千手寺西山城塞群(暫定)
千手寺城跡(暫定)の探索報告続編
寺院より西側の山道を道に任せて南西に進むとやがて段郭跡にも見て取れる古い石垣を伴った墓地が現れる、墓地から南側に見える尾根から北の山上までが一応城跡として目星を付けた場所である。まず南に向いて下りる場所に堀切を確認し更には土塁及び郭跡を確認、大岩を取り込んで形成された櫓台の様な郭跡も残存している。地表は風化によって相当荒れてはいるが遺構はある程度分かりやすく残存している状態にある。ここでは南東側は西山の地になるので便宜上西山城塞群と呼ぶことにする。
この尾根は南東に向いており雰囲気で感じるだけだが車道近くまでは延びている様に思われる、南東側に展開される縄張り内の状況説明は別の城跡概念図の中に載せているのでそれを参照の事。
西山城塞群に向かう直前の堀切より北山上に向かう寺院西側の尾根上は幾つかの削平跡の窺われる広い郭跡が形成されているが切岸処理にまでは至っていない、自然地形をそのまま平坦にしただけの砦の様な郭跡である。更に山上に向かうと大石がゴロゴロしている地形に出会う、ここから東側へは尾根が連結して先ほど立ち寄った寺院背後の山上郭に行ける様に見受けられるが踏破は断念、山頂まで登り切るとそこは堂徳山になるが恐らく砦か狼煙台跡となっていると推察される。流石にそこまで辿り着く気力もスタミナも既に切れており山頂到達までには至らなかった。
尚、千手寺に向かう途中の谷沿い右手道路脇から山に向いて古い石垣跡が重なり合って無数に段郭を形成している地形がある。おまけに土塁まであるが、この謎の石垣群は一体何なのだ!ひょっとすると地元の人が話していた石垣がゴロゴロしているのはこの場所の事を指していたのではないかとも思える、見る限りでは相当古い石積みで僧坊跡かも知れないが当時の屋敷跡とも見受けられる。同じ町内にある大田城跡の謎の石垣群と併せて調べてみる必要がありそうである。
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