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2008年10月

2008年10月31日 (金)

落葉山城跡(兵庫県神戸市)

兵庫県神戸市北区有馬町にあって有馬温泉群の西側、有馬温泉駅からは南側に聳える城山(標高526m)の山上が城跡、現在山上郭跡には妙見寺が建っており麓バスターミナル側からは参拝道も設置されている、有馬氏の居城と伝わるが三木合戦の際には別所氏側に付き落城した模様。

城跡へ車で向うなら有馬温泉駅のすぐ南側の丘陵上にある有馬グランドホテルを目指せば分かり易い、個人的には車は広大なホテル駐車場片隅に無断で止めさせてもらったが(奨励は出来ない)、後はルート図の如く敷地内南奥から山に向う道があるのでそれを利用すれば最短で本来の妙見参拝道に合流出来る。

現状(八月)城跡は夏季ともあって、本来の郭の転用と見受けられる北郭から主郭にあたる本殿までは形態の分かり易い良い状態にあるが、南側郭群あるい主郭東側斜面は一面雑木藪と化しており、とても中まで踏み入れる状態にはない。しかしこの城跡における見所は西側を降りた谷状地形周辺であり、ここでは土塁、小郭跡、虎口跡、大空堀(自然地形かも?)などの後世人の手が加わっていない遺構を眼にする事が出来る、更に西側斜面を上れば出郭も備わっているので、小規模に感じられる城跡ではあるが案外山城の醍醐味は味わう事が出来る。

1route_2 登城ルート

3ot 城跡概念図

5 北側造成荒地より遠望

10_kitakaku_1 北郭

15_dorui_isi_1 土塁底部の石垣跡

17_2maru_yori_shukaku_e 二の丸から主郭へ

26_doruikaku_sita 西側の土塁郭

30_dorui 土塁

37_nisi_demaru_1 西出郭

芥川山城跡(大阪府高槻市)

大阪府高槻市原にあって摂津峡公園の峡谷を挟んで東側の三好山の山上から東側の別峰までが城跡、別名三好山城と呼ばれる様に過去城主は交代はしているが三好氏全盛期の城として北摂地域では有名な山城。

城跡へは国道171号から向うと分かり易く、松下電子工業のある大畑交差点で一般道115号に針路変更、そのまま道任せに直進し「摂津峡公園」を目指し、後はルート図の如く橋を右折すれば数十m先に道路沿いに案内板が設置されているので、ほぼ城跡の近くまでは来ている事は確認出来る。しかしここからは北側に位置する「黄金の里老人ホーム」を目印としてその横を抜けて山道に入るのだが、狭い住宅地の為に小型車でも路駐出来そうなスペースは無く、北側の山手集落は更に無理、どこか幅のある道路を探して無理に路駐するか公園側に駐車して歩く他は手は無い。老人ホームを抜ければ図の如くそのまま城跡に向う山道に繋がるので、迷わず到達する事は可能である。

現状(10月)城跡は最高所でもある石碑の建っている主郭周りを除けば相当藪化進行中でもあり、場所によっては密生する下草及び雑木などで踏み入る事の出来ない郭跡も多数ある。更に竹林地も多く移動及び視認に難渋する箇所も沢山あるので全域を踏破し、遺構を判別確認するなどは到底無理な状態と言える。縄張り図における六割(東主郭から東側の郭群まで)の郭跡、及びそれに付随する遺構を確認出来れば由とする気持ちで丁度良いのかもしれない。城跡の見所としては縄張りはもちろんの事、大手道に位置する大石垣跡、郭壁随所に窺われる石垣跡、状態の良い郭切岸、土塁、縦土塁、堀切などが挙げられ、山城を形成すべく技巧的な遺構は全て備わっている見てよいものである。郭壁に石垣を用いる事は恐らく三好氏の時代に改修されて行われたものと見受けられるが、同じ石垣城である飯盛山城跡とも似る部分が数多く見られ、大石の使用あるいは石積み方法などに顕著に表れている。

とにかく桁外れに城域が広く、更に山上における郭占有面積も大きく、小型の山城の三城分に匹敵しそうにも見受けられる。山容からなる地形を上手く縄張りとして取り込んで築き上げられ、要所には石垣を用いてより堅固に築造した所などは飯盛山城、滝山城と並んで三好氏屈指の縄張りプランであるとも言える。この素晴らしい山城も三好氏二城と同様に語り出すと限がないので、まだ未訪の方は是非これから冬季に入れば比較的ましと思われる状態の時期に訪れて、この見応えのある戦国期山城の素晴らしさを体感して頂きたいと思う。

当時の阪神地区から四国に亘るまでを勢力圏に置いた三好氏の勢いがそのまま城跡に反映されていると言っても過言ではない山城である。

1a 登城ルート

1xxz 案内板による縄張り図

4_1 山道からの城跡遠望

10_isigaki_2 山道沿いの石垣跡

12d_idoato 東端の屋敷跡か

21_higasikaku_sita_dankaku 東郭群

19 東郭群の石垣跡

Higasi_kaku_dorui 東郭群の主郭土塁

26_higasikaku_shukaku 東郭群主郭の櫓台

27_dobasi 主郭側へ向う途中の土橋堀切

33_oote_ooisi_1 中央大手の虎口大石垣跡

38_shukaku_koguti 主郭下帯郭への虎口

39_shukaku 主郭

2008年10月30日 (木)

滝山城跡(兵庫県神戸市)

神戸市中央区にあって新神戸駅の北西に聳える二つの峯を持つ山の山上から駅に向いての南尾根上が城跡、南北朝期には城跡として成立しており赤松、松永、三好氏と城主は交代しながら、尚且つ改修も重ねながら戦国期まで至ったものであると思われる。

城跡へはもちろん新神戸駅で降りての歩きとなったが、登山口へ向うには駅最西端に下りて高架を潜り、谷川沿いを北に歩けばすぐ住宅脇に案内板を見つける事が出来る。この石段を登れば山上までは全て登山遊歩道となっているので、途中の尾根上の郭跡を確認しながら迷わず辿り着く事が出来る。

しかしこの城跡は山上まで登山道をストレートに目指してもおよそ40~50分は要し、正に要害堅固がぴったり当てはまる山城でもある。郭跡の展開は南側の端尾根から始まっており城域も桁外れに広い、見所を挙げるとすれば縄張りの形態そのものでもあり、随所に残る石垣跡、堀切、郭切岸などはその副産物にしか見えてこない。石垣痕などは個々の郭壁に点在して見受けられ、これでは当時は完全な石垣城を想像してしまう。現状(12月)冬季である為に特に状態が良いのかも知れないが、山城を見学する上ではこれ以上望めない状態にあるとも言える。語り出すと限がないが残存状態も良く、遺構残存度も高く、更に山城の魅力を全て兼ね備えた見応え抜群の城跡と言えよう。

自然と触れ合いながら山歩きが楽しめて、更に優れた山城遺構も味わう事が出来、阪神地区に限って言えば飯盛山城跡、三草山城跡、香下(羽束山)城跡と並んで、山上を極めれば素晴らしいロケーションが待ち受けている数少ない城跡の一つである。

1route 登城ルート

5_tozanguti 登山口

3tak 城跡概念図

34_tatebori 東郭縦堀

39_isi 中郭群の石垣痕

48higasi_gedan2 東郭群

55_shukaku_nai_1 主郭

60_shukaku_yori_yaguradai_e 主郭より櫓台側

61_yaguradai_top_1 櫓台最高所

62_yagura_nisi_sita_horikiri 主郭西の堀切

飯盛山城跡(大阪府大東市)

大阪府大東市北条にあって市内から東側に聳える飯盛山(標高314m)の山上全域が城跡、歴史の中では多数城主は交代しているらしいが戦国期に置いては一帯を勢力下に置いた三好氏の本城として有名。

城跡へは数通りの登山方法があるが、純粋に山登りを楽しむ為に麓の神社から上る登山客も多いようである(個人的には初回登山は麓から登山道で上った)。楽をするなら車で大阪市内から向えば、阪奈道路(県道8号)を上り途中から北側に位置する楠公寺を目指せば郭跡まで直接乗り付ける事が出来る。寺院は本来馬場跡とされる場所で駐車可能、ここを起点とすれば南側千畳敷きから北端の城跡碑のある郭跡まで満遍なく見て回る事が出来る。

現状(一月)城跡は冬季とあってか全域にかけて落葉しており、見通しは非常に良く、一部下草も蔓延ってはいるが遺構の判別確認は容易に出来る状態にある。大阪市内からも近く登山も楽しめる山城である為に、既に訪問された方も多いと思われるのでここでは割愛したリポートにさせて頂くが、この山城は南北尾根上はすべて郭によって埋め尽くされており全体を把握するには距離も歩くが時間も相当掛かる、至る所で石垣跡も確認出来、本来古くから成立している城跡であるが三好氏の時代にかなり改修されたと思われる。見所も多く縄張りはもちろんの事、石垣跡、深い堀切、土塁、高低差のある切岸など山城としての魅力は全て兼ね備わっている見てよいだろう。自身で歩き回った結果として作成した概念図は全て確認した遺構であるが、描ききれていない南側にも更に郭跡は展開されており、未踏とはなったが西枝尾根上にも縄張りは広がっているようにも察せられた。

山上からは市内はほぼ全域、大阪湾まで一望の下にあり、何度訪れても見飽きない戦国期遺構の素晴らしさはもちろんであるが素晴らしいロケーションも誇っている、近畿圏でも有数の山城であると断言出来る!(数年後に再び訪れている自分が想像出来る)

1 登城ルート

4a 城跡概念図

10 遊歩道沿いにある石垣跡

17_higasi_3gedan_isi_3 東郭群の石垣跡

32_gotaituka_sita_horikiri_1 大堀切

36_2kaku 郭跡

55_kurayasiki 蔵屋敷跡から主郭展望所

65_takayagura 高矢倉切岸

66_takayagura_nai 高矢倉

67_takayagura_sita_horikiri 高矢倉南大堀切

79_senjyoujiki_minami 千畳敷き南郭

82_minami_hasi_kaku 南郭群土塁

2008年10月29日 (水)

行永城跡(京都府舞鶴市)

 京都府舞鶴市行永にあって密集する公営住宅地の南側の独立した低山の山上が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは西舞鶴と東舞鶴を結ぶ県道28号からルート図の如く県道51号に入り少し南下、東側へ橋を渡り行永地区に進入すれば小高い山が見えてくるので城跡の位置確認は容易に出来る、城跡への進入ルートは説明し難いので概念図を参照して頂き、道路沿いの小さな民家(無住?)の背後を回り込んで墓地跡に向えば既に城域となる。ここからは勝手に山に入り込んだが本来この山には個人所有者がいるものとも思われ(確証は無い)、一応入山許可を得る事が必要なのかもしれない、、しかし個人的には見たい気持ちが優先し多少遠慮の気持ちを持ちながらの無断探索となった。

現状(10月)城跡は自然任せの風化中にあり、地表は荒れ放題で雑木も生い茂って視認にも難渋する状態にあるが、城域が広くなく移動に困難な状況までには至っていないので遺構はほぼ判別確認出来る状態にあると言ってよい。城跡の見所としては高低差のある切り立つ崖状の郭切岸が真っ先に挙げられ、最高所にあたる主郭周囲の切岸及び西郭群の直立に近い切岸は状態も良く凄いものが拝める、低山なるが故の策であろうがそれにしても見応えがあり過ぎてテンションも上がりっ放しの状態である。

一般的に言えば堀切(空堀)あるいは土塁などの遺構は形状としてある程度写真画像に残せるのだが、この高さのある直立した切岸などの状態は説明し難く、画像としても成立し難いので現地で直接目の当たりにして、高さと状態の良さを体感して貰うしか方法が無のが現状である。

1route_7 登城ルート

4_3

北側の橋より遠望

6tozannguti 城跡進入口

3yu 城跡概念図

12_shukaku_1 主郭

13_shukaku_heki 主郭切岸見所

15 主郭下段

20_nisi2_heki 西郭の切岸見所

23_kita_oohiroma 北郭

26_kita_dankaku_heki 北段郭群切岸

溝尻城跡(京都府舞鶴市)

 京都府舞鶴市堂奥にあって樹徳寺の北側に聳える標高200mの山の山上が城跡、矢野氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは舞鶴市内を東西に走る国道27号より県道28号に入り、ルート図の如く樹徳寺を目指すと分かり易く到達出来る、寺院からは山上主郭までは郭内に社殿が建つ事から参拝登山道に任せれば迷わず辿り着くことが出来る(所要時間約25分)。

城跡の構造としては寺院北背後周辺に屋敷跡、登山道を上る途中の中腹に出郭跡、更に山上まで登り切ると山上郭群の三位一体となった形になっている。見逃してはならないのが中腹にある出郭で、登山道に任せればそのまま通り過ぎてしまう恐れがあるので必ず覗く事が必要である。ここに寄るまでにはただの尾根道(土橋)にしか見えないが三連の堀切が備わって見所ともなっており、更にその端には状態の良い直立した堀切を拝む事が出来る。1route

登城ルート

3mi 城跡概念図

5 登山道へ

10_demaru_e_dobasi_horikiri 南出郭へ堀切土橋見所

13_demaru 出郭

16_horikiri 出郭東堀切見所

山上郭群は最高所にある主郭を含めて六郭で形成されるもので、切岸高低差はさほど無いが南北に長く、山上における郭占有面積は比較的広いと言える山城である。山上郭群における見所は鮮明に残る三の丸への虎口跡、南北に長い北郭の最北斜面の堀切で、10m近い高低差を以って更に大土塁を伴っており相当見応えがあるものである

25_3maru_koguti_1 山上三の丸虎口

27_3maru_yori_2maru 二の丸へ

31_shukaku_dorui 荒れた主郭内土塁

33_kitakaku_2 北郭

現状(10月)城跡は登山道付近の郭跡及び社殿の建つ郭跡はそうでもないが、他は下草は生え放題で木々が密生とまでには至っていないが自然任せの藪化進行中にある。縄張りがシンプルである事から全体的に見通しも利き、遺構の判別確認に支障を来たす事も無く、比較的快適に見て回れる状態にある。この分であれば登山道もしっかりしており、ある程度四季を問わず訪問出来る山城の様には見受けられる。

城跡を振返れば予想した以上の遺構群に出くわす事が出来、満足度も達成感も星五つと言ったところである。

2008年10月28日 (火)

中山城跡(京都府舞鶴市)

京都府舞鶴市中山にあって、中山集落の南側に位置しており由良川に面した南北に長い独立した低山の山上全域が城跡、一色氏の居城と伝わる

城跡へは国道178号を北上した場合ルート図の如くGSエネオスで東に右折、八雲橋を渡り左折すればすぐに城跡案内板を眼にする事が出来る。かねてより舞鶴方面に向う時には真っ先に寄るつもりでいた城跡の一つであるが、やはり期待を裏切ることなく、それ以上のものを与えてくれる城跡になった。

