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2008年8月 2日 (土)

滝ヶ嶺城跡(京都府亀岡市)

京都府亀岡市本梅町平松にあって集落西に位置する桂林寺の西背後の山の山頂部が城跡。古来足利氏の家臣である森氏の居城と伝わるが詳細は不明

この城跡のある区域は亀岡市の中でも特に山城が密集しており神尾山、猪倉、数掛山、埴生、少し離れて柿花、大田、茶屋、千手寺城と言った具合で既に訪問済の城跡であるが車で移動すれば全て20分内の距離にある。お陰で見て回る分には都合が良く効率よく訪問出来るが、よくこれだけ集中して築城されたものである。1

3_1 城跡へは確かな登山道も山道も見当たらないので桂林寺脇の墓地背後から西に向いて直登するしか手立てはない。取り敢えずは尾根を西に向いてただひたすら藪漕ぎ覚悟で登っていくと30分内で東端にある堀切まで辿り着く。城跡は12月と言うのに雑木天国になっており郭跡を確認しようにも踏み込む隙間も無いほどで木々の隙間を探しながら移動して行くしか手がない状態である、それでも部分的に遺構、郭形状を頭に覚えさせて後でそれを繋げて行くといった作業で何とか大まかではあるが全体像は掴む事が出来た。遺構として明確に判別出来るのは主郭群東西の堀切、主郭西壁の石垣跡、主郭南側の空堀土塁跡、郭虎口及び樹木の少ない部分の切岸と言った処で状態は悪いがそれなりに残存度は高いレベルにあると言える。その中にあって特に二本の堀切の状態は中々良く見通しも良いので確認し易く満足には値するものとなっている。12_horikiri

東端の堀切見所

21_shuksku_sita_karabori主郭南の空堀、土塁

25_shukaku_haigo_horikiri

主郭西側の堀切

30 堀切より主郭壁の石垣跡見所

32_nisi_kaku 西尾根に続く広い郭跡

尚下山に関しては直登したルートなどは覚えようが無いので必ず方向磁石持参で東堀切からは真東に向いて下りて行く事が大事になる、そうすれば間違っても山中を徘徊する事は無い。と言うのもこの山城は四方がはっきりした枝尾根になっておらず一つ尾根を間違えるととんでもない方へ下りて行く可能性があるからである。訪問時期としては夏季は絶対に避け、出来れば真冬がベストと思われる。自然とほぼ一体化した山城をなめてかかってはいけない(自分の経験から)。

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京都(亀岡)の山城」カテゴリの記事

コメント

素晴らしいです!! 地形図、縄張図、写真の三拍子といい、全体的な情報量のバランスといい、心地よいです。特に、ちょうど、京都府内の山城を攻めはじめたところで大変参考になります!
高城城の支城である平山城の畝状竪堀をみたいなーと思って、高城城を探していたら、このサイトにたどり着きました。
今後もアップ楽しみにしております。

takuさん
亀岡市の激斜面の山城は敬遠しておりましたが、
それは失礼と思い、昨日訪問しました。
登城に際しては参考にさせて頂きました。
いつもありがとうございます。
登城口の桂林寺のアクセスですが、南の方からは比較的広い道でしたが、それが分からず北の集落から入りました。車本当にぎりぎりの集落道でした。これからこの城址を訪問する方は郵便局の方から入られたら宜しいかと思いました。

寺から開閉フェンスが見当たらず、かなりうろうろして漸く北側に見つけました。
若干踏みあとはありますが、殆ど道なき道。磁石は持参しておりましたが、所々にある先人のピンクのリボンが役立ちました。特に下りでは。

堀切後の切岸が出迎えしてくれた時はいつもそうですが、とても感動です。この季節にも関わらず汗びっしょり。。

冬場限定ですね。
波多野氏の土豪の財力を感じました。

ヒデさん、もう既に動き廻られているのですね。
私の山城巡りのスタートは来週あたりからになりそうです。

ヒデさんの最新現況報告から、この山城は数年前私の訪れた当時とほとんど変わらない、相変わらずの藪城と察しました。
遺構見学だけに特化すれば、それなりに見応えのある山城でしたが、私にとっては縄張りを把握するまでには至れなかった、とても苦い記憶の残る山城の一つでもあります。
何時かリベンジしたいと思っておりますが、あの足の踏み入る隙間もなかった郭跡を思い浮かべれば、中々訪れる気持ちになれないのが現状です。
ヒデさんのコメントで益々再訪は遠のきそうです、、、

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