栗栖城跡(大阪府豊能郡)
大阪府豊能郡能勢町栗栖の地にある城跡である。今回で二回目の訪問となるが過去一回目の訪問でこの地の山頂322mまで登って見たが遺構らしきものはほとんど確認出来なかった、強いて挙げれば山上から南尾根に向けての数段の平坦地形は出郭らしくも見えるが主郭が確認出来ないのではとても断定は出来ない、今回は以前から目をつけていた山頂から東側の山裾を目標に絞り再度栗栖城へ挑む事になった。
国道173号を北上した場合栗栖の交差点より東側(4号線)に進路を変え更に104号線を少し北上すると大里集落に入る。この道路沿いにある大里集落センターの西背後の南北に渡る丘陵上が目標とする城跡である。
結論から先に言って目標とした地を栗栖城跡と断定するには情報資料が乏しく今回は暫定として紹介させてもらう。と言うのもこの地には他に吉村城(資料に大谷山頂にある城跡とある)が存在し場所の特定も出来ていない状態で栗栖城と混同してしまう恐れが生じるからである。後はこの訪問日誌を読まれた読者がもし訪問された場合に独自の判断で納得してもらうしかない。城跡は水原氏の居城と伝わり戦国期において織田信澄の攻撃を受けて落城したとある。
丘陵上は予想通りの城跡と言えるもので、余り高低差もなく北と南に分かれた郭構成であるが明確に削平された跡が窺える。どちらも相当規模が大きく南郭は自然地形に任せた特異な形をしている、その北西側には一本の堀切が明確に残存しており北西側の山上尾根を分断した形となっている。ここから更に北西へ登っていくと自然地形郭を確認しながら三角点(322m)に到達出来る。北郭と南郭間には片堀切跡も残っておりそのまま東屋敷跡まで下りて行くと数段の屋敷跡を挟む形で北側に土塁を伴う櫓台的な郭跡も残っている、これは正に館を守備する為の物見郭の様相を呈している。
現状(六月)城跡は北側へ向かうほど雑木及び夏草等が密生しておりほとんど踏み入れる状態には無いが北端部分を除けば主要な箇所はほぼ見て回りやすく、案外ましな状態と言える。南端墓地から上り北東側の池より畦道を下りて行けばほぼ全体の八割は見て回った計算になる。
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