案内板から上り、かつての郭跡と見受けられる社殿敷地を越えれば直ぐに南郭となっているが、山上郭は規模の大きい主要三郭を並べた状態で形成されており、西側は天然の水堀(由良川)となり、山上郭間は堀切で分断され、郭の東西壁面は下まで落ち込む高低差のある切岸によって守備されている。最大の見所は堀切群で二重堀切、高低差のある大堀切あるいは大空堀と言った具合で次から次へと目を楽しませてくれる。これらは残存状態も比較的良く当時に思いを馳せる事などは容易に出来る遺構群と言えるものでもある。縄張り変化に富んだ城跡ではないが遺構残存度は抜群でもあり、この切遺構を眺めるだけで充分な感動が味わえる事は必至の城跡でもある。

現状(10月)城跡は下草も雑木も蔓延ってはいるが密生するまでには至っておらず遺構の判別確認は容易に出来る状態にある。まだ葉も生い茂っている状態なので全体の見通しは利き難いが、まずまずの状態であるとは言える。道路から5分もあれば山上まで上れて、尚且つこれだけの戦国期遺構を味わえる城跡なので、未訪の方は是非訪れて見所でもある堀切群を堪能して頂きたい。尚、志高城跡とは南西に5km離れた距離にあり、二城同日訪問すれば効率よく見て回れると思われる。

1route_3 登城ルート

N_1 登山口

3naka 城跡概念図

6_obi_yori_minamikaku_heki 南郭の西切岸

10_2jyuu_horikiri_2 二重堀切見所

12_horikiri_heki 中堀切と郭切岸

14_dai_horikiri_1 中大堀切見所

17_naka_kaku

中郭

19_horikiri_sita_dorui 中郭北の空堀脇の土塁

志高城跡(京都府舞鶴市)

京都府舞鶴市岡田下志高にあって志高神社の北側に聳える独立した山塊の山上部分が城跡、三上氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは福知山から宮津に向けて国道175号を北上した場合、まず志高地区の国道沿いにある志高神社あるいは加佐公民館を目指す。到着すればルート図の如く神社背後から西側急斜面を上り縦堀に沿った直登ルート、あるいは下山時降り立った公民館背後にある作業小屋裏から本来の参拝道であったと思われる縦堀に沿うルート、この二通りの直登ルートになるが分かり易いのは後者で、作業小屋さえ確認出来れば最短で縦堀(空堀道)に沿って主郭までは20分内で辿り着ける(縦堀が備わっている位なので相当急斜面)。東側の寺院からもかつての参拝道があり、それを利用すれば上れたのかも知れないが確証は無い。

現状(10月)山上郭群は倒木も多く、地表風化も激しく荒れ放題と化しているが、意外にも木々が少ないので見通しは利き、遺構の判別確認あるいは縄張りまで把握する事は容易に出来る状態にある。現在山上主郭には小社が建立されてはいるが、荒れ果てており訪れる参拝者いない様に窺われる。城跡の見所及び特徴としては堀切の多用が挙げられ、縦堀(二本は確認)も含めて残存状態の良いものを数箇所で拝む事が出来る。特に主郭北斜面を下りた側の小郭を挟んだ二連の堀切北郭北西壁の美しい堀切などは状態も良く、決して見逃してはならない遺構の一つである。

城跡としての情報は皆無である為に全く期待もせずに訪れたのだが、予想を遥かに上回るものでもあり、まだまだ丹後地方にはこの様な隠れた素晴らしい山城が残っている事を再認識させられる結果ともなった。

1route_2 登城ルート

5_tozanguti 登山進入路

3sida 城跡概念図

8higasi_hasi_nijyuu_tatebori 東端の縦堀土塁見所

10_higasi_dan_1 東郭群切岸

12_shukaku 主郭

13_shukaku_dorui_1 主郭土塁

16_horikiri_2 北郭南堀切

20_hokutan_horikiri_1 北端堀切見所

25_hokusei_koguti_horikiri 北西尾根堀切土橋見所

2008年10月27日 (月)

上赤坂南砦跡(大阪府南河内郡)

上赤坂城本郭の南斜面側にある二重堀切の傍を通過して傾斜面を少し下って更に上れば数分で南砦跡には辿り着ける。

こちらは痩せ尾根上の南北に渡って郭を連ねており、南北尾根を大堀切で分断、更にその東側を虎口土塁として二重の縦堀で守備している、この城跡遺構が最大の見所となっている。

南郭群の郭跡にはなぜか「砦跡」とだけ小さく木に表示されたものが立て掛けられてあったのが眼に留まったのだが、これではほとんど無視されてここが城跡だとは誰も気付かないと考えられる。せめてこれだけの遺構が残存しているのであれば登山道中に大きく南砦跡とでも掲げれば少しは興味も引いてもらえそうに思うのだが、、、

78 城跡概念図

82_heki 堀切側の切岸

85_horikiri_tatedorui_1 縦堀と縦土塁

91_minamijyou_top 南山上郭

94_minami_gedan 山上郭南下段

96_gedan2_sizenkaku 南下段2

93_nisi_hasi_dobasi 西側尾根の土橋

上赤坂城跡(大阪府南河内郡)

大阪府南河内郡千早赤坂村桐山にあって、この地方においては千早城跡と並んで名前の知れている城跡でもあり、登山遊歩道も整備されているので山城ファンのみならず登山客も多く訪れる城跡である。楠木正成の築城として名を馳せているが、この広域に渡る上赤坂城を中心に広大な地域まで城塞群は及んでおり、正に巨大な山城ネットワークを誇っている。

城跡へは大阪市内側から移動した場合、国道309号に入り一般道705号へ右折、少し走れば下赤坂城跡もあるので(城跡碑がある程度で雰囲気のみ)ついでに寄り、後はルート図の如く進行すれば登山口までは辿り着ける。

登山口には駐車場もあり、そこから歩けばすぐに城域とも見受けられ、土塁虎口跡から始まり三ノ城戸口を通過して20分内で山上主郭までは到達できるが、それまでには四、五段の郭で形成される二の丸跡(東郭群)があり、ここには北西側に空堀及び櫓台の様な大土塁も存在しているので是非寄る必要があるだろう。現状(11月)二の丸は主郭以外は相当藪化しており外見から郭跡を確認するのが精一杯ではあるが、郭跡以外の空堀の判別確認は容易に出来る状態である。本郭跡は二の丸からはすぐの距離にあり茶碗原を通過して斜面を上れば南北に長く広い山上主郭に辿り着ける。主郭も現状石碑のある郭内及び帯郭を除けばほぼ雑木に覆われているが確認だけであるなら支障は来たさない。これだけの城跡であれば縦堀群も備わっているものと推察されるが現状の藪を見れば中々踏み入るには勇気がいる。

この山城を感じたまま一言で説明するのであれば「凄い!」と言った言葉しか浮かんで来ない。

1_2 登城ルート

6 登山口

3a 城跡概念図

19_dorui_karaboridou_1 登山空堀道

21_3nokido_1 三の城戸

25_daihorikiri_sorobanbasi_2 大堀切(そろばん橋)

36_tyawanbara_1 茶碗原

52_karabori_dorui 二の丸南側の空堀土塁

53_1 山上主郭北端

64_higasi_oohiroma_3 西郭

72_horikiri 南堀切

主郭南側の二重堀切を通過すれば、更に小規模な山城の一城にも匹敵する南砦跡があり、時間的にはそれほど要さないので寄ってみる価値はありそうに思われる。ここでは大堀切、尾根上の段郭跡、縦堀、大土塁などの遺構を眼にする事が出来る。

2008年10月26日 (日)

段ノ城跡(兵庫県多可郡)

兵庫県多可郡中町門前にあって既に掲載の終わっている貝ノ城跡の北西側に位置する標高480mの山の山上から南西尾根上が城跡、赤松氏一族の在田氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは国道427号を北上した場合門前集落が見えて来れば、どの地点からでも右折して瑞光寺を目指せば分かり易い、寺院からは真北に向いて山道が通じておりその両脇には広大な屋敷跡群を窺う事が出来るが、規模の大きい水堀跡、石列、郭跡の切岸、土塁などを確認する事が出来る。更にそのまま上ると現在整備工事中である山上まで繋がるNTT巡視道に合流、後は道に任せて上れば迷わず辿り着く事が出来る。今回で二度目の訪城となったが前回よりは巡視道のお陰で勾配はきついが、道任せで気を使う事も無く上れたので少しは楽ではあった。

現状(11月)城跡は当然藪化進行中であるが、視認あるいは移動に困難を来たすまでには至っておらず、山上における城跡遺構のほとんどは判別確認可能な状態にある。郭壁随所に石垣痕が残り当時は全てとは言わないまでも要所は石垣で固められていたものと推察出来る。縄張りにおいては単純に郭を連ねて堀切で郭間を分断するシンプルな形態を採っており、さほど妙味を感じられるほどのものではない。現在主郭と尾根を共有する北東側にはNTT施設がありどこまで地形改変があったのかは推察するしかないが、更に山上を目指すと巨石あるいは大岩がゴロゴロしており、最高所には狼煙台又は物見とも見受けられる平坦地が存在していた。

山上までは比高300m近くあり、巡視道を利用してもその勾配のきつさ、距離ともかなりなもので正確に計ってはいないが40分程度は掛かったものと思われる。麓の屋敷跡群から山上郭群に至るまで、充分な醍醐味を味わう事の出来る城跡である。

Dan1 登城ルート

3

城跡遠望

11_2 麓屋敷跡

16_hori 麓水堀跡

2 城跡概念図

6_kaku2 二の丸

12_kaku2_dobasi_waki 二の丸中央土塁道

13_kaku2_isi 二の丸石垣跡

9_shukaku_kitakoguti 主郭北虎口

18_kaku4 段郭群

22_minami_hasi_kaku 南端郭

24_kaku8_koguti_isi 段郭群の虎口石垣跡

木器城跡(兵庫県三田市)

兵庫県三田市木器(コウズキ)にあって県道37号と一般道323号の交わる交差点の真南にある山の山上が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へはルート図の如く323号から山道に向いて歩いて進入し、民家背後の荒地より傾斜面を上り、更に南斜面を上れば北側の堀切まではすぐ辿り着ける。

現状(7月)城跡は藪化真っ只中にあるが、物見程度の規模なので大して気にもならない。山上に残存する遺構は二本の堀切及び二郭跡のみであり、正しく狼煙台程度の機能にしか見受けられないものであるが、ここに設けられた堀切が防備としてどれだけの効力を持っていたものなのかは中々理解し難い。北西側には広大な削平地が存在するが、此方の方は居館跡でもあるかの様な面積を所有しており、小さな山上郭跡はやはり監視用の物見が相応しいのかも知れない。

一応これも平山城と呼んで良いと思われるが、この付近を車で移動中に寄る程度なら期待を損なう事もないし、史跡価値として値打ちが無い訳ではないので、納得は出来るのではないだろうか。

1route2 登城ルート

4 東より城跡遠望

10_shukaku 山上主郭

12_minami_horikiri_2 南側の堀切

14_kita_sizenkaku_1 広大な北西郭跡

2008年10月25日 (土)

本郷城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市西紀町本郷にあって、集落の中央に位置する松隣寺背後の険峻な山の山上が城跡、別名草山城とも呼ばれ八上城主である波多野氏の傘下に入っていたと思われる細見氏の居城と伝わる

城跡へは国道173号を北上した場合、既に掲載済みとなっている福井城跡のある「福井」の信号を通過し、しばらく走って一般道300号に進入、そのまま道に任せれば集落に入った辺りで道路沿いの松隣寺の案内板が眼に留まるので、ルート図の如く寺院を目指せば広い駐車場までは到達出来る。到着後は寺院最奥の墓地からの直登になるが、そのままほぼ真南に向いて上れば15分程度で山上に辿り着く事が出来る。尚、下山においては最初から登って来た道を引き返すのは至難の技である事が分かっていたので、最短コースである北東側道路へ向いて降りたが、丁度麓には畑地と墓地もあり無事に降り立つ事が出来た。

城跡は外見から判断出来るように険峻な山であり、その山上を削って削平し築かれたもので、ほぼ単郭構造ではあるが西側に堀切を挟んで幅は狭いが50~60mはありそうな郭跡が付随している。規模は小さく防御における技巧的な遺構は堀切及び主郭西側にある土塁のみ(縦堀に見える箇所はあったが判別は難しい)で余り見応えがあるとは言えない。恐らく麓にある寺院あるいは畑地に居館跡があり、山上郭は非常時における詰城あるいは平常時の物見機能であった様に窺われる。

現状(7月)夏季とは言え山上までの上り下りは藪漕ぎするまでには至っておらず、シンプル過ぎる縄張りの為に遺構の判別確認は容易に出来る状態にある。もちろん山上郭群においては藪化進行中である事からも冬季訪問がベストではあるが、現在でも藪に悩まされる事は無いので四季を問わず訪城は可能であると言える。

1route

登城ルート

6 寺院登山進入口

3d 城跡概念図

10_shukaku_kisi 主郭

8_obi_2 10 主郭帯郭

10_shukaku_kisi_2 主郭切岸

15_horikiri_1 西側堀切

黒井西ノ丸城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市春日町黒井にあって城跡ファンで無くても登山を楽しめ、山上からの眺望も素晴らしく、年中訪れる人の絶えない人気のある山城の一つである。個人的にも三度目となる訪城であるが、今回は山城ファンであるなら一度は覗いておかなければいけない西の丸(土塁城)城跡をメインに訪れた。

丹波地方においては明智の率いる攻略軍を一度は退けた事からも、その名を轟かせている赤井直正の居城であり黒井城塞群の一翼を担う城跡ではあるが、西の丸城跡へ訪れるには当然黒井本城を通過して更に北尾根を下って上る事になる。しかし時間的にはそれほど掛からず本城からは数分で行ける距離にある、西側からも直接上れる山道があると聞くが現状はっきりとは分からない。

こちらは本城と違って石垣は全く使用されておらず、主要三郭を堀切によって分断しそれぞれに櫓台土塁を設けて三郭は独立した構造となっており、規模は一城に匹敵するぐらいの広さ持ち合わせている。古い縄張り形態の為に当然本城よりこちらの西の丸の方が先に成立していた城跡と解釈しても良いと思えるが、残存状態が比較的に良い事からも遺構は本城と同様に全て判別確認出来る状態にある。特に郭間の土橋を伴う堀切遺構は見応えもあり城跡の最大の見所と呼べるものである。石垣城である本城よりも当然西の丸は存在感は薄いが、こちらも木々を取り払って外見からも更に黒井城跡の本丸以外の素晴らしさ、あるいは戦国期の山城の形態をアピールしても良いのではないかと思うのだが、、、

現状(一月)城跡は風化に任せて荒放題となっており更に雑木も蔓延ってはいるが、冬季ともあってか、ある程度見通しも良く移動に難渋する事も無いので案外快適に見て回る事が出来た。夏季訪問となれば更に木々は生い茂った状態になると思われるので、やはり冬季訪問が一番ベストの状態でこの山城を味わえるのではないだろうか。

個人的に山上郭群だけを採り上げて評価するのであれば「本城に勝るとも劣らない城跡である」と断言出来る。

1route_2 登城ルート

3_1v 城跡概念図

18_dorui_yagura 主郭櫓台と土塁

21_shukaku_dorui 主郭土塁

20_shukaku_1 主郭内

25_shukakunai_kubomi_1 主郭内の空堀状築造物

26_dobasi_daihorikiri 主郭西大堀切と土橋見所

34_horikiri_dobasi 二の丸西側の堀切土橋見所

37_3maru_nisi_yaguradai 三の丸西の櫓台土塁

2008年10月24日 (金)

伊勢霧山城(三重県津市)

三重県津市美杉町下多気にあって国指定史跡となっている北畠城館跡あるいは神社を目指せば道路沿いに看板も設置されており辿り着く事は容易に出来るが、、、これは相当な山奥である。しかし北畠氏はなぜ当時でも現在でも相当不便であったと思われる、山深く、まるで隠れ里に近いこの辺境の地を選択して築城したのであろうか?

