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2008年9月29日 (月)

森上 今西城跡(大阪府豊能郡)

大阪府豊能郡能勢町森上にあって国道173号「栗栖」の交差点からもすぐ西に望める山の山上が城跡、近辺には先に訪問リポートした山辺、山田、宿野、栗栖、片山、上杉、三草山城などが車で数分の距離に位置している。この城跡は戦国期においては能勢氏の居城と聞くが詳細は不明

城跡へは国道173号を北上した場合信号「栗栖」で西に左折、そのまま郵便局を通過し岐尼神社に車は駐車し後はルート図の如く城跡を目指す。登山道は無いと思われるので岐尼小学校の背後の細いセメント道から枝尾根沿いに北東斜面に取り付けば森上城とも尾根を共有する今西城跡の堀切までは直登10分程度で辿り着ける。

この森上城跡は概念図にあるが如く非常にまとまっており遺構残存度も高く、残存状態も素晴らしいので全ての遺構の判別確認は容易となっている、今西城を城跡の西出郭として見立てた場合北に繋がる広大な平坦地形も城域と見受けられるので中々の規模を持った山城だと察しが付く。尚、山上郭群の遺構も素晴らしいのだが見逃してはならないのが麓の西中学校の背後に設けられた幅のある空堀及び分厚い土塁で、現状矢竹に覆われてはいるが判別確認可能で見応えのある遺構の一つと言えるものである。更に西中学校から西側にかけては屋敷跡と見受けられる段郭跡が鋭角な切岸を残して相当数竹林の中に残存しており森上城を語る上に置いては是非一度は覗いておく必要のある遺構と思われる。

今回は麓周辺の探索に重きを置いた二回目となる訪門になったが今西城跡から斜面を下りた南側にも土塁を伴った郭群を確認出来、更には東側に位置する少林禅寺までの間に屋敷跡と察せられる郭跡更には空堀と収穫も多く、森上城が山上にコンパクトな詰城を置いただけにあらず南麓空堀遺構のある西中学校(居館跡と仮定)から西側岐尼小学校敷地あたりまでをも城域として取り込んだ相当な規模を持つ城跡だと改めて確信するに至った。

M0o2 登城ルート

3m 城跡概念図

9 西中背後の大空堀見所

16_2marunai_dorui 二の丸内の土塁

20_higasi_2jyuu_horikiri_2 二重堀切より二の丸切岸

25_shukaku_nai_houkei_isizumi_3 主郭内の方形石列

29_karabori_dorui_1 主郭南側の空堀と仕切り土塁見所

36_3maru_nai_3 三の丸より主郭側

32_3maru_kitakoguti_1 三の丸北土塁虎口

37_3maru_nisi_horikiri_1 三の丸西堀切

62_shukaku_dorui 今西城主郭

65_nisi_horikiri 今西城西堀切

70_fumoto_yasiki_5 南麓の屋敷跡

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