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2008年9月

2008年9月30日 (火)

夏栗城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市高蔵にあって高蔵寺の北東側に聳え、山頂がやや平坦に見える標高600mの夏栗山山上が城跡城史に関しての詳細は不明

城跡へは篠山市内より国道176号を北上した場合「長安寺」の信号を越えて少し走れば道路沿いに高蔵寺の案内看板が見えてくる、それに従って右折し寺院を目指せばそのまま登山口である高蔵寺奥の院まで辿り着ける。最奥のフェンスを開けば駐車可能なスペースがあるのでそこから小さな道標を確認して沢筋の登山道をひたすら上る。要所に道案内も出ているので夏栗山方面を目指せば迷うことなく40分前後で山頂まで辿り着く事が出来る。

現状(八月)最高所に位置する主郭は夏草及び木々で覆われているが他は遺構の判別確認は容易であり郭跡、空堀跡、土塁、切岸などは明確に見て取る事が出来る状態にある、展望デッキの備わる主郭も意外に規模が大きく他の直線的に並んだ郭群も併せた山上郭群は目測にはなるが全長200m近くに達すると思われる。もちろんここまで高所に位置するからには縄張り妙味など最初から求めてはいないが、山上をほぼ全て削平して築かれた城跡の土木量は相当なものだと見受けられる。現状でもこの規模であれば大きな建物を建てる事は容易であり、当時でも常駐出来る何らかの建物群があったのではないかと想像させられる。全体を窺えば簡易的に築かれた砦程度の城跡で無い事だけは確かである

この時期(八月)においてもほぼ城跡全体像が把握出来る事から訪問は四季を問わず何時でも可能であると察せられるが、同じ篠山市内にあって最も高所(687m)に位置する高仙寺城と縄張りを含めた城跡の完成度を比較した場合は圧倒的に高仙寺城の方に軍配が上がると思われる。

1route 登城ルート

4_1 南より城跡遠望

3nzz 城跡概念図

15_nisi_sizenkaku 西郭

21_shukaku_nai_1 23_shukaku_minami_gawa 主郭内

25_karabori_ato_2 主郭東の土塁切岸と空堀跡

27_higasi_yori_shukaku_gawa 東郭より主郭側

27_higasi_yori_shukaku_gawa_1 東郭

28_higasi_kaku_1 東郭

高仙寺城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市丹南町見内にあって文保寺の南側に聳える標高687mの松尾山山頂が城跡、波多野氏に属した酒井氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡への登山道は幾つか在る様だが篠山市内を南北に走る国道176号沿いに文保寺への案内板があるのでそこから一般道36号に入り登山口のある文保寺を目指す。このルートが一番分かり易く最短で早そうに思われるが、寺院からは案内付きの登山道で山頂までひたすら登る事になる。早いと言っても比高差は寺院からでも350m近くあり山上到達までには50分~60分は要してしまい、山登りが苦にならない人でも結構しんどく体力は消耗してしまいそうである。

現状(2月)でも山上郭群は主郭を除けば木々は少ないのだが郭跡の地表は全て熊笹に覆い尽くされており切岸も郭跡も直接視認する事が出来ない状態となっている。部分的に石垣跡が窺われるがやはり覗いているだけで判別はし難く、縄張り全体像を把握するまでには至れなかった、登って来た登山道より別の三方尾根にも郭跡の展開あるいは縄張りは予想されたが熊笹密生の為踏破は断念するに至った。しかし城跡は予想していた以上に規模は大きく更に未踏地である南側別峰に存在すると察せられる郭跡も含めると案外大規模な山城の様に窺われる。恐らく熊笹は年中枯れる事も無く生えており夏場は一層蔓延ると思われるので郭形状及び縄張りなどを把握するのは至難の技とも思えてくる現状である。

この地をそれなりの理由で選択し築城したとは思うが、恐らく近畿圏内における山城としては成立可能な限界点を極めた唯一無二の存在の城だと言えるのではないだろうか

1_1

登城ルート

3matu 城跡概念図

11_dorui 山上北側に位置する郭群

21_horikiri_isi 斜面堀切跡

23 自然岩で形成される虎口跡

26_dankaku_isi_1 郭壁の石垣跡

30_shukaku 主郭切岸

31_shukaku_nai_1 主郭内

2008年9月29日 (月)

安威城跡(大阪府茨木市)

大阪府茨木市安威にあって安威川に向って西側から東に突き出した丘陵先端が城跡、戦国期において安威氏の居城と伝わる

城跡へは県道46号を北上した場合尾根先端部が見えてくればルート図の如く左折し水道施設のある坂道へ向う、案内板からすぐ北側一帯が城跡となっており手軽に訪門出来る状況でもある。

城跡については市内から近い事もあって手軽に行けて残存度の高い城跡でもあり既に訪問された方も多いと思うので簡略化したリポートにさせてもらうが水道施設のある周辺部を除けばほぼ遺構はほぼ完存と見受けられる城跡と推察する。コンパクトで砦規模ではあるが主要三郭より形成されており堀切、縦堀、土塁、空堀といった技巧さも備えた本格的な城跡でもある。市内よりほど近い場所にこの様な残存度の高い山城が眠っていたとは驚くばかりである!

現状冬季(一月)ともあって冬枯れもしており比較的見通しも良く遺構の判別確認は容易 な状態になっているが、夏季ともなれば全域が葉で覆われる事も想像出来るので訪問は出来る事なら真冬がベストと言えるのではないだろうか

1ai

登城ルート

5_tozanguti 城跡案内板

3z 城跡概念図

6_nisigawa_karabori_dorui_1 西側の空堀土塁

15_daihorikiri 南大堀切

21_shukaku_nai_dorui_1 主郭土塁

28_kitakaku_higasigawa_dorui_1 北郭土塁

36_kitakaku_nisi_karabori_dorui_1 北郭西の空堀道

37_kita_gedan_obi_1 北帯郭

森上 今西城跡(大阪府豊能郡)

大阪府豊能郡能勢町森上にあって国道173号「栗栖」の交差点からもすぐ西に望める山の山上が城跡、近辺には先に訪問リポートした山辺、山田、宿野、栗栖、片山、上杉、三草山城などが車で数分の距離に位置している。この城跡は戦国期においては能勢氏の居城と聞くが詳細は不明

城跡へは国道173号を北上した場合信号「栗栖」で西に左折、そのまま郵便局を通過し岐尼神社に車は駐車し後はルート図の如く城跡を目指す。登山道は無いと思われるので岐尼小学校の背後の細いセメント道から枝尾根沿いに北東斜面に取り付けば森上城とも尾根を共有する今西城跡の堀切までは直登10分程度で辿り着ける。

この森上城跡は概念図にあるが如く非常にまとまっており遺構残存度も高く、残存状態も素晴らしいので全ての遺構の判別確認は容易となっている、今西城を城跡の西出郭として見立てた場合北に繋がる広大な平坦地形も城域と見受けられるので中々の規模を持った山城だと察しが付く。尚、山上郭群の遺構も素晴らしいのだが見逃してはならないのが麓の西中学校の背後に設けられた幅のある空堀及び分厚い土塁で、現状矢竹に覆われてはいるが判別確認可能で見応えのある遺構の一つと言えるものである。更に西中学校から西側にかけては屋敷跡と見受けられる段郭跡が鋭角な切岸を残して相当数竹林の中に残存しており森上城を語る上に置いては是非一度は覗いておく必要のある遺構と思われる。

今回は麓周辺の探索に重きを置いた二回目となる訪門になったが今西城跡から斜面を下りた南側にも土塁を伴った郭群を確認出来、更には東側に位置する少林禅寺までの間に屋敷跡と察せられる郭跡更には空堀と収穫も多く、森上城が山上にコンパクトな詰城を置いただけにあらず南麓空堀遺構のある西中学校(居館跡と仮定)から西側岐尼小学校敷地あたりまでをも城域として取り込んだ相当な規模を持つ城跡だと改めて確信するに至った。

M0o2 登城ルート

3m 城跡概念図

9 西中背後の大空堀見所

16_2marunai_dorui 二の丸内の土塁

20_higasi_2jyuu_horikiri_2 二重堀切より二の丸切岸

25_shukaku_nai_houkei_isizumi_3 主郭内の方形石列

29_karabori_dorui_1 主郭南側の空堀と仕切り土塁見所

36_3maru_nai_3 三の丸より主郭側

32_3maru_kitakoguti_1 三の丸北土塁虎口

37_3maru_nisi_horikiri_1 三の丸西堀切

62_shukaku_dorui 今西城主郭

65_nisi_horikiri 今西城西堀切

70_fumoto_yasiki_5 南麓の屋敷跡

2008年9月27日 (土)

但馬高屋城跡(兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市高屋にあってJR豊岡駅の西側丘陵の山上にある金山稲荷神社が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へはルート図の如く金山稲荷神社を目指せばすぐに麓に赤い大きな鳥居を見つける事が出来るので、その参拝道より山上を目指して上れば難なく辿り着ける。一応車道で山上近くまでは到達出来そうであったがトルクの太い車でないとこの急斜面は登り切れないと思え路駐により山上を目指す(歩いても10分程度)。

主郭と見受けられる山上には社殿が建立されており、社務所からかつての出店跡(廃虚)の並ぶ道は郭跡と思われるがそれも造成されて大部分改変されている様にも見て取れる。当時の面影の残る遺構は社殿背後の土塁以外ほとんど眼にする事は出来ないものと思えるが、最初に目星を付けていた中腹の駐車場から北側の尾根に向かうと堀切土橋を境にして相当な規模を持つ単郭構造の郭跡が展開されていた。

この広大な北郭の先端には風化して高さは無いが枡形にも見て取れる虎口跡が残存しており一見織豊系の虎口跡の様にも窺われる遺構である。更に郭内には三箇所の連続する大きなマウンド状の高まりが見受けられたが、この遺構の用途についてはさっぱり見当が付き難く妙楽寺城加陽城にも見られるもので但馬地方特有の機能を持った城跡構造物の土塁壇かも知れない。山上郭群に置いては土塁以外何一つ収穫が無かっただけにこの北郭の存在感はこの城跡のイメージを大きく覆すものとなってしまった。

現状(九月)城跡は縄張り概念図に描かれた箇所までの遺構群はほぼ判別確認出来る状態にある。山上主郭から北側別峰にも地形上あるいは縄張り上からも郭跡の展開が推察されるが先を急いだ為に、そこまでの踏破探索するまでには至れなかったのが少し残念な処ではある1route_2

登城ルート

3ta

城跡概念図

7_2 山上郭跡

11_dorui_1 社殿背後の大土塁

12_sanjyou_shukaku 山上平坦地

16_horikiri_dobasi_1 北郭へ堀切土橋

20_shukaku_2 北郭内

21_dorui_koguti 北土塁虎口

20_nisigawa_kirikisi北郭西側切岸

宿南城跡(兵庫県養父市)

兵庫県養父市八鹿町宿南(シュクナミ)にあって集落より南側に位置する山の山上尾根部が城跡、宿南氏の居城であるが秀吉による但馬攻略軍の前に全員討ち死に落城の歴史あり

城跡へは国道312号よりルート図の如く線路を越えて集落に進入する、宿南小学校横を流れる川沿いの道路を南に向かい数m行くと東側に地元の方の運営による「宿南ふれあい倶楽部」があるのでここに車を駐車させてもらい登山する事になる。城跡への登山道は数箇所あると聞くが案内板もなく地元の方に道順を尋ねるのが一番手っ取り早い思い、「ふれあい倶楽部」に居られた方に道を尋ねると城跡を良く御存知の年配の方が山上までの案内を買って出られたので好意には素直に甘んじる事にした。お陰で民家背後の竹林地から枝尾根をそのまま上り20分内で山上主郭までは辿り着けたが、このルートは最短ながら進入口が分かり辛いので必ず地元の方に上る際には訪ねたほうが良さそうである。

現状(五月)城跡は倒木も多く雑木が全域に渡り生い茂っており視認し難く、郭跡は確認出来るが形状及び土塁の有無までは判別も出来ない状態にある。規模も小さく主郭と見受けられる最高所は物見程度あるいは砦規模の大きさで、高い切岸が唯一山城らしさを醸し出している。主郭案内板にあった縄張り図にも見られる様に枝尾根には狭小郭群が数多く配されている様ではあるがこの状態では改めて見学するほどでも無さそうなので踏破は断念する、北西麓にある田中神社は当時の居館跡とも付記されてあったが立ち寄るまでには至れなかった。

砦規模で痩せ尾根を目一杯利用して削平し築かれた城跡は険峻な為か堀切も見受けられず古い形態を残しており、自然任せの完存とも思える遺構の残存するこの山城は醍醐味こそ無いが当時の雰囲気は充分味わう事の出来るものと思える。

1route 登城ルート

18_1z2

山上説明版の縄張り図

9_one_kaku 北尾根上の郭跡

9_one_kaku_1 北段郭群

11_1 北郭群

17_nagai_minamikaku_1 南郭

20_shukaku_heki_1 主郭切岸

18 主郭最高所

2008年9月26日 (金)

西谷城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山西紀町西谷にあって西谷集落からは北東、登山口となる弘誓寺からは東に位置する標高375mの山頂から西尾根上が城跡、岡本氏の居城が伝わるが詳細は不明。