霧山城跡はここ城館跡から北西側の標高560mの山上にあり、登山遊歩道を利用すれば約40分で山上に到達出来、その間には館詰城跡や尾根上の大規模な郭跡、点在する郭跡などを確認しながら上れるので、距離の長さをあまり感じる事無く山上までは辿り着ける。登山口から少し上ると最初に詰城とされる城跡らしい規模の大きい方形郭跡が現れるが、その高低差10mに及ぶ郭切岸には圧倒されてしまう、興奮を覚えながら更に上るとすり鉢状になった馬場跡にも窺える広い郭跡があり、更に数箇所に点在する郭群を確認しながら山上まで上る事になる。

1_2 登城ルート

8 館詰城跡の概念図

14_tumejiro_nai 詰城主郭

22_baba_dorui_dou_1 詰城西側の馬場跡か

山上郭群は主郭及び副郭の二郭と別峰にある南郭の三郭から形成されており、険峻な山上に位置する為に規模は大きくは無いが、残存状態は素晴らしく整備もされているので遺構及び縄張り共に分かり易く、快適に見て回る事が出来る。見所も多く郭間の深い堀切、谷底まで落ち込む切岸、分厚い土塁など、どれを挙げても見応えのする山城遺構ばかりで、これだけ状態が良いのであれば往時に思いを馳せる事などは容易に出来る。

この険峻極まりない山容から察しても、更にこの城跡遺構から考えても、正に天空の城と呼ぶに相応しい山城であり、おまけに山上からの眺望も抜群で、戦国期山城と共に山登りも楽しめて、尚且つ広がる大自然との一体感も味わえる数少ない城跡の一つと言えよう。

近畿圏において険峻な地にある山城(土塁城)でありながら、これほど整備の行き届いた城跡に出会える事はほとんど不可能! まだ未訪の方は是非この本格的山城を麓居館跡から山上まで順を追って見学して頂きたいと思う。

3_1 霧山城跡の概念図

33_minami_kaku_kanetukidou 南郭(鐘突き堂)

42_shukaku_koguti 主郭土塁虎口

46_komegura_yori_yagura 米倉跡より主郭及び大土塁

47_yagura_heki  主郭西側美しい切岸斜面

56_higasi_fuku_2 東副郭

59 堀切

鹿伏兎城跡(三重県亀山市)

三重県亀山市関町加太市場にあって、JR加太駅に隣接する神福寺の北西側に聳える山の山上が城跡、もちろん名前の如く加太氏の居城と伝わり寺院は居館跡とされるが、近年の発掘調査によっては西側地点が推察居館地域とされている様である。

城跡へは県指定史跡でありながら明確な登山道は現状では見当たらなかった、仮にあったとしても道標などは期待出来ず、現状を見る限りにおいては荒れて踏み跡すらないと推察される。もちろん最初から登山道には期待していなかったので寺院西側の居館推定地とされる谷状地形から北側に取り付き直登を敢行するが、この付近には石組み井戸跡及び屋敷跡群も残っており、当然これらは当時の遺構の様には見受けられた。

結果的に20分~30分程度は斜面との格闘になったが、そのお陰で南出郭あるいは尾根上の郭跡などは確認する事が出来たので幸いではあった。結果的には城跡へどの様な経路で上ったのかは見当が付き難く、未訪の方へのルート説明にはならないのだが一応登山における現況報告とさせてもらう。(現状アドバイス出来る事は西側屋敷跡から迷わず北側斜面に向いて上れば間違いなく南出郭には到達出来る)

現状(11月)山上郭群は荒れ放題となっており地表の風化も激しく、視認に困難な状態にまでは至ってはいないが相当な藪化進行状態にある、しかし最大の見所でもある石垣跡、石組み井戸跡、土塁虎口跡などは充分な状態で残存しており、ここまで登って来た甲斐はあったと胸を撫で下ろす。規模はさほど大きくは無いが見応えは抜群!低山ではあるが険峻さを以って人を寄せ付けず、これぞ山城と呼ぶに相応しい城跡と言える。

1 登城ルート

4 神福寺登山口

3ka 城跡概念図

11 西虎口横の大石垣跡

13_koguti 西土塁虎口

17 西郭

18dorui 西郭土塁

19_ido 東郭井戸跡見所

21_shukaku 主郭櫓台

27nansei_yori_shukaku_gawa 主郭南切岸見所

30_dobasi

南尾根の土橋

下山時においては登山道らしき山道が西虎口から下に向いて通じていたので、これで楽に下山出来ると思ったのだが、途中から山道は消えて再び谷に向いての急斜面を下りる羽目になった。何とか最初の屋敷跡群までは降り立つ事が出来たが、県指定史跡であるならもう少し登山道は整備してくれても良いのではないだろうか。

2008年10月23日 (木)

宮津八幡山城跡(京都府宮津市)

これぞ連郭式山城の王道を行く城跡である!丹後にもこれだけの誇れる山城が存在するのである

 京都府宮津市宮村にあって、集落の北側に位置する猪岡八幡神社から東側山上主郭までの尾根上が城跡、かつては丹後の守護大名であった一色氏の居城と聞くが、案内説明板によれば築城時期及び城主等は明らかにされておらず、確証は無いとの事が付記されてある。

城跡へは宮津市内から県道9号を南下した場合「コーナン」の信号をルート図の如く東へ進行すれば、目指す八幡神社には容易に到達出来る。先にリポートを掲載した上宮津城跡からは車で移動すれば5分前後の距離にあるので、二城同日訪問すれば効率よく回れるはずである。

京都丹後方面の山城巡りも既に六城近くに達したが、近畿圏にあってもどうやら近畿北部の山城の傾向は少し違うようで、個人的主観ではあるが特に郭切岸が鋭角(直立)に、更に高く、そして主郭を筆頭に個々の郭面積が広く、特に居住性を重要視した縄張りプランである様に感じ取れた。この八幡山城跡も例外ではなく神社背後より山上主郭まで10段連なる郭群はいずれも個々の郭規模は大きく採られており、切岸の高低差も相当なものである。この城跡について語り始めると限が無くなるので手短に遺構見所を挙げると、既に城域と見受けられる神社上り始めの敷地両脇にあるV字谷に見える大空堀(人工物であれば驚愕の遺構)神社本殿到達前の絶壁状の切岸(高さ20~30m規模、自然地形では無い!)、個々の郭群の切り立つ切岸主郭壁の石垣跡などである。大阪北部から兵庫県及び京都府丹波を主戦地に置く自分にとっては、この方面の膨大な土木量で築き上げられた大柄な城跡が非常に新鮮に映る。もちろん当時丹後一帯を統治していた国守である一色氏の築城技術としての集大成が結果として現れているのかもしれないが、、

現状(10月)城跡は風化、藪化共に進行中で、決して良い状態とは言えないが遺構はほぼ判別確認可能な状態にある(ただし縦堀の有無は未確認)、神社の鳥居を潜ってから登山道に沿って、山上主郭まで連なる郭群は残存度も高く、見所も多く更に見応えもあるので飽きる事無く全体を見て回れる。

1route_4 登城ルート

3 城跡概念図

12 神社へ

17_nisi_oohiroma9 城中最大郭

20_yagura 櫓台土塁見所

31kyodai_heki 城中最大切岸見所

35_shukaku_he_isidan 主郭へ石段

36_shukaku_kita_isi_1 主郭北側石垣跡見所

46_shukaku_nisi_kado_isi 主郭西側石垣跡

40_shukaku_1 主郭

42_higasi_kaku_1 山上東郭

2008年10月22日 (水)

上宮津城跡(京都府宮津市)

 京都府宮津市喜多にあって近畿タンゴ鉄道「喜多駅」の真西側に聳える山の山上が城跡、一色氏の重臣であった小倉氏の居城と伝わり別名喜多城あるいは小倉城とも呼ばれているが詳細は不明

城跡へは宮津市内から鉄道沿いに県道9号を南下した場合、喜多で道路を集落内にそれて目印としての簡易郵便局を目指す、到着すれば道向かいの公民館に駐車させてもらい、そのままルート図の如く道路を歩いて数10m南下、右手(西側山手)に鳥居が眼に留まれば民家横の細道から神社に上る。神社背後からは本来参拝道があったと見えて、荒れた急な山道が山上までは通じているので、迷わず主郭まで(15分程度)辿り着く事が出来る。

現状(10/9)城跡は藪化進行中ではあるが、この時期でも視認に難渋する事も無く、遺構はほぼ判別確認できる状態にある。特に郭切岸の状態は非常に良く、北郭の東側壁及び主郭周囲の切岸などは木々の間からでも、とても美しいものを拝む事が出来る、更には明確に郭形状が掴めるので山上における縄張りはほぼ把握する事が出来た。城跡全体を見る限りにおいては技巧的な遺構はほとんど無く、低山でありながら急峻な地形をフルに利用し、高低差を伴う切り立った切岸で以って守備としている様に窺われる。

山上郭群に土塁などは一切見当たらず、技巧的な遺構は皆無(四方斜面を全て確認した訳ではない)、規模からしても山上南北200m内に収まる中型に属する山城ではあるが、切岸の醍醐味及び迫力は先に寄った有吉、山田城跡と並ぶものがあり、更に縄張り妙味にも富んでおり非常に楽しむ事の出来た城跡の一つになった。

京都丹後地方の山城はどれも郭切岸がしっかり残存しており、切岸高低差のある事から見応えもあり、山城としての醍醐味に富んでいる城跡が特に多い様に感じられる。

1route 登城ルート

6_jinjya_e 神社への進入口

3miya 城跡概念図

12_kitakau_gedankaku_1 北下段郭

18 北郭

13_kitakaku_heki 北郭北壁

21_kitakaku_yori_shukaku_heki_1 北郭より主郭切岸

24_shukaku 主郭

31_kitakaku_higasi_heki_1 北郭東切岸

25_shukau_nisi_sita 主郭西郭

有吉城跡(京都府与謝郡)

 京都府与謝郡加悦町算所にあって加悦中学校の真北背後に位置する安良山が城跡、別名加悦城あるいは安良山城とも呼ばれているが、ここでは山上の石碑に「有吉」と彫ってあったので有吉城とさせてもらう。石川氏の居城と伝わるが当時丹後地方を勢力下に置いていた一色氏の重臣であるらしい。

城跡へは国道176号を北上した場合古墳公園を少し過ぎて626号へ左折、後は直進して算所の北側中心部に入る。山上へは数通りのルートがあるらしいが、前日のシュミレーション通りとなる城跡より東側麓にある天理教分教会向かいの山道(大規模な集合墓地参拝道)から墓地に向かう、そのまま墓地の最高所であり最奥から東端尾根に残る踏み跡っを辿れば15分程度で山上主郭までは辿り着ける。偶然ではあるがこのルートでは東端の郭跡までには墓地の最奥を登り切ればすぐでもあり、そこから更に西側に向いて上って行けば尾根上の郭跡は全て確認出来る運びとなるので見て回る効率は非常に良い。

現状(10月)城跡は予想通り雑木は蔓延り生い茂り、倒木は多く荒れ放題の様相を呈しているが、幸いにも視認に難渋するまでには至っておらず、山上における遺構はほぼ判別確認可能と言える状態にはある。欲を言えば切がないが思っていたよりもましな状態であったので一安心ではある、事前情報から一色氏の城跡だと聞いていたのでかなり期待をして赴いたが、やはり結果的には期待を裏切られる事は無かった。個人的に最大となる見所を一つ挙げるとすれば主郭(二郭)を形成する切岸で、状態も比較的良いがその高低差は10m以上はありそう、周囲は全てそそり立つ切岸斜面に覆われている。当時はもっと直立した状態も想像されるが、それにしても凄すぎる切岸である。

地形図から推察すれば城域は四方に広がる尾根上の末端部、更には現在の広大な墓地一帯までをも取り込んでいた様にも見受けられ、未踏に終わったこれらの地域を除いたとしても、その規模は相当大きく城域も広く、更に縄張り妙味も加わり、流石に丹後地方でも有数と呼ばれる大名クラスの山城である。

1route_2 登城ルート

4 城跡遠望

6tozanguti 進入口

2_3ari 城跡概念図

11_higasi_kaku2_1 東郭2

14_higasikaku2_tatebori 東郭1の切岸、縦堀

19_shukaku_minami_heki_1 主郭南側切岸

19_shukaku 山上主郭

21_kita_ygura_1 主郭北下の櫓台土塁

24_nisi_kaku_1 広大な西郭

26_demaru 西郭斜面下の出郭と土橋

2008年10月21日 (火)

山田城跡(京都府与謝郡)

 京都府与謝郡与謝野町野田川上山田にあって祥雲寺北背後の山の山上が城跡、見ようによっては寺院は居館跡の可能性も窺われる。城史に関しての詳細は不明

城跡へは国道176号を北上した場合、与謝野町古墳公園を過ぎてしばらく走り国道312号の看板で左折(西)、そのまま少し走ると右前方の山の中腹辺りに石垣造りの寺院が見えてくるので位置は確認する事が出来る。後はルート図の如く狭い道路を進み上れば寺院の駐車場まで到達出来る。到着後は寺院敷地内の西端から踏み跡の薄れた山道を登って行けば、南から順に郭跡を確認しながらでも主郭までは15分内で辿り着く事が出来る。

