(京都府亀岡市)

 この城跡に関しては乏しい資料の中でも存在は分かっていたが、個人的には長い間場所の特定までには至れていなかった。今回は偶然地図を覗き込む内に、亀岡市下矢田地区に字名「城山」と付記された地を見つける事が出来たので、早速これが矢田城跡なのか、あるいはただの城山の地名なのかどうかを確認する為に今回の訪問となった。

城跡は亀岡市下矢田町東法楽寺にあって字名「城山」の地はすぐ北側に隣接している。国道9号「下矢田」の信号から南下すればルート図の如く進行し、現在では枯れ池となった大きな池の堤防沿いから進入、本来南北に長い丘陵地であるので、東西のどこから取り付いても目指す主郭には数分で到達出来るが、説明上一番分かり易く直登し易い場所となれば、やはりこの池からが無難であろう。

丘陵上は推察した通りやはり城跡となっており、南側の最高所に規模の小さい主郭(櫓台か?)を置き、北側に向いて長く郭を伸ばしている形態が見て取れる。現状(12月)冬季にも拘らず主郭回り以外は雑木の蔓延る藪地及び竹林地と化しているので、全体の視認は困難な状況にあり、郭跡と思われる竹林地などは長年の風化及び堆積物によって相当地表は変化している様子が窺われる。それでも主郭及び主郭回りの郭跡には切岸処理も見受けられ、この地が城跡だと言うことは個人的にも断定する事が出来た。現在主郭の南西側は住宅地と化しており、見る限りでは南西側の郭跡は消失した可能性があると思われるが推察の域は出ない。池のすぐ東側の竹林の中には屋敷跡と見受けられる郭群が現存しており、風化の進んだ中でも土塁で仕切られた空間、空堀などは明確に判別する事が出来た。そのまま真反対の東側へ郭を越えれば、此方にも民家背後に土塁囲みの空間あるいは空堀跡を窺う事が出来た。結果的には山上を構成する郭跡には切岸以外では堀切、土塁などの遺構は確認する事が出来なかったが、むしろ本郭群を挟む形で位置する、東西の屋敷跡と思われる空間の方に遺構が集中しており、余程城跡らしさを感じ取る事が出来た。

この城跡遺構は下矢田町の字「城山」から「東法楽寺」地区に跨っているが、現状においては他の矢田地区にも城跡として該当する地も見当たらず(居館跡とされる地域は別に「堀之垣内」と呼ばれる地域が東側に隣接)、今回はこの地を矢田城跡としても良いのではないかと個人的に判断した結果、訪問リポートとして掲載に及んだ。

1route_2 登城ルート

3yata 城跡概念図

11_naka 中郭

15_nisi_obi_heki 西帯郭

18_higasi_obi_1 東帯郭

20_shukaku_e_nobori_dorui 主郭上り虎口

23_shukaku_minami_heki 22_shukaku_nisi_heki 主郭

25_nisigawa_yasiki 西屋敷跡空堀見所

26_higasi_gawa_yasiki 東屋敷跡土塁見所

尚、別ルート図に示すが、この地から南東すぐの距離に矢田城の東を抑えたと思われる、砦跡とも見受けられる削平地(個人的には郭跡と解釈した)が現存していたので、参考程度に同時掲載に及んだ。1route_3 3y

周辺概略図

11_minami_demaru_1 砦跡か?

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