城跡へは篠山市内から県道97号線に入った場合「宮田」の信号を通り過ぎて川沿いを右カーブして後、右の脇道にそれて弘誓寺に向かう。寺院に到着すればそれより大師道が途中まで利用出来、中腹にある社殿を通り過ぎて少し登れば本来の大師道よりそれて北東尾根に向いて登る(そのまま行き過ぎると城跡へは到達しない)、道をそれる地点には雑木の中に少し小さな社殿が見えるので注意深く辺りを見回す必要あり。小さな社は出郭とも見受けられ切岸跡も窺える、そのままだらだら続く尾根斜面を二度登り切ればやっと主郭に辿り着ける。

現状(七月)城跡は藪化進行中ではあるが視認も移動も差障りはない状態にある、もちろん複雑で技巧的な遺構も見当たらないのでこの程度なら充分と言えるものである。見所を探すのに少し苦労するが敢えて言えば主郭の東尾根を断つ二重堀切と言ったところか、

寺院から山上主郭までにはおよそ30分は要すが、この城跡を評価し紹介するには少し辛い部分がある。自分の様に山登りも楽しめれば苦も無く登れ案外達成感は味わう事が出来るが、城跡見学を主に置くとすればほぼ期待はずれに終わる事は必至に思えてしまう。個人的には数百年の時を経た現在も人の手が入らずそのままの状態を見れる山城は数多くは無いので、登山が苦にならないのであればこの古い形態を持つ楚々とした山城はお薦めしたい物件ではあるのだが、、、

1z 登城ルート

082m 木之部城跡より遠望

3nisi2 城跡概念図

8_yasiro_monomi 出郭らしき社郭跡(ここから北東へ)

18_nisi_dankaku 西段郭切岸

21_dankaku_gun 西段郭群

24_obi_yori_shukaku 帯郭より主郭

25_higasi_gedan_1

主郭東下段

30_higasi_2jyuu_horikiri 東二重堀切

2008年9月25日 (木)

長野氏城跡(三重県津市)

三重県津市美里町桂畑にあって国道163号伊賀街道にある細野集落からは南に位置する険峻な山の山上が城跡、南北朝期の国人領主である長野氏の居城跡として国指定史跡に認定されている

城跡へは国道163号沿いにある美里農産物加工センターより数100m北西側より桂畑に向かう道路があるので、そこから集落内の細い道を通り桂畑川沿いの道路に出てそのままルート図の如く城跡を目指す。山上駐車場までは未舗装の悪路(二年前)で辿り着けるが車が大事であるなら程々の場所で降りて歩いた方が良さそうに思える道である。

現状(11月)城跡は整備されており木々も下草も少なく、山頂からの見通しも非常に良く郭群及び遺構は全て判別確認可能な状態にある。一番の見所は北側にある北郭を繋ぐ大土塁を伴う虎口跡で、分厚く高さもあり唯一見応えのある遺構となっている。

Nag 登城ルート

3_2 城跡概念図

5 駐車場から城跡上り口

11_shukaku_nai 主郭内

16_dorui_sita_yori 土塁虎口見所

17_dorui 虎口大土塁

18hokutou_kaku_isi 北郭壁の石垣跡

22_dobasi_isi 北土橋側壁の石垣跡

能勢三草山城跡(大阪府豊能郡)

大阪府豊能郡能勢町長谷、神山にあって兵庫県との県境にあり美しい形を持つ三草山(標高564m)山頂が城跡。西側の山を下りた地の登山口にあたる才の神峠には戦国期において塩川氏の合戦が伝わるが詳細は不明、城跡は戦国期以前より成立しており最終的には塩川氏の支城あるいは前線基地として機能していたものかも知れない。

城跡へは能勢神山集落よりルート図の如く才の神峠を目指す、集落を縫いながら上る道は相当狭い車道になるが到着すれば小型車の二台分位のスペースがあるのでここに路駐すればそのまま登山口より自然地形に近い郭跡を数箇所確認しながら20分程度で山上まで到達出来る。尚、才の神峠までには数通りの道があるが何れも相当狭い道なのでどれを利用しても一緒かもしれないが西側から大回りして上る道が一番なだらかで上り易いと思われる。麓から歩くなら「ゼフィルスの森」経由の登山遊歩道が神山集落より通じているので時間は要すが登れる筈である

城跡はほぼ山上全域を占める単郭構造の削平地となっており土塁跡などは認められないが相当な規模を所有している。東側斜面を下りると数段にも重なり合う東郭群に出くわすが、ここには壁面が石垣で覆われていた跡が窺え崩落石や石垣痕を至る所で眼にする事が出来る。この遺構は近世の寺院跡の可能性もあるので当時の遺構とはっきり断言は出来ないが、縄張り的に見れば当然東側も城域に入ると思われるので郭跡としてはまず間違いの無い処であろうか、後は見る者の確認判断によって納得してもらうしかないのが現状である。

Route1 登城ルート

4_tozandou_yori 城跡遠望

3z 城跡概念図

5_sainokamitouge 才の神峠

11_kaku_a_1 西自然地形郭

17_shukaku_santyou 山上主郭

27_koguti_dorui_isi 郭壁の石垣跡

27_koguti_dorui_isi_1 虎口土塁の石垣跡

30_dankaku_1 東段郭跡

50_demaru_isi 東側出郭跡

本来は山歩きを楽しみ歴史を尋ねる程度の訪城で期待はしていなかったが山頂主郭以外で思わぬ遺構群に出会う事が出来、山城を味わう上でも充分な満足感を得る事が出来た。細部にまで眼を凝らせばまだまだ多くの見所を見出す事の出来る城跡と言えるか、、

2008年9月24日 (水)

山田城跡(大阪府豊能郡)

大阪府豊能郡能勢町山田にあって先に訪問リポートした山辺城からは国道173号を挟んで更に西側の山に位置しており、その中間には森上城もありこの周辺は国道「山辺口」の信号を中心にして四方は山城(今西、山辺、上杉、高山、浮、栗栖、宿野城)の密集地帯の様になっている。城跡は山田氏の居城を伝えるが詳細は不明 

城跡へは国道173号を北上した場合「栗栖」の信号を左折(西)、そのまま一般道602号より森上城跡訪問時の駐車場となる岐尼神社を通り過ぎてルート図の如く神宮社を目指す。更にそこを通り過ぎて細い道から最奥の池まで向かい段になった休耕田を北に上れば城跡西側の堀切まで辿り着ける。

城跡は主要二郭で構成されるシンプルな縄張りであるが遺構の残存度は高く分厚く高さのある櫓台土塁、周囲を取り囲む土塁、堀切、井戸跡と言った具合に抜群の存在感を誇っている。現状(五月)郭内は地表も風化中で凸凹しており相当荒れ放題となっているが藪化までにはまだ遠く下草も少なく、存在する全ての遺構はほぼ判別確認できる状態にあると見てよい。総合的には縄張り妙味には少し欠けるがリアルに当時を思い起こさせる遺構群は見応え充分で時間の経つのも忘れてしまうほどである。後はこのままの状態が自然保持されながらも指定史跡として認定され、後世まで遺される事を願うばかりである。

1route_2 登城ルート

4enbou_1 東より城跡遠望

3nawa 城跡概念図

8_nisi_horikiri_2 西堀切

14_sikiri_dorui

二の丸仕切り土塁

26_daidorui_koguti 主郭櫓台土塁と虎口

21_dorui_sita_ido 櫓台下の石組井戸跡

27_shukaku_nai_dan 主郭内の段

32_shukaku_nai_1 主郭周囲の土塁

山辺城跡(大阪府豊能郡)

大阪府豊能郡能勢町下山辺にあって西出郭とも見受けられる西林寺の東側に二つの峯を持つ鷹爪山が城跡、大町氏の居城と伝わるが詳細は不明

城跡は能勢富士とも呼ばれる標高434mの山頂にあるがはっきりした登山道が無く、西林寺南東側の大手(小字名)より上ると相当時間も距離もかかるので最短で城跡南側に位置する月峯寺側から上る事をお薦めしたい。寺院北側の中腹にある住宅地のほぼ最北(奥)まで車で上り廃屋の空き地にでも駐車すればルート図にあるが如く急斜面の直登となるが山上まで15分で辿り着ける。

1route 登城ルート

Honjyou_enbou_1 梅雨時の鷹爪山

Zz 城跡概念図

城跡訪問は下草の少ない真冬(1月)を選んで今回で二回目となるが、やはり冬枯れしており見通しも良く山上郭群の遺構はほぼ判別確認出来る状態にあった。城跡の特徴としてはこんな険峻な山上に拘らず郭壁には石垣が多用されており至る所に石垣跡を見ることが出来、便宜上北端にある郭を主郭とするがこの付近の西側帯郭側壁に最も多くの石垣跡を眼にする事が出来る。規模も山上二つの峯に跨っており高所にありながら山上全域を郭化している大きなものである。見所は縄張りを含めた全て言っても過言ではなく山城ならではの自然岩を取り込み郭を形成したり、切り立つ崖をもって切岸としたり細部に渡って思わぬ発見が得られる。中でも見逃してはならないのは山上郭群より一旦下りた東に位置する出郭で、小規模ではあるが当時に思いを馳せる事の出来る周囲を取り囲む土塁及び虎口が良い状態のまま残存している。

8_1 三の丸南側

15_oku_2maru_2dankaku 中郭より二の丸側

30_shukaku_nai_1 主郭

35_shukaku_isi_1 主郭壁の石垣跡

37_shukaku_obi_isi 西帯郭壁の石垣跡

40_shukaku_obi 西帯郭

46_demaru_koguti_dorui 東出郭土塁虎口

現状、意外にもある程度山上は整備されており木々も少なく下草もそんなに多く蔓延ってもおらず、訪問時期としては冬季にこしたことはないが山城の雰囲気を味わう程度なら四季を問わず訪問可能と言えるのではないだろうか。

尚、この城跡には西麓から東麓にかけて多くの砦跡並びに出郭群が存在しているので次の機会において訪問リポートしたいと思う。

2008年9月23日 (火)

吉田氏城跡(三重県上野市)

三重県上野市蓮池にあって木代神社境内及び北側丘陵地上が城跡、吉田氏の居城であるが詳細は不明

現地に向かうまでは伊賀地方の城跡という事で方形館のイメージがあり単郭が並んだ程度を予想していたが、これは予想を遥かに超えた城跡で縄張りも複雑で全く見飽きない、そして凄い高さの切岸を有した素晴らしい城跡でもあった。中々この状況を言葉にするのが難しいほどで、まだ未訪の方は現地を訪れて直接確認体感して頂くしかない。

現状(12月)惜しむらくは冬季であるにも拘らず北側に向かうほど雑木藪(常緑樹)及び竹林で視認にも難渋し判別確認も難しく身動きも取れない状態となっており、夏場の訪問は相当な覚悟がいると想像出来る。お陰で城跡全体像までは把握し切れなかったがそれでも充分満足感には浸ることが出来た。1z

登城ルート

3 城跡概念図

3o 状況及びコメント

6_yasiro_nai_horikiri_1 境内にある堀切

18_yaguraheki_higasi_karabori_1 櫓台東側の空堀

20_yaguradai_jyou_1 主郭櫓台

27_higasi_yakata_nai 東郭(副郭)の大土塁虎口

28_yakata_nai_tatedorui 主郭縦土塁

30_kitakaku_gun 北郭群

33_kita2_yori_kita1_heki 北郭切岸

穴太城跡(京都府亀岡市)

京都府亀岡市曽我部町穴太にあって有名な穴太寺からは道路と川を隔てた西側に位置する川沿いの丘陵地が城跡である、赤沢氏の居城と伝わるが詳細は不明

この城跡は神社から5分もあれば本郭に到達出来る事から既に訪問された方も多いと思われるので簡略したリポートにさせて頂く。

城跡は穴太寺を目指し北西の橋を渡った場所にある小幡神社背後の丘陵がそれで、神社内の川沿いの竹林地から既に土塁の仕切りの様な盛り上がりのある郭跡が確認され城域と分かる。最奥の社傍の土塁道を通り本郭に向かうが二三段の段郭を経て本郭には到達出来る、便宜上東西に土塁を伴う広い郭跡を二の丸(副郭)としたが主郭と呼ぶに相応しい様相は呈している。一般見学者は丘陵上の主要二郭を確認すれば帰途についてしまうが更に南西山上まで少し足を延ばすと輪郭で形成された櫓台を最高所とした詰城と呼ぶべき山上郭が存在するのでこれを見逃してはいけない。

現状(二月)城跡は風化も藪化も進行中で冬季であるにも拘らず本郭跡は別にして北側は雑木密生、川沿いは竹林地で踏み入る隙間もなく視認も難渋する有様で、郭形状などは非常に掴み難く、縄張り全体像もある程度推察するしかない状態である。今回で二度目の訪問となるが初回の夏季訪問では更に状態は悪く、薄暗くて写真撮影も出来ない状態であったのを記憶している。本格的に城跡見学をしたいのであれば絶対に冬季限定に限られる城跡と言える

1route_2 登城ルート

2nawa2 城跡概念図

39 神社横の仕切り土塁が続く郭跡

9_tojyouguti 郭進入口の上り土塁

14_2maru_nai 二の丸、奥は土塁

19_horikiri_dobasi 堀切土橋

21_shukaku_nai_dorui 主郭内の櫓台土塁か

32_minamikaku_top 南山上郭最高所

30_minamikaku_dankaku_2 山上郭の切岸

2008年9月22日 (月)

小谷城跡(兵庫県加西市)

