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2008年12月28日 (日)

但東沢田城跡(兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市但東町小谷にあって、国道に沿う小谷集落の北東背後の尾根先端が城跡、現在主郭には社殿が建立されており沢田氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡訪問のきっかけは一部の文献によれば空堀はもちろんの事、石垣が残存しているとも記されてあり、石垣フェチの自分としては早速但東方面への山城巡りを計画し、それが今回の訪問へと繋がった訳である。城跡へは国道426号を走り集落到着後、概念図あるいはルート図に記す地蔵尊より墓地経由で、山上の社殿に向けての山道を利用すれば10分もあれば迷わず辿り着ける。この但馬地方においては久畑愛宕城もそうであるが、愛宕神社が数多く目に留まり、しかも過去においては城跡(砦)であった場所にほぼ間違いなく神社が建立されているので、地図上からもある意味においては城跡の目星も付け易く、推察もし易いので非常に助かっている。

現状(12月)城跡は社殿のある事からも整備されており、更に小規模な城跡なので全ての遺構は判別確認出来る状態にある。期待を持って窺った社殿正面を覆う石垣跡も、見る限りにおいては正しく当時構築されたものと見受けられ、自然岩を取り込みながらも大小不規則な形の石を利用して積み上げられており、改めて石垣の使用された城跡に感動を覚える事となった。ただ崩落石が周りに多い事からも、近世においては社殿建立の際に多少積み直された可能性がある事は否定は出来ない。社殿背後を山上に向けて少し上れば、現状埋もれて浅いが堀切が備わっており、更に山上削平地へと繋がっているのが見て取れる。

個人的にはこの城跡の石垣跡は部分的に積み直されてあったとしても、ほぼ当時の状態を遺しているものと判断したが、見る者によっては違った見解になるとも思われるので、気になる方は実際に現地に赴いて自分の目で見て判断して頂くより他はない。小規模で単純すぎる縄張りを持つ城跡ではあるが、石垣に見応えを感じ、全体を通しても満足感に浸ることは出来たので訪問した甲斐は充分にあった。

尚、ルート図に示す神社の建つ西側の低山山上にも、風化の真っ只中にある城跡遺構が残存(堀切、土塁、削平地のみ確認)しているが、これが小谷地区にあるもう一つの城跡である「京川城跡」にあたるものかもしれない、、しかしこの城跡に関しての呼称の確認は取れていないのが現状である。

1route1 登城ルート

6tozanguti 登山口

3sawa 城跡概念図

9 虎口跡

13 15_shukaku_1本郭

16 石垣跡見所

22_shukaku_yagura 主郭櫓台

26_kita_horikiri 堀切

28_kita_yori_minamigawa 北側山上削平地

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コメント

はじめまして。江戸時代(文化年間)の古文書で、但馬国出石郡小谷村澤田仙太郎が書写したと記載のあるものを所有していますが、澤田城主の末裔でしょうか?
あるいは小谷村には澤田姓が多いのでしょうか?

TAKUです、コメント拝見させて頂きました。
折角頂戴したご質問なのですが、「山城賛歌」では城跡を訪れる為のアシスト、あるいはその現況報告だけを目的としている為、自身城史に関してまでは深く追求しておりません。
よって「全く分かりません」とお答えするのが一番適切かと思えます、、、、が、沢田姓に関しては、地元で得られた情報から、沢田姓を名乗る方が非常に多い事だけは聞き及びました。
参考になれば幸いに思います。

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