但馬荒木城跡(兵庫県豊岡市)
この城跡は豊岡市出石町荒木にあって、先にリポート掲載に及んだ鳥居城跡の尾根をそのまま南側へ山上目指して上った先にある。この城跡に関しては少なくとも自分が手にする資料、文献類に記述が無く、ほぼ無名に近い事からも今回の訪問リポートでは独自の判断で、地域名を採用した「仮名、荒木城跡」としてリポート掲載に及んだが、実際には但馬地方史あるいは出石町史の中で荒木城として登場している山城なのかも知れない、、、(他に本来の荒木城と呼ぶ城跡が存在するのであれば訂正しなくてはならないが、現状では照会する資料も乏しい為にまだ呼称も判明してはいない)
鳥居城からみれば尾根を共有しているので詰城の様にも窺われるが、鳥居城の形態とは随分異にしており、見る限り相当古い形態とも窺えるもので、山上から尾根にかけて地形任せに段郭を連ねて堀切で郭を分断しただけの縄張り構成でもあり、見学する分には醍醐味には少し欠けそうに感じられた。現状(六月)遺構として判別可能なものは尾根上に延々と連なる規模の小さな段郭跡(削平地)、但馬地方特有の空堀地形を挟んだ連続する土塁壇、かなり埋もれて判別し難いが郭間に備わる堀切、土橋付き堀切(二箇所)、空堀(横堀)などが挙げられるが、意外にも判別可能な遺構がまだ数多く残っていた。
縄張り内における郭移動に関しては藪漕ぎ箇所が無いので、この時期にしては快適に見て回る事が出来たが、埋もれた堀切跡などの様に地表風化が相当激しい事、あるいは技巧さを有する遺構が見当たらない事からも、少なくとも戦国期を乗り切った山城の様にはとても見受けられなかった。現在鉄塔の建つ付近が山上主郭とも呼べそうな郭跡(削平地)と見受けられたが、土塁も空堀も付随している訳ではないので確証には至れなかった。ただ東側斜面には空堀土塁跡と見受けられる地形は見受けられたが、、。
麓にある鳥居城から山上まで移動して歩き回った結果として、何とか城跡概念図までは描く事が出来たが、個人的に図中に示したものが城跡遺構としてまず間違いのないものと判断したものに相当する。ただ見学者によっては違った見方になるかも分からないが、よほど物好きな山城ファンでもない限り、この山上まで上って遺構探索まではしないものと思われる、よって見応えが無いのが欠点ではあるが、この城跡概念図を見て興味を持たれた方のみが見学対象となる山城と言って良いのかも知れない、、。
















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