兵庫県加西市北条町小谷にあって陽松寺北背後の山の山上部分が城跡、赤松氏一族の城跡と聞くが詳細は不明

城跡へは県道23号から「谷」と「笠屋」の中間にある道路を道に任せて北上すれば登山口となる陽松寺には辿り着ける。寺院内の北側にある墓地の最奥から裾を取り巻く形で空堀道(近世のものか?)があるのでそれを右手(東)へ進むと山道に合流する、それを山頂に向いて上ると山上郭群の中ほどにある南側の空堀跡に到達出来る。

城跡は郭間の段差も余り無く、遺構と呼べるものは郭跡を除けば南側の空堀土塁、縦堀、東端に堀切がある程度でとても見応えのある城跡とは言い難いものである。現状(九月)主郭から西の三段郭群までは下草は生え放題となっているが移動視認は可能であり遺構の判別確認は出来る。しかしその西側は笹藪で覆い尽くされておりとても踏み入る隙間も無い状態にある、お陰で郭形状及び縄張り全体像はさっぱり見えてこず推察すら出来ない状況でもある。主郭を見る限りでは規模もそう大きくは無い山城の様に見受けられるが、麓に居館を置く詰城の機能を担った程度の城跡かも知れない。作図にある様に寺院を居館に置き換えた時初めてそれを取り囲む形で東西に配置される郭群(砦跡)、あるいは山上にある小規模の詰城も三位一体となっている様子が窺われ、充分納得出来る縄張りの様に思えてくる。

こう言った形態の山城は麓も含めた城跡全体像から考えた場合のみ案外見えない部分も見えたりする事があり、想像を膨らませる事によって郭配置にまで意図とするものが読み取れたりする時がある、山城にさっぱり見応えは無いが結果的には非常に楽しく有意義な山城探索となった。

1z 登城ルート

4 南より城跡遠望

3_2 城跡概念図

11_oku_tozanguti 墓地最奥の進入口

19_karaboi_dorui_1 南空堀土塁

23_shukaku_nisi_dankaku_1 主郭西段郭

25_shukaku_nai_2 主郭内

26_shukaku_higasi_obi_1 主郭東

27_higasi_horikiri_dorui_1 東端堀切

長水城跡(兵庫県宍粟市)

兵庫県宍粟市山崎町宇野にあって宇野集落より北側遠方の標高585mの長水山山頂が城跡。成立は赤松氏によるもので14世紀初頭であるが15世紀半ばより宇野氏に代わり秀吉の播磨攻めによって落城の歴史を伝え、現在の城跡は宇野氏によって改修後のものと見受けられる。

城跡へは山崎インターから国道29号を北上その後429号に入れば登山口である伊水小学校に辿りつける。登山道は数箇所あり前回(数10年前)における登山では急斜面ではあるが東側からの最短距離(現在登山道があるのかは疑問)を選んで登った記憶があるが今回は少し距離のある歩きやすい伊水小学校からの登山道を選んだ。ここから山頂までは約2kmあり50分はかかる道のりになるが山登りを楽しむ分には絶好と言える登山道である。当時はこちらが大手であったのか上り始めた伊水小裏手の谷沿いには郭跡と見受けられる石垣跡も数箇所確認する事が出来た。

城跡は主郭周りから東にかけての郭群は全て石垣造、険峻な山上に良くこれだけのものを築き上げたものだと驚嘆するばかりである。特に主郭の東側壁には二段の高石垣が築かれ見る者を圧倒しており、仰ぎ見る石垣は正に圧巻と呼べる様相を呈している。東郭群は現在住職の住居及び畑地となっているので郭跡を窺う事は出来ないが周囲を固めた当時の石垣は外見からでも充分堪能する事が出来る状態にある。住職の話によると「主郭から二の丸にかけては落城後秀吉によって破壊されており、現状見られるのは破壊を免れた部分のみである」との見解であった。確かに主郭への大手虎口石垣が石段を残して片側半分しかないので変ではあったが、、

現状山上郭群は整備されており四季を問わず非常に良い状態のままを見学する事が出来そうとも思われ、木々の切り払われている分最高の眺望ともなっている。正に当時の城主もこうして下界を見下ろしていたのかと想像すると限りないロマンに包み込まれてしまう、頭にイメージする天空の城をまた一つ見つけた気分で山頂を後にする。次回別ルートでの登山が楽しみに思えてくる

1 登城ルート

3tozan_kuti 登山口

3_3 城跡概念図

14 登山道より真徳寺の住居

16_higasikaku1 東郭群の二段高石垣

41 44 

主郭高石垣

38_2maru_yori_shukaku 二の丸より主郭石垣

28 南出郭

36_demaru_yori_2maru 出郭より二の丸側32_horikiri_monomi

南自然岩を利用した堀切

2008年9月21日 (日)

芦田城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市青垣町東芦田にあって集落より北西側の標高519m山頂から南北尾根上が城跡、信州より来住した芦田氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは柏原青垣7号線より途中109号に進路を変え登山口である胎蔵寺を目指す。109号線沿いには寺院への案内板も設置されており直ぐの距離である、車道は寺院までで山頂主郭まではこれより西に向いて登山道を利用して登る事になる。

1_asida_yakata1 登城ルート

4_tozanguti 登山口にあたる胎蔵寺

2asida3 城跡概念図

2asida2x 状況及びコメント

34_ooisi_monseki_1 南自然地形郭

38_horikiri 南堀切

42_minami_dankaku 南段郭群

45_shukaku_heki 主郭切岸

46_shukaku_nai_1 山上主郭

47_kita_shukaku_heki 主郭北側切岸

48_kita_3dankaku_1 北側の三連段郭

50_kita_horikiri 北堀切

現状(一月)城跡は冬季と言うこともあってか藪で難渋する事もなく移動は容易に出来、主郭周りの郭群は全て判別確認出来る状態にある、ただ主郭より東側は登山道からは外れる事もあってか雑木が密生しており移動も困難で踏破する気にはなれなかった。初回の登山では夏季と言う事もあり相当草木が生い茂っており動き回れる状態にはなかったが、登山客の少ない山はやはり冬季に訪問するのがベストであると思われる。

2008年9月20日 (土)

坂本城跡(兵庫県養父市)

 (9/11訪問) 兵庫県養父市八鹿町坂本にあって先に訪問リポートした朝倉向山城跡からは円山川沿いの北東4km地点に位置する独立した山塊の山上が城跡、この城跡も恐らく秀吉による但馬攻略軍の前に屈し落城したと思われるが詳細は不明

城跡へは国道312号より北上した場合朝倉向山城跡の登山口にあたる宮越の信号を通り過ぎて「上小田北」の信号を右折、橋を渡った辺りですぐ左手遠方に見えてくる山が城跡にあたる。後はルート図の如く神社を目指し到着後その背後から尾根斜面に取り付きそのまま山上に向かって上れば15分足らずで辿り着ける。

山上郭群は九月にも拘らず下草も木々も比較的少なく城跡遺構のほぼ全て判別確認可能となっており、郭群が直線的に繋がっただけのシンプルな縄張りとなっている。残存状態は極めて良く二の丸北壁の切岸などは素晴らしい状態で自然保持されており、山上中央に備わる三重堀切などは土塁も高く残り当時に思いを馳せる事が簡単に出来る最大の見所遺構ともなっている。城跡全体を考えれば山上郭群の全長は100m近くあり規模は比較的大きい部類の山城と言えよう。

1route 登城ルート

4_1 城跡遠望

3sak 城跡概念図

13 二の丸土塁壇

13_2maru_kita_heki 美しい二の丸北切岸見所

15_shukaku_heki_1 二の丸より主郭壁

16_shukaku_1 主郭

18_3jyuu_horikiri_5 19_3jyuu_hori 18_3jyuu_horikiri_1 三重堀切最大見所

但馬地方でも特に豊岡日高周辺に関しては城跡が数多く集中存在しているにも拘らず情報資料が乏しい為に今回も地形図頼みで事前シュミレイション通りの直登となったが案外別の方角からの山道があったのかも知れない、結果的には神社背後が少し藪漕ぎ程度の事で最短距離では到達出来たので結果オーライとは言えるが、、現状九月でこの状態であればこれから秋冬にかけては更に状況も良くなり何時でも訪問可能な城跡だと思えてくる。

2008年9月19日 (金)

加陽城跡(兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市加陽にあって国道426号を北上した場合加陽地区にある五条大橋を西に渡ったすぐ左手の丘陵先端が城跡である、城史に関しての詳細は不明

城跡へは加陽地区にある中山神社を目指し五条大橋を渡って少し西に走れば道路沿いに中山遊歩道の案内板が設置されているのでその方向に左折する。そのままルート図の如く道任せで神社前までは到達出来、そこから神社背後を回りこんで城域となる尾根上に上る。主郭へは尾根をそのまま北側に歩くと自然地形に近い規模の大きい郭群を経て尾根を分断して主郭を切り離している大堀切まで辿り着ける。

ここから大堀切を挟んで10m以上はあろうかと思われる高い櫓台背後の切岸を越えてやっと細長い主郭に到達、その北端には櫓台まで備わっており西下段の広い郭及び北の段郭を合わせると中々の規模を持った城跡と見受けられる。城跡の最大の見所は大堀切を含めそのまま西側に少し下りた地にある縦堀と横堀が交差点の如く複雑に組み合わさった場所で空堀群が畝堀にも見て取れる、空堀によって郭割りにもなっている様にも見える。現状(九月)この辺りは凄まじい竹林地と化しており地表も風化によって相当荒れているのでどこまでが遺構であるのか判別が非常に付き難い状態ではあるが、何とか大雑把な縄張り図を作成するまでには漕ぎ着けた。

この竹林さえなければ素晴らしい城跡だと呼べたところであるが、何分見応えのある空堀群もこの状態では見る者の想像性に手を委ねるしか無いのが現実である。尚、隙間無く覆われた竹林の為に郭内は薄暗く、撮った画像がほとんどボケて尚且つ竹林のみが写された状態にもなっておりブログ読者の方に対しては良い画像を提供出来なかったのが少し残念なところではある

1_2 登城ルート

4_1 案内板と城跡遠望

3k 城跡概念図

19 二重堀切

K_53 大堀切

K_51 堀切より高い櫓台切岸

K_21 主郭櫓台土塁

K_30 主郭

K_31 主郭西下段

朝倉向山城跡(兵庫県養父市)

兵庫県養父市八鹿町八鹿にあって国道312号の「宮越」の信号より数m西側にある忠魂碑へ通じる上り道が進入路、城史に関しての詳細は不明

城跡へはこの忠魂碑の背後から踏み跡程度の山道が山上主郭まで通じているので迷わず20分程度で辿り着ける。

忠魂碑背後からのスタートとなるがここには遺構らしき深い空堀が土塁を伴って残存しておりこれから山上にかけて大きく期待を持たせてくれる、ここから山上までは痩せ尾根に無駄なく郭跡が形成されており山上までには郭跡あるいは堀切跡を確認しながら無駄なく登って行ける。結果的に主郭から西側尾根上までは踏破出来なかったがある程度郭の展開は予測されるものである。特別秀でた縄張りでもなく自然地形をそのまま利用し尾根を削平しただけに終わっている古い形態の城跡ではあるが、この険峻さはやはり本来の山城の持つイメージに近いものでもあり見応えは無いが充分山城跡として堪能出来るものと言える

現状(五月)城跡は藪化が進行中ではあるが移動及び遺構の判別確認に支障を来たす事もなく見て回る事が出来、快適とは言わないが山登りも同時に楽しむ事が出来る状態にある。

1route 登城ルート

3mu 城跡概念図

7 忠魂碑背後の凄い空堀見所

7_1 大土塁と空堀

25_2jyuu_hori_dobasi_1 二重堀切と土橋

29_gedan_yori_shukaku_heki 下段郭より主郭切岸

32_shukaku_yagura 主郭櫓台

37_nisi_kaku_1

西郭40_minami_kaku_e

南尾根郭

2008年9月18日 (木)

比丘尼城跡(兵庫県養父市)

兵庫県養父市八鹿町朝倉にあって集落の東奥の丘陵上が城跡、当地は朝倉氏発祥の地として有名

城跡はかつての集落跡と見受けられる谷沿いの地を挟んで西側尾根の先端に朝倉城、反対の東側から集落に突き出した形でこの比丘尼城がある。国道9号より朝倉集落のある南に進路を変え細い道路を奥へと進むとルート図にある神社に辿り着く、ここから小さな案内板を見て広い駐車場まで向かう事になるが砂利の多い悪路である為、車が大事なら神社付近に駐車して歩いて向かった方が無難である。尚、朝倉城跡も神社から見える位置にあるのでそちらの訪問は道も狭いため車はここに置いて歩いたほうが良いだろう。

城跡は最高所である主郭に櫓台程度の土塁壇を置き西側には規模の大きな変形の郭跡を配しているが、見所を挙げるとすれば当時ものと思われる石垣跡に尽きる。主郭北側の帯郭壁面は全て石垣で固められていたと見え、現状でも随所に石垣跡が見え隠れしている。小規模ではあるが石垣を含めた土木工事には相当人手が掛かっていそうに見える。

現状(五月)城跡はある程度整備されており雑木に覆われた西郭及び主郭南側を除いた箇所の遺構は全て判別確認可能となっている。地形から察するにはこの雑木藪で覆われた南側にこそ屋敷跡群あるいは段郭群が形成されているのではと思ってしまうが、現状では全く踏み入れる状態にあらず諦めるしか無いようである。

1route_2 登城ルート

3 城跡概念図

10_shukaku_e 北東側から帯郭及び主郭壁

8 北帯郭壁

7_isi_1 帯郭石垣跡

14_nisi_yori_shukaku 西より主郭

16_nisigawa_yori 西郭より主郭側

朝倉城跡(兵庫県養父市)

兵庫県養父市八鹿町朝倉にあって比丘尼城跡からは丁度見える位置にある西側の小高い山の山頂が城跡、比丘尼城跡からはすぐの距離にあり登城口である道路脇の墓地には案内板も設置されているので道に従えば迷うことなく山上主郭まで数分で辿り着ける。

非常にコンパクトな城跡であるが山上からの眺望も抜群で残存状態が良く凝縮された遺構の数々には胸を踊らせてしまうほどである。整備されているので縄張りも摑み易く全ての遺構の判別確認は容易となっており、この手(小規模で物見砦程度の城跡)の山城の中では異例でもある石垣を使用しながら本格的に築かれている。縄張りに置いても三方の尾根には必ず堀切が設けられており手抜きが全く感じられなく、予想していた以上に素晴らしい城跡で自分の中にある「天空の城」に一歩接近した様な気がしている。

1route_3 登城ルート

4_2 国道より城跡遠望

3_2 城跡概念図

27_horikiri_yori_shukaku_heki_isi_1 南堀切より主郭切岸

18_yaguradai 主郭櫓台

14_minami_horikiri_kaku 主郭より南堀切と郭跡

25_hokutou_heki_isi 北東壁石垣跡

33_minami_dankaku 南段郭群

37_minami_dorui_karabori 南郭の土塁空堀

39_minami_hasi_horikiri 南端の堀切

2008年9月17日 (水)

伊賀谷城跡(兵庫県豊岡市)

 9/11(訪問) 城跡は人里離れた隠れ里の如き辺境の地にあって、その急峻な山上にはこれ以上ない美しさと見応えの両方を兼ね備えた畝状縦堀群が主郭周囲に張り巡らされていた。近畿圏内ではこれだけの残存状態の良さと美しさ及び規模を兼ね備えた畝堀には巡り会った事が無い!

