私市城跡(京都府福知山市)
京都府福知山市私市にあってこの辺りでは有名な私市円山古墳からは北西側に位置する丘陵を利用した城跡。
城跡に関しての情報は皆無に近く大志万氏が在城した事実があるだけの様だが詳細は不明。
城跡へは私市集落にある長園寺背後の民家の間より山道があり、そのまま上ると堀切道の形をとりながら広い郭跡に辿り着ける。ここより右手、左手のどちらも郭跡であるが左手側は北西に向かう尾根上に直線的に郭が配されており堀切を挟んで規模の大きい三郭から形成されている。真ん中に位置する郭跡が主郭とも見受けられ櫓台的な土塁も残されているが長年の風化で地表は相当荒れており郭段差などは非常に判別し難い状態である。北西端の居館跡に見える広い郭跡にも堀切を挟んで土塁(櫓台)が備わり現状では一番城跡らしい姿を留めている。登城道から右手はほぼ全域に渡って墓地となっておりどこまでが郭跡なのか判別し難いが、見た限りでは郭跡をそのまま墓地に転用した様に見受けられる、この区域は墓地以外は雑木に覆われて確認し辛いが空堀なども設けられ現在墓地になっている少し高台の場所は櫓台にも見て取れるものである。
全体を歩いて回ると高さのないなだらかな丘陵地にあり、郭間に高低変化もさほどなく、長い丘陵地を堀切でほぼ四区画に分断しただけの城跡に終わっているが、これでは防備の心配が真っ先に挙げられる。今見る者からすれば延々と続く広さにも圧倒され凄い城跡の一つに数えられるのだが乱世に果たしてこれで通用したのだろうか?城跡存続期間などは知る術もないが仮に攻められれば一番先に落とされたのではないかと思わされる様な縄張りでもある、しかし見る者にとっては非常に醍醐味を味わえる城跡である。
尚、城跡北西にある池を越えた神社背後の山上にも削平跡の窺える平坦地があり、ここは砦跡の様にも見受けられる。
中央部より西側の土塁壁
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