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2008年8月23日 (土)

前木戸城跡(兵庫県丹波市)

兵庫県丹波市市島町下竹田にあって下竹田集落より竹田川を挟んで南東に位置する丘陵上にある城跡(サシド城と読む)、室町期における高橋氏の居城であるが戦国期には赤井氏(黒井城主)の配下である赤井弥助が拠ったとされている。この城跡も黒井城と同様で光秀により落城したと思えるがその後の詳細は不明

城跡へは国道175号線を利用した場合寺内の信号から東へ進路を変えて竹田川を渡れば目の前の東へ延びる丘陵地は城跡である、主郭は東尾根の先端部分なのでまずは東側の二宮神社を目指す。神社に到着すれば小川が目の前にあり、橋の大師道参道入口の石碑より川傍の民家庭横を通り参道に従い登ればば5分程度で城域に入れる。

城跡は北東端から南西端の堀切までの丘陵上全域が郭跡となっており多少の高低差及び土塁で郭境としており一本の堀切で主郭群は分断されている。城跡最大の見所は方形に近い主郭の東側と南側に設けられた空堀で現状深さも土塁の高さもある程度保持されており見応えのある遺構となっている、空堀の南東角には少しせり出した横矢の入った櫓台土塁まで窺える。切り通し道になっている南西側には延々と郭跡が繋がっておりその中央に位置する小高い丘状地にある墓地までは郭として取り込んでいた様にも見受けられる。探索すれば限がないので南西地域は程々に見納めたが、とにかく南西未踏郭群まで併せると凄まじく広大な城跡である事は確かである。たとえれば丁度京都府園部町の丘陵上にある宍人城跡の様を呈しており規模も互角かそれ以上とも思われる。

現状(11月)主郭内と北郭内(中央部)一部の場所は相当藪化が進行しており視認し辛い場所もあるが全体的に見れば移動もし易く、状態はまだ良い部類に入ると言える。複雑な縄張り箇所も無い事から遺構はほぼ判別確認出来る状態でもある。

Photo 登城ルート

Sasido 北側より城跡遠望

3_1 城跡概念図

6_start_point城跡 進入路

13 主郭北側の郭跡

19_daidorui_karabori_1 主郭北を仕切る空堀大土塁見所

18_higasi_gawa_karabori_dorui_8

東側空堀土塁

18_higasi_gawa_karabori_dorui_6

東側横矢土塁空堀見所

24_dorui_nantou_kado 南東角の櫓台土塁

26_minami_karabori_1 主郭南空堀

31_minami_yori_dobasi_karabori 主郭を分断する堀切土橋見所

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コメント

前木戸城は、室町時代初期の在地領主、高橋氏が築城したと言われています。高橋氏は、織田信長による明智光秀の丹波攻めで戦いましたが、最終的に帰農を条件に明智光秀に対して、無血開城しました。「丹波志」によると、かつて前木戸城下には、城下町が形成されていたとの記述があります。高橋大和守為房より4代後の為成の時、湯長谷藩藩主より代官として依田姓を賜り、下竹田・東勅使・何鹿郡(綾部市)私市の2000石の代官として、湯長谷藩丹波国陣屋を築き、明治維新を迎えました。

TAKUです、城史に関しての情報のご提供有難うございました。
個人的には遺構見学にウェイトを置いていることもあって、城跡の歴史などをリサーチあるいは深く追及するまでには至っておらず、特に無名に近い山城見学の多い自分にとっては、現実的にも資料に乏しい城跡の方が圧倒的に多く、ついお座なりになっているのが現状です。これからもブログの性質上城跡を深く追求する事はしませんが、こうして城史に関してのコメントを頂戴出来れば、個人的にも痒い処に手が届く状態でもあり、ブログを拝見された方にとってもとても有意義な情報になると思えます。
これからも「山城賛歌」を城跡訪問のアシストとしてフルに利用して頂ければ、光栄と思うと同時に、自身にとっても更に励みにも繋がる今日になりそうな気がします。

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