この城跡は言葉にならないほどの感動と醍醐味を与えてくれる素晴らしい畝堀遺構を有する山城なのである。先に訪問リポートした篠山市にある館山城跡の規模は小さいが威容な高土塁、四重空堀の凄さにも圧倒されっぱなしで感動を覚えたが、この城跡はそれと同等かそれ以上の感動が得られる事は必至である。

城跡は豊岡市伊賀谷にあって名前の如く正に隠れ谷と呼ぶに相応しい辺境の地にある。豊岡市内から国道178号を走りルート地図にある様に北に向かう細い道へ進入し無住の寺と神社を目指し、到着すれば神社背後からいきなり山上に向かって直登する。かなりの急斜面ではあるが15分程度を一気に登り切れば山上の驚愕に値する畝堀を拝む事が出来る

Sinnyuuro 登城ルート

5 南東より城跡

3ig 城跡概念図

城跡は広大な規模を有する単郭で形成されており縄張り妙味には全く期待出来ないが、冒頭にある様に技巧的な畝堀だけで充分過ぎる満足感が得られるものである。畝堀は主郭の南側と東側に設けられており横堀も組み合わさった技巧的なもので本数も多く相当な土木量をもって築かれている様に見受けられる。主郭北側には土塁が備わりその背後にある二重堀切を挟んで広大な平坦地(郭跡)が更に北西へと繋がっている。

12 14 南側の畝堀と横堀

20 主郭内

22_shukaku_kita_dorui 主郭北の土塁

35_2jyuu_horikiri_1 主郭北の二重堀切

30 28 主郭東側の畝堀

現状主郭内は雑木も下草も蔓延り自然任せの荒れ放題となっているが移動に難渋したりする事はないので一安心ではある。この訪問時期でこの程度であれば冬季は更に見通しも利きやすく、より山城遺構を堪能する事が出来、尚且つ楽しめるのではないかと思われる。尚、下山の際は必ず畝堀南東下辺りにある大岩(物見郭)よりほぼ真南側に下り元の神社に戻る事が大事となる(目印となる枝尾根がないので位置確認が常に必要、下りる位置がずれると藪漕ぎになる)。

宵田城跡(兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市日高町宵田にあって地図に記載されている城山トンネルの山上部が城跡、この日高地方にあっては大きな勢力の一つである垣屋氏の支城と伝わるが落城後に秀吉の傘下に入った模様。

城跡へは麓の岩中公民館に駐車させてもらいルート図の如く川向の発電所を目指し橋を渡る、そこにある神社からは整備された城山公園遊歩道で山上まで辿り着ける。

城跡は山頂に設置された案内縄張り図を見れば分かるように相当な規模を所有している城跡の様に窺える、しかし現状(五月)では主郭周りを除けば身動きも取れないほどの竹林あるいは雑木藪と化しておりこの案内縄張り図の半分も見て回れたら良しとしなくてはいけない状態にある。自分で歩き回った結果としてはここまでの概略図の作成までにしか至れなかったが、それほど現状においては観賞範囲が限られてくるのである。竹林となれば冬季でも侵入は中々難しいと思われこの城跡を体感する事は非常に困難に思えてしまう。

1route_4 登城ルート

4_enbou 南より城跡遠望

3yo2 城跡概念図(見学可能な部分のみ)

3yoida 状況及びコメント

10_minami_dankaku_gun 南郭群の有様

17_3maru_2 三の丸

18_shukaku_dorui_koguti 主郭虎口

20_shukaku_nai_1 主郭

23_shukaku_heki_kita_isi 主郭北虎口の石垣跡

34_sita_yori_koguti_1 二段土塁上り虎口

2008年9月16日 (火)

森本城跡(兵庫県三田市)

兵庫県三田市東本荘にあって先にリポートを載せた本庄丸山城跡とは車で少し南に移動した程度の距離に位置する低山が城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは一般道309号より学校の東側の道に入り、ルート図通りに進めばほぼ行き止まりとなる農道傍の墓地までは辿り着ける。墓地からは奥にある池の土手を通り直接傾斜面尾根に取り付き、それを上れば既に城域と見受けられる郭跡に到達する。

現状(3月)城跡は相当藪化進行中であり主郭周りの遺構を確認するのが精一杯で主郭から南北、東側には足を向ける事が出来なかったが、主郭周りを窺う限りでは大規模な城跡である様には見受けられないものである。踏破していない箇所も多く一言では片付けられないが評価としては砦規模で本庄丸山城の支城あるいは出城程度の機能を持たされた城跡の様に思える。

1route2 登城ルート

3

城跡概念図

8_nisi_yasiro_kaku 西郭

9_haigo_dorui 西郭背後の土塁

11_minami_gawa_karabori 南側空堀土塁

14_shukaku_heki 主郭切岸

15_shukaku_nai_1 主郭と櫓台

10_horikiri_karabori 空堀

本庄丸山城跡(兵庫県三田市)

兵庫県三田市東本庄にあって代々森鼻氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡へは国道176号で北上した場合「四つ辻」から一般道309号に進路を変え約1.5km過ぎの橋手前で川沿いの道に入る、ここからすぐ真北に見えている山が城跡であり、ルート図にある如く工場に向かって道路を進入し池に沿って民家側に歩けば進入口はすぐ見つかる。池の東脇からすぐ城域と見受けられ、そこからは北に向いて山上を目指せば段郭群及び堀切を確認しながら最高所である主郭まで辿り着ける。

城跡は麓から尾根斜面を連郭式に山上主郭まで郭跡が連なっており麓の屋敷跡群を別にすればほぼ四郭群から形成され、各郭群を挟む形で堀切あるいは土塁虎口が設けられている。特別に縄張り妙味がある山城の様には見受けられないが、堀切と郭間の切岸斜面には必ず土塁虎口が備わり一旦そこで来る者を遮る形となっており、それぞれの郭群が独立した機能を持たされている様に窺えた。

現状(五月)城跡は麓から山上主郭に至るまで満遍なく雑木に覆い尽くされておりよほど覚悟して上らなければ途中で引き返してしまいそうになる、それほどの状態ではあるが好奇心と探索心の方が勝り何とか山上主郭までは辿り着けた。そのお陰でおよその郭縄張りは掌握する事が出来たが縦堀の有無までは確認に至れなかった。恐らく中腹辺りに二本程度の縦堀が見られたので主郭までには連続する縦堀が見られたのかも知れないが、、、夏場の訪問は絶対に避けなければいけない城跡である!

尚、この地から南側数分の距離に森本城跡もあることから最初から立ち寄るつもりのコースで考えれば効率の良い訪城となる。

1route2 登城ルート

4 進入口

3mar1 城跡概念図

13 南郭堀切手前の土塁

19_tate_dorui 郭側面の縦土塁

23_horikiri_dorui 堀切

29 堀切壁

33_shukaku_dorui 主郭内の奥土塁

2008年9月15日 (月)

下滝野城跡(三重県松阪市)

三重県松阪市飯高町下滝野中之郷にあって国道166号沿いの新田中バス停と公民館の間に位置する山の山上が城跡、城史に関しては詳細は不明。

城跡へは橋を渡る手前を川に下りて行く形で北へ向いて進入する、後は概念図にあるが通りに川に沿って進むと屋敷跡と見受けられる規模の大きい郭跡、東側斜面を登れば主郭まで到達出来る。

城跡の最大の見所でもあり醍醐味を味わう事が出来るのは尾根を南北に分断する堀切で、主郭側の堀切壁は数100mに渡り全て石垣で固められている。これだけの遺構は他の城跡では中々お目にかかれないもので一見の価値のあるものである。

1route 登城ルート

3_3 城跡概念図

3x 状況及びコメント

24 川沿いの屋敷跡

26 屋敷跡土塁内側の石垣

21_koguti_isi 虎口の石垣跡

17_horikiri_nisi_e_2 15_kita_horikiri_isi

堀切石垣跡見所

11_shukaku_nai_dorui 主郭土塁

8_higasikaku_dorui 東郭土塁

10_shukaku_heki 主郭切岸

中森氏城跡(三重県津市)

三重県津市美杉町太郎生にあって国道368号沿いにある小学校からは西側にある丘陵上が城跡、中森氏代々の居城と聞くが詳細は不明。

城跡へは国道368号を北上した場合太郎生郵便局を過ぎすぐ西(左折)の細い道路へ進入、後は概念図にある最短ルートを参照すれば難なく辿り着ける。

1route

登城ルート

3 城跡概念図

4 南から城跡遠望

城跡は国人あるいは土豪クラスのものの様には思われず規模も大きく豊富な土木量を持って築城に携わったと見受けられる。主要三郭を直線的に配置した単純な縄張り構成ではあるが壁の様に立ちはだかる土塁には圧倒的迫力がある。特に北側から仰ぎ見る北郭の土塁虎口は周囲に木々の少ない事からも麓から鋭角にせり上がって来る切岸が鮮明に見て取れる状態で更に迫力に拍車をかけている。現状(四月)郭全体を通して下草の多さは仕方が無いが木々も少なく見通しも良いので遺構の判別確認は容易であり、残存状態も自然風化が激しいにも拘らずかなり良い部類に入る。伊賀地方にあると言う事で方形館跡程度を予想して臨んだのだが予想を遥かに覆され大変満足のいく訪城となった。

道路から5分もあればこれだけの遺構群を拝む事が出来るのだから、お手軽で尚且つ満足感にも浸れる申し分のない城跡と言える。

17_shukaku_dorui_dou 主郭へ土塁道

20_shukaku_nai_2_2  主郭

22_shukaku_nisi_karabori 主郭西空堀土塁

31_kitakaku_nisi_dorui_1 北郭西側の土塁

33_kita_dorui_koguti 北郭土塁虎口

36_kita_e 北側の細尾根

2008年9月14日 (日)

南山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市辻にあって先に訪問リポートした東山城からは道路と川を隔てた西側に位置する尾根上に城跡はある、こちらも淀山を本城とする波々伯部氏の支城と見受けられ三城とも同じ辻集落に国道を挟んだ形で独立性を保持しながらも波々伯部城塞群の一翼を担っている様に窺われる。

城跡へはルート図に付記されている様に大仙寺を目指しそこから墓地を通り過ぎ最奥より南東側に向いて尾根斜面を直登すれば10分程度で主郭には辿り着ける(詳細は概念図にあり)。現状(6月)山上郭群は当然の如く藪化進行中であるが砦規模の城跡である為全体像も把握し易く山上における遺構は全て判別確認できる状態にある。

個人的には時期を別にした訪問となったがこの城跡も波々伯部三城の一つとして距離も近い同じ地区にあるので同日訪問をすれば効率よく三城の違いを確認しながら見て回れるのではないだろうか。

1route_7 登城ルート

Zz 城跡概念図

14_gedan3_yori_obi 主郭切岸と帯郭

16_shukaku_gedan1 主郭北下段郭

18_shukaku_nai_2 主郭

21_yagura 主郭櫓台土塁

23_sita_minami_horikiri_1 南側の堀切

東山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市辻にあって本城にあたる淀山城跡からは国道を隔てた反対側の南東側に位置し小高い山の山上部が城跡になる、波多野氏(八上城主)の重臣である波々伯部氏一族の支城と見受けられる城跡であるが詳細は不明

城跡へは淀山城から真反対の道を南に向いて辻集落へ入り道に任せて川沿いの細い道に進入する(ルート図参照)。川沿い最奥にある民家を通り過ぎればどの地点からでも左手斜面に取り付ける(ただし獣避けフェンスは越える)のでそこからは急斜面を直登するしか手はない。個人的には東側の畑地まで行きそこから強引にフェンスを越え急斜面を上ったが比高70m程度なので20分もあれば山上までは辿り着ける。