1route_3 登城ルート

4_1 国道から城跡遠望

5_tozanguti 進入登山口

3yama 城跡概念図

現状(10月)城跡は中腹までは全て竹林地、山上郭群は雑木林で風化も激しく荒れ放題となっているが、竹林地を除けば木々の密生状態にまでは至っておらず、案外見通しは効く、更に切岸が意外にしっかり残存している為に郭形状はもちろんの事、遺構はほぼ判別確認可能な状態にある。城跡は但馬磯辺城跡と雰囲気が良く似ており立地環境は随分違うが高低差があり壁の如く直立する切岸、規模の大きい郭群などは技巧さでは劣るがほぼ同レベルにあると言ってもよい、ただし残存状態は比べるまでも無く前者に圧倒的に軍配が挙がる。縄張り変化にも富んでおり充分に楽しめるが、見所は何と言っても先に寄った有吉城跡と同様に郭を形成している切岸で、規模の大きい主要郭周囲斜面は全て高低差10mに及ぶ切岸となっており、これらには圧倒される事請け合いでもある。実際に当時は凄い土木量を以って築き上げられたものと察せられる。尚、主郭から南東側竹林地にも麓に向けて数段にも及ぶ郭群が重なり合って形成されているのが外見からも確認出来たが、移動に難渋するとも思え踏破は断念する。城跡そのものが麓から高低差を付けて要塞の如く郭を重ねたものでもあり、技巧的な縦堀などは見受けられなかったが実際は竹林に遮られて見えなかったのかも知れない。11_3maru_gedan

三の丸下段

16_2maru_heki_1 二の丸切岸見所

22_shukaku_e_koguti 主郭切岸と虎口

24_shukaku_3 主郭

33_shukaku_minami_heki 主郭南切岸

27_higasi_hasi_horikiri 東端堀切見所

意外に府内でも丹後と言う僻地に存在するせいか、今一名前が知られていない城跡の様にも窺われるが、遺構残存度は極めて高く、城跡としての規模も比較的大きく、決して見逃してはならない城跡だと個人的には思うのだが、、、

この城跡の様に京都府内にはなぜか城主すらはっきり分からず歴史上にも余り顔を出さない規模の大きい城跡がまだ数多くあると思われるが、現地に赴くと予想以上あるいは期待を遥かに上回る城跡が多く、これからまだまだ未訪となっている丹後地方の山城巡りが非常に楽しみになって来る処である

2008年10月20日 (月)

温江城跡(京都府与謝郡)

京都府与謝郡加悦町温江にあって常栖寺北背後の山の山上が城跡、疋田氏の居城と聞くが詳細は不明

城跡へは先に掲載を終えた尾上城跡を起点にすると説明し易く、ルート図で解る様に国道176号から東に向いて常栖寺を目指す、到着後は寺院境内の子安地蔵横から山上主郭に建立されている小さな権現社までは参拝道が通じているので迷わず到達は出来る。

現状(10月)城跡は、社殿のある主郭の一部を除けばほぼ藪化進行状態にある、しかし縄張りもシンプルで規模も小さい為に遺構の判別確認には手間取らない。見所は多くは無いが敢えて一つ挙げれば登山道中にある堀切跡で、ここには土橋も残存し更に土橋から山上側には土塁虎口跡も残存しており一番城跡らしさを醸し出す遺構の残る場所でもある。

山上郭群は非常に単純な縄張りプランで形成されるものでもあり地理的に考えれば、なだらかに裾野を広げる枝尾根上にも郭は展開されている様にも窺われるが推察の域は出ない。現状南枝尾根に限っては麓まで墓地が続いておりこの一帯までは恐らく城域と思われるがこれも推察するのみで終わってしまった。

尾上城跡からは車で数分の距離にあり、寺院からは山上まで10分内で到達出来る事からも二城同日訪問すれば効率よく山城巡りが出来るように思われる。

1route 登城ルート

3ati 城跡概念図

8_minami_horikiri_dobasi_1 南堀切土橋見所

11_koguti_dorui_1 土橋上部の土塁虎口

14_shaden 山上主郭

15_shukaku 主郭

20_nisi_kaku_2 西郭

19_dobasi 山上東郭側の土橋

尾上城跡(京都府与謝郡)

  京都府与謝郡加悦町尾上にあって、個人的には丹後地方における山城訪問リポートとしてはトップを飾る事になった城跡になる、新井氏の居城と聞くが詳細は不明

城跡へは国道176号を北上した場合、尾上地域に入れば国道から水田を隔ててすぐ右手に見える位置にあるのだが、周りが水田ばかりで目印となるものも無いので、ルート地形図から想像して城跡の位置を確認してもらうしか方法はない。目星さえ付くと国道から一直線に丘陵先端まで細い農道を歩き、突き当たりの獣避け高圧電線を越えればすぐ城跡進入口は見つかり(見つからなくてもすぐ直登出来る)、西出郭先端部には到達出来る。

城跡は現状東側が民家及び住宅地あるいは畑地になっている為に、どれだけ地形改変があったのかは想像するしか無いが、肝心の主郭周りは社殿もある事からか人の手も入っておらず、荒れ放題ではあるが土塁、空堀、堀切などの遺構が判別確認出来る状態にある。もちろん主郭を形成している切岸も鮮明に残存しており全体の残存度は非常に高いものと言える、特に城跡南側は水田脇の小川まで高い高低差を以って直接切岸が鋭角に落ち込んでおり、当時の丘城としての状態を想像させるものともなっている。現在の東民家側は地形的には広大な平坦台地となっているが、案外本来からこの様な縄張りプランであったのかも知れない。

1_2 登城ルート

5 城跡進入路

3on 城跡概念図

7_nisi_kaku 西郭

10_horikiri_dobasi_1 堀切土橋

15_shukaku_kita_dorui_2 主郭の土塁

21_yagura_e_dorui_1 主郭櫓台切岸

20_yagura 櫓台

24_karabori_1 空堀

27_higasi_yasiki 広大な屋敷跡地

外見から判断する処、小規模な砦跡を想像して赴いたのだが予想に反して規模は大きく、山城とまではいかないので技巧的な遺構は求められないが充分に満足感を得る事は出来た。国道から10分内で訪問出来る環境にあるので国道を通った際には軽い気持ちで立ち寄ればそれ以上の期待には必ず応えてくれる、そんな城跡の一つである

城跡は地形から察する処、道路を隔てた東側の尾根上も城域になるのかも知れないのだが、今日の訪城予定を考えれば長居は出来なかったので踏破までには至らず、次の目的地に急ぐ事を優先した。

2008年10月19日 (日)

長谷高山城跡(兵庫県佐用郡)

兵庫県佐用郡佐用町横坂にあって中国道「佐用」ICから国道を隔ててすぐ東側に聳える山の山上から南側尾根上が城跡、山田氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは中国道「佐用」ICから国道373号降りればすぐ右折、そのまま直進南下で高架下を潜りすぐに左折し再度高架を潜れば登山遊歩道のスタート地点である駐車場まではすぐに辿り着ける、そこからは遊歩道に従えば迷わず山上主郭までは20分内で到達出来る。

現状(12月)城跡は霧が濃かった為に視界は悪いが、城跡公園として整備されているので木々も少なく、更に冬季である為に下草も少なく山城見学としては非常に良い状態にある。この霧がなければ最高のコンディションであったのに非常に残念である、数年前に一度下草が伸び放題の夏季に訪れたが、たまらず途中から引き返した事があり、今回は状態の良い冬季を狙ってのリベンジとなる訪問になったのだが、又しても難癖が付いてしまった。

城跡は縄張り妙味はさほど無いものの規模は東側山上平坦地まで取り込むとかなり広大な郭占有面積を所有しており見応えは抜群と言えるものである。城跡の最大の見所は西郭群で眼にする事の出来る石垣跡で、残存状態も良く残存規模も幅数10mに及ぶもので往時を思い起こすには最高の遺構となっている。他にも郭壁随所に石垣痕は見受けられ当時は石垣で固められていた山城の姿をつい想像してしまう。

数年後には三度目の訪問が叶っていそうとも思える、山歩きも同時に楽しめて、なぜか飽きの来ない素晴らしい山城である。

1_hasekou 登城ルート

3z 城跡概念図

4 登山遊歩道入り口

10_2jyuu_horikiri_1 南西端の二重堀切

22 段郭群

33_nisi_dnkaku_yori_shukaku 西郭群より主郭側

39_tanizoi_kaku 39_tanizoi_kaku_3_2 西郭群の石垣跡

29_shukaku_kitakaku 主郭東側の郭跡

後屋山城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市氷上町新郷にあって居館跡とされる後屋城跡からは真西に聳える白山(標高547m)山上が城跡、麓にある後屋城は赤井氏(後には荻野氏)発祥の地ともされ山城の方は詰城と見受けられる

城跡へはまず国道175号から一般道109号に入り白山神社のある後屋城を目指す、こちらは居館跡とされる平城なので敢えて訪問リポートは掲載しないが大土塁、水堀跡、郭跡及び石垣跡などが広大な敷地の中に明確に判別出来る状態で残存しているので白山に上る前には見学しておくと良いだろう。

後屋山城へ上る白山登山口は道路沿いの案内板のある場所からそのまま山に向いて進めば自然に登山道(旧白山神社参拝道)となって山上までは迷わず辿り着く事が出来るが、およそ片道50分は掛かる

1z 登城ルート

4_enbou_1 城跡遠望

3 後屋城跡概念図

3haku 後屋山城概念図及び状況コメント

14_demaru_1 中腹の出郭跡

33_kaku 北側の二段郭跡

52_shukaku_nai_2 53_shukaku_nai_1 山上主郭

61_minami_hasi_e 南側の尾根、物見か

2008年10月18日 (土)

草生城跡(三重県津市)

三重県津市安濃町草生(クサワ)にあって、既に掲載済みである長野城を支城とする長野氏の一族で草生氏の居城と伝わる

城跡へは国道163号伊勢街道から県道28号に入れば道任せでルート図の如く菅原神社東の大師堂を目指し進む、到着後はその東側の丘陵上が城跡となるので住宅地の背後にあるフェンス沿いを進めばすぐに城跡西端に辿り着ける。

現状(11月)城跡は下草も雑木も多く蔓延ってはいるが、遺構はほぼ判別確認可能な状態となっており、最大の見所でもある主郭周囲を囲む空堀土塁は現在でも深さを保持しており楽に築城時の状態に思いを馳せる事が出来る。

他の見所としても石垣跡が二の丸空堀壁に残存し、更には低い主郭櫓台壁にも石垣痕が残っており土中を掘り返せばまだまだ残存している様にも窺える、小規模ではあるが見る限り本格的に築き上げられており、見る者にとっては非常に好感の持てる城跡でもある。小規模が故に全体の縄張りは把握し易いが、現在南側に住宅が隣接している為に、どこまでの縄張りにおける地形改変があったのかは見る者が判断するより方法は無い状況である。

道路沿いから5分も掛からずにこれだけの遺構を拝める城跡など他では中々見受けられない! 一見の価値のある城跡と言える

1_2 登城ルート

2zz_2 城跡概念図

3_kuti_2 住宅背後の進入路

8_shukaku_sita_karabori_1_2 9_2 主郭周囲の空堀

18_2maru_hori_isi_2 二の丸空堀壁の石垣跡

22_2maru_yori_shukaku_2 二の丸より主郭切岸

27 主郭櫓台

12_higasi_kakugun 東郭群

伊賀丸山城跡(三重県伊賀市)

三重県伊賀市下神戸にあって近鉄伊賀線丸山駅より川を隔てて南東に位置する丸山の山上が城跡、天正伊賀の乱で有名となった城跡で織田信雄が築城と伝わる

城跡へは名阪国道「上野東」ICで降り国道422号で南下、丸山駅を越えて更に橋を渡り消防署で左手に折れる、後はルート図の如く進み案内道標は無いが民家横より登山道が山上まで通じているので、それに従えば尾根上の郭跡までは10分もあれば辿り着ける。

現状(12月)城跡は冬季ともあって落葉は多いが下草も少なく、山上全域を占める郭群に限って言えば、残存状態も見通しも良く遺構の判別確認は容易に出来る状態にある。城を形成するべく技巧的な遺構は全て備わっており、更に縄張り妙味も加わり城跡全体を飽きることなく観て回る事が出来る、広大な主郭には小型ではあるが土塁で囲まれた櫓台(天守台)も備わり、別に虎口を監視する櫓台までも設けられており、土塁城でありながらも石垣城の様相を呈している。見所を挙げるとすると天守櫓台周りを筆頭に主郭東虎口横の大土塁を伴う二重空堀、更には堀切を挟んで整然と並んだ北郭群になるが、どれも切岸の状態が良く当時を思い起こすに充分な遺構群であると言える。

1 登城ルート

3z 城跡概念図

山上郭群以外では登山道中に段郭群を確認する事が出来たが、上るにつれて雑木も密生しているので斜面上は郭跡の存在を外見から確認するのみで終わり、主郭より麓民家に繋がる南枝尾根上にも郭の展開は予想されたがこちらは踏破は断念する。

城跡は流石に織田の関わっただけに立地環境を含めた縄張りプランが素晴らしく膨大な土木量で本格的に築き上げられており、見るものに少なからず感動を与えてくれるものである。未踏地の部分を含めなくとも城域は相当な規模でもあり、やはり「伊賀随一の城」と言う名に相応しい事を改めて実感する事が出来た。

20_one_horikiri_1 尾根上の郭跡

28_nisi_demaru 西出郭群

34_tenshu_minami_gedan 天守櫓台と虎口郭

42_tenshu_higasi_heki 天守台東切岸

43_shukaku_nai 主郭

47_2jyuu_dorui 二重空堀土塁

56_kita_demaru_e 北郭群

48_2jyuu_karabori_2 東虎口空堀

2008年10月17日 (金)

風呂ヶ谷城跡(兵庫県三田市)

兵庫県三田市けやき台六丁目にあって近年宅地造成された場所に主要郭のみ残し残存、古い形態を持つ山城と見受けられるが宅地造成によってどこまでの地形改変があったのかは想像するのみ。

城跡はルート図の如くけやき台六丁目住宅地を目指せば、東端の分かり易い場所にあるのですぐ確認出来る。

この城跡は住宅地のお陰で山上主郭までは車ですぐ辿り着けるが、東側麓から城跡を望めば中々立派な山城の様には見える。当時は地形図から窺える様に丘陵最高所に主郭を構えて住宅地一帯の台地上にも郭が並んでいたであろうとも想像されるが、現状では小規模な物見あるいは狼煙台程度の堀切を挟んだ三郭跡を残すのみとなっている。

この城跡をきっかけとして山城に興味を持ち、城跡巡りを今から始めようとする人達にとってはうってつけの城跡の様に思われる。

1furo 登城ルート

3 城跡概念図

4_2 駐車場から主郭を望む

6_karabori 近世造成の空堀か?

