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2008年7月15日 (火)

東胡麻城跡(京都府南丹市)

11/22 重要な訂正があります

今回、京都府坂井城跡においてもコメントを頂戴しておりますS氏より、この大戸城跡に関しては信頼のおける情報を頂き、ブログ(7/15 )掲載分の大戸城跡(塩貝城、上胡麻城)は呼称「東胡麻城跡」であるという事が判明しました。ここで改めて間違いを訂正すると共に、同じ地区に隣接する(両者を上胡麻城と下胡麻城とするからには、ほぼ隣接しているものと推察出来るが、現状では場所は未特定)本来の大戸城については、近い内に場所を特定して現地訪問し、改めてリポート結果を報告したいと思っております。

京都府南丹市東胡麻にある城跡で、別名「下胡麻城」とも呼ばれ宇野氏によって築城された城跡と思われる。

城跡は西南に突き出した尾根の山上に位置しており末端の郭は川のすぐ辺に迫っている東側線路を越えて川まで向かいそこより金網ゲートをくぐり小橋を渡るといきなりうねうねした土塁と広大な平坦地が目に入る。ここは恐らく当時の屋敷跡とも窺えるが後世どれだけ手が入ったのか皆目見当もつかないので遺構とするには少し無理があるかも知れない

そのまま尾根に向いて墓地を通り過ぎると尾根を分断している堀切まではすぐ到達出来る。堀切より左に向いて山側斜面には山上までいくつかの削平地がありこの辺りまで城域は達していたと推察出来る。

堀切より右手に向かう山上主郭群はあまり広くは無い数十段にも及ぶ段郭群が川に向いて連なり、主郭周りには中規模の郭がそれに付随している。

現状城跡は意外と言えるほど残存状態が良く、全ての遺構は明確に判別できる、資料も情報も乏しく城跡の歴史に関してはさっぱり知る術も無いが、訪問者も恐らく自分を含めた城跡マニアだけに限られてくると思える。地形図だけを頼りに当たりをつけて何の期待もせずに訪れたとは言え、良い意味で大きく期待を裏切ることになりアドレナリンも最後まで出っ放し状態であった。

4 線路を挟んだ東側からの城跡遠望

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登城ルート

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城跡概念図

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山上に向かう土塁道、奥に虎口が見える

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二の丸下の堀切

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二の丸より主郭切岸

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主郭最高所

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段郭群の中の一部である三連郭

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山麓の屋敷跡に見れる郭群の一角

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コメント

ぶしつけな指摘させて頂きましたが、早速の改訂有難うございます。さて「大戸城」(「丹波動乱」日吉町郷土資料館編に友人の記事があります。)ですが国土地理院の地図で大戸の地名表記のある東の標高の表記がない山です集落背後から登山道があり、集落で聞いて親切に教えてもらいました。尾根に上がったところに「鍛冶屋敷」があり、周りはきれいに刈ってあり見ごたえのある遺構を余すところ無く見ることができます。

TAKUです、お陰様で自分が地図上で改めて目星を付けていた大戸城の場所とピッタリ重なりました、有難うございます。
今回7/15掲載「大戸城」を「東胡麻城」と改訂する以前からも、線路と胡麻川を東に越えた地域ばかりを訪ねて、東胡麻城の場所を捜し求めて来ましたが、通りで見つからなかった理由がはっきりと分かりました、とんだ灯台もと暗しだった訳です。
しかも両者がこんなに直ぐ隣接した場所に位置しているとは思いも寄りませんでしたが、よくよく考えてみると、国土地理院地図にも大戸の左下には塩貝と表記されており、自ずと別名塩貝城の位置する大戸地域は西側の山であった事も、今回改めて理解する事が出来ました。
明日にでも大戸城には訪城したい気分に駆られていますが、今回も絶妙とも言えるタイミングで情報提供を頂き、非常に感謝しております、又お気付きの点がありましたら情報提供のほどよろしくお願い致します。

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