現状(12月)城跡は多少藪化はしているが冬季ともあって葉が生い茂っていない分動き回り易く遺構は全て判別確認できる状態である。こちらも本城と同様に縄張りは非常にシンプルで高さのある切岸と堀切、数段にも及ぶ段郭群が山城らしさを充分醸し出している。見応えからすると淀山本城より数段こちらの方が勝り主郭の規模は相当大きく城域もかなり広い、国道に至るまでの尾根上にも数箇所に渡って郭跡(平坦な削平地)が見て取れた。ただ現在の状態から城跡を察すれば夏季においては相当郭内に葉も生い茂り、快適な山城探索とは行かないかもしれない。訪城するにはやはり冬季限定と言ったところか、、、、

尚、下山の際には必ず南郭から真南に下りてもう一度フェンス(恐らく開閉場所は登山開始地点の一箇所しか無い)を越えて元の川沿いの道に戻るか、北郭より尾根に任せて小規模な砦跡を確認しながら国道まで抜けて行く(距離はある)かどちらかの選択が必要となる。意外に満足感に浸れた城跡であるが、この分なら次の訪問予定地である南山城跡(西向いにある山城)が楽しみになってくる

1route_6  登城ルート

3h 城跡概念図

19_minami_dankaku3 南段郭群

28_shukaku_nisi_gawa_dorui 主郭西の土塁

40_gedan_sita_horikiri_1 北側の堀切

47_gedankaku_sekiretu 東郭内の石列

48_yaguradai_dorui 東郭櫓台土塁

50_higasi_horikiri 東堀切

53_sizenkaku_higasi_horikiri_dobasi 東端の堀切土橋

淀山城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市辻にあって辻集落からは国道を挟んで北側に位置する小山の山上が城跡、波々伯部氏代々の居城であるが戦国期には明智に攻略されている。

城跡は国道372号を走れば辻集落の北側に見えてくる低い山がそれで、ルート図にある様に北に向いて少し進入すれば池の横を通り城跡まですぐ辿り着ける。

1route_4 登城ルート

6_sinnyuudou 進入路

3yodo 城跡概念図

現状(8月)城跡は相当藪化進行中ではあるが縄張りが複雑で無い分、堀切から南側の主郭周りの遺構の判別確認は充分可能な状態にある。しかし北側及び西側は視認も困難な雑木藪に覆い尽くされており中々踏み入れる状態には無く踏破は断念する。城跡としては縄張り妙味も無く優れた技巧も取り入れている訳でもないので見所を挙げるには苦労するが、唯一高さのある切岸を持つ大堀切は見応えのあるものである。主郭には石碑も建っていたが城跡自体が自然と一体化するのも時間の問題である様に窺える。ただこの城跡は国道を越えた反対側の山上に一族の拠る東山、南山城跡があり、更に西側には波々伯部神社もある様に恐らく波々伯部氏の本城(規模的には東山城の方が大きい)とも思われ、5分の直登で主郭には到達出来るので一度見ておいても損にはならないだろう。

個人的には訪問時期を間違えた様だが冬季限定訪問であれば見学出来る状況も少しは好転しているかも知れない

13_horikiri_yori_3maru 大堀切より切岸

14_3maru_nai 三の丸

27_shukaku_dorui 主郭土塁

31_2marunai_sekiretu_2 二の丸内の石列

25_nisi_dorui_karabori 主郭西の空堀土塁

43_tatebori 東側の縦堀

2008年9月13日 (土)

友政城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市市島町友政にあって集落の南側に位置する東西に渡る尾根上が城跡、案内板によるには城主は吉松氏、家老が見谷牛右衛門友政となっており、現在でもその字地名が「友政」になって麓には守り神とする八幡神社まである様である。

城跡へは国道175号線を北上する場合、市島を越えた辺りから進路を東に取り線路を越えて竹田川沿いを走る一般道に進入する、川沿いの道路をそのまま北上すれば後は登城ルート地図通りで麓の公園には辿り着ける。ここからは城跡公園として遊歩道が整備されているので迷わず山上までは到達出来る。この地からそのまま道路に従って北東に進めば数キロ先に既に訪問紹介した前木戸城跡もあり、二城同日訪問するとより効率良く見て回れる様に思われる。

城跡は現状(六月)と言う事もあってか遊歩道を少しでも外れると郭跡は一面夏草やシダで覆い尽くされており低い郭段差などは判別確認も出来ない状態となっている。展望所である主郭さえも草木で眺望も利かず唯一の土塁でさえ判別し難い状況である。この様な状態で見所を探すとすれば唯一主郭東背後に設けられた二重堀切ぐらいか、、、、、中々状態の良い時期を狙って訪れるのは難しいがこの城跡に関して言えば夏季の訪城は絶対に厳禁と言う以外の言葉は見つからない。

1route 登城ルート

4 進入路より城跡遠望

3to2 城跡概念図

8_kaku4 西郭

11_kaku3_1 西段郭

18 主郭

19_dorui_haigo 主郭の土塁背後堀切

21_2jyuu_horikiri_1 堀切

22_higasi_kaku_1 東郭

2008年9月12日 (金)

山垣城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市青垣町山垣にあって集落を流れる川を挟んで北東側の半独立状の小山が城跡でヤマガイ城と読む、足立氏の本城として機能し信長の丹波攻略軍によって落城の歴史あり

城跡は国道427号より集落に入り北側に自動車道トンネルのある小山が見えてくればその山上が城跡にあたり、そちらの方向に進路を変えて山裾まで向かう。山裾東側の畑地に見える場所奥に足立墓所がありそこから山道を上れば10分程度で主郭までは辿り着ける。

現状城跡は九月にも拘らず地表は荒れてはいるが下草も少なく見通しも良く主郭周りの遺構は全て判別確認可能となっている、しかし北側は徐々に藪化進行中でもあり多少の藪は覚悟しなければいけないが移動に差し支えるほどではない。

特別縄張り妙味のある城跡には思えないが残存状態も比較的良く、遺構残存度も高く縄張りも分かり易い山城である、見所を探すとすれば主郭南側に位置する二重堀切及び南郭群は城中最大規模でもあり見応えのあるものと言えよう。

1

登城ルート

3 城跡概念図

8_adati_haka_1 足立墓所

17_3maru 三の丸

36_2maru_nai 二の丸

18_minami_2jyuu_horikiri 南二重堀切

22_minami_hira 南郭大広間

31_minami_oohiroma_1 南郭下段

34_minami_gedan_heki 南郭の切岸

柴城跡(兵庫県朝来市)

兵庫県朝来市山東町柴にあって集落の北東に迫り出した尾根先端上が城跡、城史に関しては詳細不明

城跡は国道427号のバス停柴より東側数mに見える小高い山がそれで、道路沿いにある神社から参拝道を上れば数分で主郭まで到達出来る。

城跡は砦規模でありながら本格的な土木量を持って築かれたと見え切岸、堀切などは数100年の時を経ながら未だ尚良い状態のまま自然保持されている、コンパクトなるが故に遺構は全て判別確認可能で長年の風化を差し引いてもほぼ完存と言っても良い状態である。見所は縄張りも含めて城跡の全て言っても過言では無く、本来の自然地形を利用して削り出され削平し築かれた郭、堀切の位置などは何一つ無駄の無いものの様に感じ取れる。

現状9月でありながら植林地と言う事も手伝って下草も少なく見通しも良く、動き回り易い状況となっており案外四季を問わず何時でも訪問出来る状態にありそうな城跡と思える。

1_1 登城ルート

3s 城跡概念図

4 南より遠望

11_nisikaku_dorui_1 西郭の土塁

20_horikiri_yorihigasigawa_1 堀切より主郭側

22_horikiri_dobasi 堀切土橋

30_higasikaku_1 東郭

30_higasikaku_tatebori 東郭の縦堀

32_shukaku_heki 主郭切岸

40_karabori_yori_shukaku_gawa 北空堀より主郭側

2008年9月11日 (木)

空木城跡(兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市林田町上伊勢にあって登山客の多く訪れる伊勢山の北西尾根上に位置する小規模な山城(ウトロギ城)、別名「赤松遠見の城」とも呼ばれ赤松氏の家臣が在城していた模様。

城跡へは姫路市内から北上する場合国道29号を利用し下伊勢の信号で413号に進路を変え、新設された岩屋の森広場を目指せば難なく辿り着ける。広場からは登山道が案内板と共に設置されているのでひたすら登ると30分内で山頂主郭に到達出来る。

現状(一月)郭内は整備されており下草も少なく木々も少ないので見通しも良く、山上における遺構は全て判別確認出来る状態にある。名前の如く物見砦規模ではあるが、少なくとも自分の中ではこれも「天空の城」の一つ数える事が出来た。

1 登城ルート

5enbou_1 広場より城山遠望

3xz 城跡概念図

18_shukaku_e 西段郭群

22nisi_dankaku主郭 西下段

25_2maru_yori_shukaku 二の丸より主郭

27_shukaku_nai 27_shukaku_nai_1 主郭

28shukaku_kita_isizumi 主郭北石垣跡

30shukaku_minami_isizumi 主郭南石垣跡

谷城跡(兵庫県神崎郡)

兵庫県神崎郡市川町谷にあって別名永良城とも呼ばれ赤松一族の流れを汲む永良氏の居城を伝える。

城跡へは国道312号線を福崎から北上した場合役場信号で西に進路を変え播但線を越えて404号を北上、登山口に当たる大歳神社(登城地図参考)を目指せば難なく辿り着ける。

神社に案内板もあり観音堂への登山遊歩道もある事から山上主郭へは15分程度で迷わず辿り着く事が出来る、城跡は主郭周りの主要三郭は多少整備されており下草で覆われてはいるが雑木が蔓延っていないので容易に縄張りは摑み取れる状態にある。特に岸は良い状態のまま保持されており郭の形状も分かり易く随所に残る石垣跡と併せて当時に思いを馳せる事の出来る遺構となっている。石垣跡は主郭より二段下の南郭の周囲角及び堀切壁に集中して見ることが出来るので見逃してはいけない、三の丸北には三重堀切(二重かも?)が外見から見て取れるが倒木、生い茂る雑木に邪魔されて残念ながら全体像は素直に把握できない状態にある。

さほど規模は大きくは無いが赤松氏に関連する城跡らしく主要な郭は石垣を多用してより堅固に造られており(主郭にも石垣痕は残る)、直線的で単純な縄張り構成が故に防備に一役買っているように窺える。

1map_206m 登城ルート

3 城跡概念図

11tozanguti 登山口

16horikiri_dorui 南端堀切土塁

18 堀切壁の石垣跡

20_kaku5_nisi 南郭の石垣跡

25shukaku_1 主郭

26_2maru_yori_shukaku 二の丸より主郭切岸

26_2maru_yori_3maru 二の丸より三の丸

272maru_heki 美しい二の丸切岸

30_3jyuu_horikiri 北側の三重(二重?)堀切

2008年9月10日 (水)

矢代城跡(兵庫県篠山市)

先に紹介した国松居館跡の詰城と呼べるものでもあるが、ルートとしては出発地点にあたる西砦堀切にある稲荷社より北側斜面を上ればすぐフェンスに直面するので一旦フェンス沿いに下りて逆にそれを回りこんで上る。(理想は民家敷地内を通してもらい逆フェンス沿いに上る)フェンスを越えると長い斜面が続くが山上までには中枢を成すと思われる西出郭群を通り遺構としての堀切などを確認しながら踏み跡を辿れば辿り着ける。

山上郭までの痩せ尾根急斜面上には延々と連なる狭い段郭群が配され築城者の執念の様なものを感じ取る事が出来るが、はっきり言って技巧的要素も縄張り妙味もほとんど無い城跡である。しかしこれが篠山地区にある険峻な山城の特徴でもありそれを集約した様な山城が矢代城でもある。急斜面を郭跡を確認しながらひたすら山上に向いて登って行く時がこの山城そのものを味わえる時でもあり歴史ロマンを感じる時なのである。山上郭群までには40分程度はかかるが山城を征服した時の喜びは大きく満足感と達成感は充分味わえる城跡である様に感じられた。

現状(一月)城跡は藪化進行中ではあるが冬季のせいもあってか雑木に阻まれる事も無く遺構は全て判別確認できる状態にある。夏季ともなればやはり枝葉も生い茂ると想像できるので理想の訪城は冬季と言う事になるであろうか、、

3 城跡概念図

3x

状況 コメント

12_nisi_demaru_1 西出郭

15_horikiri_1 西出郭北堀切

27_horikiri_dobasi 中腹の郭跡、堀切土橋

32_nisi_e_dankaku 西段郭群

48_isizumi_heki 石垣跡

55_nisi_yaguradai_1 主郭西櫓台土塁

矢代城居館跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市矢代にあって先に訪問リポートした盃山城からは尾根を西に約1km移動した別峰になる山頂356mに位置する山上から南尾根先端までの城域の広い城跡であるが、この城跡は南端に位置する本来国松居館跡として一部の文献に登場するもので酒井氏の重臣である国松氏の居城と伝わるが詳細は不明、山上郭(矢代城跡)に関しては次で紹介する。

