宿野城跡(大阪府豊能郡)
大阪府豊能郡能勢町宿野にあって宝林寺から南東に出っ張った尾根先端が城跡又は居館跡
登城ルート
この城跡を語る場合非常に区別が難しく北側の尾根を上った山上にも広大な郭跡が残存しており、それを七星城又は麓の城跡を併せて宿野城と呼ぶのか、宝林寺山頂に多田源氏である多田満国が築いたとされる撰見之館が七星城の居館跡なのか、現状における資料では全く解りかねる状況である。その後を継いだとされる田口氏は撰見之館を改修して砦とした事も史実にあり、寺の御住職にその件を聞けば宿野城の別名は七星城でもあると余り的を得ない返答でますます城史を分からなくしている。正直なところ個人的に言えばそんな事はどちらでも良く城跡の存在事実と縄張り形態が解ればそれでも良いのだが、訪問紹介する以上は出来るだけ正確な情報を伝えたいのでつい拘ってしまう自分がここにいる。リアルタイムでこの時代を生きた人達にしか永久に解りえないので便宜上ここでは麓の城跡を宿野城、山上にある古い形態の城跡を七星城として採り上げる事にする。
宝林寺
城跡へは国道173号山辺口から県道54号に進入し宿野に入るが北側の集落に進入する道は非常にわかり辛く、県道沿いの喫茶店の手前(バス停前)の極端に狭い道を北に向かう、一旦進入してしまえば道任せで宝林寺に辿り着く事が出来る。
城跡は単郭であり規模は小さく居館跡には見えなく砦規模のものである。背後には土塁が設けられており西側は川が流れる天然の堀、南側から東は急斜面となり現状雑木藪の為視認し難いが一本の縦堀は確認できる状態である。ここより北側の尾根先端には段郭群がありより城跡らしい形態にはなっており、城跡に対峙する西側には砦遺構となる櫓台、空堀などがあり相当藪化しているが明確に見て取れる。城跡全体を考えれば寺院を居館跡に置き換えた場合に東西の砦が集落を包み込む形になり、守備体系としては一番しっくりくる様に思う。
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