7_horikiri_1 堀切

10_shukaku_nai_1 東郭跡

9_shukaku_gawa_horikiri_2 中郭と東郭間の堀切

13_higasi_hasi_horikiri 東端の堀切

2008年10月16日 (木)

生野城跡(兵庫県朝来市)

兵庫県朝来市生野町口銀谷にあって生野の町並みから北側に臨む事が出来る標高609mの一際目立つ古城山山頂が城跡、山名氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは播但連絡道あるいは国道312号で北上した場合信号「生野」を過ぎて国道429号に進路変更、少し進むと北側美術館方向へ進路を変えて狭い道を通れば登山口である「びわの丸公園」には到達出来る。ここからは登山道で山頂まで登れるので迷わず辿り着けるが比高250mもあり、九十九折りの山道を休憩を挟み40分前後かけてやっと山上に到達出来た。

現状城跡は12月ともあってか下草は枯れており木々の少ない事からも見通しが良く、遺構の判別確認は容易な状態にあり、案内板に描かれてあった縄張り図通りにはほぼ見て回る事が出来た。これだけの高所が故に堀切などは期待はしていなかったが数箇所で眼にする事が出来、更に石垣跡も主郭並びに二の丸壁にて土中より顔を覗かせているのを確認する事が出来た。これらから判断すれば当時は恐らく主郭及び二の丸外壁は全て石垣で覆われていた様にも見受けられる。郭も高低差を以って主郭周りに設けられており案外山上における郭占有面積はありそうに思われる。

Route 登城ルート

3_1 南西より城跡遠望

2nawa_1 案内板の縄張り図

5_nisi_kakugun 南西郭

9_3maru_heki 三の丸側

12_2maru 二の丸より主郭切岸

21_shukaku_nai 主郭

22_shukaku_kita_isi 主郭壁の石垣跡

29_horikiri 主郭北堀切

26_kitakau_yaguradai 北郭角櫓台跡

城跡は縄張り妙味もあり見て回るにも次の遺構に必ず期待を持たせてくれる分、予想以上に楽しむ事が出来た。おまけに冬枯れのせいで状態が非常に良く、更に遺構残存度も高く高所に位置する山城らしく切岸高低差があり、しかも石垣で形成された跡も窺え現状では山城の魅力を余すことなく伝えている様に感じられる。更に山容に険峻さが加われば正に「天空の城」と呼べたかも知れないが、、、しかしこれぞ山城と呼ぶに相応しい城跡である事だけは確かである!(山歩きも楽しめ再訪したい城跡の一つになった)

尚、縄張り図の中には井戸跡も付記されてあったが未確認に終わり、西側斜面を降りれば西郭跡もあった様だが次の目的地も控えていた為に踏破は断念する。

九鹿城跡(兵庫県養父市)

兵庫県養父市八鹿町九鹿にあって集落の西側にある龍蔵寺の東側に突き出した尾根先端上が城跡であり、現在その末端にある神社敷地も城域と見受けられるが確証は無い

城跡へは国道9号あるいは312号で一般道267号に入り車で西に向うと道路北側に龍蔵寺があるのでここに駐車させてもらう、寺院より細い道をそのまま東側へあるけば神社があるのでそのまま石段を登り、更に神社背後の丘陵に取り付きそこから少し上ればすぐに削平された郭跡に到達出来る。

現状(五月)城跡は雑木藪で覆い尽くされており唯一最大の見所でもある大堀切(高低差数10m)から北側の主郭までに至っては藪漕ぎ覚悟の進軍となり、郭形状及び郭内部の遺構などは確認すら出来ない状態となっている。城跡が東西に幅も狭く小規模であるが為にある程度は推察出来、縄張りはほぼ把握する事が出来たが、結果的には中央と北端に位置する二本の大堀切が城跡における一番見応えのある遺構で、城跡としては砦規模の山城の域は出ていない様に思われる。

1_2 登城ルート

4 城跡南端の神社

3k 城跡概念図

8 中央の大堀切見所

11_kita_horikiri 11_kita_horikiri_1 北側の大堀切見所

2008年10月14日 (火)

祢布城跡(兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市日高町祢布(ニョウ)にあって既に掲載済みである宵田城跡からは国道が城山トンネルを抜けた真北側の尾根先端部に位置している城跡。南北朝期には成立しており高田氏の居城であるが山名氏によって攻略されている模様、詳細は不明

城跡は国道312号を北上した場合トンネルを抜けてすぐの482号が交わる交差点から既に北西に臨む事が出来、ルート図の如く左道にそれて楯石神社を目指すと分かり易く神社上り口まではすぐ辿り着ける。後は神社石段を上り背後の山上に向けた山道を上れば数分で山上主郭には到達出来る

現状(九月)山上までは下草及び笹藪で覆われており山道はともかくとしても郭内は視認し難い状態あるいは移動もし難い状態になっている、それでも何とか主郭内には侵入出来たが北側に連なる段郭群の形状までは把握する事が出来なかった。まして縦堀の有無などは斜面全域が雑木笹藪の為に確認も出来ない状態と化している、大堀切を挟んだ西側には堀切を中央に設けた西郭があり更に南側には南郭が細長い形で配されているがこちらは藪に悩まされる事も無く見て回れる。

城跡全体を観れば小規模でもあり砦規模の山城ではあるが主郭西壁の堀切高低差は10mにも及ぶもので見応えがあり、この切岸が城跡唯一の存在感を示すものともなっている

現状九月ともあってこの様な状態ではあったが冬季の訪問であれば少しはましな状態になっているとも思えるし、神社からは数分で山上までは到達出来この大堀切を拝む為だけに山上を覗いても決して後悔はしない様な気はする

1route2 登城ルート

3ne2 城跡概念図

258 堀切切岸見所

257 264大堀切見所

267 西郭の堀切跡

268 南郭

妙楽寺城跡(兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市妙楽寺にあってJR豊岡駅からは真南に位置し但馬文教府とは同じ丘陵上にある城跡、山名氏の居城と聞くが城史に関しての詳細は不明

城跡へは市内からルート図の如く但馬文教府を目指せば分かり易く、文教府の北裏手からすぐ城域となるが建物を抜けなければならないので駐車場のある福祥寺の墓地から背後の山上主郭を目指す。現状(九月)山上には小社及び石仏群が幾つもあり山道を辿ればほぼ城跡全体を快適に見て回れる状態となっている。

城跡は全域が寺院の一部になっており戦国期より後に置いてどこまでの地形改変があったのかは察するしかないが、城跡を一言で語るとすれば「縄張り妙味にも富み丘陵地にありながら高低差のある切岸を以って人を寄せ付けず、膨大な土木量で丘陵を削り出して築かれた城域の広い凄い城跡」と言う事になる。

但馬地方の山城の特徴でもある主郭となるべく郭跡が居館跡としても相応しい規模でもあり丘陵上の東西に渡って広大な規模を所有している。更に文教府のある南側にも郭跡は展開されており、二の丸に相当する規模の大きな郭跡を挟んで尾根上は満遍なく南郭群で占められている。未踏ではあるが西側尾根更に東側尾根辺りにも当然縄張りは広がっている様にも推察される、それほど地理的にも余裕があり想像と期待を持たせてくれる城跡なのである。恐らく文教府の敷地も本来は郭跡の様にも窺われ本殿のある寺院敷地及び墓地までをも城域として取り込んでいた可能性も見受けられる。細部に目を配れば土塁、堀切、山上社周りの空堀と当時に思いを馳せることの出来る遺構も多く、決して見る者を飽きさせない山城でもある。

1route 登城ルート

3myo 城跡概念図

7_sanjyou_yasiro_nisi_1 山上郭東側

9_yasiro_karabori 社周りの空堀

11_sanjyou_nisigawa_2 山上郭西側

15_yasiro_kaku 西社のある郭、土塁

21_minami_kaku_heki 南郭切岸

26_minami_saidai_kaku 南郭群

30 二の丸堀切

尚、先に掲載済みでもある高屋城跡もすぐ北側数分の距離にあるので二城同日訪問によって効率よく見て回れる様に思われる。豊岡市内及び駅からもほど近く、手軽に行けて戦国期の遺構も数多く残存していると見受けられるので豊岡に立ち寄った際には決して見逃してはいけない!

2008年10月13日 (月)

西古佐城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町西古佐にあって国道176号「西古佐」の交差点真西に位置する山(標高320m前後)の山上が城跡、城史としての詳細は不明

城跡へはローソンがある「西古佐」の交差点から数10m北にある新設された広い道路を左折するとすぐに天理教の分教会が目に留まる、その脇から南側に向いて畑に向う細い道があるので道に任せて進むと最奥に大きな作業所がありその脇にある山道を利用して尾根に取り付く。(山道は途中から踏み跡も消える)後は山上へと常に上る方向で進めば最初の尾根上に40~50mはありそうな削平跡の窺われる郭跡に出くわし、更に上るとスタート地点である分教会より所要時間20分程度で山上郭群には辿り着ける。

現状(10月)山上郭は相当荒れ放題となってはいるが案外樹木も少なく見通しも効く為に縄張り全体像は摑み易く、技巧的な遺構が少ない分ほぼ遺構は判別確認可能な状態にある。遺構として郭跡、切岸、土塁、埋もれてはいるが堀切跡などを確認する事が出来るが、規模は予想していたよりも大きく主郭から東側へ更に規模の大きな郭跡が付随している。勝手に簡易的に築かれた山城を想像していたが削平跡及び切岸も明確に窺え本格的に築かれた城跡の様には見受けられる、真東に向う尾根上は未踏になったが郭跡が展開されていたのかも知れない。

1route1 登城ルート

3n 城跡概念図

4 登山進入路

7_tyuufuku_kaku_1 北東中腹の郭跡

9_higasi_kaku_2 東郭

12_shukaku_minami 南郭より主郭土塁

16_shukaku_heki 主郭切岸斜面

19_kita_hasi_heki_1 主郭北側切岸

城跡は地元の方に訪ねても全く知らない様子でもあり、城跡の情報も皆無で場所の特定にも至らずにスタートした事もあって何時もの様に地形図頼みで登山するしか手が無かったが何とか無事に辿り着く事が出来た。、城跡全体を考えれば縄張り妙味も無くとても見応えがあるとは言えないが、最初からほとんど期待をしていなかった城跡でもあり、これだけの遺構に巡り合えた事で非常に満足感に浸る事は出来た。

下山に関しては麓までは多くの枝尾根が広がっており元のルートで引き返す事は至難の技で流石にスタート地点である分教会に素直には辿り着けなかったが、結果的には最短距離で麓東南側にある墓地から道路に降り立つ事が出来た。幸運にもそこは最初に取り付き地点として考えていた場所の一つでもあり車まで引き返すに容易でもあり一安心に至る

小阪城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市小坂にあって集落の東に位置する明月神社の真北に聳える山の山上が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡は既に掲載を終えている板井城跡及び木之部北城跡からは道路を北側に数分移動した位置にありその道路沿いにある明月神社を目指せばすぐ確認する事が出来る。神社背後の小山も上って見れば一部削平された郭跡が数段あり物見程度で機能していた様には見受けられる。神社前に車は駐車出来るのでそこから歩いて北に向うと「あかつき広場」の看板及びその先には山道が目に留まるのでそれを利用して墓地まで向かい、更に北側へ向いて急斜面を上れば10分内で山上主郭へは辿り着ける。

城跡は非常に小振りな山上郭で全長30mあるかないかの規模の単郭構造で帯郭を付随させて形成されており、自然巨石を用いて郭壁あるいは虎口としており最上段には櫓台とも見受けられる自然岩で囲まれた小さな郭跡も眼にする事が出来る。現状帯郭壁には切岸処理も窺え地表は荒れて凸凹してはいるが削平の跡も窺う事が出来る。北帯郭の斜面を下りれば堀切(獣避けフェンスがある)となっており更に北へ上ると山上主郭より規模は大きい削平跡のある郭を眼にする事が出来る。

1route

登城ルート

7 進入路

3k 城跡概念図

17_ooiwa_koguti_kaku_1 大岩虎口郭

23_nisi_obi 西側帯郭

26_nisigawa_heki 西側切岸

34_nisi_obi_sita_kyoseki 西側帯郭下の巨石壁

27_yagura_iwa 櫓台

38_kita_yori_kita_kaku_heki 北郭北切岸

40kita_one_kaku_2 北尾根上の郭

尚、山上郭に到達する手前で見ようによっては畝堀に見える連続縦堀跡を目にしたが、ほとんど埋もれておりこれを遺構とするかどうかは見る人の判断に委ねるしか方法は無い様に思われる。山上主郭は小規模な為に容易に全体像を摑む事が出来、ほぼ手付かずの完存状態にある様に見受けられるものであるが、この規模から察するには物見郭あるいは狼煙台程度の機能しか頭に浮かんで来ない、しかし10分程度で山上まで上れる手軽さもあり戦国期のこう言った小規模な山城跡を楽しむのも中々風情があって有意義なものと言えるのではないだろうか

2008年10月12日 (日)

河内城跡(兵庫県加西市)

兵庫県加西市河内町にあって河内集落の西側に位置する山の山上が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは中国自動車道「加西IC」から県道24号を北上、ゴルフ場の間を抜ければルート図の如く左側(北側)に進路を変え民家横辺りの真っ直ぐ山に向う未舗装農道を進めば最奥に小さな道標があるのでここから登山道だと確認は出来る。後は道に任せてそのまま上ると迷わず20分程度で山上までは辿り着ける。

1route_2 登城ルート

4_tozandou 登山道への進入路

3ko 城跡概念図及び状況コメント

8 登山口道標

13_higasikaku_1 東郭

15_nisikaku_gawa_1 東より西郭側

17_higasi_horikiri 東側堀切

21_nisi_horikiri 西側堀切

23_nisikaku_1 西郭

25_minami_obi 西郭南帯

金釣瓶城跡(兵庫県小野市)

兵庫県小野市昭和町/新部町にあって青野原病院の東側に位置する丘陵上が城跡、赤松氏の被官である中村氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは県道23号から青野原病院を目指し同じ丘陵上にあって東側に位置する夢の森公園が城跡となるので容易に到達する事が出来る。

この城跡は青野病院敷地辺りから東側の城跡に至るまでは広大な平坦地が続き近世において造成したものとも思われるが東側の麓の農地側から城跡を窺うと立派な山城である事がよく分かる。現在城跡公園として当時の姿にまで復元が良く行き届いており往時に思いを馳せる事も容易である様に思われるが反面、果たしてこの城跡の様相が本来の戦国期における山城の姿なのかは個人的には疑問が残る処ではある。

現状堀切などは相当深いものが残存しており見応えもあり、更に西側の郭切岸が数10m下の谷底に落ちていく様は圧巻でもある。復元後の山上郭跡あるいは城跡全体としても残存状態が良く、規模は小さいが見学するに充分値する城跡だと言える。

1_1 登城ルート

3_2_2 城跡概念図

7_daihorikiri 大堀切

12_horikiri_nisikaku 堀切上の渡り木橋

6_horikiri_kibasi 正面土塁虎口

9_dorui_koguti_2 土塁虎口

13_shukaku_nai_2 山上主郭

21_demaru_yagura 出郭物見櫓

23_demaru_sita_obi_1 出郭下段郭

2008年10月11日 (土)

長棚城跡(大阪府豊能郡)

大阪府豊能郡豊能町吉川/兵庫県川西市黒川にあって丁度兵庫県との県境に位置しており能勢電鉄黒川駅の西側に位置する山の山上から東尾根上が城跡、山下城を居城とする塩川氏の支城と伝わるが詳細は不明

