数掛山城跡(京都府亀岡市)
京都府亀岡市本梅町西加舎の加舎神社から見れば遠く西側の綺麗な形をした山(狼煙台)の手前側尾根上に城跡はあり、まだ紹介の遅れている滝ヶ嶺城とは相当離れてはいるが真西側に位置しており同じ緯度にある
少ない資料の中ではあるが城跡は古くは波多野氏から始まり小林氏の居城とも載っているが波多野氏の没落と同時か光秀の丹波平定後廃城になった可能性は充分考えられる。実際に現地に行っても街道からは相当離れており集落監視においては良い立地条件下にあるが、有事の際の部隊移動であるとかを考えるととんでもない場所に築城したものである、正に隠し砦か逃げ込み用の砦の様で利便性にも欠けており平定後もこの城跡が使用されたとはとても考え難いものである。戦国時代なるが故に成立したと言っても過言ではない城跡に感じられる
城跡は真冬に訪れたせいもあって雪は多少残っていたが雑木に阻まれる事も無く全ての郭跡は見て回る事が出来た、高低差の余り無い郭を並べた主要五郭から構成されており数箇所に石垣跡も残存している。規模も小さく縄張り妙味も技巧的な箇所もほとんどないので苦労して上って来た割には多少肩透かしを食らってしまったが、ここに城跡が存在する事実だけでなぜか充分な満足感に浸れてしまうから不思議である。多くの城跡ファンが求める山城のイメージは恐らく天空の城なのである、この城跡がこれに近いとは決して思えないがこの城跡の雰囲気も醸し出すものもやはりこのイメージに近いものがある。山城遺構に期待するよりは別な意味での大人の隠れ家的なロマンに浸れる城跡とも言えよう
尚、城跡をそのまま東側に下りれば東尾根上にも比較的大きい郭跡が残存しているので下山時には少し直登道からはそれるが寄っても損はしないだろう、ただし寄った後は必ず下山方向の南側(右手側)に下りて行く事が大事になる、そうすれば元の登山道に合流できる筈である。
今回は地形図だけを頼りに目星だけ付けて登り、幸いにも無難に辿り着く事が出来たが下山時においては全く方向が分からなくなり偶然東城と呼ぶべき郭跡に寄る事は出来たが少々山中を彷徨ってしまった。再度訪れる事になっても今回と同じルートで上れる自信はあっても下りれる自信は絶対に湧いてこない。地図で説明をするのは簡単ではあるが一旦シュミレーションしたルートから外れると体外な方向に出てしまうので要注意の山城である。しかしこの達成感は半端なものではない!
東側からの城跡遠望
登城ルート
南出郭石垣跡
出郭北側石垣跡
主郭自然岩利用の虎口
主郭内奥の櫓台土塁
主郭北堀切
東尾根上の出城跡
« 神尾山城跡(京都府亀岡市) | トップページ | 橋爪城跡(京都府瑞穂町) »
「京都(亀岡)の山城」カテゴリの記事
- 法貴館跡(京都府亀岡市)(2014.06.28)
- 千ヶ畑城跡(京都府亀岡市)(2012.10.12)
- 江島里城跡/郷ノ口城跡(京都府亀岡市)(2011.09.29)
- 西松尾山城跡(京都府亀岡市)(2011.09.23)
- 金岐城跡(京都府亀岡市)(2011.09.03)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
TAKUさま
滝ヶ嶺城址を訪れたからにはここも訪問しないと公平さに欠けると思い訪れました。
過去未舗装林道でパンク3回の実績あるので、大事を取って麓の郵便局に車を停め、山頂まで約1時間掛かりました。結果的には程度のよい砂利道付近までは車幅も林道にしてはあり、行けたと思います。
私が見る限り、林道で車を停められる位置は、
①右手にお墓が出てくる地点。このあたりまでは舗装。
②XX山と井出というボロボロ看板がある分岐点
このあたりまでは程度よい砂利道
③スイッチバックの様な分岐点。このあたりまではタイヤがしっかりした車であれば、パンクのリスクは少ない。
④更に進んで最後左に大きくヘアピンカーブするところ。カーブを利用してuターン可能。タイヤがしっかりした車であればok.ここから先は極めて道が狭く、バックでしか戻れないので、どんなに奥にいっても④までだと思いました。少しでも足の疲労を労わりたい方は上記②の位置までは大丈夫と思いました。但し、山麓から歩くのも森林浴も味わえ、なんでこんなところに山城!?という気分と達成感あるので、捨てがたいと思いました。
扨て、砂防ダムの行き止まりからの登城ですが、
少し道らしき道があり谷沿いに上がりますが、すぐ道が消え、直登。私はもがきは約20分掛かりました。途中リボンが確か3か所ありましたが、次のリボンの位置は見えず、但し下りは自身の磁石の位置の再確認の為には役立ちました。曇りの時は太陽の位置が分からないので、磁石はあった方が良いと思います。下りはとにかく南に下れば、どこか林道とぶち当たるはずなので。
等高線を見ると間違って東方面に行くと彷徨の可能性あると思いました。
遺構は巨石を利用した、藪が結構茂る段廓で、苦労した割にという気もしますが、達成感は充分です。
こんな辺鄙なところに何故という気持ちを持ちました。位置的に滝ヶ嶺と連携する戦略的意義があったかも知れません。だとすると450年程まえは今は藪で消えてしまった両方を結ぶ山道はあったかもしれません。想いは巡ります。
こんな山城を訪問するので喜びを感じるのも異常かも知れませんが、ここに築城した波多野氏?(多分)を尊敬する気分になりました。
ありがとうございます。ここも汗びっしょり。冬場限定山城ですね。まだ今年始まったばかりですが、
一年を振り返ると激斜面で思い出に残るベスト3の候補になるかも知れません。
投稿: ヒデ | 2016年1月13日 (水) 08時51分
そうですか、、、、やはりこの山城は冬季限定なのかもしれませんね。
私も苦労して上ったせいか、未だにこの山城は記憶に残っておりますが、下山における藪漕ぎを拒否したお陰で、少し山中を徘徊した苦い記憶も残っております。もちろんその時は方位磁石を携帯していなかったのですが、比高に関係なく、藪に埋もれた山城は決して侮れない事を、再び肝に銘じた次第です。
何はともあれ、達成感は元より、限りない山城ロマンにも浸れて何よりでした。
話は変わりますが、園部町にある山城なのですが、この山城とほど近い距離にあり、ほぼ無名に近く、知名度には全く欠ける「雨乞嶽城」が意外に素晴らしかったので、ヒデさんにとってまだ未訪の山城なのであれば、是非今後のリポートを楽しみにして頂ければと思います。藪漕ぎまでには至らず、達成感に関しては、間違いなく期待に応えられる事と思えますので、、、
投稿: TAKU | 2016年1月16日 (土) 10時07分