城跡へは篠山市内から一般道140号に入りユニトピアささやまを目指せば難なく辿り着ける、この大駐車場から川を挟んで東側に眼にする事が出来る尾根先端上に居館跡西砦(便宜上の名前)があり道路沿いの小さな橋を渡るとすぐ堀切に到達出来る。堀切から南側は既に城域となっており竹林の中にも郭跡が窺え、数段の郭跡を経て祠のある最上段の郭跡に到達出来る。ここから東側に数軒民家の立ち並ぶ辺りが居館跡と見受けられ実際にKM邸もあり、そこに住まわれる末孫の方の話を少しだけ聞く事が出来た。このKM邸を挟む形で東に位置する尾根上には規模の大きい東砦(便宜上の名前)があり遺構としての空堀、土橋、堀切などが残存している。

この居館跡は館を中央に置きこれを挟む形で東西に砦あるいは出郭を備え守備されており、おまけに背後の尾根から山上にかけては詰城でもある矢代城山上郭を構えたもので、勝手な推察にはなるがその更に最高所にあたる盃山城まで城域に取り込むと相当な規模の矢代城塞群とも呼べるものである。

尚、居館跡南側には余り見応えはないので訪問リポートの紹介はしないが、大野城跡が池を挟んで目の前に見えているので覗くぐらいであれば納得の得られる城跡になるのかも知れない。

1route 登城ルート

Z 大野城側からの遠望

Zz 城跡概念図

11horikiri 最初の到達点の堀切

13_gedan2_2 西砦段郭

21yaguradai_2 西砦櫓台

30_higasi_demaru_1 東砦

32_higasi_demaru_sizenkaku_1 東砦郭跡

35_dobasi_karabori_ato_1 堀切土橋

2008年9月 9日 (火)

細工所城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市細工所にあって集落の北東に聳える標高404mの山の山頂から南西尾根上が城跡、丹波の荒木鬼と異名を取った荒木氏の居城であり八上城主である波多野氏に属したが明智軍によって落城させられる。

城跡へは国道173号線から集落に入り(先に訪問紹介した貝田城とは至近距離)道路沿いの案内板より倉庫横を通り過ぎて山に向かう。山頂主郭までは案内つき登山道が通じているので迷わず辿り着けるが、厳しい上り斜面が待ち受けており30分程度の所要時間は必要である。

城跡は麓の上り口からすぐ上の尾根は城域となり居館跡とも見受けられる規模の大きい郭跡があり、高さのある櫓台土塁の背後には見所でもある大堀が設けられている。ここから先は山上までひたすら斜面を登る事となるがその間に数箇所の自然地形に近い規模の大きい郭跡は確認できる。山上主郭周りの郭群は削平も行き届き切岸処理も行われたものであり、城跡全体は直線的ではない尾根地形そのものが高低差と相俟って最大の防御機能になっている様にも見受けられる。自然地形をそのまま利用して削平し切岸処理された郭群に技巧さも縄張り妙味も求める事は出来ないが、地形そのものが既に縄張りの一部と化している素晴らしい縄張りプランの城跡だと痛感するに至った。

現状(三月)城跡はある程度整備されており冬枯れ後とも相俟って見通しも良く遺構は全て容易に判別可能となっている。元々木々が少ない為に四季を問わず何時でも訪問出来そうな城跡のようにも思われる。

1route_2 登城ルート

6_tozanguti 登山口

3a 城跡概念図

18_daidorui_yori_yasiki 南西先端の広い郭跡

21_daidorui 南西郭背後の堀切と櫓台切岸

40_2maru 二の丸

41_2maru_yori_shukaku 二の丸より主郭

42_shukaku_nai 主郭

46_3maru_yori_shukakuheki 三の丸より主郭切岸

48_nisikaku_tori_shukaku_heki_1 主郭西側切岸

尚この城跡上り口から真南に突き出した尾根上には広大な南出城と呼ぶに相応しい砦跡が存在する、そのまま少し歩いて数分移動するだけで端祥寺墓地を登れば到達出来るので見ておいても損にはならないだろう。131

南砦跡

東鴨野城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市柏原町東鴨野にあって高見山城塞群の関連城なのかどうかは分からないが高見山から北東に広がる尾根の先端部にある城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは国道176号から一般道290号に入り新井小学校を目指して進む、学校の裏(南)側が城跡にあたるので一旦西側の墓地に車は置き、運動場の端を通らせてもらい背後の学習用に作られた畑を越える。既に城域と見受けられ段郭の構成が見て取れるが、この東奥に堀切を挟んで本命である郭群(屋敷跡)が形成されている。この城跡の最大の見所は屋敷跡群の背後を守備する空堀と土塁及び郭切岸で状態が良いせいか余計凄いものに見えてくる、中でも中央に位置する櫓台土塁は高い切岸を伴っており相当な見応えがあると同時に司令塔の様にも見えるものである。この中央櫓台下には規模の大きい居館跡と呼ぶに相応しい郭跡が広がっており、このすぐ東側の丘陵には東出郭と呼ぶべき物見の機能が窺える郭跡がある。ここから反対南側斜面を登り切ると山上郭と呼べる削平地が山上に配されており、屋敷、砦、山上郭と三位一体となった城跡であるように感じられる。

現状(11月)相当下草も雑木も蔓延っており、ほぼ外見から郭形状などは判断出来るものの一部の竹林雑木藪地は視認も出来ないほどの状態である、見所である空堀、土塁などは判別確認が容易となっているので救いはあるが、、、尚出発地点である墓地から南側へ向かって登ると尾根を分断する堀切を通りそこから西に上れば東屋のある高見城出郭へ到達出来、南へ下ると麓三宝寺まで辿り着ける。個人的には丁度尾根先端部分の城跡周りを東西南北一周した感じになる。

65d 登城ルート

6s 北より遠望

3hig 城跡概念図

9_dorui_yaguradai 西端の櫓台土塁

16_shukaku_daidorui 中央櫓台の土塁背後空堀見所

18_dorui_karabori_1 空堀と土塁見所

23_gedan_yakata_ato 櫓台下の城中最大規模の郭跡

27_yakata_yori_higasi_dankaku 屋敷段郭群

43_higasi_hasi_kaku_2 東出郭

47_sanjyou_kaku 山上郭

2008年9月 8日 (月)

水生城塞群 その2(兵庫県豊岡市)

水生城塞群 その2 「水生西城

主郭群より1km近く続く尾根上に残る郭跡を確認しながら移動、およそ20分程度で西城には辿り着ける。詳細は概念図に付記

3mnisi2 城跡概念図

59_higasikaku_koguti_ka_karabori 東郭虎口又は空堀

62_nobori_koguti_1 上り虎口見所

65_2dan_dorui_koguti 二段土塁虎口見所

67_shukaku_kita_gawa 主郭北側

68_minamikaku_e_doruidou 南郭上り土塁道

70_minami_kaku_1 南郭

71_minamikaku_kubomi_1 南郭空堀状の窪み

山上尾根を東出郭から西城に跨って踏破したがこれが全てとは言えないほどの次に期待を抱かせられる城跡であり、まだまだ四方枝尾根には郭跡が展開されている様にも見受けられる。とにかく醍醐味、見応え、遺構残存度の高さと三拍子確実に揃った山城であり必ず満足感と達成感には浸される城跡であると思える

水生城塞群 その1(兵庫県豊岡市)

水生城塞群 その1 「主郭群及び東出郭群

兵庫県豊岡市日高町上石にあって集落北にある長楽寺背後の山の山頂から西側尾根に跨って城塞群が形成される城域の広い城跡である、便宜上ここでの記載においては東出郭群、主郭郡、西城(一城に匹敵する)としたが本来においても東側と西側に分かれて独立した郭群になっているのでリポートはこれで進行させてもらう。城史に関しては南北朝期に築城された山城と聞くだけで詳細は不明

城跡へは国道312号より国府駅の北側に位置する長楽寺を目指せば難なく辿り着けるが、長楽寺も既に城域と思われその背後にある駐車場の隅から山道で山上を目指せば城塞群の主郭と東出郭の境目にあたる尾根に10分程度で到達出来る。右手(東)に上れば便宜上東出郭とする郭群で段郭を経て櫓台と呼べる最高所に辿り着くが、この東側に見所とも言える三重堀切があり更に東尾根に向いて郭跡の展開が予想される。

1route

登城ルート

3mi

城跡概念図

分岐尾根を逆に西に向かえば段郭を経て規模の大きい二の丸及び水生城の司令塔とも見受けられる本郭群に辿り着ける。主郭壁には予想していなかったが石垣跡が部分的に見え隠れしているので注意して窺う必要がある。二の丸を更に西に向かえば見所である二重堀切を経て西端に位置する便宜上西城とする相当な規模を持つ郭群に辿り着ける。

城跡は中腹に位置する屋敷跡郭群から始まり東出郭群、本郭群と縄張り妙味もあり見所も多く、次々に遭遇する遺構の数々には見る者を飽きさせず次に必ず期待を持たせてくれるものである。従って山城探索には持って来いの城跡だと断言できるものでもある。これから向かう西城には更に期待も膨らんでしまう

現状城跡は五月と言う事もあって下草も蔓延り雑木は葉も生い茂っているが移動に差障りは無く視認も山上主郭(相当な藪)を除いては支障は余り来たさない状態である。

18_higasi_yagura_1 東出郭櫓台

20_nijyuu_horikiri_1 堀切(三重堀切の一つ)見所

26_yagura_temae_horikiri 櫓台手前の堀切見所

30_shukaku_higasi_dankaku_gun 主郭東段郭群

35_shukaku_heki_isi_1 主郭残存石垣跡

45_gedan_yori_2maru_heki 西側より二の丸切岸

47_2jyuu_horikiri_2 西二重堀切見

余野本城(大阪府豊能郡)

大阪府豊能郡豊能町余野にあって国道423号沿いにある城山高校の道路と川を隔てた真西側の尾根から山上までが余野本城跡で、城山高校自体は余野城の郭跡を転用して敷地とした(高校北側の丘陵地には寺院から果てしなく続く馬場跡とも見受けられる広大な平坦地が存在する)もので城跡案内板が東南側の小道に設置されている。恐らく能勢氏関連の城跡とは思われるが詳細は不明

城跡へは国道423号沿いにある城山高校南側の交差点より南の細い道に進入、後はルート図にある様に城跡のある尾根に向いて進路を変えて行き止まりとなる資材置場まで向かう。ここからは北側の低い尾根に直接取り付けば右側が出郭へ、左側が山上主郭へ10分程度で到達する事が出来る。

大阪府にあっては豊能郡には山城が特に多く山辺、山田、上杉、野間、森上、丸山、栗栖城など残存状態の良い山城が目白押しとなっている。その中でもこの城跡は基本的には単郭構造なのであるが縄張り全体像から考えた場合に非常にユニークさも技巧さも随所に備わっており、練られた縄張りプランの城跡だと分かる。個人的には色々な想像を掻き立たせてくれてロマンにも浸れ、同郡内にあっては好きな城跡のベスト3の一つには挙げられる城跡である。

現状(四月)城跡は植林地になっており、下草も雑木も少ないので動き回り易く遺構は判別確認し易い状態にある。植林地としていない主郭東側及び南西側は相当藪はきついが全体としてみれば残存状態は良い部類に入る城跡である。

1route 登城ルート

4 南東側より遠望

35 城跡概念図

12_horikiri_daidorui 空堀と大土塁

20shukaku_nai_yaguradai_dorui 主郭内の櫓台

25shukaku_nai_nisimaru 主郭北側

37_nisi_dorui_dobasi_1 主郭西土塁虎口、土橋

41_nisi_dorui_karabori_3 西側の空堀土塁

52_nisi_horikiri_karaboridou 西端の堀切道

2008年9月 7日 (日)

遊谷城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市東浜谷にあって篠山城からは北側へ1.5kmの距離にある南北に長い丘陵上全体が城域となる大規模な城跡、城史に関しての詳細は不明

城跡へは基本的に丘陵に向いて取り付けばどこからでも到達出来るが、140号線沿いの警察署から二筋東側の道を北上して給水設備(登城地図参考)から進入する方法がベストだと思われる。北端から郭跡及び遺構を確認しながら南下すれば効率よく見て回れる筈である。

城跡は進入口である給水設備の南側からは既に城域と見受けられ、段郭を経て主郭最高所に向かう。主郭から南の郭端までは特別広い郭跡はないものの郭が隙間もなく配されており中々見応えはある。そのまま南尾根を下ると南端の出郭及び館跡にも見受けられる広い屋敷跡群まで到達出来たが、仕切り直しで一旦引き上げた後に再訪という形で南西側の長楽寺より畦道を利用して改めて南端郭跡に進入する。こちらにも推定館跡を挟み込む形で東西に郭が配され、その中央には櫓台と思える大土塁まで設けられ周囲はより堅固な状態になっている。この縄張りに関して言えば非常に見応えのあるものである。

現状(五月)城跡は一面雑木藪に覆われており薄暗く写真も中々写りが悪い状態にあるが、移動及び視認に困難を来たすまでには至っていないのでそれなりに遺構は判別確認出来る。人の手が入っていない分荒れ放題ではあるが遺構の残存度はその分非常に高いと言える城跡である。

1 登城ルート

Yu 城跡概念図

13_shukaku_heki 主郭切岸

15_shukaku_nai 主郭

18_yagura_nai_hori_2 櫓台内部の空堀土塁

23_koguti_kaku 南郭虎口

3 南端の砦群と屋敷跡の概念図

6 砦跡進入口

7_hasi_kaku_2 南西端郭

10_kaku 南西郭跡

29 屋敷跡土塁

33_yasiki 館跡か

38_karabori_1 南東先端の空堀土塁

2008年9月 6日 (土)

岡城跡(兵庫県朝来市)