城跡は別名吉川城とも呼ばれており個人的にもどちらかと言えば吉川八幡のある大阪府の城跡としての印象の方が強い事からカテゴリーとしては大阪府の山城とさせて貰うが、国道477号を北上した場合ルート図の如く黒川駅(妙見山へのケーブル駅)の数10m手前を左に折れて吉川集落に入り登山口である八幡神社を目指せば分かり易い。

神社到着後は山上に向けて案内板と伴に登山道が通じているので、道に従って上れば迷わず山上主郭には辿り着けるが、途中道を外れて尾根沿いに東へ向うと東出郭と呼んでよいのか、尾根上に相当な規模を持つ風化によって荒れ放題の郭跡を確認する事が出来る。東尾根上に堀切あるいは内部に土塁などの遺構は認められなかったが、街道に近いこともあって砦遺構である事には間違いの無い処であろう、ここからそのまま尾根上を逆に戻り登山道を上れば15分程度で山上主郭には辿り着ける。

現状(一月)山上主郭はある程度整備されており、見通しも利きほぼ単郭構造である事からも遺構の判別は容易な状態にあるが、遺構と言っても土塁、虎口跡、空堀程度までで技巧さはほとんど眼にする事は出来ない。もちろん築城時における縄張りプランによるものであろうが過酷な戦国期を改修を重ねながら乗り切った城跡の様には見受けられない。更に西側に向いて斜面を上ると尾根上を削平した広大な郭跡が西に延びて残存しているが、これもその当時の城跡遺構なのかどうかは分からないままである。

1route 登城ルート

3_1 城跡概念図

10_higasi_demaru_1 東出郭

19_shukaku_nai 山上主郭

20_shukaku_kita_koguti 主郭北虎口

17_karabori_dorui 空堀土塁

23_shukaku_nisi_kirigisi 主郭切岸

23_shukaku_nisi_kirigisi_1 主郭西下段

25_nisi_yori_shukaku_gawa 西郭より主郭側

26_nisi_sizenkaku 広大な西側山上尾根郭

この古い形態を持つ城跡に縄張り妙味などは求められないが、築城時においてはこの程度の防備機能で充分通用したとも考えられ、案外改修もされないまま廃城となり現在に至った可能性もあるのではないだろうか

木之部北城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市西紀町西木之部にあって既に掲載の終わっている板井城跡とは程近く、更に城跡の東側には内場山城跡も位置している、城史に関しては詳細は不明ではあるが近辺の城跡(板井、内場、宮田)は山名氏による築城ものが多く恐らく山名氏によって築かれたものと察せられる。

城跡への分かり易い道順としては国道176号「長安寺」の交差点から東に折れ道沿いフェンス横の忠魂碑のある場所まで少し走る、そこから左手側の丘の上に墓地が目に入るのでまず麓の墓地用具小屋脇を通り墓地まで上る、その奥からは直登になるが山に向いて尾根急斜面を15分程度上れば山上主郭までは辿り着ける(斜面はきついが藪漕ぎまでには至らない)

山上郭群は砦あるいは物見郭規模で北側に二連の風化中の堀切はある郭数も少なく、古い形態の為か削平跡は窺えるが土塁も見当たらず僅かな切岸のみが城跡であることを物語っている。現状(八月)夏季にも拘らず下草及び木々が少なく整備の跡も多少窺え、規模の小さい事からも全体像が摑みやすい状態になっている。なぜか小さな主郭櫓台上には新しい木製ベンチも備わり山上休憩地及び展望所になっており、直登ルートで上った時にも途中からは木の滑り止めの階段が備わっていたので不思議に感じられたが山の所有者が見学者の為に個人的に整備されたものかも知れない。

1route2_2 登城ルート

5 登城進入口

3kzz 城跡概念図

18 主郭南側

20_shukaku_2 主郭櫓台

20_shukaku_higasi_heki 主郭北切岸

21_kita_gedan_1 主郭北下段

21_kita_gedan_yori_shukaku 北より櫓台

26_horikiri_dobasi_1 堀切土橋

4 内場山城跡

城跡は非常に小規模なものであるがこの楚々とした雰囲気の山城はなぜか存在を訴えかけている様にも思われ非常に好感が持てる。城跡の真東数分の距離には全域が踏み込むのを躊躇するほどの藪に覆われた内場山城跡があるが、鳥居を潜り神社までは到達出来るので興味のある方は覗いて見るのも良いだろう、現状では郭跡及び空堀土塁跡は確認する事が出来た。

2008年10月10日 (金)

南矢代城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町南矢代にあってJR南矢代駅のほぼ北側に聳える鉄塔のある山の山上が城跡、酒井氏の居城と聞くが詳細は不明

城跡へは国道176号を北上した場合JR南矢代駅を過ぎてルート図の如く鉄塔の東側の国道からすぐ左に入った墓地から鉄塔巡視路を利用しての登城となるが、鉄塔を過ぎれば適当な箇所で左手側の斜面に取り付き最初に出くわす規模の大きな郭跡から確認しながら上って行くと効率よく見て回れる。墓地からは急斜面ではあるが10分もあれば南端の広い郭跡には辿り着けるので案外お手軽な城跡と言える。山上主郭まではそのまま尾根上を上れば郭跡を確認しながら到達出来る

現状(7月)城跡はこの時期でも下草も少なく割りに見通しも良く、藪で難渋する事もないので快適に見て回れ遺構は全て判別確認出来る状態にあるが、縄張り妙味があるとは言えず城跡ほぼ中央に位置する一本の堀切と土橋が唯一の技巧差を醸し出す遺構となっている。残存状態はそれなりに良い部類に入るがこれと言った見応えのある遺構がないので山城としては今一物足りなさを感じる。しかし山上全域がほぼ規模の大きい郭跡で埋め尽くされ城跡における郭占有面積も相当なものがあり城跡としての醍醐味を感じる事は出来る。

下山の際は主郭東側を下りた場所にも土橋経由で規模の大きな郭跡があるのでそちらに寄って郭跡を確認しながら北側の墓地まで直下山しても、スタート地点に戻るまではそんなに時間は要さない。

1route 登城ルート

4_1 東より城跡遠望

3n 城跡概念図

9_minami_sizen_kaku 広い南郭

16_horikiri_dobasi_1 堀切土橋

20_minami_kaku 主郭南下段郭

23_gedan_yori_shukaku_heki 南側より主郭切岸

30_higasi_kaku_1 東尾根の東郭

2008年10月 9日 (木)

堂山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市曽地口にあって磯宮八幡宮の真南に位置する小山が城跡、この城跡も上宿城と同様に明知軍の陣城と伝わっている様だが更に南側の山塊には曽地城跡もありこの周辺には井上、上宿城更に距離はあるが般若寺城とまだ多くの八上城に対する向城があり城跡巡りには打って付けの地域でもある。

城跡へはルート図の如く国道372号あるいは県道12号からでも、池の傍にある公民館を目指せば城跡となる小山は既に見えてくるので場所はすぐに確認する事が出来る。駐車は可能となっているので公民館からは背後の池の堤防沿いに歩きそのまま竹林奥の山道を上れば最短10分内で山上郭に到達出来る。

1route2 登城ルート

7_1 進入路

Zz 城跡概念図

13_2maru

二の丸

17_2maru_sita_karabori 二の丸下の空堀

10_shukaku_higasi_obi_2 東帯より主郭切岸

15_shukaku_nai 主郭

現状(7月)城跡はかなり雑木も多く藪化進行中ではあるが視認及び移動に難渋する事も無く山上における遺構の判別確認は全て可能な状態にある。砦規模の小規模な山上郭群ではあるが切岸、土塁、空堀、土塁虎口遺構などは判別可能であり、これらは風化によって多少曖昧にはなっているが当時は本格的な土木量によって築かれたと察する事が出来るものでもある。

尚、県道12号を挟んだ東側には上宿城跡もすぐに望める場所にあり、更に県道12号をルート図の如く少し南に向うと厄神前バス停の東側の八幡神社が堂中砦跡にもなっているので、そちらにも足を向ければ三城同日訪問で効率よく山城巡りをする事が出来ると思われる。砦跡は現在神社敷地として転用されており改変は認められるが大空堀及び土橋は当時の遺構としても良いのではないだろうか。

3 堂中砦跡概念図

9 郭内の社殿

13_dobasi_1 土橋と大空堀

上宿城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市上宿にあって上宿集落の南奥に位置する低山の山上が城跡、八上城に対する明智軍の向城あるいは陣城と伝わる

城跡は先に掲載を終えた井上城跡からは国道372号及び篠山川を挟んで真南側に位置しておりルート図の如く国道から無住の西安寺を目指して進入する、ほぼ突き当たりが寺院でその背後の尾根は既に城域となる。寺院脇にある墓地より直接斜面に取り付いて深い縦堀に沿って上れば西端の郭跡にはすぐ到達出来る。後は尾根に沿って東へ上れば尾根上に郭跡、堀切土橋を確認しながら南北に長い本郭群に辿り着ける、こちらは北に長く狭い移動尾根道を挟んで北郭群と南郭群とで形成されており規模はいずれも櫓台程度のもので小規模なものだが郭跡には削平、切岸処理は確認出来る状態である。

現状(7月)城跡は夏季ではあるが思ったより藪化は進行しておらず遺構はほぼ判別確認可能な状態にあり、取り立てるほどの見応えのある遺構には巡り合えないが縄張り変化にも富み山城としての醍醐味は充分味わう事が出来るものとなっている。この時期でこれだけ動き回れる状態であれば冬季の訪問となれば更に快適な状態で山城を味わえるのではないかと思われる。

1route 登城ルート

3k3 城跡概念図

7 西縦堀見所

16_karabori_dobasi_1 西郭の空堀土橋見所

17 西郭群

26_minami_kaku 南郭群

28_minami_shukaku 南主郭

31_shukaku_obi_yori_heki 北主郭切岸

2008年10月 8日 (水)

禄庄 大沢城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町大沢にあってJR篠山口駅のすぐ西側の小山が禄庄城跡、その尾根を南に上れば大沢城跡がある、酒井氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは国道176号よりルート図の如く駅の北西側を八幡神社に向けて進入する道があるのでそこから登山口である八幡神社を目指す、到着すれば登山ルート図付きの案内板もありそれに従えば登山遊歩道で迷わず禄庄城跡を経由して大沢城跡までは辿り着ける。

案内板から登山道を少しばかり進むと谷間に屋敷跡あるいは居館跡と見受けられる規模の大きい郭跡群が目に入るがこれらも当時の遺構ではないかと察せられるが確証は無い。

山上を目指し最初に到達するのが北先端郭で麓の案内板には禄庄城跡として紹介してある郭跡になるが周りを帯郭が取り巻くだけの物見程度の狭い郭跡で規模も小さく名前まで付けてある理由が余り理解できない、どう見ても大沢城の出郭(物見)程度にしか見受けられないものである。大沢城跡へはここから一旦斜面を下り、更に南側へ尾根を上れば辿り着く事が出来る。

現状(11月)城跡は登山ルートが山上郭内を通っているので比較的木々も少なく遺構は郭跡、堀切といった程度であるが判別確認は容易である。縄張り妙味も無く見所も無いので城跡としての醍醐味は全く感じられないが、トレッキングとして自然を満喫する分には最適な山城と言える。

1route_1 登城ルート

3o2 城跡概念図

14shukaku 禄庄城跡

17_minami_dan 禄庄城跡南側斜面

29_kaku2_heki_horikiri 大沢城跡の切岸と堀切

31_kaku1_dorui 東郭の土塁跡

36_shukaku_nisigawa 主郭西側

2008年10月 7日 (火)

谷山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町谷山にあって集落より南側最奥にある法福寺の南側に聳える山の山頂から北尾根上が城跡、八上城主波多野氏の老中である平林氏の居城と伝わるが波多野氏滅亡後の詳細は不明

城跡へは先に訪問リポートした吹城跡に向う為の篠山市内を東西に跨る一般道を利用し谷山集落へ南下する。城跡となる山は既に視界に入っているので見当は付け易く登山口となる法福寺を目指し進む。寺院に到着後その東側辺りに沢水となって流れている溝があるのでそこを渡れば細い山道が現れいよいよ登山開始となるが、山道は途中から消え去るので後は尾根に沿って南側へと上れば斜面に郭跡を確認しながら山上主郭までは辿り着ける。

城跡は現状(7月)夏季にあっても下草が少なく手入れはさほどされていないが植林地のせいか藪漕ぎする箇所も無いので山上までは案外上り易く遺構の判別確認もし易い状態となっている。山上主郭まで数十段にも連なる段郭群で形成される縄張り持ち、中腹に備わる畝堀とまではいかない連続縦堀も特徴に挙げられる城跡ではあるが、他に見所が少ないのも特徴であり見た限りでは堀切も備わっていないように見受けられた。主郭周りには案外縦堀が備わっていたのかも知れないが確認するまでには至れなかった。全体的には技巧的な遺構も縄張り妙味もないので醍醐味を感じるまでの山城とは言えないが、この時期(7月)でも上りやすく遺構判別もし易い状態にあるので四季を問わず山城を楽しみ味わう事が出来るのではないだろうか。

1route_1 登城ルート

4_higasi_yori 東より城跡遠望

3tani 城跡概念図

6_tozanguti 寺院横の登山口

18_dankaku 北段郭群の切岸

18_dankaku_2 北段郭群

20_shukaku 主郭

21_shukaku_kitaheki 主郭北切岸

25_nisi_gedan2_dorui_1 主郭西下段2

柏原八幡山城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市柏原町柏原にあって町内の中央に位置する柏原八幡宮は既に城跡の一部と考えられる、丹波攻略軍である明智の陣城と伝わるがこの地方の中心地であるからには本来は早くから城跡は成立していた可能性もある

城跡へは国道176号より柏原八幡宮を目指せば迷わず辿り着けるが、神社は既に出郭跡の転用と考えられ八幡宮の背後には唯一城跡の見所でもある大堀切が設けられている。そこからは少しなだらかな傾斜を上った北側に設けられた給水施設によってある程度地形改変があったとも見受けられるが事実は不明、そのまま山上近くまでは登ってみたが明らかに郭跡と思える平坦地形が数箇所に窺われ縦堀も備わっている事からしても山上に向けて細長い尾根を目一杯利用した城跡とも考えられる。北に上るほど地表風化も激しく郭跡の段差及び切岸などは非常に判別が難しいが山上を物見あるいは狼煙台として活用していたとも推察出来る。

1route_3 登城ルート

3h 城跡概念図

6horikiri 社殿背後の大堀切

16_yagura 土塁跡

18_dorui_kaku 北側の郭跡

19 給水施設背後の郭跡

24_kita_one_yori_top 北尾根の最高所

野間城跡(大阪府豊能郡)

大阪府豊能郡能勢町野間中にあって集落より谷川を隔てた南側に位置する山の山上が城跡であるが、北東麓一帯には居館跡を含めた広大な屋敷跡が段郭群を形成している。代々野間氏の居城と伝わる

