鳥坂城跡(大阪府豊能郡)
大阪府豊能郡豊能町野間口にあって浄福寺の北西の低い山の山上部が城跡、16世紀初頭山口氏の居城を伝えるが詳細は不明。
この城跡に関しては所在地の情報しか分からず地形図から見ても全く場所の見当が付かなかった。取り敢えず現地に向かい集落に入って地元の古老にでも場所を尋ねるつもりでいたら、運良く最初に声をかけた年配の男性が知っておられ場所を特定してもらう事が出来た。おまけにその方が所有の栗林から登って行けばそのまま山上までいけるらしい事も解り更に幸運が重なった。進入口は浄福寺の北西背後にある現状堀切道として使用されている場所の道路脇から登り、段郭跡になっている栗林を抜けて更に踏み跡程度の山道を登り切ると山上郭に辿り着ける。長い登り急斜面が続くがおよそ20分程度の道程である。
段郭群
城跡は二月(降雪の後)ということもあり藪で難渋する事もなく山上郭の全体像を把握する事が出来たが、規模も小さくどうやら物見か砦又は詰城の機能を担うものであったように見受けられる。狭い痩せ尾根を削平した形跡は充分窺えるが帯郭もなくほぼ山上を平坦に慣らした程度にも見える。しかしよく考えてみると勝手に自分の頭で規模の大きい山城を描いていただけで山裾にある小高い丘の寺院を居館跡とすれば、その背後における段郭群の構成も縄張り的に見て充分納得出来るし、山上郭も詰城あるいは砦とすればこの鳥坂城の城跡形態もおのずと見えてくるものであった。勝手な推察ではあるが鳥坂城は麓に家臣団屋敷(集落)、丘上にある中心地居館跡(浄福寺)、背後を固める郭群(山裾の栗林及び竹林地)、山上(砦跡)と三位一体となった城跡として成立してしまう。
山上郭だけを考えると期待はずれに終わってしまう処であったが、山裾の現在の寺院までに連なる郭跡を見れば自然に想像も膨らみ非常に楽しめた城跡の一つになった。
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