兵庫県朝来市和田山町岡にあって法道寺から南西に車で数分の距離にあり外見から判断すると砦跡あるいは居館跡と言った処の城跡、詳細は不明

城跡は法道寺から下りた道路を南西に向かい、最初に橋のある集落周辺から北西に見えているこんもりとした森のある丘状地がそれにあたる。案内板が無いので雰囲気から城跡を察する事が大事になるが、城跡へは現状休耕地の畦道を通り城跡に向いてアルミ梯子段が設けられているのでそれを目印として上れば難なく辿り着ける。

城跡は周りが大土塁に囲まれており大手には空堀、主郭背後には櫓台土塁、内部には井戸まで備わり居館跡と呼ぶに相応しい様相を呈している、規模は大きくは無いが南側に開ける現状休耕地を当時の段郭群と考えれば中々見栄えもあり見応えもある城跡と言う事になる。現状(9月)主郭内は下草も雑木も生え放題となっており、折角の遺構も全体像の視認はし辛くなっているが、大手虎口跡から先の南側は開けているので集落を見渡す事が出来、当時の縄張りプランが多少でも見えてくる様に感じられる。

1route_3 登城ルート

4_enbou 北東より城跡遠望

Photo 城跡概念図

26_higasigawa_yasiki_1 東側の開けた傾斜地

13_hori_dobasi_1 空堀と虎口土橋の石垣跡

14_shukaku_koguti_1 大手虎口、上り土橋

21_yagura_heki 主郭櫓台切岸

16_daidorui_1 周囲の大土塁

22_ido_ato 井戸跡

法道寺城跡(兵庫県朝来市)

兵庫県朝来市和田山町法道寺にあって法道寺より西背後に聳える山の山上から尾根上が城跡、詳細は不明

城跡へは国道9号を北上した場合和田山トンネルを抜けて1kmほど走り一般道527号に進路(左折)を変える、この道をそのまま南に向いて走り途中右手脇道にそれれば目指す法道寺に到達出来る。ここからは案内板もあり15分程度で迷わず山上主郭までは辿り着ける。

現状(9月)城跡は整備されており文句の付けようも無いくらい素晴らしい状態で存在する全ての遺構は容易に判別確認可能となっている。遺構残存度も抜群なものがあり高さのある分厚い土塁、深い堀切、切り立つ切岸斜面などどれを採り上げても圧巻と呼ぶに相応しい状態が保持されている。時期は別にして訪れた同じ朝来市にある磯部城ともついダブらせてしまうほどの状態でもある。基本的には二本の堀切を挟んだ二郭より形成される単純な縄張りに加え小規模な城跡なのであるが、視覚的に見通しが良く空間も広く感じられるのでさほど規模の大きくない城跡が凄く大きく見えてしまう。磯部城と並びこの地区では必見と言うに相応しい山城であり、城跡史に置いても価値のある土塁城とも見受けられる。文献の類には織豊系城跡と紹介されたものが多く、確かにこの高さのある分厚い土塁、堀切を見ればそう感じられるのだが、個人的な主観で語らせてもらうと当然あるはずの大型土塁虎口も見当たらず、ここまでの辺境の地である山上に織豊系城跡が築かれた例もほとんど無く、更に規模も小さく築く必要性のある立地環境でも無いと思われるのではあるが、、、

ここから南側数分の距離にある岡地区に居館跡と呼べる遺構をもつ岡城があるのでそちらも同日訪問すれば効率よく二城回れるはずである。

1route_2 登城ルート

4_2 東より城跡遠望

3f 城跡概念図

13_kaku_ato_1 中腹の郭跡

20_2maru_nai 副(二の丸)郭跡

22_daihorikiri_3 大堀切見所

23_shukaku_heki 主郭切岸

26_shukakunai_dorui_1 主郭周囲の土塁

30_shukaku_nisi 主郭西奥の櫓台土塁見所

32_kita_dorui_kirigisi 北側切岸斜面

2008年9月 5日 (金)

磯部城跡(兵庫県朝来市)

兵庫県朝来市山東町大内にあって国道9号線から直ぐ西に見える尾根先端部が城跡、磯部氏の居城であるが文献によっては居館跡ともなっている、実際館城の如く規模の大きい城跡である。

城跡へは作図に記される様に民家横から登れば5分とかからず先端の南郭に辿り着ける。この城跡も関連サイトでは多く採り上げられているので多くは語らないが圧倒的に残存状態が素晴らしく遺構は細部に至るまで全て判別確認可能となっている。特に壁の様に聳え立つ高い切岸及び畝状縦堀群は状態が良いのも相俟って正に圧巻と呼べるもの賛辞の言葉も見つからないほどである。必見の城跡の一つと言えよう

Route 登城ルート

3z 城跡概念図

3z3 状況及びコメント

7_minami_kaku_2

南郭

7_minami_kaku

南郭より北側切岸

15_2maru_yori_3maru 二の丸より下段郭

11_3maru_nai 二の丸切岸

17_2maru_yori_shukaku_heki_1

二の丸より主郭切岸

24_shukaku_nai_3 主郭

19_une_bori 20_shukaku_minami_une_bori_5畝状縦堀

伊福城跡(兵庫県豊岡市)

兵庫県豊岡市日高町鶴岡にあって国道482号鶴岡橋の東側丘陵上にある城跡、下津屋氏の居城を伝え水生城合戦に加わっているが詳細は不明。

城跡は鶴岡橋の東袂に川沿いを井田神社に向かう道があるのでそれより進入し数mほどで城跡公園に向かう山道の案内があるのでそれに従えば迷わず山上主郭には辿り着ける。

城跡は公園化のせいもあり非常に残存状態がよく木々も少ないので見通しが良く遺構はほぼ判別確認できる状態である。主郭東側の堀切より東側は藪化が激しいので未踏に終わってしまったが、ある程度郭跡の展開は予測出来るものである。

1route2 登城ルート

3_1 城跡概念図

3_1m 状況及びコメント

5 西対岸より遠望

12_nisikaku_yori_nisi3 西郭群

18_shukaku_nai_3 主郭

21_shukaku_minami_isi_1 主郭南側石垣跡

21_shukaku_minami_isi_3 主郭石列

25_gedan2_dorui 東郭群

26_gedan2_yori_shukaku_heki 東より主郭切岸

30_higasi_horikiri 東堀切

2008年9月 4日 (木)

神吉城跡(京都府南丹市)

この城跡に関しては8/3記載の訪問リポートで中途半端で終わる形となっていたが、読者の方から新情報を提供して頂き「本来の城跡は反対(南)側の山に存在する」と言った内容でもあり、今回改めて本来の神吉城とされる山城を訪ねる運びとなった。

地元の畑仕事をしていた古老に城跡について訪ねた処「ここは明智の城と伝わるが登っても何も残ってないよ」と言った回答で、何も無くてもこの話が本当なら戦国期の城跡であると推察出来少し期待を膨らませながら峠沿いの墓地を目指す。峠には堀切でもあるが切通しになっており、ここから東側尾根を登っていくと既に城域と見受けられ途中削平された自然地形に近い広い郭跡を通り山頂主郭までは難なく辿り着けた。

城跡はほぼ単郭構造の主郭を山上に置き東西枝尾根に自然地形に近い郭群を張り巡らしており、主郭のみに周囲を囲む土塁が残っており方形櫓台構造物まで備わっている。規模は砦程度で小さく、とても古老の言っていた明智の城を鵜呑みする訳にはいかないものである、古くから存在していた城跡を明智が改修したのかも知れないが、個人的には誰の城であろうがここに城跡が存在している事実が重要な事で、この悪くない状態から察すればやはり戦国期まで機能していた城跡の様にも窺える。

この地方の歴史書物には目を通していないので、ほぼ勝手な推察にはなるが8/3記載の幻とも思える神吉地区にある巨大山城(情報、コメントを頂戴出来れば有難い)に対しての向城あるいは陣城の可能性も否定出来ないのではないだろうか。本来(文献上)の神吉城はここで間違いないとは思われるが、個人的にはこの山城を神吉城と断定する裏付けとなる資料も文献類も持ち合わせていないので、素人レベルの判定ではあるが一応推定とさせてもらう。幻で終わりそうな神吉巨大山城と同様に、この山城に辿り着いた者のみが城跡を知り得る事になるので、そこで見たままの状態を個人が推察判断すればロマンに浸れてそれでも良いのではと思うのである。

1route_2 登城ルート

6 公民館付近より遠望

3k1 城跡概念図

9 峠の尾根分岐地点

11_horikiri 峠の堀切

16_kaku_1 西郭跡

24_shukaku_dorui 主郭周囲の土塁

26_shukaku_minami_1 主郭南側

25_shukaku_dorui 主郭土塁虎口か

25_shukaku 主郭内

福井城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市福井にあって先に訪問紹介した豊林寺城からは南東に延びる先端尾根上が城跡、森本氏の居城を伝え麓の民家付近が居館跡と窺えその詰城的機能をもった城跡と見受けられる。

豊林寺城とは年を別にしての訪問となったが国道173号の多紀福井バス停より川を挟んで真北に見える山が城跡であり、橋を北に渡って正面民家の脇にある福井城址碑よりそのまま直登すると10分内で主郭に辿り着ける。石碑の横には当時のものかどうかは判別出来ないが、小さい石組み井戸と古い石垣造りの溜め井戸の様な構造物が窺える。

城跡は主郭の南側に二段の郭が付随し、全長15m程度の主郭の北端には櫓台土塁が備わっている。主郭周囲の崖状斜面は切岸となっており中々の迫力があり、その高い切岸背後には土塁を伴う片縦堀と尾根を断つ堀切が設けられており城跡の見所ともなっている。現状相当藪化進行中ではあるが藪漕ぎするほどでは無く遺構は判別確認可能となっている。小規模ではあるが丁寧に築き上げられた様は見る者にとっては中々好感度の高い城跡と言えるものである。

1route 登城ルート

3fu 城跡概念図

7z 直登口の城址碑

9_idoato 井戸跡

20_shukaku_koguti_1 主郭自然岩虎口

22_shukaku_1 主郭

23_yagura_dorui 主郭櫓台土塁

28_yagura_heki_1 櫓台背後の切岸

30_horikiri_1 北端の堀切

豊林寺城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市福井にあって豊林寺の北背後に聳える標高527mの豊林寺山の山頂が城跡、戦国期には森本氏の居城を伝えるが山麓寺院北背後から山に向いて数段にも重なり合う土塁を伴う屋敷跡群(佇まいからしても後世の僧坊の様には見えない)があり、更に東南の尾根先端部には麓森本居館の詰城の機能を持つ福井城も存在する。

城跡へは国道173号から福井集落にある豊林寺を目指せば難なく辿り着けるが、健脚の方は先に福井城へ寄ってから山麓寺院北背後の凄い屋敷跡群を確認した上で山頂を目指すか、下山した後で寄るかはその時の体調で判断した方が良さそうである。屋敷群の最上段までは山道らしき踏み跡が続いているがそれから先は北に向いての直登しか方法はない。現状(4月)冬枯れした後なので木々の間をすり抜けて山頂のみ目指せば容易に辿り着けるが、はっきり言って山頂までの30分に亘る斜面との格闘はかなり厳しいものがある。それでも登り切れば自分で独り占め出来る空間が山上で待ち構えてくれているのである。

2route 登城ルート

Photo 城跡概念図

1_2 状況及びコメント

9 山道から麓屋敷群の郭壁

11_2 屋敷跡切岸

21_sanjyou_no_kaku 山上東郭

37_higasikaku_hasi_1 東郭端

41_horikiri 東先端の堀切

25shukaku_heki 主郭切岸

27_shukaku_nai_1 主郭

35_gedan2_yori_shukaku 北段郭より主郭切岸

2008年9月 3日 (水)

毘沙門城跡(兵庫県三木市)

兵庫県三木市吉川町毘沙門にあって観喜院聖天堂の背後の東西に延びる丘陵上(赤松山)が城跡、国人藤田氏の本城と伝わるが詳細は不明

城跡へは県道17号線を利用し集落北東側の丘陵地の中腹にある観喜院聖天堂を目指せば辿り着け、駐車場の北奥からそのまま斜面に取り付き直登すればすぐに空堀を伴う土塁が現れる。ここは既に城域となる南西側の自然地形に近い郭跡で更に北西側に足を向けると堀切を経て三の丸と呼べる規模の大きい郭跡に辿り着ける。更に北西側には城跡を二分する堀切が設けられており、これを挟んで高低差は余り無いが主郭へと向かえる。

現状十二月でありながら郭跡はほぼ全域に渡って雑木か竹藪で隙間無く覆われており、場所によっては視認も困難で身動きも取れない状態にある。それでも隙間を縫いながら郭跡を確認しつつ西端の民家の見える墓地までは辿り着く事が出来、大雑把ではあるがほぼ縄張りの全体像は把握する事が出来た。しかし郭跡の内部深くまでは進入することが出来ない為、土塁あるいは虎口などの遺構確認までは至れなかったのが少し残念であり心残りでもある。

この城跡の最大の見所を挙げるとすれば高低差のある郭切岸で、北側は特に数10m以上はあろうかと思える切り立つ崖状の切岸となっており相当見応えのあるものとなっている。縄張りプランから考えても南側に家臣団の屋敷跡を麓まで連ねていたと思えるのでので当然手薄になる北側はこの様な切り立つ切岸で防備していたものと見受けられる。西端にある民家より南西側は進入することは出来なかったが、察する処西出郭の構えをしており現状農作地になっている地帯は西砦跡と呼ぶに相応しい佇まいをしている。