城跡へは国道477号野間中交差点から南側に位置する円珠寺を目指すと分かり易い、ここの駐車場を借りれば目的地である野間城跡及び後世の野間館跡並びに県道4号を隔てた北に位置する野間中城跡までは歩いても苦にならない距離なので三城を同日訪問する事が出来る。肝心の野間城跡へは寺院より川沿いに歩きルート図の如く橋を南に渡り一直線に山に向う道を上れば城域と見受けられる溜池、虎口跡に遭遇出来る。

概念図にあるが如くこの周辺は屋敷跡で南最奥まで形成されているが現状一月でも全域が笹藪で覆い尽くされており郭内に侵入する事はほぼ不可能な状態にある、それでも図に描かれた箇所までは外見からも判断でき南奥には野間氏の古い墓もあり歴史の流れを感じさせるものとなっている。

山上郭へは鳥居を潜れば参拝道で迷わず到達出来るが、山上までには北尾根に五段郭更に北東側にも段郭群が形成されている。現状山上には社殿が設けられており植林地である事も手伝ってか下草も少なく見通しも良いので遺構の判別確認は容易に出来る状態にある。流石に野間氏の本城らしく規模も大きく、縄張り妙味は無いが高い切岸、櫓台背後の大堀切などは中々見応えのあるものである。山上郭群に石垣跡は見受けられなかったが麓の屋敷跡群には当時のもかどうかは判別不能であるが随所に石垣跡が見え隠れしていた。

1z_1 登城ルート

5oote 進入路

3n 城跡概念図

14 虎口か

24_zanzon_isi 墓地近くの石垣跡

31higasi_dankaku 主郭東下段

32shukaku_gedan 主郭切岸

33shukaku_doruikoguti 主郭土塁虎口

38_yagura_dorui 主郭櫓台と土塁

43_yagura_haigo_horikiri_3 大堀切見所

44_haigo_yori_yaguradai 櫓台背後の切岸

城跡は個人的評価になるが麓の居館跡、屋敷跡群及び山上郭群まで飽きを来させず見て回る事が出来、更に当時の根小屋と山上詰城との関係が手に取る様に分かり易く伝わってくる見本の様な城跡であると言える

2008年10月 6日 (月)

森山城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市氷上町上新庄にあって上新庄集落の西側に聳える森山(標高324m)の山上が城跡、南郷又は長屋城の別名があるが城史に関しての詳細は不明

城跡へは先に訪問リポートした霧山城跡、ガンジョウジ城跡からもわりに近く県道7号「氷上」の交差点を78号に左折し道に任せて進む、後はルート図の如く集落に入り西小学校を目印として登山口として隣接する天満社背後から山上まで上る。ここからの登山道はある程度整備されており個人的にはいつもの様に途中から最短距離の直登で上ることになったが、中腹を北側へ取り巻く形で山頂までは登山道が通じているようにも思えたが確証は無い。ただこの直登ルートは縦堀に沿って上る事になり少し急峻過ぎるが山城を味わおうとするのであれば直登は必然の事か、、(所要時間は意外にも30分前後費やした)

城跡は小規模な山上主郭に帯郭の付随した砦クラスの山城で現状(九月)夏草や雑木に覆い尽くされており土塁の有無までは確認出来なかった。この規模であるなら麓に居館を構えた詰城とも見受けられるが肝心の館跡を天満社敷地に該当させる事はかなり無謀な事か、、取り立てて見所も見応えもない山城ではあるが近年の登山遊歩道の設置(工事途中)によって眺望の効く城跡として生まれ変わろうとしている様には見受けられる。現在西側の神社からも遊歩道が工事中ではあるが中断されており山上までの開通は中々先の見えない長い話になりそうに思える。

1route_2 登城ルート

4_1_2

 東より城跡遠望

3mo 城跡概念図

8higasi_kaku 東郭跡

12_shukaku_heki 帯郭より主郭切岸

16_horikiri 主郭北の埋もれた堀切

20_shukaku_kita_dorui_1 主郭北の上り土塁道         

門村構居跡(兵庫県多可郡)

兵庫県多可郡加美町門村にあって浄居寺境内あるいはその北側の台地が城跡と推察される、杉原氏の居館跡と伝わるが詳細は不明

城跡へは国道427号より北上した場合門村地区に入れば国道からもそれとなく見えて来る浄居寺を目指し西(左折)に進路を変えれば難なく辿り着ける。

探索結果として城域は広大で寺院の南側及びその背後から郭跡あるいは屋敷跡が厳島神社を挟んで北側の台地にまで繋がっており、当時の大きな杉原氏の勢力を窺わせるものになっている。

城跡の見所は唯一つ三重構造を持つ空堀で二重の部分が最も深く残存しており防備と移動用を兼ねたものとして使われていた可能性もあるが、分厚く高さのある土塁を伴っているので更に深さのあるものの様に感じられる。ネットの城跡サイトでも採り上げ紹介されており手軽に行ける事もあって既に訪問された方も多いと思われるのでここでは単純に割愛した訪問リポートにさせてもらうが、とにかく残存状態が良いことも手伝って素晴らしい以外賛辞の言葉が見つからない程の空堀遺構である。実際の訪問は昨年の二月に終えて現在ブログに載せている状態となっているのだが、その時の空堀遺構に巡り合えた感動は今でも心に残っているほどである。

この城跡を自分の追い求める山城とは呼べないので掲載は控えていたが御住職に西側にある森内山山頂には詰城があるとも聞いているし麓居館と山上郭が一体となった立派に山城と呼べる門村城跡(森内山山上郭)をいつの日か訪れて山頂を踏破し山城跡として再び掲載したいと思っている。

1_moriutiyama651m 登城ルート

3_2 南より城跡遠望

2 城跡概念図

17_2jyuubori_1 23二重空堀

27_1

25_yaguradai_dorui_isi_1 櫓台土塁(石積み跡あり)

19_hori_koguti_gawa

  空堀の先端、虎口か

2008年10月 5日 (日)

善防山城跡(兵庫県加西市)

兵庫県加西市西笠原町にあって目印となる下里小学校の北側に聳える善防山の山頂から東西尾根上が城跡、赤松氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは何通りかの登山道があるらしいが今回は下里小学校からの登山道を選ばず地形図から判断しても登り勾配の緩そうな車で西端の尾根側までは行けるルートを選択した。こちらは県道43号と81号を使用しルート図の如く池の並ぶ学校辺りより北西の広い道に進路を変えて、そのまま道任せで峠を越えれば車数台の駐車出来る登山口に辿り着ける。他と比較出来ないので時間的にどちらが最短かは分からないが道中は中々眺望も効き下界を見下ろしながら岩の多い尾根上を快適に歩いて行けるのでトレッキングとしては最高に楽しめる登山道だと言える。(山頂までには30分程度要した)

現状(九月)城跡は全域が夏草や雑木で覆われており郭などの形状の判別は付き難く縄張りも更に把握し辛い状態となっている。特に最高所である主郭から北側にかけては最も藪がきつく踏み入るには程遠い状態なので踏破は断念したが、地形図からも郭の展開は予想され結果として城跡全体像を把握出来なかったのが非常に悔いの残るところである。

大規模な山城ではないが急峻な自然地形あるいは自然岩(巨石が多い)を縄張りに取り込んで築かれており、郭壁には赤松氏の城跡らしく一部石垣も使用されておりより堅固な様相を呈している、本来ならこれぞ山城と声を大にして言いたい所だがまだ未踏地も残しており消化不良のままの下山と相成った。恐らく真冬に訪問しても常緑樹と密生する雑木のために全体踏破は困難である様に見受けられる城跡である。

1z 登城ルート

4 県道より城跡遠望

3 城跡概念図

10_monomi_kaku_1 西尾根上の物見跡に見える

36_nisikaku06919_1 山上西主郭35

51_isi06919 山上東郭の石垣跡

54_higasi_top_heki 東主郭の切岸

56_yagura_top 東主郭

60_higasi_dankaku 東段郭群

烏帽子形城跡(大阪府河内長野市)

大阪府河内長野市喜多町にあって城跡公園ともなっている丘陵上が城跡、成立は南北朝期であり戦国期にあっては代々橘氏の居城と伝わる。城跡を見る限りの判断では空堀も土塁も深く高さを伴い、見ようによっては織豊系とも見受けられるものであるが詳細は不明

城跡は河内長野市内中心部に位置し分かりやすい場所にもあるので既に訪問された方も多いと思われるが、素晴らしい遺構の残存している城跡なので敢えて割愛した訪問リポートを掲載させてもらう。見所を挙げて一言で言うのであれば大阪府内においてこれだけの規模で尚且つこれだけ残存状態の良い空堀土塁遺構には絶対にお眼に掛かれない!一見の価値のあるもの」断言できる。更に近畿圏内を捜しても中々これほどの空堀遺構には巡り合えないのも現状であり、とても数百年の年月を経たものには見えず正に圧巻と呼べる遺構でもある。

本郭部から西側には大堀切を挟んで古い形態を持つ西郭群があるが縄張りは更に西端にある公園(馬場跡か)にまで繋がっている様に見受けられ、東西に跨る全域を見て回っても飽きる事のない縄張りと空堀遺構群には感動させられる事請け合いの城跡であるとも言える。郭群が重なり合って縄張りの把握し難い大規模な城跡ではないが北東側の古墳跡までも城域と見受けられ山上尾根全域を縄張りとした相当な規模は持ち合わせている城跡の様には窺える。

今までずっと褒め言葉しか発していないがまだ未訪の方は是非一度訪れて自分の目で確かめて今までの言葉に嘘が無い事を納得して頂きたい。

1 登城ルート

3e1z 城跡概念図

11_nisi_daihorikiri_2 西大堀切

26_karabori_1 22_karaboridou_1 空堀

40_minami_karabori_gun 南側空堀

34_shukaku_higasi_karabori 主郭東空堀

37_minami_gawa 主郭大手道か

30_shukaku_nai 主郭

20_kouen 西端の郭、馬場跡か

2008年10月 4日 (土)

吉原氏城跡(三重県名張市)

三重県名張市吉原にあって先に訪問した北畠城跡からはルート図の如く車で数分足らずの距離にあり薬師寺の東向かいの丘陵上が城跡、国司でもある北畠氏の傘下に入る吉原氏の居城と伝わるが信長による伊賀の乱に置いては討ち死にした模様。

城跡は集落の入り口にあたる無住の薬師寺下の駐車可能な空き地に案内板もあり分かり易い。ただ道順は記されて無いので直登となるが、進入経路としては南側に少し歩き小さな橋を渡り水田の畦道から竹林地に向いて上ればどの地点からでも山上主郭まで辿り着けそうである。結果的には城跡南端に堀切道が備わっていたので南から小川沿いに大回りして堀切を登れば主郭にはすぐ到達出来たのかも知れない。

城跡へは竹林地より直登し主郭周りの郭跡にはすぐに辿り着いたが現状(六月)荒れ放題の竹林雑木地帯と化しており更に地表の風化も激しく堆積物によって郭段差などは曖昧で構造も非常に判別し辛い状態にある。それでも竹林と格闘しながらそれなりの概略図(敢えて縄張り図とは呼ばない)を作成するまでには漕ぎ着けたが今回に限っては余り自信がない、それほど切岸などは曖昧でどこからが郭跡なのか推察するしか手がない状態なのである。しかし空堀、堀切、土塁など明確に判別出来る遺構もあり、堀切を挟んだ北側の郭群は随分ましな状態でもあり一安心ではあった。

全体像を見る限りでは縄張り妙味も含めて城跡としての完成度は相当なものである思える、外見からは雑木に覆われて判断出来ないが麓から重なり合い山上まで連なる郭群はまるで要塞の如く相当な見応えのあるものである

この風化を促進させている竹林雑木林さえなければ素晴らしいを何回でも連呼するところなのだが、やはりこの状態ではそう言う訳にも行かない。主郭周りに限れば数年もすればほぼ自然と一体化しているのは必定であるとも思われ、訪問時期は夏季を外せば早いほど良いとも考えられる。

1route_1x 登城ルート

5 薬師寺上から望む城跡

3_2 城跡概念図

18_shukaku_nai 主郭

19_shukakunai_dorui 主郭土塁

12 西側郭跡

28_hokutou_dankaku 北東段郭群

24_shukaku_kita_karabori_1 主郭北空堀

22_higasi_karabori 主郭東空堀

北畠具親城跡(三重県名張市)

三重県名張市奈垣にあって先に訪問リポートした下山城跡の遠く西側にあり国津小学校の北東向かいの山が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは一般道693号より南下すれば目印となる国津小学校まで辿り着けるのだが道幅も狭くこの道に進入するまでは非常にややこしい説明になるので省略させてもらう。少なくとも土地勘のない自分にとっては先に下山城跡に寄った事もあって道順には自信が持てない。むしろ下山城跡からはルート図の如く分かり易い

城跡は高台にある国津小学校からは既に北東側に見えており、その前の道を民家側に下りれば城跡案内板が道路沿いの民家横にあるので、そこから上へと上れば難なく辿り着ける。現状城跡は六月(梅雨時)ともあって相当な藪を覚悟して上ったが意外にもましな状態で、一部は植林地のせいか下草も雑木も蔓延っておらず案外見通しも効くので縄張りの七割以上は把握する事が出来たかも知れない。それでも熊笹で覆われた郭跡などは地表も見えないので推察によるしか手がなかったが切岸処理はされていた様には窺われる。大規模な主郭には虎口に櫓門でもあったかの様な土塁が備わり、規模の大きい櫓台が背後に土塁を伴って設けられている。堀切を挟んでは東郭を配し更に東南に向うほど藪はきつくなるので視認し辛いが東郭の堀切より南側にも郭は展開されていた様には見受けられる。

この時期の訪問であるが故に城跡には全く期待していなかったが予想以上に動き回る事が出来たのが収穫で、郭跡はもちろん土塁、堀切、空堀に至る技巧的な遺構まで判別確認する事が出来た。藪に覆われた南東未踏地を残したので全域を把握するまでには至れなかったのが残念ではあるが名門北畠氏の本格的な城跡に触れる事も出来、充分な満足感に浸ることも出来た。

1z 登城ルート

7_tozanguti 登城口の道標

3 城跡概念図

20_nisi_hasikaku 西端郭跡

28_shukaku_koguti_gawa 主郭内虎口側

30_kita_dankaku_gun_2 北段郭群

26_dorui_karabori 主郭空堀土塁

35_yagura_haigo_horikiri_2 櫓台背後の堀切

38_higasi_daihorikiri_1 東郭側の大堀切

2008年10月 3日 (金)

下山甲斐守城跡(三重県名張市)

三重県名張市奈垣にあってグリーンヒル名張GCとは一部でほぼ隣接した地にあり隠れ里の如き山間地の丘陵上に存在する城跡、名前の如く下山氏の居城であるが詳細は不明

城跡は道順としては非常に説明し難い位置にあり一般道693号からルート図の如く細い道路で城跡に向かうしか手立ては無い。場所も「こんな所にあるのか」と言った具合の山間地にあり案内板も細い農道脇にある程度なので非常に見つけ難い。地図にある様に道路がカーブを描く場所に大きな住宅があるのでその付近に車を路駐するしか手立ては無く、そこから東側に下りて行く農道に沿って歩くと小さな案内板がありその北側丘陵が城跡にあたる。

辿り着くには少し苦労を要したが見学者にとっては「素晴らしい」以外言葉も出ない位の残存度及び残存状態を保持する城跡であった。現状(六月)梅雨時ではあるが植林地の為か下草も少なく見通しも良いので遺構はほぼ判別確認できる状態にある。特に見所は主郭周囲の大土塁で櫓台も伴い分厚く高さも有しており、この見応え及び存在感には感動すら覚えてしまう。主郭以外の郭跡は地表の風化も激しく凸凹としているがこの程度であれば充分に遺構判別も出来るので、縄張り変化に富んだ枝尾根上の郭跡、技巧的な空堀、堀切、土塁虎口と飽きることなく見て回ることが出来る。

1z 登城ルート

3si 城跡概念図

現在でもこの様な状態が保持されている処からすれば訪問時期はほぼ四季を問わないものでもあり、冬季においてはより快適に見て回れそうに思われ必ず満足感には浸れ尚且つ期待に応えてくれる事請け合いの城跡と断言出来る。

17_karabori_dorui_1 空堀土塁

24_higasi_yori_shukaku_dorui_1 東郭より主郭側

21_horikiri_tatebori 主郭東堀切

25_shukaku_karabori 主郭外周の空堀見所

31_shukaku_nai 32 主郭を囲む大土塁見所

38_umadasi_koguti 主郭虎口

50_horikiri_yori_nisikaku_1 堀切より西郭大土塁

奥氏城跡(三重県伊賀市)

三重県伊賀市喰代の里にあり伊賀地方にあっては有名な百地丹波城の北側の尾根に位置する城跡、奥氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡へは西名阪道を友生ICで下りた場合県道56号より喰代に向かう。集落に入ればルート図の如く三城も隣接しているので訪問はどの順番からでも効率よく見て回れるが、この奥氏城跡は道路から既に東側丘陵に郭跡が窺えるので直接休耕地より上っても良いし北側の集落を回り込んで二の丸(副郭)から進入しても何れも城域をほぼ見て回る事が出来る。

城跡はこの地域特有の方形単郭を繋げた形で構成されており縄張り妙味には欠けるが、やはり大土塁虎口と周囲を囲む土塁は相当見応えのある遺構となっている。特に西側の主郭虎口には二重とも見受けられ織豊系とも見て取れる高さのある大土塁が備わっている。現状(7月)ほぼ全域が竹林地及び雑木藪と化しており、夏季とも相俟って状態は良いとは言えないが遺構残存度は非常に高そうに思える。

尚、この城跡の北側集落にある尾根先端には館跡もあると聞くがこちらも現状全域に置いて竹林地と化しており状態も悪く、おまけに民家側からの進入を余儀なくされるので踏破には至る事が出来なかった。

1z 登城ルート

3 城跡概念図

7 道路沿いの直登口

15_koguti_daidorui 西土塁虎口見所

24_shukakunai_koguti_1 主郭内より虎口

21_yagura_heki 主郭東側切岸

31_2maru_dorui 二の丸土塁

30_2maru_yori_shukaku 二の丸より堀切

34 堀切

2008年10月 2日 (木)

進美寺城跡(兵庫県豊岡市)

但馬白山城跡に先に寄った場合は分岐点である北側の鳥居まで戻りここから西側に登山道を下りていくと道任せで進美寺の最上段にある本殿に辿り着くが、直接進美寺に向えば恐らく50分内で到達出来た様には思われる。どちらにしてもかなり勾配も距離もあり厳しい登山である事は確かである。(出来るなら消耗の激しい夏季は避けたい)

ここから北に向いての寺院境内全域が城跡と見受けられるが、現状寺院として後世にどこまでの改変があったのかは想像に任せるしかない、独自で判断すれば郭跡はそのまま敷地として転用されていると解釈しても良さそうには見受けられる。城跡の全長は300m以上はありそうで切岸をもって郭を形成し相当な規模を所有している、遺構においては最大の見所でもある巨大な壁の如く聳え立つ大土塁が北郭には設けられており櫓台としても防備にも一役買っているようにも窺われる、恐らく削り出して築かれたものと思えるがここまでの大土塁にはめったに御目にかかることは出来ない。三の丸側壁には石垣跡も眼にする事が出来るがこれは古さはあるが恐らく当時の石垣遺構ではない様に思われる、最上段に位置する本殿が主郭に相当するものと思われるがその西側を下りた登山道沿いには岩を削った溜め井戸も備わっておりこちらは案外当時の遺構かも知れない。

文献によると白山城跡から東側を下りた別峰にもこの城塞群の一翼を担ったと思われる掻上城跡なる出城が存在するらしいが、白山城跡に到達するまでの急崖を登り切り既に他の山城も訪問した後であったので体力も消耗しており別峰まで踏破するには至れなかった。しかし西側の急崖を登り切り山上主郭を極めた後の達成感は半端なものではなく下山した後で麓から山容を振り返り眺めるだけで何ともいえない爽快感、満足感が体に滲む様に押し寄せてくるのである。(これを味わう事が出来るのが山城探索のおいしい部分でもある)

5_2 赤崎集落より遠望

3si 城跡概念図

35_sinmeiji_saijyoudan_kaku_1 本殿主郭跡

35_sinmeiji_saijyoudan_kaku_2 主郭北側

37 北段郭

40_kaku_oohiroma_1 三の丸に相当

43_daidorui_3 北郭大土塁見所

44_dorui_kita_kaku 大土塁より北側の郭

45_heki 登山道より主郭切岸

但馬白山城跡(兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市日高町赤碕、日置にあって宿南城跡とは円山川を隔てた北東側に位置する急峻な山容である進美寺山の山頂部が城跡。北側尾根上にある進美寺も当然城跡ではあるが、白山城跡はそれの詰城的機能をもった城跡の様に窺える。城跡の歴史は古く南北朝期に築かれ南朝側の拠点ともなった城跡と伝わるが、遺構群を見る限りでは改修を重ねて戦国期まで機能していた様にも窺える。

城跡へは国道312号よりルート図の如く赤崎橋を渡れば正面に見える山が進美寺山(標高361m)で集落に入れば案内看板もあるので登山口はすぐ分かる。北側の遠方からも寺院に向う林道が直接通じているらしいが狭く距離もあり尚且つ小型でトルクがないと上れないと地元の人に聞いたので通常の登山道(寺院参拝道)で登ることにした。城山を外見から判断する限りでは相当辛い登山になりそうだが山城を直に味わう為に覚悟を決めてスタートする。

1route_2 登城ルート

4_shukunami_yori 宿南集落より城跡遠望

登山道任せで白山城跡を目指すが地形から見ても西枝尾根上は探索しておきたかったので、石碑案内のある進美寺との分岐点でそのまま崖状急斜面を横滑り状態で上り必死の思いで西尾根に辿り着くが、やはり自然大岩を取り込んだ尾根に沿って長い郭跡が現存しており苦労してここまで来た甲斐があったと納得する。ここまでには多少リスクは伴うが訪問時には是非訪れてこの険峻極まりない地にある郭跡を体感し巨岩の上で達成感と満足感を味わって欲しいと思う。しかしながら山上主郭までにはまだこの郭跡から60m近い高低差があり、到達する為にはこの崖状急斜面を上らなくてはならず当時の人達はどこからここまで辿り着いて更に山頂まで登っていたのか不思議な気にもなる、それほど登るのに足場はあるが急崖なのである。

白山権現のある山上主郭の動き回れる範囲においては現状(九月)それほど藪化もしておらず縄張りも把握し易く、残存遺構としては郭跡及び切岸を除けば社殿背後にある大土塁ぐらいで見応えのある遺構は存在しない。しかし西尾根郭も含めたこの険峻な山上郭自体が天険の地でもあり山城としては充分過ぎる見応えがあるのである、進美寺城の詰城の機能を持った城跡と考えれば大規模でなくとも納得出来るし自分にとってはこれも「天空の城」と呼ぶに相応しい城跡の一つである。

3ha 城跡概念図

17_nisi_one_kaku 西尾根郭跡

22_nisi_hasi 西尾根郭先端

23_sanjyou_kaku_2 山上主郭

24_haigo_dorui 主郭内の社殿背後の土塁

27_nisikaku_yori_shukaku 西郭より主郭切岸

29_kita_kaku 北郭

尚、山上主郭までには通常の登山道でそのまま行けるので西尾根上の郭に寄らなくとも迷わず辿り着け、鳥居のある分岐点から東へ下りていくと数分で進美寺のある中枢とも言える郭群に辿り着く事が出来る

来山城跡(兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市日高町鶴岡にあって先に訪問リポートした伊福城跡とは同じ川沿いの南側に位置している城跡。伊福城の支城あるいは出城とすれば同じ下津屋氏による築城と察せられるが推察の域は出ない、詳細は不明

城跡へはルート図の如く国道482号から日置橋を越えればすぐの川沿いに面しており鉄塔のある場所は既に城域となっているので城山の確認は容易に出来る、少し走れば登山口となる鉄塔巡視路が道路沿いにあるのでそこから進入すれば5分もあれば鉄塔西側にある主郭には辿り着ける。

現状九月ということもあって主郭を除けば相当雑木が蔓延っており全体の視認はし辛いが藪漕ぎまでには至っておらず遺構の判別確認はほぼ可能である、規模が小さい事からも全体像は把握出来、伊福城とセットと考えて同日訪問すれば気軽に楽しむ事の出来る城跡だと思われる。これと言った見所はないのだが縄張りは変則的で面白く中々味のある城跡であると感じられた。

1route 登城ルート

5_tozanguti 進入路

3ki 城跡概念図

8_shukaku_e

主郭東切岸

11_shukaku_dorui 主郭内の土塁

16_nisi_dankaku_heki

西段郭群の切岸

20_minami_dai_horikiri 南大堀切

15_nisihasi_kaku 西段郭群の先端郭

2008年10月 1日 (水)

沼城跡(兵庫県丹波市)

 兵庫県丹波市氷上町沼にあって集落の西側から北東に突き出た痩せ尾根上が城跡、戦国期に置いては足立氏の居城と伝わるがその後の詳細は不明

城跡へは県道7号を篠山から北上した場合「御油」の交差点を過ぎて北近畿豊岡道の高架下を潜った後左折、山の裾野の道路を南側に向いて少し走ると道沿いに「遊歩道」と書かれた木の大きな看板が目に入る、ここからが登山口で山側にある民家の間の山道よりフェンスを開けて道に従いルート図の如く北に向いてしばらく上ると行者道と合流する。後はほぼ道任せで上ることになるが時折沼城の案内板が目に留まるので確認しながら上れば30分前後で山上主郭までは辿り着ける。

城跡に到達するまでには郭跡らしき削平地、物見らしき跡が数箇所痩せ尾根上に確認出来るが登山道は岩で覆われた箇所や急斜面が多く中々厳しい登山になる、もちろん険峻な山城なるが故の事で更に行者道ともなれば止むを得ないであろう。(藪漕ぎが無い分少し楽に感じる)

城跡はこの時期(九月)ではあるが樹木も下草も比較的少なく、ある程度整備されているので山上郭群の遺構は全て判別確認可能な状態となっている。痩せ尾根上の最高所にある主郭は砦規模で全体的に見ても小規模な城跡ではあるが、遺構残存度も高くおまけに状態も良いので険峻な地に築かれた往時の山城の様相及び雰囲気を存分に味わい堪能する事が出来る。自然大岩を郭に取り込み壁とし縦堀も必要としないほどの切り立つ崖をもって人馬を拒み、更に尾根を遮る形で数箇所に見られる巨岩は誰も寄せ付けない天然の大土塁となり圧倒的な迫力と存在感を示している。

小規模ではあるが人を寄せ付けない険峻なる山上に自然岩を取り込み痩せ尾根を削平して築かれたこの城跡は自分が常に追いかけている「これぞ山城」と呼ぶに相応しいので、印象に残る山城の一つとしてとして数えられるものになった。

尚、概念図にある様に登山道中の北東最高所地点からは北西側に別登山道がありこの斜面を少し下りて行けば城中最大と見受けられる居館跡の如く規模の大きな郭跡があるのでそれも見逃してはならない。

1route 登城ルート

3nu 城跡概念図

61_yasiki 北西側の城中最大規模の郭見逃すな!

28_kaku 尾根上の郭跡

30_koguti_ka 自然岩利用の虎口か

34_sanjyou_kaku_kitagawa 山上郭群

36_shukaku 主郭

39 南郭1より下段

44_gedan3_minamihasi 南郭3

45_gedan3_yori_ooiwa 南郭3より上段大岩

ガンジョウジ城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市氷上町石生にあって東小学校の北背後の向山の山上が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは国道176号「稲継」の交差点を東側にとりトンネルを潜らず左手側の脇道にそれれば東小学校まではすぐ到達出来る、小学校からは西側の車道より稲荷神社を目指せば行き止まりの箇所にNTTの中継小屋(車は小型車一台の空スペースあり)があるので、その背後の山道を上れば迷わず山上主郭までは辿り着ける。

山道を少し上れば西側に数段の郭跡も確認する事が出来、更に道に任せて上ると尾根上の郭跡を確認して主郭には到達する。麓から眺めても木々の少ない山上平坦地はすぐ城跡と見分けは付くが、主郭は西側に櫓台土塁を備えたもので全長70m以上はあるかもしれない規模の大きなほぼ単郭構造である。主郭からは北側には霧山城、南西側には高見山城とほぼ四方に眺望が効き恐らく当時でも利便性及び監視に置いては最高の場所ではなかったかと想像出来る。櫓台背後より北側斜面を下りると見応えのある堀切が備わっており主郭の独立性が保持されている様である。南東側は尾根を下りれば明らかに出郭跡と察せられる場所があるが草木に覆われ地図上の登山道も消え去っており踏破は断念するに至る。

現状(九月)城跡は下草は生え放題となっているが木々も少なくある程度整備されているので四季を問わず訪問は可能と思われる。シンプル過ぎる城跡に全く醍醐味は感じられないがここから眺める四方の景色は時代及び環境こそ違え当時の武将が眺めていたものに相違なく、見る者を限りないロマンに包み込んでくれるのである。

1route 登城ルート

4_enbou_1 冬枯れ時の城跡

3g 城跡概念図

12_nisikaku 西郭群

16_nisi_one_kaku_1 西尾根上郭跡

23 主郭

25_yagura_heki 主郭西櫓台

28_horikiri 31_horikiri_tatehori_1 北側の大堀切見所

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