1_3

登城ルート

4_enbou 西より遠望

3z 城跡概念図

15_karabori_ato 東山上の空堀土塁

38_shukaku_nai_2 主郭

26_3maru_oku_dorui 三の丸

40_shukaku_gedan2 主郭西郭2

46_dorui 土塁道

中江城跡(京都府京北町)

京都府右京区京北町中江にあって中江集落より東に位置する標高446mの山の山頂から西側の尾根上が城跡、堀氏の居城と伝わるが詳細は不明。

城跡に関しては一切の情報が無く何時もの様に地形図頼みで目星だけ付け、直接現地で住民の方におよその場所だけは尋ね訪問する運びとなった。

国道477号線に入り道沿いの東側にある京北第二小学校とエネオス(GS)間の道路を南東に進路を取り突き当たりまで直進、後はルート地図を参考にすれば直登山進入口までは辿り着ける。進入口には小さなお地蔵さんの祠があるのでその先北数mの距離にあるネットを潜り細い山道で砂防ダムまで向かう、それを過ぎて左手(北側)の尾根斜面に取り付けばルート図通りで30分前後で山上主郭まで辿り着ける。

1route 登城ルート

4 西より遠望

8tozannguti 登山進入口

3n_2 城跡概念図

城跡は西側直登ルートから尾根伝いに登った場所に位置する削平地(出郭跡)、西段郭が付随する広大な西郭(二の丸に相当か)及び山上の主郭群から形成されていると見受けられ、個人的には想像していた以上の規模をもっており、複雑な縄張りではないが技巧さを要求しないほどの圧倒的な高さの切岸と険峻さでそれを補っている城跡とみた。見所は各郭群の切岸はもちろんの事であるが、主郭南側下の土橋を伴う二段の堀切は数100年の時を経たものの様には見えず素晴らしい状態のまま保持されている。周りに木々の少ない事からもその全体像を拝む事が出来感動に値する遺構となっている。他の郭群も現在植林地となっているせいもあり見通しが良く、下草もないので歩きやすく城跡の状態の良さ(9/1現在)に更に拍車をかけている。

とにかく九月でもこれ以上望めない状態が自然保持されており、四季を問わず訪城は可能であると思われる。個人的には勘頼みで先の見えない心細い登山にはなったがシュミレイション通りのルートで辿り着く事が出来、おまけに城跡は満足のレベルを遥かに越えたものでもあり大変有意義な訪城となった。

012_2 西段郭切岸見所

018 広大な二の丸

032 主郭マウンド

035 主郭下段より南側堀切土塁

041 堀切土塁見所

049 南二段目の堀切土橋見所

057 南出郭より土橋及び主郭側見所

2008年9月 2日 (火)

高見山城塞群-3(兵庫県丹波市)

高見山城塞群 その三「高見城主郭及び中ノ台

山頂485mからの眺めが良く登山で人気が高く、登山遊歩道も整備されているので麓の広場からは迷わず辿り着ける。メジャーな山城ではあるが山城大好き人間にとってはこの険峻極まりない山頂に主郭を置く、丹波随一とも呼べる城域を持つ高見城を避けて通る事は出来ないので敢えて紹介させて頂く。既に訪問された方々も多いであろうとする前提でリポートを進めるが、城跡は南北朝期に仁木氏により築城されその後山名氏に取って代わられ戦国期においては明智軍による攻撃の前に落城、最後の城主は赤井忠家と伝わり忠家は落城後秀吉に仕えた模様。3z2_2

今回で三度目の訪城となるが山頂は相変わらず抜群の眺望で、下界を見下ろせば山頂主郭に到達するまでの溜まった疲れは一掃させてくれる。今回はその一でリポート紹介した北出郭と同時に探索予定に入れていた三の丸下の北斜面にも下りてみたが、崖状急斜面に広くは無いが土塁を伴った郭と自然岩を背後にした郭の二段の郭跡を確認する事が出来た。ついでに主郭南側に位置し鉄塔の建っている中ノ台まで足を延ばし郭跡などの遺構の確認まで行うことが出来た。ただしこの郭跡には鉄塔のあることからも少し地形の改変を受けている可能性はある。

7

進入路より高見山遠望

14_2dankaku_2 山中腹の二段郭跡(北出郭への分岐点)

18_3maru_gedan2_ooiwa 三の丸北最下段の郭跡

20_3marunai_2 三の丸

23_2maru_isi 二の丸壁の石垣跡

24_2maru_yori_shukaku 二の丸より主郭切岸

27_shukaku_nai_1 山上主郭

30_shukaku_minami_isi 主郭南壁の石垣跡

28_minami_nakanodai 主郭より中ノ台

45 中ノ台概念図

55_dankaku_top 中ノ台郭跡

今回で高見山城塞群は最終リポートとしたい所だが、まだ中ノ台南側及び西出郭群の最西端までは踏破しておらず巨大な城域を誇るこの山城の全体像を掌握するにはまだまだ時間がかかりそうである。

高見山城塞群-2(兵庫県丹波市)

高見山城塞群 その二「高見城西出郭及び北尾根城塞群

この城塞群へは時期を別にして登る事になったが一般道290号より稲畑にある(ルート地図参照)峠カーブの墓地の向に取り付き直登を敢行、すぐ二重縦堀跡を眼にするのでそれに従い登れば北端の郭跡に辿り着ける。そこから南に向いて登れば鉄塔のある郭跡に到達出来、ここからが確信は持てないが目指す城塞群の存在するであろう尾根を踏破する出発点ともなる。この時点では尾根上に郭群の予想は出来たが結論から先に言うと地図の上で高見山山頂より北西に位置する出郭群(便宜上西出郭とする)及び北城塞群は予想通り尾根上に点在しており西出郭と呼ぶべき最高所に到達するまでには一時間近く要した、郭跡の状況説明は概念図中に付記してあるが、ここに至るまでには数箇所の堀切跡、郭跡、物見郭跡及び自然地形に近い郭跡(削平地)を痩せ尾根上に確認する事が出来た。

予想していたとは言えここまでの城塞群にお目にかかれるとは想像も出来ず、非常に疲れと時間を伴う訪城にはなったが満足感と達成感は充分味わう事が出来た。

1_3zx_2 登城ルート

50 西出郭概念図

6 二重縦堀(取り付き地点)

Kuruwa_ato 社跡のある郭跡

22_minami_horikiri 社跡南側の堀切

46_kaku_horikiri_tatebori尾根上の郭跡と縦堀

53_naka_kaku 西出郭の西切岸

56_higasikaku_dorui 西出郭東側の土塁

57_higasi_daitatebori_1 東側の大縦堀見所

71_higasigawa_demaru 東斜面より高見山北西出郭

本来ならリポートその一にある高見山北西出郭からは急斜面を下り切って再度西側を登れば視角に入っている西出郭最高所にはすぐに辿り着けそうに思えるが、ここを乗り越えるには本格的な登山装備が必要となりトレッキング程度の装備では中々困難である様に窺われる。ここに辿り着くには少々距離と時間がかかるがそれでも素人登山にはやはり北から北尾根伝いに登って行った方が無難だと思われる。

高見山城塞群-1(兵庫県丹波市)

高見山城塞群 その一「高見城北出郭

兵庫県丹波市氷上町佐野にあって標高485mの高見山山頂から四方尾根上に郭が展開され城域の広さにおいては黒井、八上、八木城に勝るとも劣らない城跡。

この城跡に関しては山城好き及び登山好きの人にはほとんど知られているので多くは語らないが、多くの人は山頂の狭い主郭及び南に谷を隔てた中ノ台を見て回る程度の様に思われる。かつて自分もそうであったがこの城跡は未だに全貌が解明されていないと聞き、自称山城好きであれば文献に余り登場してこない部分も一度探索してみようと思いつき今回三回目になる未踏尾根の踏破に挑んだ。

北からの別尾根登山で西尾根に向いては訪問リポートには載せていない(次のリポートの予定)が既に敢行しており、今回は主郭より北側の切り立つ斜面側を目指して地形図で郭跡のありそうな場所二箇所に見当を付け、登山道沿いにある山中腹の二段郭跡より横滑り状に西の尾根に向かう(ルート地図参照)。何となく踏み跡程度は残っていたので難なく辿り着くが、そこには予想を遥かに超える高見城の中枢を成しても可笑しくないほどの郭群が存在(便宜上北出郭とする)しており、随所に崩落石も見られ郭跡にも土中から少し顔を出すだけではあるが石垣跡も確認出来た。主郭周りの郭占有面積を比べてもこちらの規模の方が勝るもので屋敷跡、郭跡の切岸は良い状態のまま保持されている。 まだ未訪の方には是非この北出郭跡の訪問をお薦めしたいが、高見城中にあっては絶対に期待は裏切らない遺構と断言出来るものである。 更に横滑りで谷を跨いでもう一箇所当たりをつけた西側尾根を目指すが切り立つ崖と密生する雑木に阻まれこのルートからの踏破は断念する。

1_3zx

登城ルート

3_kita_sijyou_yori_takami 北出郭群遠望

3z2 城跡概念図

10_yasiki_ato_2 屋敷郭跡か

11_1 屋敷郭跡

14_kaku_heki 北出郭切岸

16_dorui_ato 土塁跡

18 北出郭

18_isi_ato 郭間の石垣跡

22_kaku_sentan_1 出郭先端

目星を付けた北西出郭には一度社のある主郭三の丸まで登山道で上りそこから崖状急斜面を北西側に下りて行くと予想通り、先ほどの北出郭跡より規模は小さいが帯郭を東西脇に伴った郭跡(便宜上北西出郭とする)が存在していた。こちらは背後が高さのある一枚自然岩盤で全面防備されており驚愕の様相を呈している。更に北側痩せ尾根に向いては堀切を挟んで物見まで備わっているが、これより先は砂利状急斜面で上り下りは非常に困難な状態となっている。

35_demaru

北西出郭

38_kita_one_horikiri 北側細尾根の堀切

Nisi_demaru 北端より西出郭側

それにしても素晴らしい北出郭群であり高見城は単純な山上郭群だけに終わらず、四方枝尾根上にも点在する郭群を併せると想像を遥かに超えた城域の広い巨大な城塞群と見るべきか。丹波随一の城域を持った城跡(黒井城、八木城も凄いが、)と言っても過言では無い様に感じられる

2008年9月 1日 (月)

貝田城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市貝田にあって先に訪問紹介した栃梨城跡からは篠山川を隔てた国道173号沿いの北東側に位置する小山の山上が城跡。城史に関しての詳細は不明であるが細工所城の支城である栃梨城とも近いことからこちらも支城として機能していたか、あるいは光秀の丹波攻略における向城である様にも感じられる。

城跡は貝田集落の北側にあり国道沿いの先端尾根上に位置する、城山の確認が済めば国道沿いの細い山道から池の南斜面に取り付けば主郭に上りきるまで5分程度で到達出来る。

城跡は長年の風化によって地表は相当荒れてはいるが藪化までには至っておらず見通しも良く縄張り全体像も非常に摑み易くなっている。切岸処理も窺え小規模ではあるが本格的に造り込まれた城跡の様に感じられる。勝手な推察ではあるがこの城跡における栃梨城との位置関係あるいは防備の手緩い縄張りでありながら築城における土木量は大きい事から考察しても、光秀側の向城(陣城)の様に思えるのは仕方のない事か、、どちらにしても見る分には縄張りも分かりやすく状態も比較的良いので非常に楽しめる城跡である事は確かである。

尚、ここより国道沿いの南側の突き出した尾根上にも砦跡の形で堀切に土橋を伴った郭跡(自然地形に近い)があるので時間が許せるなら立ち寄って見ても損は無いであろう。

1route_2 登城ルート

3z 城跡概念図

47_nisi_yori 西側より遠望

11 西空堀土塁

20_2maru 西郭

21_2maru_kita_gawa 西郭北側の切岸

22_shukaku 主郭

27_higasikaku_yori_horikiri 東郭の東堀切土橋

32_horikiri 東端の大堀切

栃梨城跡(兵庫県篠山市)

兵庫県篠山市栃梨にあって集落の北側を流れる篠山川に向かい北方に突き出した尾根の山上に位置する城跡。勇猛で恐れられた「丹波の荒木鬼」の異名を取る荒木氏(細工所城主)の支城として機能するが光秀の総攻撃の前に奮戦するも本城と共に落城する。

城跡へは国道173号より向井公民館を目指し集落に入る(地図に記す)。城跡までの案内は無いがそれと分かる山道が麓の集落東端辺りより南側の山に向かっているので、それに従えば自然に新設された登山遊歩道となり山上主郭までは15分程度で迷うことなく辿り着ける。

城跡は直線的に並んだ主要三郭から形成されているもので、主郭には櫓台と呼べる土塁が設けられその背後には唯一の見所ともなる二重堀切が備わっているが、三の丸のある北東尾根側にも二重堀切があるので見逃してはならない。城跡を縄張り面から個人的に評価するのであれば山上郭の規模は大きいが一般的山城の域は出ていない城跡と言うことになる。しかし山城そのものは比較的状態も良いことから雰囲気も充分味わう事が出来、数少ない遺構も堪能する事が出来る。

1route 登城ルート

3 城跡概念図

8 登山進入路

29_2maru_2 二の丸

32_2maru_yori_shukaku_heki 二の丸より主郭切岸

37_shukaku_yagura_dai 主郭と櫓台土塁

40_yagura_minami_daihorikiri_1 主郭南側の堀切

43_2jyuu_horikiri_dobasi_1 二重堀切の土橋

47_nisi_demaru 西出郭

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